2020/01/10背景変更 裕次郎灯台

明治大学校友会逗子葉山地域支部創立30周年記念ブログ(4) ー全国の校友会他支部との縁ー(完)

 当校友会逗子葉山地域支部支部創立より神奈川県以外の全国の校友会他支部のと接点があり、それぞれの時期に於てご支援、ご協力をいただいてきました。創立30周年記念ブログの最終にあたり全国の校友会他支部との縁に触れてお礼と感謝を申し上げます。

 

1.明治大学校友会逗葉支部創立10周年総会・記念式典への祝電

 当支部が創立されて大貫宏初代支部長は杉山建雄さんの運転する広瀬猛さん宅の車で北は青森県まで全国大会に参加し、他支部との交流を図られたと聞いています。このことは当支部十年史に記載がある創立十周年記念式典に際し他支部から送られた祝電でも判ります。以下記載の内容です。

 

 貴支部、創立10周年記念総会を迎え、心よりお祝い申し上げます。貴支部のますますのご隆盛と校友皆様のご健勝をお祈りいたします。

              明治大学校友会 茅ヶ崎支部 支部長 津島金治

 

 本日の明治大学校友会逗葉支部創立10周年記念式典を祝し、心よりお喜び申し上げます。私も明治が好きで歩いてきましたが、一歩一歩重ねる事、継続する事を、心掛け、今後の校友会活動を進めたいと思います。貴支部のますますのご隆盛を、北の大地より祈念いたします。

              明治大学校友会 札幌支部 支部長 水野弘作

 

 貴支部の創立10周年のご祝典、誠におめでとうございます。皆様のご努力により、ゆるぎない支部活動を続けておられる事、喜ばしい限りと存じます。今後のますますのご躍進をお祈り致します。機会がありましたら、皆様お揃いで長崎に来てください。お待ちしています。

              明治大学校友会長崎支部 支部長 石橋冨雄

 

 明治大学校友会逗葉支部創立10周年、誠におめでとうございます。船津支部長はじめ支部の皆様のご健勝と、貴支部のますますのご隆盛をお祈り致します。皆様で蔵王の空気を吸いにお出掛け下さい。

              明治大学校友会仙台支部 支部長 吉見宣夫

 

 明治大学校友会逗葉支部創立10周年記念式典ご開催の由、心よりお喜び申し上げます。今後も益々のすばらしい支部運営が、行なわれる事をお祈りいたします。来年の明治大学校友長野大会に、貴支部の皆様でご列席賜りますようお願い致します。

              明治大学校友会松本支部 支部長 佐藤忠雄

 

以下、電文を省略し、支部名と支部長のお名前のみをご紹介いたします。

 

              明治大学校友会 大阪支部 支部長 小野寺弘三

              明治大学校友会 石川支部 支部長 尾戸 嘉博

              明治大学校友会 青森支部 支部長 柏原 和夫

              明治大学校友会 帯広支部 支部長 窪田重男

 

2.会報「駿台逗子・葉山」を全国支部に10年間送付

 船津孝二郎二代支部長は、常々逗子という地名は全国区ではないと言うのが口癖でした。御用邸のある葉山はともかく逗子を全国にPRするのが大事とのことで、当支部会報「駿台逗子・葉山」が自前のA3プリンターから印刷屋に切り替えた第十号のあと、平成18年7月1日発行の第11号から全国校友会に会報を送ることになりました。

 大久保印刷に1700部注文したまでは良かったのですが、書道クラブに宛名を筆で書くようにとの話になりました。大学に依頼して届いた2006年(平成18年)3月20日付の明治大学校友会所在地名簿(支部長名記載)が残されていますが都道府県校友会が北海道支部から沖縄県支部大韓民国支部、台湾支部迄56ヶ所、それにそれぞれの地域支部が188ヶ所で合わせて244ヶ所でした。また校友会本部役員名簿もありこれを牛久順之、日向 強、足立泰秀の3人のクラブ員が1人80ヶ所程筆で宛名書きをして会報を全国支部に送りました。2回目からは1月1日号のみ年1回送付しています。数年程筆書きは継続しましたが、会報代、郵送代もかかり全国へのPRの目的はある程度果たせとの船津さんの指示もあって平成28年1月1日発行の第30号で終了にしました。校友会の改革もあり神奈川県の支部が東部支部と西部支部に別れた後も一時西部支部の地域支部にも会報だけは送付していましたが、現在、西部支部は藤沢地域支部のみ会報送付を継続しています。なお大学と校友会本部には理事長、学長、大学支援部長、校友連携事務室長、校友連携事務担当、そして校友会会長を含め一緒に校友連携事務担当宛に郵送しています。以前は、長堀守弘(校友会顧問・理事長)、納谷廣美(校友会顧問・学長)、村山富市(名誉会長)、向殿政男(会長)、前川一郎(広報担当)、大石 喬(相談役)、塩澤 護(相談役)、長吉 泉(相談役・前理事長)、日高憲三(校友会担当)の校友会本部役員にも全国支部に送るため知っておいていただきたいとの理由でお送りしていましたが全国支部への送付を終了と共に止めています。

 森英二元幹事長の葉山町長就任に際しお祝いの色紙を送っていただいた村山富市校友会名誉会長にはその後もお送りしていましたが、高齢に配慮し今は送付を止めています。村山富市名誉会長には全国大会で幾度もお会いして一緒の記念写真も多く残されています。全国校友会に送付を止めて以降も、残った会報を全国大会に持参して懇親会で話をした方に渡すこともありました。現在でも全国大会の懇親会で10年程前に逗葉から会報が送られてきたことをご存知の方がたまにおられます。会報第11号発行は船津支部長代でその後石渡支部長になり砂山支部長代まで会報は全国支部に送付していましたので、お礼状等は当校友会の支部長宛となっていました。当支部からの会報送付の縁で他支部の会報が多く届き好評であったことがお礼状で判ります。韓国支部や台湾支部の方とは全国大会でお会いし、会報送付の縁で親しく歓談できたこともやはり送付して良かったと当時思いました。縁は何かの切っ掛けで大きくもなり、まして明治の仲間なので今日初めて会っても長年の付き合いのように打ち解けて歓談できます。

