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2016/04/30 湘南国際村

明治大学平和教育登戸研究所資料館 第6回企画展―登戸研究所70年前の真実―

 標記企画展開催の案内が当支部に山田朗館長から届きました。

第1期が8月5日(水)~9月26日(土)迄の開催です。70年前、戦争が終結した年、現明治大学生田キャンパスにあった登戸研究所(正式名称:第九陸軍技術研究所)では、実にさまざまなことが行われていました。1945年(昭和20年)8月15日までの登戸研究所の活動実態と兵器開発・生産に焦点をあてた企画です。

次いで第2期が11月18日(水)~来年3月26日(土)迄の開催として、敗戦後の登戸研究所の証拠隠滅作業と元所員たちの戦後に焦点をあて、当時の貴重な現物展示をまじえて70年前の登戸研究所の真実を明らかにするという企画になっています。

 この資料館は登戸研究所がおこなったことがらを記憶にとどめ、大学として歴史教育・平和教育・科学教育の発信地とするとともに地域社会との連携の場としていくことを目的として2010年3月に開館されました。

 本土決戦をひかえて1945年5月に登戸研究所の本部と第一科(風船爆弾・電波兵器)と第二科(毒物・爆薬・生物兵器)は長野に移り、第三科は生田に残り偽札製造を続けていました。長野に拠点を移した登戸研究所は新兵器(く号・ね号)の開発と遊撃隊が使用する破壊工作用の兵器(時限爆弾・焼夷弾)の量産を進めています。

 当支部に案内があったのは理由があります。実は女学生の身分でこの登戸研究所で働き、登戸研究所の長野移転とともに松川村に移って終戦を迎えた高木さと子さん(1928年生まれ・祖父岡田朝太郎は東京帝国大学教授ののち明治大学専任教員)がおられ、開館の前年に「研究所の保存を求める会」事務局の森田忠正さんが逗子に訪ねてこられ当支部役員が立ち会ったことがあり、又旧登戸研究所本館に残されていた佐藤耕寛の絵画「漁待つ人々」について登戸研究所で見たという証言がない中、高木さんが見たとの話を伝えていたためと思われます。問い合わせのあった資料館の椎名真帆さん(H5文卒) はなんと高木さと子さんの母校府立第五高等女学校(現・富士高等学校)の後輩でした。

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 余談ですが前述の岡田朝太郎氏は刑法の法学博士で草創期の北京大学にあって中国刑法の近代化に貢献、またイタリーで偽札を蒐集したり、古川柳の蒐集研究家(号・岡田三面子)でもありました。岡田三面子川柳碑が高木さと子さんの敷地内に建てられています。この川柳碑は岡田三面子と明治大学の縁で生田キャンパスの敷地内に設置していただくようお願いしたこともありました。

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