2020/01/10背景変更 裕次郎灯台

松下政経塾の見学会を開催しました

 平成28年7月28日(金)、当支部幹事でパナソニック客員である佐藤嘉信さんの薦めで茅ヶ崎市汐見台にある「松下政経塾の見学会」を開催しました。参加者は10名が名乗り出て、あと5名は大丈夫との話で当支部にメール番号を登録している比較的若い 方に呼びかけを行いましたが、平日でもあり参加者は増えませんでした。

 それでも当日JR逗子駅9時に砂山、西山、仲内、森、山村、川崎、足立、小川、佐藤の9名が集合、辻堂駅で齋藤女史が合流してタクシーで5分程の所にある松下政経塾入口に着くと、楠の木並木の先にアーチ門が見えました。

 佐藤さんが広報担当の品川悦夫部長さんと連絡を密にしていただいていたため、アーチ門(加藤昭男氏の彫刻“明日の太陽”あり)の前で品川さんと小坂香澄さん(若い女性の方)の出迎えを受けました。

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 門を潜り右手に白いハマユウの花を横目に見て、卒業の時期には満開になるであろう桜の木を見ると、その先に平櫛田中氏監修、愛弟子である浜田泰三氏制作の松下幸之助さんの銅像が建っていました。建物は赤い屋根の洋風造りでギリシャエーゲ海といった地中海風の建物で統一されていて、高い「黎明の塔」の屋上に設置された鐘は大風の際に鳴るとのことでした。

 見学会は10時から12時までの2時間という予定で、最初は教室での説明でした。円卓の教室に入ると我々のための当日のプログラムと松下政経塾の案内冊子が10人分個々に置かれてありました。

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 品川さんの歓迎挨拶のあとDVD「建塾の理念」―松下幸之助が語る―、「松下政経塾紹介映像」―卒業生・現役塾生が語る―を見ましたが、一本目が終わった後、品川さんから松下政経塾の概要説明もあり、この教室では1時間半近くを費やしました。当日は夏休みのためか塾生の姿は無く、その後教室を出た所で研修一部の日下部晃志部長の紹介と挨拶を受け、松下幸之助塾主の著書を見た後、ゆっくり建物内部を品川さんに、また敷地内を小坂さんに説明していただきました。

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 庭は松下に因み多くの黒松(赤松は無し)が配置されていました。また松下幸之助さんが来られた際に朝『今日一日素直な心で無事にいかせて下さい』と心に念じた、というやや小高い場所で説明を受け、寝泊まりしたという茶室にも入り、床の間の「素直」の軸も座って拝見、ここで記念写真も撮っています。岡田乾電池 岡田社長の別荘だったため石灯篭などがそのまま残されているとのことでした。

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 その他質問等もあり終了したのは12時半近くでしたが、この施設内でしか販売していないという「松下幸之助のめざしたもの」―松下政経塾塾生への講話から―と題する本を購入して、松下政経塾を後にしました。

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   (松葉文様の中の中央に1つ大王松(3本)のように見えますが 左上の葉が

        重なっているだけのようです。やはりすべて黒松です)

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 その後、通りの向い側にある佐藤さん推奨の松下幸之助さんが利用していたという蕎麦司 “紅がら”に入って蕎麦を食べて暫し歓談しました。なおここの女店主は松下政経塾の入塾、卒塾式に来賓として参加されているそうで、話を聞きたかったのですがタイミングが合わず楽しみはまたの機会に残しました。

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 昼食後、近くのバス停「のぞみ学園前」からバスで辻堂駅に出てここで散会しました。なお、ここで辻堂の商店街に飲みに行ったグループと平塚へ行ったグループに分かれています。 

 円卓教室でのDVDでは、松下幸之助さんの教え(塾訓)にある「素直な心で衆知を集め、自習自得で事の本質を究める」を参加者はまずもって改めて肝に銘じたと思いますが、塾生になる年齢資格が22歳~35歳までということで、大部分の人が70歳を越えていたため、既にはるか昔に体得済だったのではと思いましたが、購入した本の中に『素直な心になるには幸之助さんですら35年で初段になった』ということなので体得はまだまだでしょう。4年間の全寮制による塾生は、現在18名で2年目の36期に明大卒の市川市出身の土屋正順氏がいました。29歳で明大に入学し卒業後、松下政経塾の門を叩いたわけで今後の活躍を祈らずにはおられませんでした。

 松下幸之助さんは、自分と同じく丁稚から身を起こした思想家で石門心学開祖の石田梅岩に倣い、PHP研究所を設立して倫理教育に乗り出す一方、晩年は(84歳)は松下政経塾を立ち上げ政治家の育成にも意を注いだといいます。

 茶室に通じる庭には茶色の丹波鞍馬石と思える飛び石が配置されていて、丹波生まれの石田梅岩への松下幸之助さんの思いが頭をよぎりました。昭和54年に設立された松下政経塾については、我々の30歳代の時期で、高度経済成長期だったので「経営の神様」といわれた松下幸之助さんは身近な人物でもあり開校のニュースは耳にしてその存在だけは知っていましたが、すぐ近くにあっても見学したのは皆初めてでした。佐藤さんの言葉にあるように『塾の動向に強い関心と期待を寄せ充実した訪問』となりました。品川さん、日下部さん、小坂さんお世話になり有難うございました。