 最初の会報第11号送付案内と今残っている会報送付お礼状及び他支部の会報から支部の名を記載し感謝申し上げます。

 

(他支部から会報送付のお礼状)*手元に残っているもの

 

今治地域支部  平成18年9月  日 支部長 近藤賢治様

 当支部の会報をみて電話で会報送付のお礼と合わせ徳富蘆花愛媛県今治市の郷土の文豪であることを教えていただきました。又当支部の垂幕「明治大学逗葉駿台会」について問い合わせもあり回答が残っていましたので記しておきます。

(当支部からの回答)

 当支部の会報を注意深く見ていただいたことにまずお礼申し上げます。問合せのありました垂旗について先般電話でご回答致しましたが、少し不親切だったかなと思い直し旗のサイズにつきお知らせしておきます。長方形の逗葉地域支部旗は大学校友会から拝領していますが、式典や慶弔時に使用する目的で「明治大学逗葉駿台会」の名で下記の仕様の垂旗(たればた)を作成しています。旗の先はステンレス色(白)の三角錐の矢じりで弔事の時は黒い覆いをして使用しています。以下サイズをお知らせ致しますので検討中であればご参考にして下さい。(垂旗写真とサイズを送付も省略)

 逗子葉山の地は明治の文豪徳富蘆花の「不如帰」の舞台になった場所で今も兄蘇峰の子孫が住んでいる町です。蘆花は郷土の文豪として知られ市内に蘆花公園もあります。今治市は蘆花が母の勧めでキリスト教の洗礼を受け母方の従兄が牧師でいる今治教会に来て住んでいた町であることも承知しました。平成12年の全国校友愛媛大会の時は参加できませんでしたが蘆花の縁もあり栃木大会にご参加の方がおられればお会いし懇親を図りたいと思っております。逗葉からは私を含め船津支部長以下12名参加の予定です。平成18年9月18日逗葉地域支部 幹事 足立泰秀

 

東京都東部支部  平成21年1月 7日 (前)支部長 河原啓介様

 船津孝二郎殿 拝啓、昨年も大変すばらしい会報をお送り賜り感謝申し上げます。新年早々、日本一の会報をお送りいただきありがとうございました。本當にすばらしことだと思います。記事の内容編集がまね出来ません。3Pに山科誠さんの記事を見ました。山科さんは、浅草ロータリークラブ、又東京商工会議所でも役員会でいろいろと活動した仲間でした。山科さんにお会いしました時は、浅草の河原啓介がよろしくとお伝え下さいませ。(大変お世話になりましたので)

 実は 東部支部長を4年間つとめさせていただきまして、20年2月から明治大学評議員の末席をつとめさせていただき、大学の経営の面で勉強させていただいております。後任の東京都東部支部長さんには(平成19年5月から)昭和31年商学部卒加茂登千さんが就任されていらっしゃいます。住所は〒130-0003墨田区横川×―×―×でございます。

 そこでお願いがございます。このすばらしい会報を長堀守弘理事長に是非見ていただきたく私にお送りいただいた分からお渡しいたしたいと思います。それはこんなすばらしい会報は他にはないと思うからです。そこで恐れ入りますが、上記の加茂支部長にお手数を掛けますがお送り頂きたいのです。よろしくお願い致します。台東区は上野、浅草が中心になりますが、何かお役に立てることがございますればと思っておりますのでお申し出下さい。今后ともよろしくお願い申し上げます。感謝

 

浜松地域支部   平成22年3月 1日 支部長 片渕 守様

 幹事長山村博輝様 浜松地域支部の片渕と申します。この度はご無理なお願いで「慶弔規定」をお送り頂きありがとうございました。かねがね貴支部の会報を拝見しておりましたが、全国でも有数の会報で感心しておりました。この「慶弔規定」も見させて頂き、大変ありがたく拝見しました。これからの当支部の作成にあたり、大いに参考にしたいと思っております。尚、当支部でも近々のうちにホームページを開設します。貴支部との交流を持てればと思っております。貴支部のますますのご発展を祈りながら、先ずはお礼のご挨拶とさせていただきます。

 

習志野地域支部   平成24年1月 9日 支部長 岩城文彬様

 貴会報「駿台逗子・葉山第24号」拝読いたしました。新年おめでとうございます。貴会報をご恵送戴き有難く読ませていただきました。表紙は霊峰富士をバックとして潮騒と共に校歌が沸き上る活力溢れる場面を彷彿とさせます。貴支部における活発な活動と校友会会員のコミュニケーションの優れていることは多いに参考にして習志野地域支部の活性化を計っていきたいと存じます。自衛隊木更津駐屯地での記述もあり、千葉県の各支部はもっと青少年をまじえた活動を拡げていく必要を感じています。当支部においては校友会会員有志でNPO法人を立ち上げ、老々介護ともいえる健康体操の普及と地域の活性化を図っています。又、子供達を対象として、市内の自然、歴史の語り部、ハイキングを毎年実施しています。それと伝統の明治大学マンドリン倶楽部演奏会を定期開催して市内の学校合唱団の参加によって地元との賛同、一体化、結果としてチケットの早期完売がなされている訳です。校友会の活動に参加して感じることはまだまだ活性化する余地が有り過ぎることです。NPO法人習志野文化協会を立ち上げたことで校友会会員がパソコンとメールを使いこなしていく必要性にせまられ、結果として60、70、の手習いで伝達が早期、確実に行われるようになりました。社会で活躍してきて一服している者、名誉職にある者、現役でバリバリ活躍している校友、校友各々の力を結集させる仕事を創り出した訳です。これは習志野地域支部の近況であると同時に実は自慢なのです。この手法で千葉各支部間でも活動をリンクさせ活性化が図れればと思考しているしだいです。

