2020/01/10背景変更 裕次郎灯台

「防衛大学校見学」と海上自衛隊横須賀基地「艦艇乗船見学」をしました

 9月21日(水)逗子葉山地域青少年育英会主催の「防衛大学校見学と海上自衛隊横須賀基地艦艇乗船見学バス旅行」に当支部会員25名が参加しました。

会員以外の方が12名おられ37名の参加でした。逗子葉山立教会の秋谷さんも参加されていました。

 主催した会は、①青少年育英事業 ②身体障害者支援事業を事業内容 として4年程前に設立されましたが、逗葉地区でボランティア活動をされている多くの当支部会員も加わっています。会長は前葉山町長で当支部常勤顧問の森英二氏です。

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 当日は、朝8時20分に逗子文化プラザ図書館前に集合し、スバル観光の大型バスに乗り、まず横須賀市走水の小原台(おばらだい)にある防衛大学校に向いました。長柄から逗葉新道経由で横横の逗子インターから高速に入り、馬堀海岸インターを降りれば5分程で防衛大学校でした。

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 門の前で停車し、係員の方がバスに乗車してこられ、事前に提出していた参加者名簿と照合して本人確認がありました。校内に入り、広い敷地の屋外に建てられた「建学の碑」(初代校長槇智雄氏顕彰碑)やモニュメント「国の護り」(彫刻家高橋洋 作)を見て記念講堂に入りました。入ってすぐ窓のステンドグラス「若人の城」(平松礼二画伯原画)の説明がありました。記念講堂は、2000人以上座れる1部移動式の椅子もある広い講堂で入学・卒業式の会場になるとのことです。

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 外に出て記念写真を撮り資料館の建物に足を進めました。

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 資料館では、施設1階の防衛大学校ガイダンスでオリエンテーリング映像を見て、槇記念室の展示や槇語録を見ました。語録のうちで一番短くて頭に残っていたのは『持ち場を捨てるな』でした。また『うそをつくな- - - - -』で始まる語録もありました。防衛大学校では海外からも留学生を受け入れていて留学生の国の国旗も掲げられていました。防衛大学校歴史年表展示を見て慶應義塾大学出身者と縁の深いことがわかりました。

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 一般に大学は、文部科学省の管轄で学校教育法に基づいて設置されていますが、防衛大学校は、防衛省の管轄で学校教育法にも基づいてもいないのですが修学年限や教育内容も大学とほぼ同じで、これに防衛学が加わっています。入学競争率は高く(20倍)入学と同時に国家公務員となるため毎月及び期末手当が支給されているそうです。平成24年度から開設された「教育プログラム制度」には「危機管理」「安全科学」「生命科学」「国際交流」の4つのプログラムがあるとのことです。入学1年目に8㎞の遠泳が有ると聞いて驚いた人も多くいました。大学と同様に運動部、文化部、同好会があり、年間行事にカッター競技会(レガッタ)、水泳競技会、スキー訓練、断郊持続走競技会があるそうです。春季、夏季定期訓練はもとより試験、夏、年末年始、春の休暇もあります。

 全員学生舎に居住し、陸上、海上、航空各自衛官の配分は第2学年に進級の際行われるのが判りました。第2学年からの要員訓練は各自衛隊員の活動の報道と同様です。卒業後は陸、海、空曹長に任命され、幹部候補生学校(陸上は久留米、海上は江田島、航空は奈良)における教育を受け、その後部隊または海上勤務を経て約1年で幹部自衛官に任命されるそうです。

 2階では訓練教材、卒業生の言葉等も見て、2時間程の見学を終了してバスで防衛大学校を後にしました。

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 バスは国道16号を北上しJR横須賀駅の右側の海沿いの道路から海上自衛隊地方総監部に入って行きました。当初の予定では停泊中のヘリコプター搭載護衛艦「いずも」に乗船して艦内食堂で海軍カレーの昼食を取る予定でしたが、あいにく「いずも」は任務で横須賀港から出て行った後でしたので、海上自衛隊の食堂で普通の昼食を取りその後艦艇の写真が掲示してある建物で説明見学をして、護衛艦「おおなみ(111)」の艦内見学をすることになりました。