会員からの寄稿  『明治大学との生涯』 森尾忠憲 

 後期高齢期に入り、振り返って見ると、小生の生涯は、明治大学と深い関係にあったことを、今更ながら思い識らされる。海軍水雷・通信学校を出て外務省勤務となった父親と海軍病院婦長を務めた母親との間に次男として生れ、吉林、芝芣(チフウ)、北京で幼少年期を過ごしたので、小学校期には「チヤンコロ」と蔑視されたこともあった。

 敗戦后の学制改革期には、軍国主義者、国家主義者の諸先生が、御神影を撤去し、生徒自治会の結成を促した。こうした先生方の転身に、深い疑念を抱かされた時期をすごした。福島県須賀川高校卒業后、特幹として入隊し、戦后復員した、優れた技術者であった兄の紹介で、NTT(旧電気通信省)京橋電話局(東京都銀座、現博物館)に勤務できた。兄に負けない技術者になることを目指し、機関士(ボイラーマン)一級の資格を獲得、明大政経学部Ⅱ部在学中にも、晴海電話局新設工事に関係し、電力機器設置の現場監督の職務を不安に駆られつつも、何とか無事に果した。

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  (中央に立っている方 寄稿者 S35政経卒・S47博修了 森尾忠憲 氏)

 この間にあってなんとしても消え去らないものがあった。それは小林多喜二三木清の惨死であった。ある日、偶然、築地警察署を通過した際、この思いが猛然と蘇返った。ここでやられたのか。くそ!!!。この激怒が、明大入学の最強の動機である。

 京橋電話局勤務5年目にして政経学部Ⅱ部に入学した。同学部は、実に貴重な交友の場を与えてくれた。国鉄(JR)勤務、税務署勤務、鉄工業勤務の諸学生との交際は、小生の視野を広げてくれた。鉄工業勤務の学友は、小生の大学院入学資金を貸与してくれた。これに加えて諸先生方は、勉学意欲に応えて下さった。ナチズムについて質問した曽村保信先生は、自宅に招いて下され、独逸語の学習を促され、奥様は、日本酒づきの夕食を用意して下さった。また海上自衛隊観艦式の参観、硫黄島見学の機会を与えて下さった。また大学院時代には秋永肇先生は、朝鮮人学生とともに、自宅に招いて懇談の機会を与えて下され、奥様は夕食を与えて下さった。

 学部と大学院との在学の時期、略々十年間、職場京橋電話局の先輩、同僚は、理解と同情とを与えてくれた。交替制勤務も幸運の大きな原因であったが、先輩、同僚の理解と同情なしには、不可能であったことを、今更ながらに思い起し、心から感謝する次第である。ところで博士課程終了と同時に、全面的に職場復帰を考え、先輩、同僚の好意に報いたいと考えていた時、思いもよらぬことが起こった。大学院指導教授秋永先生が、流通経済大学教員への就任をすすめて下さったのである。白石教授も「労働者学生」の就任を支持して下さった。これは、全く思いもよらぬことであった。職場の先輩、同僚の好意に背向くことになりはしないかとの疑念を抱いたが、むしろ先輩、同僚は、積極的に転勤をすゝめてくれ、このことが決定的に転勤を決意する勇気を与えてくれた。

 転勤した流通経済大学茨城県在)は建学后、ほどなくして、独立を維持しえず、他大学への併合が問題となった。独立維持を主張する佐伯弘二学長を支持する教員の一人として小生は、広報部長に任ぜられ、流経大紹介に努力し、明大出身教員の支援もあって、ほぼ5年目頃から、何とか独立可能となり、今になっても協力した職員との交わりを続けている。 

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 この間にあって、母校明大では、非常勤講師として一講義(和泉校舎)とゼミ(駿河台校舎)とを担当し続けたが、流経大の経験と共に、改めて「教育」のなんたるか、を思い識らされるにいたった。教員としてのそして先輩としての二つの側面である、ということである。

 これを思い識らせてくれたのは、秋永先生の紹介で出会い、予想に反して一緒になってくれた賢夫人和子女史である。横須賀港見学に関連して明大ゼミ生を拙宅へ招待してくれた。これはゼミ学生との接近をいっそう深めることとなったばかりか、提出する卒論にいっそう努力する契機となったらしい。流経大生を含めて毎年、年賀状50余通があり、返書を書くのに忙殺されるという実に嬉しいことにつながっている。

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            (中央白い帽子 森尾和子 夫人)

 ところで流経大独立の見通しがついた頃、秋永先生は、博士論文の提出を促された。スペイン系ユダヤ教徒B・スピノザのデモクラシー論に着手した。曾村保信先生の歴史学研究指導と秋永先生の思想史指導とに添ってまずスピノザ家族を受け入れたオランダの半世紀に亘る独立闘争を背景にして、「孤独でレンズを磨いて虫の動きを楽しんだ」といわれるスピノザが、アムステルダムを中心に政界、知識人界に以外と多くの友人を持っていたことを識った。これを前提としつつ、スピノザの汎神論、世界観は、神的自然の生産としての人間が、根源において多種多様であるにも拘わらず同等であり、平等であり、この多様性と平等性がデモクラシー論の基底にある。諸個人の結合と協力とこそが 神的自然への接近を可能ならしめる。それゆえスピノザは、政治型態としてのデモクラシーこそ、真の政治型態であることを論じていることを識った。

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        (オランダの哲学者 バールーフ・デ・スピノザ)           

 博士論文は受容され、博士号授与式では、授与者を代表して明大への答礼を拝呈した。かくして明治大学が支えてくれた修学の機会を、職場の同僚先輩の理解と協力とによって与えられ、明治大学との関係を略々50年に遡って持続したのであるが、拙稿執筆に貴重な機会を与えて下さった学友、足立さんのご好意に心からお礼を申しあげたい。 