年頭にあたり、貴支部の益々のご繁栄を希望いたします。啓白

 

町田地域支部    平成25年1月 6日     飯田光宏様

東三河地域支部   平成25年1月 7日 支部長 吉川一弘様 

藤沢地域支部    平成25年1月 7日 支部長 金子勇二様

 砂山昇様 新しい年の初めを迎へ益々ご清祥のこととお慶び申し上げます。箱根駅伝には藤沢までお越し戴き有難うございました。只今、御支部の創立20周年記念誌のご恵贈を戴きました。内容は充実して質量共に優れ、その立派なことに感服すると同時に、取纏め編集に当られた委員長様のご苦労が偲ばれました。私共も平成21年に10周年を迎えましたが、記念誌を発行することが出来ず(財政上の理由による)年2回発行している会報を創立10周年記念特集号とした次第です。今後共ご指導を宜しくお願い申し上げます。

 

鳥取県支部     平成25年1月 7日 支部長 三保文嗣様

北海道支部     平成25年1月 9日 支部長 水野弘作様

 謹賀新年 貴支部会報第24号を拝受いたしました。毎度お心遣いに有難うございます。創立20周年を迎えられ益々のご発展をお祈り申し上げます。貴支部杉山建様には永年に亘りご好誼を頂いております。

 

埼玉県東部支部   平成25年1月 9日 支部長 出野康夫様

 謹啓 逗子・葉山の校友の皆様には、益々お元気で新春をお迎えのこととお慶び申し上げます。本年もよろしくお願いいたします。又、常日頃は毎回支部報をお送りいただき、厚く御礼申し上げます。中味の濃い、立派な支部報でございます。非常に読みやすく貴支部の活発な活動が手に取る様にわかります。そして地域活動の貢献度も頭が下がる思いです。毎回このような素晴らしい会報を作成されることは砂山昇様をはじめとして編集委員の皆様には大変な能力とご努力をされていることと思われます。感謝、感謝の気持ちでいっぱいです。勝手ながら我々の支部でも、お手本として活用させていただいております、ありがとうございます。今後とも、ご指導、ご交際のほどお願い申し上げます。貴支部の益々のご活躍、ご発展を心からご祈念申し上げ御礼とさせていただきます。

 

東京都東部支部   平成25年1月 9日 支部長 加藤登千様

 前略 若さ漲る力で躍進を続ける貴支部報(第24号)落掌致しました。船津氏とは同年卒で曽て幹事会時代の総会にて久木の加藤一美(故人)氏に紹介して貰った事を想起致しました。 益々の盛会を祈念致し御礼迄 早々(筆書き)

 

名古屋地域支部   平成25年1月11日 支部長 西脇 司様

 拝復 貴支部ますますご盛栄のこととお喜び申し上げます。平素は格別のご高配を賜り、厚くお礼申し上げます。さて、この度は会報をご送付いただきまして誠にありがとうございます。早速拝見致しましたが、市民まつりへの出店などを通じた地域活動や、色々なクラブ活動、陸上自衛隊ヘリコプター搭乗会などの記念行事については、とても興味深く色々と参考になりました。また、昨年は貴支部創立20周年にあたり、誠におめでとうございます。心よりお喜び申し上げます。当支部といたしましても、今後も様々な校友活動を通じて、学生及び校友の活躍を後押しするべく、また地域貢献すべく、全力を尽くして参る所存です。当支部の活動のご報告まで、直近の会報を同封致しましたので、ご高覧ください。今後とも変わらぬご好誼のほど、よろしくお願い申し上げます。まずは略儀ながら書中をもってお礼申し上げます。敬具

 

大宮地域支部    平成25年1月15日 支部長 高橋成典様

大韓民國支部    平成25年1月17日 支部長 朴 元錫様

 謹啓 新年おめでとうございます。今年もご健康でご發展、ご多幸で有りますようお祈り申し上げます。過年中は大変お世話になりありがとうございました。本年も宜しくお願い申し上げます。この度は貴支部會報第24号をご送付いただき有難く拜受致しました。また、全國校友靜岡大會でのお寫眞有難うございます。厚く御禮申し上げます。今回の會報には貴支部創立20周年記念のお祝いのご様子や全國校友靜岡大會参加記など實感のこもった文とおなじみの海外旅行紀行に同好クラブの樂しい活動状況など興味深く勉強させていただきました。自衛隊ヘリ搭乗の企画はすばらしいと思いました。今後とも宜しくお指導お願い申し上げます。末筆ながら、極寒の折、支部長のますますのご健勝ご發展と貴支部のご隆盛をご祈念申し上げます。敬具

 

長岡地域支部    平成25年1月23日 支部長 恩田孝重様

 前略 この度、貴地域支部会報をご恵贈いただき誠にありがとうございました。いつものご高配に恐縮致しております。充実した内容に感心させられるとともに役員やご担当の方々の熱意とご努力に敬意を表します。同行クラブが七つもあり羨ましい限りです。新潟では現在七地域支部が存在し会報は県支部が年2回発行しておりましたが労力と資金節約を目的に1月19日にホームページを立ち上げ、徐々に充実を図って行くことになりました。このため会報の発行は廃止となりました。明年の全国校友大会は新潟県が担当いたします。明大戦没学徒忠霊の慰霊祭も予定しておりますので、ご参加下さるようお願い申し上げます。早々