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 バス旅行に先立ち15日に幹事役4名と岩堀さんが海上自衛隊自衛艦隊司令官の重岡康弘海将及び司令部幕僚長井上司 海将補を表敬訪問したと聞いています。自衛艦隊は、海上防衛の任を担う第一線部隊として、48隻の護衛艦、13隻の掃海艦艇、16隻の潜水艦と約210機の航空機を保有しています。「精強・即応」、「日米共同・統合運用の深化」及び「適応」を指導方針として、自衛艦隊の隊員一人一人を牽引し、陸・空自衛隊や米海軍との緊密な連携の下、「海洋の安全確保」という任務の完遂に日々邁進しておられるそうです。
  自衛艦隊は、平成21年3月から護衛艦2隻を、平成21年6月から  P-3C哨戒機2機を、ソマリア沖・アデン湾に派遣し、これまでに延べ3,800隻以上の船舶の護衛任務を完遂しています。また、今年5月からは第151連合任務部隊指揮官等をバーレーンに派遣していて、更なる安全な海上交通の確保に努めています。  一方、東シナ海をはじめとする我が国周辺海域においては、日々軍事力を強化しつつある中国などの各国海軍等の活動に対し、適切な警戒監視活動を実施し、海洋における我が国のプレゼンスの維持に努めているとのことです。

 当日は同司令部の村上明弘一等海佐と地代所裕之三等海佐にご説明を頂きました。

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「おおなみ」の艦名は帝国海軍から数えて3代目で、シンボルは「虎」です。防衛大学校の売店で「おおなみ」のバッチを買った参加者もいました。基準排水量4650トン、全長151m、速力30ノット(時速55km)で哨戒ヘリコプター2機格納することが出来ます。乗員170名とのことで、船首で機関砲を背にして記念撮影をし、高性能20mm機関砲・54口径127ミリ速射砲・艦対艦ミサイル発射装置・垂直式発射装置などの主要武器を甲板で説明をうけ、狭い階段を下りて艦内見学をしました。 

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 艦長席に座り艦長の帽子を被り記念撮影を数人の方がしていました。乗組員の方々の気持ち良い応対に感謝しつつ艦を離れましたが、下りてすぐ全員に記念写真が渡され良い体験をしたとの満足感を覚えて帰路のバスに乗りました。

 途中JR横須賀駅から電車で帰られた方もおられましたが、朝の集合場所で散会となりました。その後16名の方が「すなっく舞」に行って歓談しています。

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 幹事役になっていただいた仲内さん・山村さん・綾部さん・船津さんには大変お世話になりました。お疲れ様でした。

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 また海上自衛隊との橋渡しをしていただいた演出家の岩堀恭一様には厚くお礼申し上げます。

今年も「納涼バーべキューの集い」を開催しました

 8月20日(土)午後1時から逗子市沼間にある綾部善雄副支部長宅で恒例になった「納涼バーベキューの集い」を会費2,000円で開催しました。

中断していた「納涼バーベキューの集い」を綾部ご夫妻が近くに住む杉山建雄副支部長ご夫妻の協力のもと平成25年より開催していただくことになり、今年で4回目となりました。

 綾部宅は沼間の五霊神社の後の山 中腹にあり、場所がら綾部、杉山の両氏は五霊神社の役員をされています。この神社は郷土史料によると、江戸時代までは御霊社(ごりょうしゃ)と呼んでいましたが明治に入り一村一社の命で熊野社、神明社、諏訪社、牛頭(ごず)天王社と合わせて五霊社となり大正の後期に五霊神社と呼ばれるようになったそうです。もともと弓の神様と言われる鎌倉権五郎景政をまつったとも云われ五にゆかりの神社です。境内付近の土の中からは鉄製品を作ったときの鉄かすが出土するので刀鍛冶がいたとも云われています。参考に日本神話では弓の神様は天照大神です。

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 バーベキューの集いは、事前の準備が欠かせません。参加者が手伝える範囲は限られ、買い出しの付き添い(今年は無し)と当日の会場作り、バーベキューの焼き手伝いと飲物準備、料理の盛付と配る作業などです。しかし今年は焼き手の手伝いは中山さんにしていただき、綾部・杉山両夫妻と中山さんの変わらぬバーベキューへの情熱に感謝の一日となりました。

 前日まで綾部さんが出して用意してあったテント、テーブル、椅子の設置ほか会場作りを綾部、杉山、川﨑の3氏が行う中、小坪組他の第一陣が到着し総仕上げを行いました。炭に火をつけ一服するうちJR逗子駅バス停を12時15分に出た一団が宮の下バス停に着き5分ほどで綾部宅庭に顔を現わしました。

 開会は1時からでしたが、その後沼間組、長柄組そして遅れた方も全て揃いました。参加者は、山村、細野、仲内、川﨑、足立、林、中山、根岸、柳生、西山、斉藤、石渡、日向、森、小川幹雄、牛久、三武、の諸氏に加え綾部ご夫妻、杉山ご夫妻をいれて21名となりました。根岸さんと牛久さんは初参加でした。

 前日、細野さんから太巻き、いなり寿司、フランクフルト等の差入があり、根岸さんからも自宅で採れたオクラ、ゴーヤ、茗荷を提供いただき、小坪グループから赤ワインと日本酒、足立さんから日本酒、船津さんから森永製品の差入もありました。今年は雨を予想したためか魚万の仕出しが蓋付きの木箱で個人別に用意されて出され、次いで冷えた缶ビールが出されて、柳生さんの乾杯でスタートとなりました。

