2020/01/10背景変更 裕次郎灯台

第22回クラシック鑑賞会を開催しました

 当支部の総会も終わり今年も7月7日の「七夕」がやってきました。小さい頃文部省唱歌の『たなばたさま』を歌った記憶が薄れゆく中にも残っています。

 この曲を作曲したのは下総皖一(しもふさかんいち)。彼は東京音楽学校(後の東京藝術大学)で作曲を信時潔(のぶとききよし・慶応義塾塾歌、逗子中学校校歌の作曲者)に師事し、首席で卒業、ベルリン芸術大学で20世紀ドイツを代表する作曲家のパウルヒンデミットに師事、帰国後、東京音楽学校の教授となり門下に團伊玖磨葉山町町歌作曲者)、芥川也寸志等がいます。教授や東京藝術大学音楽学部長時代に中田喜直黛敏郎(橋本邦彦に師事)等も薫陶を受けたと思われます。橋本国彦や平井康三郎は教鞭に立つ同僚でした。童謡・文部省唱歌を多く作曲し、また多くの小学校・中学校・高等学校の校歌の作曲も手がけており、総作曲数は1000曲以上にのぼります。

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f:id:meijizuyou:20160708020229j:plain  下総皖一

f:id:meijizuyou:20160708012706j:plain    團伊玖磨 

 前置きはさて置き、当支部総会の翌日6月26日(日)13時より第22回クラシック鑑賞会が例会場の小坪 柳生宅2階のリスニングルームで開催されました。

(第21回はブログに掲載しませんでしたが当支部会報8月1日号に譲ります)。

 今回参加者は柳生、林、山村の小坪組に細野、森、広瀬、足立、斉藤、小川の9名でした。何と言っても今回は日本人の作曲家の曲を聞こうという柳生さんの提案でしたので、皆興味深々で駆け付けた訳です。クラシック音楽の流れで考えると戦後のクラシック音楽になると考えて黛敏郎について下調べをしたのですが、柳生さんから毎回配られる資料に黛敏郎は無く、武満徹でした。

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 (以下当日配布資料より)

 明治期になり、洋楽(クラシック音楽)が日本にもたらされて、1世紀足らずの後の20世紀には下記に述べるような世界的に著名な作曲家も誕生している。そこで、本日のこの「クラブ」では、日本のクラシック音楽全般を俯瞰するような、数々の曲を聞いてみたい。つまり日本のクラシック音楽の作曲家は、古くは、わが明治大学の校歌を作曲した山田耕筰を始め、瀧廉太郎、團伊玖磨中田喜直古関裕而、橋本國彦等々、挙げれば枚挙のいとまがない。だが、歴史の浅い日本の作曲家たちは国内において著名であっても、外国ではほとんど知られていない。だが近年、世界的に知られる作曲家が日本にも出てきた。武満徹(たけみつとおる1930年、東京生まれ)である。かれの作品は欧米の音楽界でも多く演奏されている。

 例えば、本日のこの会で取り上げる彼の曲『ノヴェンバーステップ』は、アメリカのニューヨークフィルハーモニック交響楽団の創立125周年記念祝賀コンサート用に作曲を委嘱されて、世界的名声を確立した。また彼は映画音楽も多く作曲していて、黒澤明監督などの映画や、またアメリカのハリウッドの映画も担当している。今日の「クラシック音楽鑑賞クラブ」では、上記に挙げた作曲家だけでなく、それ以外の曲を含めて、下記に列挙したような、広く知られている「歌曲」の数々や、オペラや管弦曲などを聞いてみる予定である。

 聞いた曲は、

1.管弦楽曲と歌劇として武満徹『尺八と琵琶・オーケストラのための「ノヴェンバー

  ステップ」』、外山雄三『ラプソディー』、團伊玖磨『夕鶴』。

 『ノヴェンバーステップ』は奇怪な音楽という感想が多く、前衛的で覚えられない判 

  らないのが魅力なのかとも感じられました。

2.歌曲として上記以外の作曲家として弘田龍太郎、梁田貞(やなだただし)、福井文

  彦、多忠亮(おおのただすけ)、海沼實、杉山長谷夫、服部良一大中恩(おおな

  かめぐみ)、岡野貞一、近衛秀磨の方達の作曲を聞きました。歌曲というか童謡も

  多く、昔聞いた記憶がある曲ばかりで作曲家の名は初めて聞く人が多くいました。

  参加した森さんがこの会に参加したこともある奥様も連れてくれば良かったと語っ

  ていました。

もののけ姫』の歌声で有名な米良美一さんのCDで多くの日本の歌曲を聞きましたが、当然、瀧廉太郎の『荒城の月』も聞いています。瀧廉太郎は東京音楽学校に学びドイツに留学、明治の西洋音楽黎明期における代表的な音楽家の一人で、明治時代の前半に多くの翻訳唱歌ができた中で、日本人作曲家によるオリジナルの歌を最も早く作った作曲家でした。クリスチャンでもあり『荒城の月』はベルギーで讃美歌になって歌われているそうです。3年前に彼の終焉の地に設置された(大分県城址)瀧廉太郎像の前で当支部会員で合唱したことを思い出しました。 

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 毎回、寿司を摘まみながら酒宴となりクラシックから離れた会話になるのですが、一時は静寂を保ち曲に耳を傾けています。しかしビール、日本酒、焼酎の量は減って、テーブル上のワイン2瓶はあっという間に無くなりました。