 

東京都南支部    平成25年1月    支部長 米山耕右様

高知県支部     平成25年1月    本部相談役 大石 喬様

墨田地域支部    平成26年1月 9日 支部長 加藤登千様

渋谷地域支部    平成26年1月 9日 支部長 鈴木正彦様→櫻井義修様

広島県竹原地域支部 平成26年1月10日 支部長 佐藤伸次郎様

習志野地域支部   平成26年1月19日 支部長 岩城文彬様

大韓民國支部    平成26年2月 4日 支部長 朴 元錫様

 

習志野地域支部   平成28年1月23日 支部長 岩城文彬様

 貴支部会報を拝受しました。今後は貴支部ブログで拝見させて頂きます。時宜に即した良い策と存じます。千葉東部支部会報は今年より年1回の発行となりましたので5月に刷り上がりましたら早速送付申し上げます。当支部では全国校友千葉大会に向け目下、準備中でございます。会場は幕張メッセの施設を活用する予定で予約もいれ、多くの校友を迎えるべく千葉、東部、西部はもとより直近の開催県には参加して実際のノウハウを学んでおります。首都圏だと言っても先ずは傘下のホスト校友の意識を高めていくことから始めております。校友数の少ない滋賀大会を組織した京都、滋賀は良く纏まっていたと思います。オリンピックの前の年が千葉大会で御座いますので、何れご案内申し上げます。

 

山口地域支部   平成28年1月25日 支部長 久光彰様 幹事長 大隅正和様

 拝啓 新春の候、明治大学校友会逗子葉山地域支部会員の皆様におかれましては、ますます御健勝のこととお慶び申し上げます。さて、昨年2月に大島喜平が支部長を退任し、新たに久光彰が着任いたしました。ご報告が遅くなり、申し訳ございませんでした。事務局の所在地については、変更はございません。これまで10年間に亘り会報をお送り頂き、誠に有難うございました。今後の貴支部の発展と、皆様のご健康、ご活躍をお祈り申し上げます。敬具

 

 

(会報をお送りいただいた全国の校友会支部)*手元に残っているもの

 

大阪府大阪校友会「駿台だより」平成7年7月第23号 会長 野見山亨様

  以降 第33号 会長 手嶋 健、 第34号、第35号、第38号

茅ケ崎支部「紫紺ちがさき」 平成14年1月 1日創刊号 支部長 津島金治様

藤沢支部「明大ふじさわ会報」平成14年1月26日創刊号 支部金子勇二様

  以降 今日迄8月号と1月号届く

鎌倉地域支部「紫紺のきずな」平成18年11月23日 復活第19号         

  支部長 塚本正男様  以降 復活第24号、復活第28号  

新潟県支部駿台会だより」平成21年1月10日第8号 支部長 栗山 清様

  以降 平成23年7月31日第13号 支部長 田代和孝様

茨木県水戸地域支部「水戸地域支部だより」平成21年2月1日第3号 

  支部長 海老沢康郎様  以降 第8号、第11号

千葉県西部支部「千葉県西部支部だより」平成21年夏 第5号 支部

東京都西東京市地域支部「明大校友会西東京だより」平成22年9月第6号 

  支部長 有賀 茂様   以降 第8号            

愛知県名古屋地域支部「MUNews」平成24年5月 第23号 支部

埼玉県東部支部「埼玉県東部支部報」平成24年12月20日第16号 支部

東京都多摩地域支部多摩地域支部紫紺」平成28年2月1日第6号 

  支部長 岩渕義郎様    以降 第7号、第8号         

大和地域支部「暁の鐘 やまと」平成29年4月1日号 支部長 石川建雄様

 

 

 

3.全国校友会他支部との逸話 

大阪府大阪校友会)

 平成7年1月17日午前5時46分におきた兵庫県南部地震で災害に会われた校友会兵庫県支部兵庫県菊水町)はじめ地域の方々への義援金5万円を大阪校友会に送りましたが、この年7月発行の機関誌「駿台だより23号」が送られてきて《校友会の友情》として“東京本部校友会と幹事会そして近隣支部、更に逗子葉山支部校友会と支援の見舞金が届けられた。その対応のご好意は有り難く、深い感謝を捧げたいと思います。と掲載されていました。この縁で暫く交流と会報が届きました。野見山亨会長の後を受けた手嶋健会長はなんと逗子市小坪の住吉城跡近くにかなりの敷地の家があり日向強さんとは連絡を取っていたと聞いています。

熊本県支部

 平成16年10月に全国校友福岡大会が開催されました。地元校友会での九州旅行は初めてで徳富蘆花で縁の深い熊本を訪問しようとの話になりました。福岡大会の懇親会で野上禮之助熊本県支部長と懇談、蘆花の愛子夫人の郷里菊池市を訪ねたあと熊本市に入り熊本県支部の方々と旅亭青柳で親睦を図りました。この際に逗子に住んだ明大の大先輩藤原楚水氏の著書「随筆藻塩草」や逗葉の絵葉書、案内チラシに合わせ逗葉支部十年史を贈呈しました。残念ながらその後支部長は急逝されましたが熊本県支部との交流は逗子に残る菊池姓ゆかりの菊池神社を参拝したこともあり記憶に強く残っています。平成28年4月熊本地震が発生し、熊本城が損傷、3年後の令和元年7月の支部長会懇親会で高宮宏熊本県支部長と話をする機会がありましたが、昔熊本を訪問したことを話し地震の復興状況をお聞きしました。

 

