平成30年新年会を開催しました
平成30年の新年会は、1月20日(土)に葉山から逗子の海を一望できる葉山マリーナ3階のエメラルドルームで、14時から開催しました。インフルエンザで2名欠席となりましたが出席者は39名でした。
会場の〝エメラルドルーム〟利用は、これまで平成24年の新年会で利用していましたので今回は6年ぶりでした。6年前に葉山マリーナ1階右側にあった湘南ビーチFMのスタジオは、東日本大震災後に津波を危惧して平成25年4月に池子に移ったためやや寂しい思いがしました。
ほぼL字型の宴会場からは、天候も良かったので大きなガラス窓越しに左手に裕次郎灯台と三枝灯台の先に名島の鳥居が真近に見え、正面には葉山沖の海の向こうに江ノ島、伊豆半島、富士山の遠望を、また右手には大崎、浪子不動、逗子海岸が見渡せました。綾部、白石、川崎の3氏が受付係りでしたが、13時30分の受付開始前に多くの出席者が来られ会費と引き換えに名札と出席者名簿を受け取り、席札を引いて該当の席に着かれました。
今年初めてパワーポイントによるプロジェクター映像を佐藤さんが用意され、式次第から右側の壁に写していました。
翌日と勘違いして電話連絡で気づき遅れて来た方もおられましたが、定刻14時に司会となった根岸さんの“開会の辞”で始めています。司会役は中山さんでしたがインフルエンザで欠席でした。次いで山村支部長の新年にあたっての挨拶がありました。
当明大校友会の新年のスタートは何と言っても箱根駅伝応援会ですが、今年は欠場、しかしラグビーは昨年の明早戦に勝って大東文化大を制し決勝まで勝ち上がり、帝京大との接戦で正月早々楽しませてもらった話もありました。
その後、新年会恒例の敬老祝賀があり根岸事務局長から該当者の名前が読み上げられ、佐藤さんが用意したレイを首から下げた該当者の方々は支部長から記念品を一人一人受け取られ記念写真も撮っています。代表して蒲谷さんから挨拶もいただきました。年会費納入の該当者は米寿2名、喜寿5名で、出席者は喜寿2名でした。欠席された5名の方には後日担当役員が記念品をお届けすることにしました。
懇親会に入って司会が小川幹事長に変わり、まず乾杯を出席最年長者の柳生さんにお願いしてから、飲食歓談に移っていきました。会場内のスペースに6人乃至7人テーブル席が6組セットされて、各自ごとに1階にある〈魚敬〉の料理が出されました。また右手壁側のテーブルには飲み物が用意されていました。初参加の鈴木達也さんの紹介挨拶があり、ゆったりした空間の中での歓談となっていきました。
まもなく「詩吟朗詠」の披露となり詩吟朗詠は西山、菅野2氏によるものでした。新春でもあり梅や春に因む漢詩・和歌・短歌(新島襄〝寒梅〟、道真〝東風吹かば〟、佐々木信綱〝春ここに〟、孟浩然〝春暁〟)に河野天籟〝祝賀の詞〟および菅野さん作の“逗子葉山の詩〟の朗詠もありました。
(昨年の写真です。今年の写真入手次第入れ替えいたします)
続いて映像によるクラブ活動紹介と明大ラグビー部の活躍紹介がありました。クラブ活動紹介時にはクラブの腕章を付けた各部長が前に出て各クラブの紹介もしています。
その後、明治大学第1応援歌「紫紺の歌」、第2応援歌「血潮は燃えて」の歌詞が映し出され全員で声高らかに合唱し、当然<春まだ遠き>の歌詞を思い出す明治大学の学生歌「都に匂ふ花の雲」も合唱しました。
しかしやはり明大OBとしては「明大節」が必要ですが、これまで指揮の踊りを出来る人が現れず実現しませんでしたがヨット部出身の下里さんに登場願い念願が叶いました。女性参加者の斎藤さんが大きな声で皆をリードして最後の『ついでに逗葉の名も残る』まで大合唱したのが印象に残りました。
新年でもあり予定外で支部長経験者の短い挨拶や飛び入りで平さんや田澤さんの挨拶があったりしました。しばし料理と飲み物を口にして歓談の後、明治大学校歌斉唱となり、喜寿対象だった豊田さんの指揮エールとなりました。
仲内支部長代行の中締め挨拶後、集合写真を撮りましたが、歴代支部長にはレイを下げてもらっています。一部の方を除き散会していきましたが、二次会を逗子郵便局前の「すなっく舞」で行っています。
(パワーポイント映像があって海側の カーテンを閉じたり開いたりしたことや、好天で逆光だった関係もあり鮮明な写真が取れていません。場の雰囲気を見て下さい。)
新年会でのパワーポイントでの詩吟の解説、各クラブの紹介などの映像やレイやクラブの腕章など新しい企画でビンゴをやらなくなった穴を充分埋めて余りある新しい新年会の運営方法を作って頂き、佐藤さんはじめ、若手役員の小川さん、根岸さん有難うございました。