(事務局追記)

1.小林多喜二は小樽で育ったプロレタリア(労働者)文学者として知られ、作品の特

  高警察による拷問描写が憤激を買い、後に拷問死させられました。森尾さんにと

  って思いの深い人物だったと思います。

2..昨年2月当支部会員数名で鎌倉東慶寺に文化人の墓を訪ねましたが、西田幾多郎

  岩波茂雄東畑精一の墓で共通の人物である、あの「人生論ノート」で昔ブームを

  起こした三木清を思い出しました。西田は恩師、岩波はドイツ留学の資金援助者、

  東畑は妻の兄でした。 終戦後にも拘わらず獄中で惜しい哲学者を失いました。

3.バールーフ・デ・スピノザは、オランダの哲学者です。デカルトライプニッツ

  と並ぶ合理主義哲学者として知られ、その哲学体系は代表的な汎神論と考えられて

  きました。また、ドイツ観念論現代思想へ強大な影響を与えました。

4.文中の和子夫人には以前よくウオーキングクラブ行事にご参加いただきました。

  写真は田浦梅林ウオーキングの際のものです。

*森尾忠憲様 有難うございました。他の方からも寄稿文をお待ちしています。

会報「駿台逗子・葉山」は第31号より送付先を変更致しました

 当支部機関紙である会報「駿台逗子・葉山」は、1月1日号と8月1日号の年2回発行しております。

第1号~第9号までは、自前のA3カラープリンターでコピーしておりましたが、

第10号からは、現在のカラー印刷に変更して印刷会社に依頼し、多くの方々に送付してまいりました。

送付先は、当支部会員(前年度及び当年度年会費納入者)はもとより逗子葉山在住の明治大学卒業生全員に送付し、又1月1日号は、地元逗子葉山を全国にPRしようとの趣旨で日本全国の明治大学校友会及び韓国支部,台湾支部にも送付してまいりました。

 

 当然経費もかかり、以前より送付先の見直しの検討をしてまいりましたが、昨年4月よりブログを継続的に発信する状況になったこともあり、下記に送付先を変更いたしましたので、ご了承の程お願い申し上げます。

(第31号より)

  1. 全国支部送付は廃止。第30号(平成28年1月1日号)送付時にお断りの案内を入れております。多くの支部よりこれまでの送付に対する感謝のお手紙が寄せられました。

 2.当支部会員(前年度及び当年度年会費納入者)と前年度を1年前とする過去5年

   前まで年会費納入実績のある方に送付。また今年度60歳代の方(卒年時で推

   測)に限っては、新規会員になられることを願って全員に送付することに致しま

   した。会員以外の50歳代以下の若い方々には、ブログにて当支部活動をご覧に

   なっていただき、興味ある行事に参加を通じて会員になっていただければと思っ

   ております。

 *第31号(平成28年8月1日号)より会報が送付されなくなった方々には、これ

 まで読んでいただいたことに対してのお礼とあわせ、支部予算上の諸事情のためとご

 理解をお願い致します。

*会報に対するお問合せ:yasuhide-adachi-tkb@nifty.com 迄

 

*その後、支部の将来を配慮し配布先を見直し、現在は会費未納者でも卒年時から45歳~70歳になられると思われる方にも会報をお届けしています。

 

 

2016年度校友会神奈川県東部支部総会が開催されました

 神奈川県東部支部総会が、7月3日(日)15時より横浜駅東口前にある崎陽軒本店6階に於いて開催されました。また総会・講演会の後、場所を5階のマンダリンに移し懇親会が行われました。

 出席者は約100名、来賓は明治大学から荒川利治情報担当常勤理事・浅川光経営企画部長、校友会から徳丸平太郎副会長、神奈川県西部支部から宇野武治支部長、明治大学神奈川県東部地区父母会から進林徳彦会長・齋藤正壽顧問の各氏が出席されました。

 第一部総会は、議案審議に先立ち物故校友に対する黙祷があり、次いで田野井一雄副支部長の開会の辞、向井眞一支部長の挨拶がありました。次いで荒川利治情報担当常勤理事、徳丸校友会副会長、進林徳彦父母会会長のご祝辞がありました。

その後向井眞一支部長が議長となり、各議案の審議がなされ、全議案が承認可決されました。

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 第二部講演会は、㈱時事通信社代表取締役社長 西澤 豊氏の「通信社記者42年を振り返って―日本の政治の現在地―」という演題でした。  

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 第三部懇親会は、向井眞一支部長の開会の言葉の後、宇野武治西部支部長のご祝辞があり、次いで小林弘昌名誉支部長の音頭で乾杯をしました。各テーブルでは各自の自己紹介の後楽しく懇談しました。

 当地域支部からは東部支部副支部長の砂山、幹事の綾部、川﨑、監査委員の山村、顧問の石渡の5名に東部支部では一般会員の西山、白石、仲内、菅野、斎藤が加わって

10名参加しました。なお、本総会をもって幹事の川崎仁久氏が退任し、後任に仲内俊之氏が就任しました。 

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  また、当日逗子在住の地域支部非会員の澁谷剛(たかし)さんが参加されていました。東部支部木下幹事長の勤務先の後輩だった縁で参加されたそうで、早速逗子葉山地域支部への入会をお願いしました。