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 バーベキューは順次、焼き肉、なす焼き、ジャガイモ、トウモロコシ、焼きそば等が出て、綾部、杉山両夫人の作られた冷奴豆腐、酢の物、野菜等も口にしながらビール、日本酒、焼酎で歓談。毎度ながら綾部、杉山両ご夫妻へ感謝しながら会話が続いていきました。

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 一時、急な大粒の雨に見舞われ部屋に入って飲食する人、テントの中で立って飲食する人、庭の倉庫に入って雨宿りする人に別れました。

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 今年はリオデジャネイロのオリンピックが開催中で、日本選手の健闘を讃えながらのバーベキューの集いとなり、甲子園の高校野球天皇陛下のお言葉、スマップの解散等の話題も影が薄くなっていました。また全国校友鳥取大会の話題も早々と参加者9人が確定したため、あえてこの話題も続かず、やはり当校友会の若手を如何に行事に参加させるかの話題に移っていきました。f:id:meijizuyou:20160829161616j:plain

 役員会等では出ない内容の話も歓談中に出る中、最後にあんみつを食べたあと山村支部長代行の中締めで午後4時に終了となり,集合写真を撮り、 机、椅子,テントを撤収して散会となりました。

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 当日は、台風9号が千葉県に上陸する気象条件で朝かなりの雨が降っていて参加を早々と中止された方もおられましたが、雨天でも実施の明治の意気込みを持たれた方が多く予定された方はほとんど参加されました。幸い昼前には雨が止み、途中30分程大雨に遭遇しましたがほとんどの人はテントの中で過ごし、残暑のひと時、濡れた上着やズボンも帰りには乾き、暑さを忘れて楽しく過ごしました。

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 庭の百日紅 の赤い花も鮮やかで印象に残りました。綾部和子、杉山礼子の両奥様には夫君共々毎年感謝です。有難うございました。

明治大学ヨ ッ ト部の “FAMILY感謝DAY” に参加しました

 葉山港に明大ヨット部の合宿所が出来て平成25年7月29日(月)の竣工式に当校友会支部として出席して以来3年が経ちますが、8月7日(日)の明治大学体育会ヨット部“FAMILY感謝DAY”に初めて当支部も呼ばれて参加しました。

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           (明治大学体育会ヨット部合宿所)

 明大ヨット部合宿所内での このイベントは、例年ヨット部員の家族を呼んでの“FAMILY感謝DAY”として開催していましたが、ヨット部監督の吉田 優さんが砂山支部長の明大での同級生である大谷寿男さん(当日埼玉から来られた)の職場での後輩にあたり、その縁で砂山・吉田のメール交信の結果このイベント参加に繋がったものでした。また7月初めの明大校友会神奈川県東部支部総会の際に、砂山さんが会われた神奈川県東部地区父母会の進林徳彦会長に話をしたところ父母会も参加したいということで当日は、ヨット部家族30名、父母会10名、当支部10名の50名参加の合宿所内での大イベントとなりました。(実際には部員を加え60名を超えていたようです)。

 初めての参加でもあり、当支部から祝儀と根岸さんがバーベキュー用に家庭菜園の野菜(じゃがいも、玉ねぎ、ゴーヤ、オクラ、キューリ、ミニトマト)を、また船津名誉支部長が森永のプリンを参加者分差入しました。

 午前10時前に合宿所入口に集まった当支部関係者は、砂山、大谷、西山、森、足立、下里、佐藤、根岸の8名で、午後から大谷さんの職場の先輩にあたる小川和弘さんも小坪から駆けつけてくれました。小川・大谷・吉田の職場仲間が思わぬ旧縁を温めることになりました。

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       (父母会の皆さん・父母会のホームページより)

 履物を脱いで2階の大部屋に上がると 既に多くの人が集まっていました。壁には竣工式の際に当支部から寄贈した逗子在住の鈴木英人画伯のヨットの絵があり、また部員の合宿中の1日のスケジュールが貼り出されていました。

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 4年生の近藤さんの司会で開会となり吉田監督の挨拶の後、砂山支部長、進林会長の挨拶もあって午前中はディンギーヨット試乗で、午後から屋上でのバーベキュー懇親会の予定です。テーブル席に座って部員の用意した飲食を軽く取りながら隣にいた茅ヶ崎から来られた家族の方々と懇談、乗船の順番を待つことになりました。暫くして吉田監督が合宿所の内部を案内してくれました。屋上に出ると部員が既にバーベキューの用意をしていました。目の前は葉山と逗子の海が広がり良くこんな場所を入手できたものとの感を強くすると共に、逗子海岸の花火大会はここから見物したい思いも強くしました。

