2020/01/10背景変更 裕次郎灯台

明治大学マンドリン倶楽部創部100周年記念祝賀会で共に祝う

 今年9月に明治大学マンドリン倶楽部より当支部長宛で創部100周年記念第191回定期演奏会日本青年館ホール)と11月6日の祝賀会(幕張)のご案内をいただきました。当支部は今年創部30周年を迎え、この30年間で13回マンドリン倶楽部のチャリティーコンサートを開催してきました。今日支部が存続しているのは卒業生の親睦目的だけでなくコンサートを通じ地元への奉仕の目的も持つと共に、寄付の一方、収益から後日の活動資金を残してきたからに他ならないと思います。毎回コンサートの終わったあとに次は何時かと問われることが多く、地元の文化事業としても貢献してきていると思っています。開催にあたっては多くの会員の協力は元よりですが、マンドリン倶楽部あってのため創部100周年は「おめでとうございます」と伝えて共に祝いたいと思います。9月役員会及び10月役員会でも話に出し、支部長の私が代表して祝賀会に参加することにしました。

    
 

 

 

 以降は「祝賀会の報告」と「祝賀会で地元とマンクラの縁で思い出したこと」です。

 会場内の写真がありませんので提供いただけたら提供者名も添え掲載いたします。

       *写真添付メール先   yasuhide-adachi-tkb@nifty.com

 

 会場の幕張新都心ホテルグリーンタワー幕張」は3年前に全国校友千葉大会で訪れた幕張メッセ国際会議場の手前にありました。やはり参加するにあたり、OBで当支部役員だったS48年商卒の稲村茂さんや逗子葉山地区のコンサートに出演した逗子開成高校出身のH3年政経卒の位田岳彦君に会えればとOB受付の参加者リストで確認してもらいましたがリストになく残念な思いをしました。

 位田君は支部が出来て以降地元高校から明大に入りマンクラ部員として2年の時に母校逗子開成学園での第5回コンサートで第1マンドリンを担当、4年の時は葉山町福祉文化会館での第6回コンサートで指揮者を務めていました。会えれば持参した2000年記念と銘打ったこの第6回のプログラムを見ながら歓談しようと思っていました。

     

   

              葉山森戸神社先の海にある裕次郎灯台(傍に小さい三枝灯台もある)

 

 またこのプログラムに「マンドリンの調べと百里香(バイリシャン)」の記事があり、この中に平成4年マンクラの第一回中国演奏旅行に同行した常任指揮者の甲斐靖文さんが作曲した「百里香」という曲について触れていて、またこの曲を二期会歌手萩原加緒里さんが前年の全国校友東京大会で歌っていたことも記していました。萩原加緒里さんの1999年サイン入りCDも手元に残っていて懐かしく思い出し、100周年記念祝賀会で甲斐さんに会って話す機会が取れればこの話をしようと思っていました。

  

 平成4年は当支部創立の年でもあり、支部創立30周年に相応しいブログ投稿になるかなと勝手に思ったりしました。なんと当日受付で受け取った当日の式次第にアトラクションで4組(3人と1組)の歌手の1人に萩原かおりさんが載っていて驚きました。この件の結果はアトラクションの前に甲斐さんに会い該当ページにサインをもらい、その後別のテーブルだった萩原かおりさんにも会って話をしてサインをもらっています。萩原さんは昭和音楽大学の教授になられて今年7年目たそうです。23年前の萩原加緒里さんは名前を平仮名に変えられていました。

 順不同になりますが、式の始まる前に映像でマンクラ100年の歩みの紹介がありました。昭和18年5月戦争でマンクラが解散していたことを知りました。

 

 会場では壁際の椅子の左一つ置いて横須賀地域支部の小池克彦支部長がおられ最初マスク着用で判らなかったのですが乾杯の際に気付いて話をしました。横須賀地域支部は毎年のように横須賀芸術劇場でマンクラコンサートを開催しゲストも早々に決めています。この11月に横浜地域支部の後にコンサートを予定していて招待券をいただいていました。100周年記念祝賀会は当然の参加だったと思います。   