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 明大箱根駅伝の松本総監督のご挨拶もあり、10月15日の予選会で勝ち上がって来年も箱根に出走することを願いました。

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 大学マンドリン倶楽部OBの方たちのマンドリン演奏もあり、各自大学時代に帰ったような懐かしさを感じつつ聴きほれました。

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 また、本総会をもって退任される木下泉幹事長の挨拶もあり、更にマンドリンの伴奏で学生時代にグリークラブでならした歌の披露もあり、盛り上がりました。

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 当地域支部総会にご出席いただく東部支部傘下の地域支部の方々は2名が恒例になっているので、この東部支部総会は他の地域支部の方々も多く参加されるので懇親には絶好の機会です。

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 最後は、砂山昇副支部長の閉会の言葉があり、全員が肩を組んで輪になり、マンドリン伴奏のもと高らかに明治大学の校歌を歌い、内田浩二幹事のエールで締めました。                              

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   木下泉前幹事長には逗子葉山地域支部としても色々お世話になりました。

   有難うございました。ー新幹事長になられたのは別府寛隆氏ですー(山村)

第22回クラシック鑑賞会を開催しました

 当支部の総会も終わり今年も7月7日の「七夕」がやってきました。小さい頃文部省唱歌の『たなばたさま』を歌った記憶が薄れゆく中にも残っています。

 この曲を作曲したのは下総皖一(しもふさかんいち)。彼は東京音楽学校(後の東京藝術大学)で作曲を信時潔(のぶとききよし・慶応義塾塾歌、逗子中学校校歌の作曲者)に師事し、首席で卒業、ベルリン芸術大学で20世紀ドイツを代表する作曲家のパウルヒンデミットに師事、帰国後、東京音楽学校の教授となり門下に團伊玖磨葉山町町歌作曲者)、芥川也寸志等がいます。教授や東京藝術大学音楽学部長時代に中田喜直黛敏郎(橋本邦彦に師事)等も薫陶を受けたと思われます。橋本国彦や平井康三郎は教鞭に立つ同僚でした。童謡・文部省唱歌を多く作曲し、また多くの小学校・中学校・高等学校の校歌の作曲も手がけており、総作曲数は1000曲以上にのぼります。

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f:id:meijizuyou:20160708020229j:plain  下総皖一

f:id:meijizuyou:20160708012706j:plain    團伊玖磨 

 前置きはさて置き、当支部総会の翌日6月26日(日)13時より第22回クラシック鑑賞会が例会場の小坪 柳生宅2階のリスニングルームで開催されました。

(第21回はブログに掲載しませんでしたが当支部会報8月1日号に譲ります)。

 今回参加者は柳生、林、山村の小坪組に細野、森、広瀬、足立、斉藤、小川の9名でした。何と言っても今回は日本人の作曲家の曲を聞こうという柳生さんの提案でしたので、皆興味深々で駆け付けた訳です。クラシック音楽の流れで考えると戦後のクラシック音楽になると考えて黛敏郎について下調べをしたのですが、柳生さんから毎回配られる資料に黛敏郎は無く、武満徹でした。

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 (以下当日配布資料より)

 明治期になり、洋楽(クラシック音楽)が日本にもたらされて、1世紀足らずの後の20世紀には下記に述べるような世界的に著名な作曲家も誕生している。そこで、本日のこの「クラブ」では、日本のクラシック音楽全般を俯瞰するような、数々の曲を聞いてみたい。つまり日本のクラシック音楽の作曲家は、古くは、わが明治大学の校歌を作曲した山田耕筰を始め、瀧廉太郎、團伊玖磨中田喜直古関裕而、橋本國彦等々、挙げれば枚挙のいとまがない。だが、歴史の浅い日本の作曲家たちは国内において著名であっても、外国ではほとんど知られていない。だが近年、世界的に知られる作曲家が日本にも出てきた。武満徹(たけみつとおる1930年、東京生まれ)である。かれの作品は欧米の音楽界でも多く演奏されている。

 例えば、本日のこの会で取り上げる彼の曲『ノヴェンバーステップ』は、アメリカのニューヨークフィルハーモニック交響楽団の創立125周年記念祝賀コンサート用に作曲を委嘱されて、世界的名声を確立した。また彼は映画音楽も多く作曲していて、黒澤明監督などの映画や、またアメリカのハリウッドの映画も担当している。今日の「クラシック音楽鑑賞クラブ」では、上記に挙げた作曲家だけでなく、それ以外の曲を含めて、下記に列挙したような、広く知られている「歌曲」の数々や、オペラや管弦曲などを聞いてみる予定である。

 聞いた曲は、

1.管弦楽曲と歌劇として武満徹『尺八と琵琶・オーケストラのための「ノヴェンバー

  ステップ」』、外山雄三『ラプソディー』、團伊玖磨『夕鶴』。

 『ノヴェンバーステップ』は奇怪な音楽という感想が多く、前衛的で覚えられない判 

  らないのが魅力なのかとも感じられました。

2.歌曲として上記以外の作曲家として弘田龍太郎、梁田貞(やなだただし)、福井文

  彦、多忠亮(おおのただすけ)、海沼實、杉山長谷夫、服部良一大中恩(おおな

  かめぐみ)、岡野貞一、近衛秀磨の方達の作曲を聞きました。歌曲というか童謡も

  多く、昔聞いた記憶がある曲ばかりで作曲家の名は初めて聞く人が多くいました。

  参加した森さんがこの会に参加したこともある奥様も連れてくれば良かったと語っ

  ていました。

もののけ姫』の歌声で有名な米良美一さんのCDで多くの日本の歌曲を聞きましたが、当然、瀧廉太郎の『荒城の月』も聞いています。瀧廉太郎は東京音楽学校に学びドイツに留学、明治の西洋音楽黎明期における代表的な音楽家の一人で、明治時代の前半に多くの翻訳唱歌ができた中で、日本人作曲家によるオリジナルの歌を最も早く作った作曲家でした。クリスチャンでもあり『荒城の月』はベルギーで讃美歌になって歌われているそうです。3年前に彼の終焉の地に設置された(大分県城址)瀧廉太郎像の前で当支部会員で合唱したことを思い出しました。 