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           (加藤コーチ、砂山支部長、吉田監督)

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     (埼玉から来られた大谷さん、野菜差入の根岸事務局長)

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 部屋に戻って乗船の順番が来たので6名で桟橋に案内されて行きました。ここで判ったことは7人乗り(部員1名が操縦)ゴムボートに6名が乗って沖に出て、海上で3人乗り(部員1名操縦)ヨットに2名ずつ乗り移ることになっていました。確かにヨットでマリーナーを出るのは簡単ではないことを思い起こし救命具を身に付けています。

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 沖に出て6名は3杯のヨットに別れて乗りました。女性2人がスナイプ級ヨットに移るなか、台風がまだ遥か南の海上のため風は僅かだったため私の組はブーム(横棒)が低い740級ヨットに乗り移りました。ゴムボートでは写真を撮る余裕があったのですが、さすがヨットでは掴っているのがやっとで速さもあり写真を撮る余裕はなく、セール(帆)に刻印した大会参加の証しを見るのがやっとでした。爽快感溢れる中にも部員が特別サービスしてくれたためか、右側に腰かけたためか波飛沫を大量に浴びてシャツとズボンはびしょ濡れとなりました。(でも下りて間も無く熱暑ですぐ乾いた)。ゴムボートで一緒だった森さんはサングラスを、足立は万歩計を葉山沖の海中に置いてきてしまいました。

 1番の組から5番の組まではヨットに乗れたのですが最後の6番目の組は風が出てきてゴムボートだけで葉山逗子沖の海上を堪能したとのことでした。乗船した根岸さんの話では沖に猛スピード(24ノット・時速43.2㎞)で向い、いろんなヨットを下里さんが説明してくれたそうです。

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 午後からは、屋上があまりに暑いため同じ部屋で飲食懇親会となりました。部員の1年生、2,3年生、4年生に別れて自己紹介もありました。1年生で高校からヨットをしていて明大にヨットで推薦入学した部員もいました。4年生で就職先を質問され日本銀行に決まったと答えている部員もいて若い後輩が頼もしく感じられました。地元開成学園出身者もいて“名門”の声も出ていました。

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 そういえば当支部に故人になられましたが開成学園から明大ヨット部に進んだ広瀬猛先輩(S31政経卒) がおられて、何時か逗葉支部(当時)もヨットのイベントを行う日が来るだろうと言われて「明治大学体育会ヨット部創部50周年記念誌(沿革誌“白雲”)」を頂いたことがありました。平成3年発行なので25年前となります。記念誌の冒頭にあるヨット部の部歌『太陽に誓いを立てて 明日に向ってセーリング 闘志を燃やし波を切り オー 行くぞ明治のヨットマン』が今回聞けなかったのはやや残念でしたが、来年も声を掛けていただき今回参加出来なかった支部会員に参加してもらおうと思っています。

 トマト、キュウリ、大きなホタテや三浦のマグロ、根岸さんが差し入れのオクラ(下里さん料理)、肉類、焼きそば,スイカ 、プリンなど口にして、乗船は終わったためかビールや日本酒も量が増えていました。(合宿中は未成年がいるので禁酒とのこと)。

屋上バーベキューが室内変更となり、火に制限があって使えなかった差入野菜は美味しく料理して部員の方で食べて下さいね。

 中締めで元当支部幹事でもあった下里ヨット部元OB会長の挨拶があり、校歌を歌って“FAMILY感謝DAY”は終了となりましたが、エールで “ふれふれ体育会” と唱和していたのが印象的でした。なお葉山港管理事務所の大場秀夫所長は明大ヨット部OBで以前当校友会の幹事をしていて当日砂山支部長が挨拶しています。

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 吉田監督さん、部員の皆さん今回は有難うございました。ご家族や父母会の方々もこのブログを見ていただければ幸いです。(足立記。写真撮影西山・足立。)

(付記)

当支部会報「駿台逗子・葉山」の平成25年第24号(1月号)と第25号(8月号)の記事を添えておきます。ヨット部合宿所について記事を載せていました。

 

(第24号)体育会ヨット部合宿所が葉山町に今夏竣工予定

本学体育会ヨット部の合宿所が、葉山町に建設されることになりました。「日本ヨット発祥の地」の石碑が建つ鐙摺港の目の前で、これ以上ない絶好のロケーションです。

 本学ヨット部は1941年の創部以来、自前の合宿所を持つことなく、海辺の民家を借りたり、他校ヨット部の合宿所に居候するという厳しい環境のもと、関東の強豪ヨット部としての地位を維持してきました。近年、関東インカレが開催される葉山町での賃貸合宿所の確保が困難な状況となり自前の合宿所の必要性を大学に訴え続けてきたところ、このヨットの聖地に自前の合宿所を建設することになりました。ヨット部にとっては、70年越しの悲願ともいうべき合宿所建設です。