 

 当支部草創期の頃、逗子葉山での開催にとって、横須賀や厚木や茅ケ崎での開催はともに良いお手本でしたが如何せん大きな会場の無い逗子葉山では独自の開催(昼夜2回公演、費用捻出のためチャリティーとしてプログラムに広告掲載)をしてきました。学生さんたちのバス代と楽器運送代は負担ですが、地方と違って宿泊費負担がないので小規模の支部のわりに多く開催できてきたと思っています。今は大学の方針で学生に配慮して無くなりましたが昼夜2回公演(逗子開成を除き平成22年開催まで)の際は学生さんたちに本当に感謝の言葉しかありません。

 壁際の椅子の右隣にさいたま市から来られた平谷 一(たいらはじめ)さんがおられ、明治大学グリークラブOB会の方でマンクラ連携担当でもあり甲斐さんとは比較的良く会うと話されていましたが、私が逗子葉山地域支部と伝えると白石四郎ゼミだったという話になりました。八戸生れの幸子奥様は今も葉山に住み元気と伝えましたが、平谷さんからゼミで渡邊竹夫会員の1年後輩で娘で二期会の渡邊仁美さんのオペラ公演の案内ももらっていると言っていました。逗子に明大グリークラブを呼んだこともあると話しています。これは立大、早大、明大の東京3大学グリークラブによる東日本大震災義援チャリティーコンサートでした。コロナ禍で対面での会話がなくなると、こういう出合いも失われていることを痛感しました。

     上の3枚の写真は平谷一さんより提供です。有難うございました。お仲間にも
  このブログを紹介していただければ幸いです。   明治はひとつ!! 

 

 祝賀式の挨拶等は映像化した式次第に譲りますが、アトラクションでは甲斐さんの指揮・20名程のマンクラ演奏で最初に萩原かおりさんが「百里香」を二期会歌手らしく伸びや透明感のある高い声で歌いました。私には今年が日中国交正常化50周年であることがを思い浮かびました。周恩来が学んだ明治大学は他大学より中国との友好を強く訴えている大学と思っています。校友会名誉会長でもある村山富市元総理が日中友好のため今なお機会あるごとに関係正常化を訴えている報道にも接します。

 二番目は芹洋子さんが「四季の歌」で友達、父親、恋人、母親を力強く歌っていました。三番目がトアエ・モアさんのお二人で50年程前の札幌オリンピックの際の「虹と雪のバラード」を歌い、締めでアントニオ古賀さんが歌いました。題名は判りませんので後日判明したらこのブログに掲載したいと思いますがアントニオ古賀さんの歌と甲斐さんとの茶目っ気たっぷりのやり取りが印象的でした。

 なおマンクラと縁の深い故人となられたペギー葉山さんのことも思い出しました。

創部80周年記念祝賀会の際に当支部現相談役の日向 強さんが参加して一緒に撮った写真が残されていて、翌年2003年と2007年に逗子のコンサートにゲストで出演いただきました。

      (  逗子開成学園でのマンドリンコンサートにゲストで歌っていただきました)
    コンサートのゲスト折衝係りの砂山 昇さんと・2003年9月28日

 

  (ぺ―ギ―葉山さんは既に故人となられたので偲ぶ意味からお礼状を掲載します) 

 

 コロナ禍で暫く声出しが自粛がちでしたが今回は4人の応援団OBの協力で校歌をマスクしたまま声高らかに4番まで斉唱しエールで締めています。

 式次第が全て終了して会場を出る際には、入った時に迎えていただいた甲斐さん初めOBの方々がまた並んで見送りいただきました。甲斐さんにはサインのお礼を伝え、現役部員さんたちも並んでいたので前回3年前に逗子のコンサートに来た4年の第100代主将田邊雄大君にも挨拶してホテルを後にしました。腰痛もあり折り畳みの杖を持参しましたが参加して良かったと思いました。

 