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 毎回、寿司を摘まみながら酒宴となりクラシックから離れた会話になるのですが、一時は静寂を保ち曲に耳を傾けています。しかしビール、日本酒、焼酎の量は減って、テーブル上のワイン2瓶はあっという間に無くなりました。

平成28年度定時総会が終了しました

 (昨年4月にこのブログを立上げたため昨年の総会は概略報告でした。今年は新規

  役員募集の意味も兼ね当支部総会の準備を含むやや詳しい報告を致します。)  

 6月25日(土)逗子開成学園理科棟2階にあるサイエンスホールで13時30分から開始された当支部平成28年度定時総会は、その後の記念講演、そして海に面した 海洋教育センターに場所を移しての懇親会とすべての予定を完了して定刻の17時30分に終了しました。ご出席の方々有難うございました。

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    10.が総会・講演会場となった理科棟(2階手前側がサイエンスホール)

    13.がご来賓控室になった芸術棟(1階奥)

     1.が懇親会場となった海洋教育センター(1階使用) 

 逗子開成学園は、中高男子一貫教育の私立校で県内でも学力が優れた有名進学校です。1903年(明治36年)4月18日に池子(当時三浦郡田越村池子)東昌寺に仮校舎として開校し、今年で創立113年を迎えた伝統ある学校でもあり、昭和の初期にはあの三船久蔵氏が柔道部の師範を務めていたことでも知られるように、現在も文武両道の教育方針で、東京大学の海洋アライアンス機関と提携して進めている海洋教育でも特色があります。学生数は1600名を超え、(有)ブルームフーズが運営する開成学園食堂は、従業員の女性20人程が学生のため50種類程のメニューを休日以外毎日提供しています。懇親会を海洋教育センターに選び、飲食の提供準備片付けすべてやって頂けるため高齢化する当支部役員には有難い話で5月18日に氏家副支部長を筆頭に5名で学園の岩佐直樹(理事)事務長と担当の女性事務員水井さん、そして食堂の相馬社長さんと打合せをさせて頂きました。6月22日にも訪問し再確認をしています。  

 当日はまず会場が2か所のため、道案内の看板表示の作業があります。受付開始が13時のため役員集合は12時ですが、先発隊の山村、仲内、綾部、川﨑、根岸に急に呼ばれた西山、若手の小川幹事、そして時計関係の日向、杉山、足立の10名が11時30分に集合。予め借用依頼していたホワイトボード4枚に用意した案内書きを貼り付け風の強い中、所定の場所に設置。また来賓担当の仲内副支部長他で芸術棟1階奥に設けて頂いた来賓控室にお茶を運び込んで準備をするうち、12時集合組がやや早めに集まってきました。

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 一方、杉山副支部長と日向相談役は渡邊講師と共に展示の時計を運び込みました。

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 サイエンスホールの総会会場は、12時まで授業で使用のため100名近い生徒さんが出るまで廊下も使用できませんでしたが、女性事務員の新国さんに便宜を図って頂き1階の空き部屋に持込品を一旦保管し授業終了後、綾部、氏家の両副支部長、小川幹事の受付担当が1階入り口の壁側にテーブルを設置しその上部に総会の横長大垂幕を掲げ、配布物(議案書・出席名簿・講演資料他印刷物)、名札、会費徴収用品(領収書・つり銭等)の準備をしました。

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 また2階の総会会場担当は山村支部長代行の指揮のもと受付担当以外の役員全員が総会表示、講師名、演題の説明書きを黒板に強力マグネットで止めて掲示しました。来賓席には担当の白石理事が、用意したレイアウト表に基づき来賓名の名札を於いて表示。サイエンスホールは机・椅子が固定仕様のため準備の手間がかかりませんでした。ただ今回は講師持ち込み展示品の各種時計がありましたので取扱いに注意しながらステージ上とテーブルの上に展示しています。講師説明のための映像準備もあり今回はプロジェクター不要の設備会場とのことでパソコンも岩佐事務長が用意頂き、(根岸事務局長が予備も持参)操作準備をして頂きました。。

 受付開始後、中山会計担当が会費を徴収し他の受付担当が手分けして配布物を手渡しましたが毎回10分程の時間が大混乱です。出席者が集まる頃合いをみて来賓控室におられたご来賓を担当の仲内副支部長、豊田副幹事長、斉藤理事が引率して会場に誘導、着席されて総会開始となりました。

 総会は川﨑副支部長の司会で定刻に始まり、昨年度亡くなられた会員への黙祷の後、ご来賓の紹介が司会からありました。ご来賓は東部支部幹事長 木下 泉様、同顧問 中井克明様、横浜地域支部支部長 田野井一雄様(欠席)、同幹事長 内田浩二様、川崎地域支部副幹事長 別府寛隆様、同副幹事長 内山岩男様、横須賀地域支部支部長 加藤高明様、同会計幹事下境秀美様、鎌倉地域支部監査役 萩原成樹様(欠席)、同副幹事長 荻矢健治様、藤沢地域支部支部長 山口幸雄様で欠席を除き9名の方々でした。