建設が予定されている合宿所は、1階に艇庫を備えた鉄筋3階建てで、葉山町の瀟洒な景観を考慮したデザインの建物です。明治大学の施設としては、海辺に建てられる最初の建造物ということで、「海の明治」として(平成24年)10月15日には、合宿所建設の安全祈願祭が葉山町の森戸神社で執り行われ、現地では着々と建設が進行し竣工は今年の春から夏にかけて予定しており全日本インカレ予選を兼ねた関東秋インカレでは、いよいよこの新合宿所をベースに戦うことになります。シンボルともいうべき存在にしたいところです。(ヨット部OB会長 下里秋作) 

 

(第25号)体育会ヨット部合宿所完成

先の〈会報・第24号〉でご紹介したように「日本ヨット発祥の地」葉山港に本学体育会ヨット部の合宿所が完成し、7月29日(月)に日高明大理事長、平井逗子市長、山梨葉山町長他関係者を迎えて竣工式がおこなわれました。同合宿所は1階に艇庫を備えた鉄筋3階建で「海の明治」としてのシンボルといえる建造物です。地元の当支部としては、竣工式に記念して逗子在住の画家・鈴木英人氏の筆による海辺に相応しい寄贈絵画(21号)を贈呈致し食堂に掲額して頂きました。

関東強豪のヨット部の更なる活躍を期待しています。(支部長 砂山 昇)

松下政経塾の見学会を開催しました

 平成28年7月28日(金)、当支部幹事でパナソニック客員である佐藤嘉信さんの薦めで茅ヶ崎市汐見台にある「松下政経塾の見学会」を開催しました。参加者は10名が名乗り出て、あと5名は大丈夫との話で当支部にメール番号を登録している比較的若い 方に呼びかけを行いましたが、平日でもあり参加者は増えませんでした。

 それでも当日JR逗子駅9時に砂山、西山、仲内、森、山村、川崎、足立、小川、佐藤の9名が集合、辻堂駅で齋藤女史が合流してタクシーで5分程の所にある松下政経塾入口に着くと、楠の木並木の先にアーチ門が見えました。

 佐藤さんが広報担当の品川悦夫部長さんと連絡を密にしていただいていたため、アーチ門(加藤昭男氏の彫刻“明日の太陽”あり)の前で品川さんと小坂香澄さん(若い女性の方)の出迎えを受けました。

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 門を潜り右手に白いハマユウの花を横目に見て、卒業の時期には満開になるであろう桜の木を見ると、その先に平櫛田中氏監修、愛弟子である浜田泰三氏制作の松下幸之助さんの銅像が建っていました。建物は赤い屋根の洋風造りでギリシャエーゲ海といった地中海風の建物で統一されていて、高い「黎明の塔」の屋上に設置された鐘は大風の際に鳴るとのことでした。

 見学会は10時から12時までの2時間という予定で、最初は教室での説明でした。円卓の教室に入ると我々のための当日のプログラムと松下政経塾の案内冊子が10人分個々に置かれてありました。

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 品川さんの歓迎挨拶のあとDVD「建塾の理念」―松下幸之助が語る―、「松下政経塾紹介映像」―卒業生・現役塾生が語る―を見ましたが、一本目が終わった後、品川さんから松下政経塾の概要説明もあり、この教室では1時間半近くを費やしました。当日は夏休みのためか塾生の姿は無く、その後教室を出た所で研修一部の日下部晃志部長の紹介と挨拶を受け、松下幸之助塾主の著書を見た後、ゆっくり建物内部を品川さんに、また敷地内を小坂さんに説明していただきました。

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 庭は松下に因み多くの黒松(赤松は無し)が配置されていました。また松下幸之助さんが来られた際に朝『今日一日素直な心で無事にいかせて下さい』と心に念じた、というやや小高い場所で説明を受け、寝泊まりしたという茶室にも入り、床の間の「素直」の軸も座って拝見、ここで記念写真も撮っています。岡田乾電池 岡田社長の別荘だったため石灯篭などがそのまま残されているとのことでした。

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 その他質問等もあり終了したのは12時半近くでしたが、この施設内でしか販売していないという「松下幸之助のめざしたもの」―松下政経塾塾生への講話から―と題する本を購入して、松下政経塾を後にしました。

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   (松葉文様の中の中央に1つ大王松(3本)のように見えますが 左上の葉が

        重なっているだけのようです。やはりすべて黒松です)

