全国校友石川大会に参加し、金沢市内を観光しました
第54回明治大学全国校友石川大会が、9月30日加賀百万石の城下町金沢市に於いて開催され、9月29日前夜祭から参加。10月1日は金沢市内を観光しました。
当支部は、山村支部長ほか仲内、西山、白石、鈴木(達也)の総勢5名参加でした。
9月29日(土)金沢市内散策と前夜祭出席
9月30日(日)記念式典・,講演会・懇親会出席
10月 1日(月)エクスカーションに参加(加賀1日観光コース)金沢市内観光
前日17時~19時 金沢駅そばの「ホテル金沢」で開催される前夜祭から出席することとし、9月29日10時48分発の新幹線で東京駅を出発し金沢駅に13時23分に到着。片町の宿泊ホテルにチェックインの後、前夜祭開始時間まで金沢市内を散策しました。生憎雨でしたが、片町、香林坊を散策し、長町武家屋敷跡を見学しました。武家屋敷の野村家も見学する予定でしたが、外国人観光客で一杯のため、見学を断念して尾山神社に向かいました。同神社は、前田利家公と正室・お松の方を祀っており、和漢洋折衷の三層アーチ形の神門は五彩のギヤマンを配し、国の重要文化財に指定されています。
その後、前夜祭の会場に向かいました。芸妓衆の優雅な三味線と踊りに見惚れ、能登の勇壮な御陣乗太鼓に痺れ、おいしい加賀料理と地酒に堪能しました。
台風24号は、30日未明に金沢を通過し、朝は台風一過、清々しいお天気になり同日の全国大会記念式典は13時からなので、我々は朝食後ホテルの近辺を散策しています。片町を通り、犀川大橋を渡り、寺町方面へ向い、妙立寺(忍者寺)で外側だけを見学しました。その後「にし茶屋街」等金沢らしい風情の残っている町並みを散策しホテルへ戻りました。
当日は13時~16時に記念式典、講演会が金沢駅そばの「石川県立音楽堂」に於いて出席者約1,000名(推定)で開催されましたが、台風の影響で沖縄・九州等一部の支部で出席不可能になったようです。
第1部記念式典は、大会旗入場、国歌・校歌斉唱、物故校友への黙祷から始まり、開会宣言、安井克郎石川県支部長の歓迎の挨拶、来賓・大学役職者・校友会役員の紹介、向殿政男校友会長の大会会長挨拶、柳谷孝大学理事長・土屋恵一郎学長の祝辞、来賓谷本正憲石川県知事(中西副知事代読)・山野之義金沢市長・今村健連合父母会長の祝辞がありました。最後に次年度開催県の小関道生千葉県東部支部長の全国支部長代表挨拶があり、万歳三唱で閉会でした。
(安井克郎石川県支部長の歓迎挨拶)
第2部記念講演は、「まちづくり都市 金沢」の演題、講師は前金沢市長山出保氏で、和服姿の金沢らしい装いでした。
第3部懇親会は、17時~19時に全国大会会場近くの「ホテル日航金沢」に会場を移して開催され、芸妓衆20数名が勢揃ろい、三味線、太鼓で賑やか、華やかな御囃子で始まりました。中村驍大会実行委員長の歓迎挨拶、鏡開きの後に乾杯し、金沢の地酒を飲み、おいしい加賀料理に舌鼓を打ちながら懇親を深めています。応援団、チアガールの演技もあり、更に盛り上がりました。次年度開催県の千葉県のPRもあり、最後は全員肩を組み、明治大学校歌を声高らかに歌い閉会となりました。
翌10月1日は9時からエクスカーションの「専属侍ガイドが案内する金沢周遊コース」で金沢市内見物をしました。ガイドさんは侍の装いで、三味線のお師匠さんも同乗し、城下町の情緒たっぷりでした。先ずは「近江町市場」の見物。1721年に開かれた市場で、鮮魚店、青果店、飲食店など約180店が入っているそうです。ズワイガニはまだ時期が早いため見かけませんでしたが、仲内さんはマツタケ、白石さんはノドグロにご執心でした。次は「ひがし茶屋街」の散策。石畳、出格子のある町家が続き、大変風情があり、過去にタイムスリップした感じでした。近くの宇多須神社にも参拝。兼六園そばの「兼見御亭」で昼食後「兼六園」を見学。兼六園は日本3名園のひとつで、加賀前田家の歴代藩主が造営を続け完成させた庭園です。名木「唐崎松」、「霞ヶ池 徽軫(ことじ)灯籠」等を見学。石川門をくぐり金沢城公園も見学しました。
その後、帰りの新幹線の時間の関係でバスツアーを離れ、金沢駅ショッピングモール「あんと」でお土産を物色しました。「あんと」は広くきれいで、お菓子だけをみても見た目に美しく、おいしく、さすが「加賀百万石」にふさわしいと感じました。新幹線に乗車しましたが、東京駅では台風の影響で横須賀線が不通のため京浜急行に乗車し、22時頃新逗子駅に到着。台風に振り回されましたが、楽しい旅でした。
(山村博輝記) - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
(2001年の全国校友石川大会を偲んで)
なお全国校友石川大会への参加は今回2度目でした。先の平成13年(2001年)の石川大会は、当支部の記録には、平成16年発行の「逗葉支部十年史」に杉山現副支部長が『全国校友大会にこの10年で7回出席』と題して記載しているだけです。当支部の会報は平成14年10月創刊だったため記載はありません。十年史の記載は下記の通りでした。