 砂山支部長から今年は毎年箱根駅伝応援会で合流させてもらい甘酒を用意して頂いている藤沢地域支部もご出席されている紹介があり、今年度の新規会員増強活動や地元他大学との交流会の話を含む挨拶がありました。引き続き支部長の議長のもと議事に入りました。平成27年度につき足立幹事長の活動報告、中山会計担当の会計報告、柳生監査委員の監査報告が有り、次いで平成28年度の活動計画、予算の説明がありました。全議案が可決され、その後 東部支部幹事長 木下 泉様のご祝辞を頂きました。 

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 ご来賓へ丁寧な説明の思いもあって議事説明担当役員や議長の補足説明等で予定時間を30分超過することになり、総会後の記念講演から参加される他大学のご来賓にお待ち頂くことになり申し訳なく思っています。説明の中に、当支部が設立されたのは寅年で今年めぐりめぐって第24回目の寅年総会ですという言葉もありました。 

 記念講演から逗葉三田会会長 三田宏也様、同幹事長 山口雅司様、逗子葉山立教会会長松田武久様、同幹事長 東郷洋次様、逗葉稲門会幹事長 山本陽張様(欠席)、代りに同事務局長五十嵐孝司様、同幹事 野際基実様の6名の方々が加わりました。

 記念講演はまず日向相談役から講師紹介がありました。講師は株式会社 誠時 取締役会長の渡邊貞雄様で「時計の歴史」―紀元前4000年から今の電波時計・自然時計と機械時計、和時計について― と題してご講演頂きました。

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 渡邊様には当支部創立10周年の際に「創立10周年記念 明治大学校友会逗葉支部」と刻んだ懐中時計を作って頂いたことも有りました。今年88歳になられますが日本でも数人しか残っていない和時計の修理ができる(部品を自作できる)方だそうです。逗子葉山駅前寄席の代表や逗子葉山日本中国友好協会の会長もされています。

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 講演に先立ち日向、杉山、足立の役員3名で小坪のご自宅を訪問して時計のコレクションを見ながら打合せをしましたが、正にそこは時計博物館で明治維新後、海外に渡ってしまい日本に残るものが少ないという和時計2個や香時計、どんぐり形の古い絵時計、振り子の各種掛け時計、ゼンマイの各種置き時計、尺時計等、部屋中に所狭しと置かれている古い時計を拝見しました。講演の際に出席者に見てもらうことにして時計を選びましたが、貴重な和時計2個も対象になりました。驚くことに渡邊様はこの年齢でパソコンを駆使しておられ講演資料を1部預かって配布枚数分用意する予定でしたが、ご自宅のカラーコピー機で用意しますと言われて驚きました。当日ご自宅まで杉山副支部長に展示時計を取りに行ってもらいましたが、持参された時計はかなり量が増えていて渡邊さんの講演会に対する意気込みが伝わってきました。 

 講演日前にサイエンスホールの映像設備の確認とパソコンでの映像デモを開成学園の方にお願いし足立、根岸の両役員が立ち会って安心していたのですが、当日渡邊様の用意されたUSBでの映像処理がどうしても出来ず,急きょ岩佐事務長さんに開成学園のコピー機で参加者分資料を用意して頂き説明となりました。渡邊様には心残りの思いをさせてしまい残念な結果となりましたが、貴重な講演で出席者の方々は展示している時計に目をやりながら講演に耳を傾けておられました。

(なお出席者全員に講師から小型のタイマー又はウオッチが寄贈されています。)

 講演内容は懇親会の中でも「秒針の無い時計は高価な時計」とか「和時計の実物は初めて見た」、「香時計や尺時計があるのを初めて知った」,「ゼンマイ時計が見直されている」などと話題になっていました。

 当支部にとって時計との縁は前述の「創立10周年記念時計」以外に、「創立記念時計」(1つは支部長章として歴代支部長に引き継がれています)や後に創立記念時計を入手出来なかった会員用に湘南ブランドのセイラリエス時計で作った「湘南国際村国際会議場総会記念時計(平成6年度)」が思い出されます。昨年は全国校友滋賀大会参加旅行会で近江神宮に寄りローレックス社から贈られたという「火時計(FIRE CLOOK)」を境内で見ています。 

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    ー近江神宮にあるローレックス社の「火時計(FIRE CLOOK)ー

 懇親会の準備は、細野、綾部両副支部長他の担当が受付を撤収して講演途中から準備に入りました。テーブルのレイアウトは逗子開成食堂さんが事前打ち合わせ通りに設営済で飲物準備の最中でしたが、当方の準備は持参したテーブルの着席レイアウトに基づいてテーブル席表示とご来賓名札設置、土足禁止のホールのためご来賓靴置場の表示および総会場の制約で掲示出来なかった支部旗と逗葉駿台会垂旗を掲示するだけでした。大学から届けられた酒(日本酒“おお明治”、焼酎“独立自治”、焼酎“権利自由”)及び会員寄贈の日本酒“久寿玉”1升瓶を飲物テーブルに加えています。