           藤原楚水(喜市):明治34年法卒



愛媛県今治地域支部

 平成18年7月会報送付に際し郷土の文豪として徳富蘆花の名前を記して送った縁で愛媛県今治地域支部の方から連絡をいただきました。なんと徳富蘆花今治市の郷土の文豪だったのです。蘆花はクリスチャンだったことと牧師の従兄が住んでいた今治の教会で一時期暮らしていたことを教えてもらいました。蘆花はキリスト教伝道のかたわら今治英学校の教師として一時期滞在、長編小説『黒い眼と茶色の目』に今治での生活のことを述べていて、また、『思出の記』では、今治でのことを宇和島でのこととして描いていました。

 

江戸川区地域支部

 平成19年1月20日イタリアレストラン・カンティーナ2階での新年会で「ワインのランク当て」試飲とクイズを行いました。会報を全国の校友会に送った縁で江戸川区地域支部の白子英城支部長と輸入ワインで太い絆ができ、ワインは白子支部長から届けてもらいました。普段当支部は日本酒か焼酎でワインを口にする機会が少ないなか逗子葉山立教会のワイン勉強会に参加している北野牧子幹事が中心となって参加者に配っています。

尚、会報委員でもあった北野さんはグルメクラブを担当し逗子と葉山の美味しい食事処を全国支部に会報を通じ紹介していました。

 

台東区地域支部

 平成22年5月8日(土)のバス旅行で神輿と太鼓の工場見学をしています。台東区地域支部の宮本卯之助支部長との会報送付の縁で浅草の言問橋すぐ近くにある宮本卯之助商店を31名の会員が訪問し、宮本会長や幹部の方々の出迎えを受け製造・修理の現を見せてもらい西浅草にあるショールームでは世界各地の太鼓を一堂に集めた世界太鼓博物館で説明も戴きました。先の東京五輪の火炎太鼓は宮本卯之助商店で作られたこともお聞きしました。宮本会長が付きっ切りで説明いただいたのには感謝、感謝でした。

 

新潟県支部

 平成26年10月に全国校友新潟大会が開催されました。逗子海岸中央からやや渚橋よりの場所に昔から黒門で知られる新潟の北方文化博物館分室があり、室長は慶応卒の伊藤淑郎さんで明大マンドリンコンサートにも来ていただいた方で知らない仲では無かったので新潟旅行の際は北方文化博物館を見学したいという強い思いがありました。

 実現となり伊藤さんの娘婿の方が北方文化博物館の館長になっておられ淑郎さんから連絡をしていただいたこともあり良くしていただきました。地元明治の校友と慶応の塾員との友諠の証でもありました。新潟大会懇親会では役員で弥彦神社前で土産店を開いている西澤哲司さんとほんの少し会話しただけだったのに翌日の弥彦神社訪問の話をしたところ当日は店に荷物も預け神社境内の案内から弥彦山登頂及び帰りの駅までの手配等していただいたのには明大の仲間の有難さを痛感しました。当時当支部ではまだブログを開設ていませんでしたが、新潟大会は記録に残したい思いが有って平成30年9月に追憶としてブログ掲載ました。

 北方文化博物館内

 弥彦神社

 

滋賀県支部

 平成27年9月に全国校友滋賀大会が開催されました。前年新潟大会の際に岩田守弘滋賀県支部長とは会話して是非滋賀大会に来て下さいと言われていました。逗葉の明大仲間との大会や琵琶湖周辺の旅行の想い出もありますが、滋賀大会はこれまで他の全国大会ではなかった大会の報告書が砂山支部長宛に届いています。参加者集計や多くの写真が掲載されていました。実は後日談で逗子市役所1階に掲示してある谷文晁の久野谷村と鐙摺浜の2枚の絵の件で葉山郷土史研究会の方から問い合わせをいただきました。昭和59年の市庁舎竣工の際に寄贈された絵ですが市に詳細が残されていないとのことです。市役所に務め昔を知る石渡元支部長の話では滋賀県に発注したようなことを教えてもらいました。滋賀大会の際にお世話になった縁で滋賀県支部幹事長の村田茂紀氏(H4年政経卒)が近江八幡金剛寺町で会社を経営されていることが資料にあったのでメールで調査をお願いしました。結果的には判明しませんでしたが快く引き受けていただき、調査結果についても報告がありました。陶芸の町信楽も頭にあり何時か市役所の谷文晁の絵がやはり滋賀県で作られたことが判明するのを祈念しています。 

 岩田守弘滋賀県支部長(右)

 

(札幌地域支部

 平成28年1月12日、当校友会幹事に加わった佐藤嘉信さんから札幌に行って経営者を対象に講演をしますとのメールが届いた。佐藤さんのこれまでの経歴については良く聞いていなかったが縁あって松下幸之助さんのそばで働いたことがあり、「松下幸之助に学ぶ・繁栄の発想」と題して講演するということだった。明大校友会札幌地域支部に副支部長として明大ゼミ仲間の船越谷義之君「㈱フナコシヤ 代表」がいることを思い出して佐藤さんに返信したところ、すぐ同支部の花岡幹事長に連絡され、花岡さんも良く知った仲ということで船越谷君に連絡をとってもらい佐藤さんの講演を聞いてもらうことが出来た。また山村さんのメールで佐藤さんは明大で講義していることも知らされた。明治大学は日本全国から生徒が入学する大学であることは今も変わらないと思う。大学時代の仲間が全国に散らばっていて遠くて会えなくても現在はメールという便利なものがあって写真添付で即送られてくるので有効に使わないといけない時代になった。残念ながらアメリカに渡った佐藤さんは一時メール交信ができたが現在は無効となっている。

 

               船越谷札幌地域支部支部長(左)と 花岡札幌地域支部幹事長(右) 

 