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 その後、通りの向い側にある佐藤さん推奨の松下幸之助さんが利用していたという蕎麦司 “紅がら”に入って蕎麦を食べて暫し歓談しました。なおここの女店主は松下政経塾の入塾、卒塾式に来賓として参加されているそうで、話を聞きたかったのですがタイミングが合わず楽しみはまたの機会に残しました。

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 昼食後、近くのバス停「のぞみ学園前」からバスで辻堂駅に出てここで散会しました。なお、ここで辻堂の商店街に飲みに行ったグループと平塚へ行ったグループに分かれています。 

 円卓教室でのDVDでは、松下幸之助さんの教え(塾訓)にある「素直な心で衆知を集め、自習自得で事の本質を究める」を参加者はまずもって改めて肝に銘じたと思いますが、塾生になる年齢資格が22歳~35歳までということで、大部分の人が70歳を越えていたため、既にはるか昔に体得済だったのではと思いましたが、購入した本の中に『素直な心になるには幸之助さんですら35年で初段になった』ということなので体得はまだまだでしょう。4年間の全寮制による塾生は、現在18名で2年目の36期に明大卒の市川市出身の土屋正順氏がいました。29歳で明大に入学し卒業後、松下政経塾の門を叩いたわけで今後の活躍を祈らずにはおられませんでした。

 松下幸之助さんは、自分と同じく丁稚から身を起こした思想家で石門心学開祖の石田梅岩に倣い、PHP研究所を設立して倫理教育に乗り出す一方、晩年は(84歳)は松下政経塾を立ち上げ政治家の育成にも意を注いだといいます。

 茶室に通じる庭には茶色の丹波鞍馬石と思える飛び石が配置されていて、丹波生まれの石田梅岩への松下幸之助さんの思いが頭をよぎりました。昭和54年に設立された松下政経塾については、我々の30歳代の時期で、高度経済成長期だったので「経営の神様」といわれた松下幸之助さんは身近な人物でもあり開校のニュースは耳にしてその存在だけは知っていましたが、すぐ近くにあっても見学したのは皆初めてでした。佐藤さんの言葉にあるように『塾の動向に強い関心と期待を寄せ充実した訪問』となりました。品川さん、日下部さん、小坂さんお世話になり有難うございました。

会員からの寄稿  『明治大学との生涯』 森尾忠憲 

 後期高齢期に入り、振り返って見ると、小生の生涯は、明治大学と深い関係にあったことを、今更ながら思い識らされる。海軍水雷・通信学校を出て外務省勤務となった父親と海軍病院婦長を務めた母親との間に次男として生れ、吉林、芝芣(チフウ)、北京で幼少年期を過ごしたので、小学校期には「チヤンコロ」と蔑視されたこともあった。

 敗戦后の学制改革期には、軍国主義者、国家主義者の諸先生が、御神影を撤去し、生徒自治会の結成を促した。こうした先生方の転身に、深い疑念を抱かされた時期をすごした。福島県須賀川高校卒業后、特幹として入隊し、戦后復員した、優れた技術者であった兄の紹介で、NTT(旧電気通信省)京橋電話局(東京都銀座、現博物館)に勤務できた。兄に負けない技術者になることを目指し、機関士(ボイラーマン)一級の資格を獲得、明大政経学部Ⅱ部在学中にも、晴海電話局新設工事に関係し、電力機器設置の現場監督の職務を不安に駆られつつも、何とか無事に果した。

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  (中央に立っている方 寄稿者 S35政経卒・S47博修了 森尾忠憲 氏)

 この間にあってなんとしても消え去らないものがあった。それは小林多喜二三木清の惨死であった。ある日、偶然、築地警察署を通過した際、この思いが猛然と蘇返った。ここでやられたのか。くそ!!!。この激怒が、明大入学の最強の動機である。

 京橋電話局勤務5年目にして政経学部Ⅱ部に入学した。同学部は、実に貴重な交友の場を与えてくれた。国鉄(JR)勤務、税務署勤務、鉄工業勤務の諸学生との交際は、小生の視野を広げてくれた。鉄工業勤務の学友は、小生の大学院入学資金を貸与してくれた。これに加えて諸先生方は、勉学意欲に応えて下さった。ナチズムについて質問した曽村保信先生は、自宅に招いて下され、独逸語の学習を促され、奥様は、日本酒づきの夕食を用意して下さった。また海上自衛隊観艦式の参観、硫黄島見学の機会を与えて下さった。また大学院時代には秋永肇先生は、朝鮮人学生とともに、自宅に招いて懇談の機会を与えて下され、奥様は夕食を与えて下さった。

