2020/01/10背景変更 裕次郎灯台

2月28日(日) 第20回クラシック鑑賞会を開催しました

 平成23年4月3日に第1回クラシック鑑賞会を発足してドビュッシーの曲を聴いた。いつまで続くかと心配されたクラシック鑑賞会が無事に第20回目を迎えることができた。人間で言うなら成人式だからもう心配はいらない。
 会場は柳生宅の特別鑑賞室(リスニングルーム)でこの家の主の秘蔵のLP/ドーナッツ/SP/CD/DVD/などの他あらゆるオーディオ機器に囲まれた中で開催され、柳生さんをいれ8名の参加となった。

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 最初にいつもとは異なって、オーケストラの仕組み(96人の楽器の編成)について中山さんが写真入り資料を配布して解説し、ドイツで331年前の2月23日に生まれ、イギリスで1759年に亡くなるまでヘンデルについての説明があり、またヘンデルが劇場用の音楽を主として作ったためオペラとオラトリオの説明もあり、我々は中山さんがこのような知識を持っていたことに脱帽した。
 それに続き足立さんから、まだピアノが無かった(チェンバロの時代)バロック期を代表するヘンデルはバッハと同じ1685年生まれで、この年日本では徳川5代将軍綱吉が「生類憐みの令」を出し、生類は犬、猫、鳥、魚類、貝類、虫類などにまで及んだと補足の解説。
 それだけで終わらず、真打の柳生さんからヘンデルの人生と特に有名で頻繁に演奏される曲それぞれの特徴を丁寧に解説いただいた。


 ドイツで生まれたので正式名は、ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデルだが、彼は生涯の約3分の2をイギリスで過ごし、イギリスでの活動歴が圧倒的に長いことから、英語名ではジョージ・フリデリック・ハンデルと呼ばれ、イギリスの作曲家だとする意見もある。ヘンデルの父親ゲオルクは宮廷つきの医師のため、ヘンデルが音楽の道を志したのに父親は反対し、ヘンデルはそれを押し切って音楽の道を選び、ドイツから出てイタリアに留学し、1727年には正式にイギリスに帰化し、1759年体調の悪化により死去。74歳であった。生涯独身だった。
 この点、先祖代々音楽家の家庭に生まれ、生まれた時から音楽家になるべくして育てられ多くの子に恵まれ、教会音楽で活躍したバッハとは対照的な境遇だった。ヘンデルが生まれたドイツ中部のハレはバッハが生まれたアイゼナッハから約130kmに位置するが二人は会うことはなかった。

今回鑑賞した曲は、

① 管弦楽組曲《水上の音楽》。
(イギリス王室のテムズ川での船遊びに際して演奏された。)

②オラトリオ「メサイア」の中で歌われる《ハレルヤ・コーラス》。

② ハープ協奏曲《オルガン協奏曲第6番》
(ロンドン生まれの、吉野直子によるハープ演奏)

④《王宮の花火の音楽》
(勇壮な響きを出すため管楽器と打楽器のみが使われた曲)

ヘンデルはオペラ・オラトリオ・カンタータチェンバロ・オルガンなどの他にも多くのジャンルの曲を作曲しているが、曲名だけでは知らないと思っているけれど演奏が始まると口ずさむ曲がいくつもある。

次回は、誰か?

候! ご期待! (林  記)