 逗子には古賀政男さんの後輩でマンクラを指導されていた作曲家の故竹岡信幸さんの“みさを”奥様が住んでおられ一度訪問して壁に貼ってあった「赤城の子守歌」のポスターや「支那の夜」のレコードの原盤を見せていただきました。以前古賀政男音楽博物館を見学した際に竹岡信幸さんの顕彰盾も見ました。

     

 部屋にあった写真から奥様は旧姓“横田みさを”さんでマンクラ創部10周年にあたる1932年のロサンゼルスオリンピックの水泳選手(背泳ぎ日本記録)で宝塚を経て映画女優に転身の経歴の持ち主でした。

 

 またマンクラでコンサートマスターをつとめたS35年文卒の長沢和彦さんがおられた。若くして亡くなられましたが訃報を知ったのは私が長期出張していた台湾で休日に台湾北部にある金山のテレサテンの墓参りをして桃園の宿泊先に戻った晩の日本からの電話でした。同地でテレサテンの「時の流れに身をまかせ」を出向中のS君とカラオケで歌ったことも思い出し、今でもテレサテンの曲を聞くと長沢さんを連想します。

 

 

 今年6月29日(日)明治大学アカデミーホールで、東京都父母会連絡協議会による明大マンクラの「マンドリン鑑賞会」が開催されましたがアンコールのラストを飾ったのはテレサテンの「時の流れに身をまかせ」だったそうです。トランペットの演奏が、バラード調の演奏に厚みを増し“愛する人に温かく包まれ安堵する女心”を奏でているようでしたとのことです。東京都北部地区の皆さん、アンコールの選曲に感謝です。 

 無事「マンドリン鑑賞会」を終え安堵する役員一同(東京都北部地区ブログより)

 

 長沢夫妻は横須賀米ヶ浜に「ウタック弦」という店をもっておられ2度程行って歌ったことを思い出します。奥様は準会員として長く当支部活動に参加されご主人のマンクラの友人だった佐伯亮さんの話などされることもありました。今年6月4日(土)日本青年館ホールで開催された創部100周年記念演奏会(第190回定期演奏会)は案内が届き娘さんに付き添われて行きゲストの菅原洋一さんの歌も聞いてきましたと連絡がありました。

 故人になられたOBの奥様にも案内がいくとは! トアエ・モアの歌の文句を思い出して明治大学マンドリン倶楽部が100周年の後に“生まれ変わる”ために部員やOBが一丸とって努力して新しい倶楽部にしようとする思いを感じます。

 

 なお先に触れた創部80周年記念祝賀式(9月17日)の15日前の2002年9月2日は、当支部の創立10周年記念総会を葉山国際村国際会議場で開催した日でした。

 この、会議場の前の広いホワイエで懇親会を行いましたがマンクラOBの赤岩大輔君率いるメンバーにマンドリン演奏をしていただきました。以後幾度となく懇親会の時にお世話になり、100周年にあたり改めて厚くお礼申し上げるとともに写真を添えさせていただきます。

 

 逗子葉山のコンサートで今でも頭に残る演奏があります。あれは当支部創立10周年記念として平成14年4月27日葉山で開催したコンサートでした。- - - 18名の学生のうち女子が5名でしたが、その中の山中玲子さん(農学部4年)のギターソロが奏でる「影を慕いて」は古賀政男の身上とした優しさが伝わって来て心打つものがありました- - -と当時の記録に残されています。

                  

    また要望して地元開成学園ゆかりの「真白き富士の嶺」や当校友会役員2名の作詞作曲による「KAZEに吹かれて」を譜面を事前に渡し全員で演奏していただいたことも頭に印象深く残っています。(ホームページ会報バックナンバー第10号参照)

 

       素晴らしい「明治大学マンドリン倶楽部創部100周年記念祝賀会」

                              有難うございました。

          明治大学マンドリン倶楽部に乾杯!! 

                    古賀政男の「何でも弾いてやろう」の精神に乾杯!!

               

          2022年11月   支部長 足立泰秀(記)