 学部と大学院との在学の時期、略々十年間、職場京橋電話局の先輩、同僚は、理解と同情とを与えてくれた。交替制勤務も幸運の大きな原因であったが、先輩、同僚の理解と同情なしには、不可能であったことを、今更ながらに思い起し、心から感謝する次第である。ところで博士課程終了と同時に、全面的に職場復帰を考え、先輩、同僚の好意に報いたいと考えていた時、思いもよらぬことが起こった。大学院指導教授秋永先生が、流通経済大学教員への就任をすすめて下さったのである。白石教授も「労働者学生」の就任を支持して下さった。これは、全く思いもよらぬことであった。職場の先輩、同僚の好意に背向くことになりはしないかとの疑念を抱いたが、むしろ先輩、同僚は、積極的に転勤をすゝめてくれ、このことが決定的に転勤を決意する勇気を与えてくれた。

 転勤した流通経済大学茨城県在)は建学后、ほどなくして、独立を維持しえず、他大学への併合が問題となった。独立維持を主張する佐伯弘二学長を支持する教員の一人として小生は、広報部長に任ぜられ、流経大紹介に努力し、明大出身教員の支援もあって、ほぼ5年目頃から、何とか独立可能となり、今になっても協力した職員との交わりを続けている。 

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 この間にあって、母校明大では、非常勤講師として一講義(和泉校舎)とゼミ(駿河台校舎)とを担当し続けたが、流経大の経験と共に、改めて「教育」のなんたるか、を思い識らされるにいたった。教員としてのそして先輩としての二つの側面である、ということである。

 これを思い識らせてくれたのは、秋永先生の紹介で出会い、予想に反して一緒になってくれた賢夫人和子女史である。横須賀港見学に関連して明大ゼミ生を拙宅へ招待してくれた。これはゼミ学生との接近をいっそう深めることとなったばかりか、提出する卒論にいっそう努力する契機となったらしい。流経大生を含めて毎年、年賀状50余通があり、返書を書くのに忙殺されるという実に嬉しいことにつながっている。

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            (中央白い帽子 森尾和子 夫人)

 ところで流経大独立の見通しがついた頃、秋永先生は、博士論文の提出を促された。スペイン系ユダヤ教徒B・スピノザのデモクラシー論に着手した。曾村保信先生の歴史学研究指導と秋永先生の思想史指導とに添ってまずスピノザ家族を受け入れたオランダの半世紀に亘る独立闘争を背景にして、「孤独でレンズを磨いて虫の動きを楽しんだ」といわれるスピノザが、アムステルダムを中心に政界、知識人界に以外と多くの友人を持っていたことを識った。これを前提としつつ、スピノザの汎神論、世界観は、神的自然の生産としての人間が、根源において多種多様であるにも拘わらず同等であり、平等であり、この多様性と平等性がデモクラシー論の基底にある。諸個人の結合と協力とこそが 神的自然への接近を可能ならしめる。それゆえスピノザは、政治型態としてのデモクラシーこそ、真の政治型態であることを論じていることを識った。

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        (オランダの哲学者 バールーフ・デ・スピノザ)           

 博士論文は受容され、博士号授与式では、授与者を代表して明大への答礼を拝呈した。かくして明治大学が支えてくれた修学の機会を、職場の同僚先輩の理解と協力とによって与えられ、明治大学との関係を略々50年に遡って持続したのであるが、拙稿執筆に貴重な機会を与えて下さった学友、足立さんのご好意に心からお礼を申しあげたい。 

(事務局追記)

1.小林多喜二は小樽で育ったプロレタリア(労働者)文学者として知られ、作品の特

  高警察による拷問描写が憤激を買い、後に拷問死させられました。森尾さんにと

  って思いの深い人物だったと思います。

2..昨年2月当支部会員数名で鎌倉東慶寺に文化人の墓を訪ねましたが、西田幾多郎

  岩波茂雄東畑精一の墓で共通の人物である、あの「人生論ノート」で昔ブームを

  起こした三木清を思い出しました。西田は恩師、岩波はドイツ留学の資金援助者、

  東畑は妻の兄でした。 終戦後にも拘わらず獄中で惜しい哲学者を失いました。

3.バールーフ・デ・スピノザは、オランダの哲学者です。デカルトライプニッツ

  と並ぶ合理主義哲学者として知られ、その哲学体系は代表的な汎神論と考えられて

  きました。また、ドイツ観念論現代思想へ強大な影響を与えました。

4.文中の和子夫人には以前よくウオーキングクラブ行事にご参加いただきました。

  写真は田浦梅林ウオーキングの際のものです。

*森尾忠憲様 有難うございました。他の方からも寄稿文をお待ちしています。

会報「駿台逗子・葉山」は第31号より送付先を変更致しました

 当支部機関紙である会報「駿台逗子・葉山」は、1月1日号と8月1日号の年2回発行しております。

第1号~第9号までは、自前のA3カラープリンターでコピーしておりましたが、

第10号からは、現在のカラー印刷に変更して印刷会社に依頼し、多くの方々に送付してまいりました。

送付先は、当支部会員(前年度及び当年度年会費納入者)はもとより逗子葉山在住の明治大学卒業生全員に送付し、又1月1日号は、地元逗子葉山を全国にPRしようとの趣旨で日本全国の明治大学校友会及び韓国支部,台湾支部にも送付してまいりました。