 講演終了後、ご来賓は砂山、仲内、豊田、斉藤の各役員が、また一般会員は小川幹事が花壇のある校舎脇の道を通って川﨑副支部長が出迎える懇親会場にご案内しました。

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 懇親会は司会の杉山副支部長の開会のことばで始まりました。次いで講演会から出られた他大学のご来賓の紹介が有り、砂山支部長の挨拶に移りました。懇親会でもあり、当支部役員で今春、瑞宝双光章を受賞された白石さんの紹介もありました。このあとご来賓の横須賀地域支部支部長 加藤高明様と逗葉三田会会長 三田宏也様のご祝辞を頂いています。本来この後乾杯に入る訳ですが、受付で配布した資料の中にバス旅行企画があり、バス旅行は当支部で参加者が多い特別なイベントのためと8月実施という事情から酒が入る前にとの思いで仲内副支部長の説明が有りました。早く酒を飲みたい方には少しお預けの形になりましたがご容赦下さい。

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 乾杯は出席者の最年長の柳生さんにお願いして懇談の時間に入っていきました。なお会場近くに住み暫く振りに参加された石川さんは、柳生さんの席に行って確認され同年生まれながら半年遅れで乾杯の役が回ってこなかったと述べられていました。

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 各自が用意された料理とビール以外の飲み物を取りに行って1テーブル7名程の各テーブル席での歓談が始まりました。船津名誉支部長は、逗葉の支部が出来た後に藤沢支部が出来た過去を思い出しながら同席となった藤沢地域支部の山口支部長と歓談されていました。また森常勤顧問は、顔なじみの地元他大学のご来賓と話が弾んでいるようでした。暫くして他のテーブルにビールや酒を持って挨拶に行く人も現れ和やかな雰囲気に包まれていきました。

 当日は前日の強風と雨で天候を危惧しましたが、早朝に雨は上がり風はまだ残っていましたが曇りながら暑さも少し和らぎ、懇親会の時間には会場から見下す逗子の海も穏やかに見えて砂浜にはまだかなりの人影が見えていました。会場の外のベランダに出て潮風に当たって歓談している方もおられました。

 東部支部顧問の中井克明様からご挨拶を頂き、逗子葉山地域支部は創立前夜から深い縁があり、横浜地域支部長を交代したので一会員として逗子葉山地域支部に入会したいとのお話もありました。中井様は長く時計眼鏡の仕事をされていて本日の講演も特別の受け止めがあったのではと思います。講師の渡邊様が体調上懇親会に出られなかったので中井様との会話ができなかったのは残念だったと思っています。又、暫くおいて藤沢地域支部支部長 山口雅司様にご挨拶を頂きました。神奈川県の校友会が東西に分かれてからご案内を出さないようになり、当支部総会に出席されたのは藤沢地域支部として 平成15年以来でしたので実に13年振りのご出席でした。箱根駅伝応援会で一緒のため東西に分かれていますが1年前から総会の案内を出すようにしましたがこの時期総会や行事が重なって欠席となっていました。逗子葉山立教会会長の松田武久様も会長になって当支部総会初参加なのでご挨拶を頂きました。5月の花火鑑賞会では立教会の中に明治も入れていただき今年は4回目でお世話になっています。話が続く中で箱根駅伝のニュースをお持ちという川﨑地域支部副幹事長の別府寛隆様にも出てお話を頂きました。10月15日の立川予選会に行かれるそうです。f:id:meijizuyou:20160701174420j:plain

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 豊田副幹事長の音頭で明大校歌を合唱し、明治及び慶応、立教、早稲田の各大学にエールを送って山村支部長代行の閉会のことばとなりました。西山監査委員と林副幹事長が記録写真を撮影するなか、平成28年度総会のすべての行事は終了しました。

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 多くの会員から開成学園食堂さんから提供された料理は特に美味しかったとの言葉が聞かれました。(写真係が食べるのに夢中になって?何故か料理の写真が1枚もありません。どなたか撮られていませんか。寄せられたら追記致します。)

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 懇親会の片付けは大勢の食堂の皆さんにお任せで、一部持ち込み用具を撤収し20名程は2次会に予定している「すなっく舞」に行って歓談、カラオケとなりました。楽しく無事終了でき参加頂いたご来賓並びに会員の方々にお礼申し上げます。

 不行き届きがあったと思いますが明治の縁ですべてお忘れ下さい。東部支部関係各位の方々には7月3日(日)の東部支部総会の盛況を願っています。 (足立)

第11回美術鑑賞会を開催しました

 今回は第11回目ということで細野会長の発案で、従来と異なり 東京スカイツリーの造形美を鑑賞しようということで、近くにある博物館 (郵政博物館等) 見学も計画に入れ、浅草から水上バスで隅田川に架かる橋の造形美等を鑑賞、浜離宮恩賜公園の紫陽花他の季節の花を鑑賞する予定を組みました。

 集合のJR逗子駅に10時に集まった参加者は、細野、柳生、林、西山、仲内、山村、斉藤、小川の8名でした。いつも必ず参加の足立さんは稲門会総会親睦会に出席でお休み、この記事は小川の訪問報告に足立さんが訪問先の情報など種々加筆してくれたものです。

 東京スカイツリーは東京タワーのH鋼トラスト構造と異なり、パイプ鋼(高強度鋼管)構造で彫刻家の澄川喜一氏と建築家安藤忠雄氏による監修で安藤忠雄氏は東京オリンピック新国立競技場の設計にも当初関与されていました。

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        明治のイベントで何回も見てはいますが今回も遠望でした