 (岡山県支部

 平成30年7月に発生した西日本豪雨災害に対して翌令和元年11月逗子文化プラザホールでこの災害の復興支援を目的に明治大学マンドリン倶楽部チャリティーコンサートを開催しました。葉山での開催から5年振り、又会場予約が難しい逗子では前回開催からは12年振りでもあり盛況に終了しました。この年7月に駿河台で開催された全国支部長会で木下唯志岡山県支部長とその後の復興状況を聞いていた縁もあって、義援金岡山県支部経由で倉敷市長に直接届けてもらった方が明治大学の名も強調されるので良いのかなと思い、木下さんにメールで打診したところ岡山県支部の役員会で話してもらいご了解の返信をいただきました。岡山県支部口座に義援金30万円を振込し、校友会逗子葉山地域支部の捺印をしたのし袋を郵送で送りました。マンドリンコンサートのチラシも送ったので後日木下支部長他1名の方が伊東香織市長を訪問して義援金を渡していただき、その際の領収書と写真が送られてきました。市長の前のテーブルに逗子でのマンドリンコンサートのチラシも写っていて木下支部長には木下大サーカスでお忙しい中本当に頭が下がる思いをして感謝の言葉がありませんでした。その後この縁もあって多摩や横浜また鎌倉での木下大サーカスの招待券を送っていただき私は横浜公演を見ています。よく耳にする“明治は一つ”を実感しました。

 

 明治大学校友会逗子葉山地域支部創立30周年記念ブログ(4)をもって、支部創立30周年記念ブログは完結と致します。支部創立20周年の際は草創期の方々も健在で記念誌も作成し支部創立10年史と同様に逗子市図書館に寄贈しました。しかしさすがにその後の10年で亡くなった方が多く、又ご支援とご協力いただいた近隣明大校友会の方や地元他大学の方でも既に故人となられた方が多くおられます。30周年記念誌作成は早々に止め、会報第41号(令和4年8月1日号)と第42号(令和5年1月1日号)に第43号(令和5年8月1日号)の3号を支部創立30周年記念特集号にすることを決めていました。第43号には1年遅れの支部創立30周年祝賀式の報告記事を載せています。

 祝賀式ではコロナの影響も残りご来賓をお呼びしなかったので、この3号のみではご支援とご協力いただいた方々への感謝の思いが不充分ではとの思いも有って多くの写真を含む記録を基に当支部ブログに「支部創立30周年記念ブログ」を投稿致しました。ブログは残るものなので6月定時総会開催ブログ「定時総会と1年遅れの支部創立三十周年記念祝賀会が開催できました」と会報特集号と合わせて見ていただければと思います。

 昨今個人情報等の配慮が難しくなっていますので、あくまでも校友会行事に際しての個人名と写真を基本に掲載していますのでご了承下さい。

   令和5年8月24日  文:足立泰秀  写真:多く西山隆治撮影」(故人)

明治大学校友会逗子葉山地域支部創立30周年記念ブログ(3)ー神奈川県下他支部と地元他大学の交流ー

*当支部創立よりこれまでの30年間には、多くの方々のご支援とご協力をいただきました。ブログ(2)で述べた明治大学マンドリン倶楽部チャリティーコンサートでは多くの入場者と広告協賛をいただいた法人の方々に感謝を申し上げます。先月6月17日(土)に1年遅れで開催した当支部創立30周年記念祝賀会では、本来これまでお世話になった明治大学校友会他支部の方々や地元他大学校友会の方々をご来賓に迎えお礼と

感謝を申し上げるべきところでしたが、コロナ感染が縮小したと言ってもまだまだご来賓を迎えて盛大な祝賀会は難しく、ご来賓は神奈川県東部支部のみとし会員主体の祝賀会としました。従ってこのブログで明治大学校友会他支部及び地元他大学校友会との交

流の記録を記してお礼と感謝を申し上げることに致します。 

 

1.神奈川県下明治大学校友会他支部との交流

 ①神奈川県東部支部

       (東部支部長の向井眞一様は支部創立30周年記念祝賀会は欠席でしたが

            会報第43号にご祝辞をいただきました)

 

 淺原友則様

 進林徳彦様(左)  

     (東部支部幹事長 平戸明彦様に祝賀会でご祝辞をいただきました)

 

 ②鎌倉地域支部 

 当支部創立当時鎌倉支部(当時の呼称)支部長は井上蒲鉾の牧田高明社長で鎌倉法人会(鎌倉・逗子・葉山)会長でもあり、発起人の船津さんは仕事で縁があったので平成4年2月鎌倉支部に逗葉支部設立について相談しに行き大変お世話になったそうです。また創立総会の2ケ月後には鎌倉支部の新年会に船津、大川、足立の3名が参加させてもらい大学校友会の新年会の在り方を学んでいます。鎌倉裏駅の寿苑で開催された新年会は参加者が50名程で女性は10数名でしたが、会員の伝手でリオのカーニバルのような姿のダンサーが2名呼ばれていたのには驚きました。堅苦しいのはダメを肝に銘じた出来事でした。こんな縁もあって逗葉より遅れること2年後の平成7年6月17日鈴木達雄支部長のもと鎌倉芸術館大ホールで初めて明大マンドリン倶楽部コンサートが開催された時は入場券を30枚販売協力しました。明大ヨット部が八景島から部員総出で応援していたこと、逗葉支部の為に2階席最前列を用意してくれていたこと等草創期より絆の深い支部です。古都鎌倉をめぐるウオーキングにも参加案内をもらい、逗葉地区以外に横浜の支部からも参加されておられました。

お世話になった歴代支部長名を記して当時の役員の方々に御礼と感謝を申し上げます。

歴代支部長:牧田高明→鈴木達雄→四十八願稔→奥村晴幸→井上秀壽→塚本正男→

     →萩原成樹 各支部長様

 牧田高明様

 斎藤 実様(中央)

 鈴木達雄様

 寺部かつ様(左)