 

 当然経費もかかり、以前より送付先の見直しの検討をしてまいりましたが、昨年4月よりブログを継続的に発信する状況になったこともあり、下記に送付先を変更いたしましたので、ご了承の程お願い申し上げます。

(第31号より)

  1. 全国支部送付は廃止。第30号(平成28年1月1日号)送付時にお断りの案内を入れております。多くの支部よりこれまでの送付に対する感謝のお手紙が寄せられました。

 2.当支部会員(前年度及び当年度年会費納入者)と前年度を1年前とする過去5年

   前まで年会費納入実績のある方に送付。また今年度60歳代の方(卒年時で推

   測)に限っては、新規会員になられることを願って全員に送付することに致しま

   した。会員以外の50歳代以下の若い方々には、ブログにて当支部活動をご覧に

   なっていただき、興味ある行事に参加を通じて会員になっていただければと思っ

   ております。

 *第31号(平成28年8月1日号)より会報が送付されなくなった方々には、これ

 まで読んでいただいたことに対してのお礼とあわせ、支部予算上の諸事情のためとご

 理解をお願い致します。

*会報に対するお問合せ:yasuhide-adachi-tkb@nifty.com 迄

 

*その後、支部の将来を配慮し配布先を見直し、現在は会費未納者でも卒年時から45歳~70歳になられると思われる方にも会報をお届けしています。

 

 

2016年度校友会神奈川県東部支部総会が開催されました

 神奈川県東部支部総会が、7月3日(日)15時より横浜駅東口前にある崎陽軒本店6階に於いて開催されました。また総会・講演会の後、場所を5階のマンダリンに移し懇親会が行われました。

 出席者は約100名、来賓は明治大学から荒川利治情報担当常勤理事・浅川光経営企画部長、校友会から徳丸平太郎副会長、神奈川県西部支部から宇野武治支部長、明治大学神奈川県東部地区父母会から進林徳彦会長・齋藤正壽顧問の各氏が出席されました。

 第一部総会は、議案審議に先立ち物故校友に対する黙祷があり、次いで田野井一雄副支部長の開会の辞、向井眞一支部長の挨拶がありました。次いで荒川利治情報担当常勤理事、徳丸校友会副会長、進林徳彦父母会会長のご祝辞がありました。

その後向井眞一支部長が議長となり、各議案の審議がなされ、全議案が承認可決されました。

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 第二部講演会は、㈱時事通信社代表取締役社長 西澤 豊氏の「通信社記者42年を振り返って―日本の政治の現在地―」という演題でした。  

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 第三部懇親会は、向井眞一支部長の開会の言葉の後、宇野武治西部支部長のご祝辞があり、次いで小林弘昌名誉支部長の音頭で乾杯をしました。各テーブルでは各自の自己紹介の後楽しく懇談しました。

 当地域支部からは東部支部副支部長の砂山、幹事の綾部、川﨑、監査委員の山村、顧問の石渡の5名に東部支部では一般会員の西山、白石、仲内、菅野、斎藤が加わって

10名参加しました。なお、本総会をもって幹事の川崎仁久氏が退任し、後任に仲内俊之氏が就任しました。 

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  また、当日逗子在住の地域支部非会員の澁谷剛(たかし)さんが参加されていました。東部支部木下幹事長の勤務先の後輩だった縁で参加されたそうで、早速逗子葉山地域支部への入会をお願いしました。

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 明大箱根駅伝の松本総監督のご挨拶もあり、10月15日の予選会で勝ち上がって来年も箱根に出走することを願いました。

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 大学マンドリン倶楽部OBの方たちのマンドリン演奏もあり、各自大学時代に帰ったような懐かしさを感じつつ聴きほれました。

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 また、本総会をもって退任される木下泉幹事長の挨拶もあり、更にマンドリンの伴奏で学生時代にグリークラブでならした歌の披露もあり、盛り上がりました。

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 当地域支部総会にご出席いただく東部支部傘下の地域支部の方々は2名が恒例になっているので、この東部支部総会は他の地域支部の方々も多く参加されるので懇親には絶好の機会です。

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 最後は、砂山昇副支部長の閉会の言葉があり、全員が肩を組んで輪になり、マンドリン伴奏のもと高らかに明治大学の校歌を歌い、内田浩二幹事のエールで締めました。                              

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   木下泉前幹事長には逗子葉山地域支部としても色々お世話になりました。

   有難うございました。ー新幹事長になられたのは別府寛隆氏ですー(山村)