逗葉支部が正式承認されて始めて、全国校友東京大会が平成5年10月31日に和泉校舎で開催されました。勉強のため5名参加した中に私も入れてもらい1800余名が参加した活気ある盛大な大会に驚いた記憶があります。以後平成6年の仙台大会、平成7年の岐阜大会、平成9年の山梨大会、平成10年の青森大会、平成13年の石川大会そして昨年の平成14年の大阪大会とこの10年で7回出席したことになります。(途中一部省略)。初めは3人参加程度でしたが山梨、青森と各9名参加と増え石川大会は逗葉支部創立10周年記念旅行と銘打ったこともあり18名が参加しています。(途中省略)全国大会で感じることは、全国に散らばるOBの結束と愛校心です。場所は変わっても肩を組み合い明治の校歌を恥じることなく大きな声で斉唱し熱気が止まらないこの雰囲気が好きです。全国大会の中でも石川大会は特筆すべきですが、ここでは大阪大会について述べておきます。(以下省略) 杉山建雄。
この記事でも判る通り、先の石川大会は逗葉支部創立10周年記念旅行であり18名も参加したにもかかわらず、タイミングが1年早かったため、十年史及び会報にも詳細を載せることができませんでした。金沢は逗子とも縁の深い文豪泉鏡花の生まれ故郷でもあり、今回残されていた資料より先の石川大会の内容をブログに追加掲載することにしました。
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9月14日(金)
逗子発22:30→横浜町田IC《東名・東海北陸自動車道》→ (車中泊)
9月15日(土)
14:00~金沢市文化ホール(記念式典出席)・金沢東急ホテル(懇親会出席)→
ホテルアクティ金沢
9月16日(日)
ホテル発8:30→千里浜→稲忠漆芸会館(昼食)→輪島(朝市)→総持寺→
9月17日(月)
ホテル発8:00→上越JCT→《上信越》→長野IC→ たきや(昼食)→
善光寺見学 →長野IC→《上信越・中央高速》→八王子IC→<16号経由>
→ 逗子20:30着
当時、明治大学は長吉泉理事長、栗田健総長、山田雄一学長で明治大学校友会は青木信樹会長、そして大会実行委員長は尾戸嘉博石川県支部長でした。当支部とも縁の深かった岡野加穂留元学長もご招待で来られていて、ご来賓に谷本正憲石川県知事、山出保金沢市長が出席されました。
逗葉支部(当時の支部名)からの参加者は船津支部長を団長に広瀬(猛)、桐島、関、石渡(璋)、日向、森、杉山、足立、牛久、吉田、大波、石渡(俊)、西山、田澤、飯塚、馬場、斎藤の18名でした。母校創立120周年、21世幕開けの意義深い年の大会となり「新世紀・夢みどり石川におこせ 紫紺の旗風」がスローガンでした。
加賀百万石金沢の地は逗子に住んだ泉鏡花やまた隣町の鎌倉東慶寺に眠る西田幾多郎、鈴木大拙等の生まれ故郷でもあり、行く前から加賀宝生の謡いを耳にして菓子店・森八の「鏡花もなか」を食べることも楽しみの一つにしていました。金沢勤務経験があった山村さんは案内役をつとめたいと言っておられたのですが不本意ながら社用で不参加でした。
参加者が皆まだ元気で、貸切バスで9月14日夜出発。
15日の朝、世界遺産になった白川郷を散策し(写真クラブが作った2002年のカレンダーに写真掲載されました)、金沢市に入り泉鏡花記念館を見学、又浅野川と犀川に挟まれた地にある兼六園内を見学し、ことじ灯篭前の寄観亭で昼食を済ませ、14時からの大会記念式典に参加しました。渡辺隆喜明大文学部長の「日本海の風土と人間」と題する記念講演後の懇親会では、伝統芸能の素囃子「長唄 連獅子」、踊「小唄 加賀鳶」、そして金沢三廓(ひがし・にし・主計町)芸妓連によるお座敷太鼓を鑑賞しましたが流石に金沢と感じました。
( ゴリ泳ぐ 鏡花の道の 浅野川 - - - 歩きながら俳句一句 - - - )
( 岡野加穂留元学長と尾戸嘉博石川県支部長 )
16日は能登半島西岸をバスで走り千里浜海岸を経て、稲忠司漆芸会館、輪島朝市を見学、戻って総持寺、能登金剛を見学後一路宇奈月温泉に向いました。ここを宿にしたのは船津さんの父親が寄贈した善光寺の青銅の灯篭を見学する予定に入れていたためでした。
( 千里の浜 七重八重もの 白波と 友の笑いと 敬老の旅 )
(宇奈月温泉 グリーンホテル喜泉の女将 まだ元気かな!)
17日帰路最終日は善光寺で青銅の灯篭(前田青邨、吉田五十八、山田豊市という錚々たる人物協作)を見て中央高速で帰ってきました。
石川大会の参加土産袋には獅子頭の土産が入っていました。
また袋自体には榊原岳水作の「駿台の豪俊 金城に集い 紫紺の旗は翻りて意気栄(さかん)なり 今日の世粉 誰か克(よ)く歎かんや 暁鐘 撞打して昇平を啓かん」の漢詩が印刷されていました。