 四十八願稔様と木下友男様 

 奥村晴幸様

 井上秀壽様(左)

 塚本正男様と柳本成生様

 田中治様(左)

 荻矢健治様(右4番目)    

 木下 泉様(右)

 萩原成樹様(左)

 磯崎勇次様(右3番目)

 

 

 ③横須賀地域支部 

 平成4年7月船津さんは森さんと共に横須賀支部(当時の呼称)の牧島功幹事長(横須賀会会長・県議)を訪ね支部設立の支援を受けました。当時逗子葉山の現役学生は横須賀会に所属して明大マンドリン倶楽部横須賀公演の手伝いをしていた学生も多くこれは継続としたそうです。この年10月5日横須賀公演があり岡村マネージャーから来年5月23日開催で逗子公演が内定している話も確認したそうです。横須賀支部で感心することはマンクラ公演では必ずゲストを迎え、それも有名になる前の歌手を出演させていることです。その道に力のある明大卒の方が居ることを感じます。

毎年よこすか芸術劇場で明大マンドリン倶楽部コンサートを開催し横須賀会が準備している当日その前に懇親会があり参加していました。長らく議案決議の総会出席は無く参加するようになったのはかなり後になってからです。

お世話になった歴代支部長名を記して当時の役員の方々に御礼と感謝を申し上げます。

歴代支部長:石渡 稔→加藤高明→小池克彦 各支部長様

 牧島 功様

 下境秀実様

 (下境様には平成5年第1回マンドリンコンサート打上式に参加頂きました)

 

 石渡 稔様

 小池克彦(右)

 

 加藤高明様(中央)

 

 狩野昭夫様(左)

                       


 ④横浜地域支部

 平成5年11月20日の平成5年度総会(逗葉支部旗授与式)に神奈川県支部(当時の呼称)安藤正美支部長に出席いただきました。当時89歳の高齢でしたが矍鑠たるお姿でした。平成6年の総会には桐ケ谷健司副支部長に出席いただき湘南国際村国際会議場を見ていただきました。神奈川県支部とは総会での交流で個人的なお付き合いが主でした。平成7年度から4度総会に来られた小斉平かよ子様、平成8年度総会に初めて来られた内田浩二様、20世紀最後となった平成12年度総会に初めて来られた中井克明副支部長、平成13年度総会に初めて来られた小林弘昌支部長はその後神奈川県東部支部長として平成15年度総会に出席いただきました。その後中井様が支部長になられ平成27年に田野井一雄様に変わる迄当支部の行事に深い関心を頂いておりました。逗葉支部設立前夜から逗葉とは縁が深いと口癖のように言われていました。

 安藤正美様

 小林弘昌様

 桐ケ谷健司様(右) 

 

小斉平かよ子様(右2番目)

 内田浩二様

 中井克明様

 藤代耕一様

 田野井一雄様 

 

 

 ⑤川崎地域支部

 平成5年11月20日の平成5年度総会(逗葉支部旗授与式)に江添健一支部長に出席いただきました。21世紀最初の平成12年度総会には木村一郎支部長と鴨志田壽夫副幹事長にご出席いただき逗子開成学園海洋センターで懇親を深めさせていただきました。平成15年の校友会改革により川崎地域支部になってから支部長は魚津利興様に変わり、以後野口浩史幹事長と共に幾度となく当支部総会にご出席いただきました。

 平成27年度総会には支部長になられた此村善人様と副幹事長の内山岩男様にご出席いただきコロナ禍で総会中止までこのお二人でお越しいただきました。川崎地域支部には箱根駅伝の監督だった松本穣明大教授がおられ、自らの農園(トカイナカヴィレッジ)で春と秋に収穫を兼ねたバーベキューを行っていると聞いていて是非1度は参加したいと思いつつ今日まで果たしていません。

 江添健一様

 木村一郎様

 柴田欽司様(右)

 鴨志田壽夫様(中央)

 野口浩史様(青)

 魚津利興様

 別府寛隆様 

 松本 穣様(中央) 

 此村善人様と内山岩男様

 


 ⑥茅ケ崎地域支部 

 平成4年の創立総会に茅ケ崎支部(当時の呼称)真壁洋二支部長と津島金治氏に出席いただき、平成5年11月20日の平成5年度総会は逗葉支部旗授与式が主でしたが、この時 現神奈川県西部支部からは茅ケ崎支部の真壁洋二支部長と小林宏副幹事長にご参加いただきました。その後も茅ケ崎支部は必ず来ていただき茅ケ崎地域支部になった後も平成23年度総会迄ご来賓に迎え交流が続きました。

 真壁洋二様

 津島金治様 

 加藤繁一様と渡辺清己様 佐々木発次様(左)

 小林 宏様



 ⑦平塚地域支部

 平成4年の創立総会に平塚支部(当時の呼称)水越謙支部長と鳥海春吉氏、金子弥昭氏に出席いただき、平成6年度総会には根岸栄一幹事長にお越しいただきました。総会にも案内をいただき出席していますが交流は短い期間でした。

 水越 謙様

 根岸栄一様

 

 ⑧厚木地域支部

 平成4年11月28日付の厚木支部(当時の呼称)副支部長三枝敏明氏と事務局長仲野三樹生氏からの手紙が残されています。これには鎌倉支部の懇親会で逗子でのマンドリン演奏会の話を聞き、参考までに切符見本、ポスター、ガイド冊子(プログラム)を同封します。ガイド冊子は広告収入源であること、毎年市の社会福祉協議会に10万円寄付していること。弊支部がご紹介して茅ケ崎支部でもご利用いただいていることも記されていて、逗葉の公演ではほぼこれを大いに参考にさせてもらいました。総会にも案内をいただき出席していますが交流は短い期間でした。