 さて当日は曇りか雨の予想がされていて雨天でも決行にしていたため、仲内さんが東京スカイツリーの代替えで浅草に行くなら浅草六区ドンキ・ホーテ7階にあるアミューズカフェシアターで開催されている「虎姫一座」の美人造形美鑑賞を考えてくれていました。集合後すぐ当日の選択を「虎姫一座」の“美人鑑賞”に変更し予約を入れました。浅草に直接行ける京急新逗子駅発10時半頃の電車に乗り浅草駅へ。

 明治6年浅草寺境内が浅草公園と命名され、明治17年に1区から7区まで区画されたので浅草公園6区(通称・浅草六区)はこの年からの名前です。明治20年以降演劇場、活動写真(映画)館、オペラ館など建設されていき、戦後も六区は芸能の殿堂、一大拠点としてここからスターが誕生していきました。東京の谷中に育った柳生さんは、子供の頃最盛期の六区に連れてきてもらいエノケンやロッパを観たそうです。

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 しかし、私が明大に入学する直前 ( 昭和39年・1964年 ) の東京オリンピック以降、新宿、渋谷、六本木に若者の関心が移り、加えてテレビの急速な普及もあり六区は急激な地盤沈下で多くの常設館が閉館に追いやられて久しくなっています。

 六区の再生プロジェクトが東京スカイツリー建設とともにまさに始まったばかりです。東京スカイツリーの代替えの「虎姫一座」鑑賞はそれなりの意味があると思いつつ12時にアミューズカフェシアターに入りました。 

 客席(テーブル)は80席位で公演はレビューが60年代の音楽なので我々の世代が多く女性や子供連れもいました。13時からのショーの前に飲んだり食事したりする間に出演の女性達が席まで来てサービスしてくれ、なんとウエイトレス、バーテン、シェフも皆劇団員でした。

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 ショーが始まると60年代のポップスを中心としたレビューで「夢で逢いましょう」「シャボン玉ホリデー」の再現、クレージーキャッツザ・ピーナッツなどのヒット曲が出ると共に映画音楽(ヒマワリ等多数)、フジテレビで人気だったザ・ヒットパレードの再現も面白く、和太鼓や民謡での演舞も迫力満点で造形美鑑賞に相応しいものでした。但しここでの途中写真撮影は禁止のため最後の場面での撮影のみでした。 

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 楽しい2時間を過ごしたため博物館見学はパスし、浅草六区の商店街を散策、浅草寺を参拝しました。 

 

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f:id:meijizuyou:20160615180205j:plain 浅草寺の柱の字を鑑賞し、表象絶する“虎姫一座”を思う

 15時半頃から水上バスでの隅田川の橋見物になりました。皆さん既にお疲れで外の見えない船の真ん中の席に座って斉藤さんが持参した“どら焼き”を食べる始末。しかし私と最高齢なのにお元気な柳生さんは、水上バス限定のフルーティーなヴァイツェンビールを味わいながら外の橋を眺望。

 吾妻橋、駒形橋、廓橋、蔵前橋、(柳橋)、両国橋、新大橋、清洲橋、隅田川大橋、永代橋中央大橋、佃大橋、勝鬨橋の造形、構造美を鑑賞し、築地水門から浜離宮恩賜公園に着きました。

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f:id:meijizuyou:20160614001801j:plain吾妻橋 (東京都選定歴史的建造物・上路式三連アーチ桁   

                    ・浅草を出てすぐ潜った橋)

f:id:meijizuyou:20160614002208g:plain 清洲橋重要文化財・自定式吊鋼橋・

              ライン川に架かるケルン橋がモデル)

f:id:meijizuyou:20160614002419g:plain 永代橋重要文化財・バランスド・アーチ橋・

                  帝都の門として力強い橋)

f:id:meijizuyou:20160614003140j:plain 勝鬨橋重要文化財・鋼板桁鋼アーチ橋・

                  開いたのは昭和55年が最後)

 ここで細野さんから建物や橋のいわれ、庭園全体の造形の説明を聞きながら散策。かってあった建物が復元されつつあるということで、松・燕・鷹の3つの茶屋を遠望、また此処にあった石造洋館の「延遼館」は1869年に外国人接待所として竣工、明治維新後も鹿鳴館が完成するまでは迎賓館として使用され、1870年に宮内省の管轄となり名前も離宮と改められましたが1889年に取り壊されました。2020年の東京オリンピックに合わせ、延遼館を浜離宮内に復元することが決定したそうです。

 ここ迄で参加者の万歩計は12,000歩を超えていましたので花を鑑賞する余裕は無くなっていましたが、斉藤さんだけは元気で誰かに「虎姫一座で踊って歌ったら・」などと言われていました。 

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 新橋までどうにか歩き、機関車の横で山村さんが呼び込みに薦められるままに高級居酒屋に入り一杯となりました。高級魚「のどぐろ」(一匹4,500円)を勧められましたが味わう余裕もないので普通の刺身盛り合せと枝豆、おしんこなどで一杯。

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           白身のトロと言われる“のどぐろ”(あかむつ) 舌で鑑賞したかった?  

 せめてもと高級麦焼酎の「100年の孤独」を皆で少しずつ飲み、早稲田さんの為に参加できなかった足立さんの話題になり「美人鑑賞会観れずお気の毒」で不謹慎にも大いに盛り上がり散会しました。逗子には21時少し前に戻りました。

 私は病み上がりだったのですが、若いおねーさんたちにパワーをもらいすっかり元気になりました。東京スカイツリーの造形美は別の機会に鑑賞したいと思っています。

                                (小川記)