 難波一彦様と黒沢剛様

 

 ⑨藤沢地域支部

 神奈川県下支部で逗葉支部の次に平成11年5月藤沢支部(当時の呼称)が設立されました。11月7日藤沢市民会館で開催された第1回総会に日向、森、広瀬敏夫の3氏が出席しています。設立にあたり金子勇支部長から色々問い合わせがあったように聞いています。役員の方が大勢来られ船津葉山別邸で懇親麻雀会を行ったこともありまはした。神奈川県西部支部に分かれてからも藤沢地域支部箱根駅伝応援会で毎年正月お世話になっているため今も総会にはご案内を差し上げ、当支部からも出席する交流が続いています。藤沢地域支部は大所帯と古い宿場町でもあり、伝統的文化風土があって支部主催で毎年3月末~4月にかけ“明大チャリティーアート展”を開催しご案内をもらい見学もしています。展示作品は趣味の範囲を超えたもので逗葉ではまずできません。今年退任された川井孝雄支部長と村上喜美雄幹事長には大変お世話になりました。

お世話になった歴代支部長名を記して当時の役員の方々に御礼と感謝を申し上げます。

歴代支部長:金子勇二→西島恒博→村上喜美雄→山口幸雄→川井孝雄→寺谷啓

 

  金子勇二様

 

                           村上喜美雄様(右2番目) 

 山口幸雄様

 

 令和5年正月の第15回応援会に持参したこの応援垂幕には藤沢地域支部の方々も

 過去から署名を頂いています。甘酒他お世話になり有難うございます。

(藤沢地域支部)青木良直、東莉沙、有田裕一、石井博、磯崎英彦、岩池正暢、

印南静夫、大塚光晴、近江真梨奈、金子勇二、川島隆、北辻賢仁、国松 誠、

小島圭策、小林由比、斎藤穂積、斎間勝、佐藤広基、柴田倭敏、城田恵子、

菅沼良策、鈴木良二、高橋君郎、高橋威、堤田欽也、堤田晴也、寺岡明人、中澤幸雄、永友亨、中西実、野口捷代、長谷川将顕、藤瀬健太郎、馬渕豊、三田勉、宮野智、

村上喜美雄、山口功、山口幸雄、大和賢二、横田龍之介、吉澤陽子、若林世哉子 各氏

 

  川井孝雄様(左2番目) 

  寺谷啓一様 

*令和5年度の総会で支部長に寺谷啓一様がなられたと聞いております。毎年

   正月は箱根駅伝応援会でお世話になりますので宜しくお願い致します。

 

 

 ⑩他の神奈川県西部支部

 小田原支部(当時の呼称)、相模原支部(当時の呼称)も短い期間でしたが総会に出席いただいたことがありました。大和地域支部 、秦野地域支部、座間地域支部とはこれまで交流はありませんでした。

 

 

                      石井政行様(小田原)(右3番目)

 山下義幸様(相模原)

 

2.地元他大学校友会

 ①早稲田大学逗葉稲門会

 平成4年の創立総会に斉藤忠司会長、安達俊雄幹事長に出席いただき当支部設立立会人の役をお願いしています。翌平成5年6月5日JR逗子会館で開催された逗葉稲門会総会の勉強のため大貫支部長と船津、五味、森、杉山、足立、大川の7名が特別に参加させてもらいました。来賓として校友会本部、横浜、川崎、横須賀、鎌倉、藤沢の各校友会の方々が出席されていました。翌7月10日には久木の高松食堂で逗葉稲門会との役員顔合わせ会を開催しました。出席者は船津、石渡、五味、黒沢、森、広瀬敏、小林、足立、杉山の9名で逗葉稲門会からは斉藤会長、河村・杉原・門脇の3副会長、安達幹事長、小松崎事務局長、黒沢・山本・荒木の4幹事で9名でした。逗葉の早稲田OB1000名、年会費2,000円、支払者300名(継続性のある人200名)、月1回10名程で会合、10月2日早稲田ハイソサエティ葉山公演予定等の情報を教えてもらい、逗葉稲門会の活動は当支部の地元での活動のお手本とさせていただいています。平成5年11月20日の平成5年度総会(逗葉支部旗授与式)には斉藤会長、杉浦忠雄副会長、安達俊雄幹事長、小松崎英事務局長にご参加いただきました。この30年を振り返ると当支部草創期に毎年のように開催していた早稲田ハイソサエティオーケストラにるる早稲田ジャズコンサートの活動や、クラブ活動特に歴史散歩の会など安達俊雄氏が大学時代の友人である小池清志氏を講師に招き平成5年から平成21年迄須賀一朗会長代で30回を迎え記念誌を発行されました。格調高い内容に驚くと共に逗葉稲門会のバイタリテフィーに感心させられこれは現在も続いています。

お世話になった歴代会長名を記して当時の役員の方々に御礼と感謝を申し上げます。

 歴代会長:齊藤忠司→鈴木尚→山内哲→須賀一朗→安達俊雄→山本陽張→荒木孝夫

     各会長様

 

 斎藤忠司様

 

 鈴木 尚様

 山内 哲様(左2番目)

 和田修芳様

 川﨑隆宣様

 佐野孝雄様と古賀順子様

 峰松 雄様 (右3番目)

 須賀一朗様

 安達俊雄様と野際基実様

  山本陽張様 

 五十嵐光司様 

 荒木孝夫様(左)

 

 *令和5年度に新会長になられた荒木孝夫様は当支部創立10周年

       を迎えた湘南国際村センターでの平成14年総会時に参加いただ

       いていました。今後とも宜しくお願い致します。



 ②慶応義塾大学逗葉三田会

 平成4年の創立総会に慶大卒の佐野久二氏に出席いただき、平成5年11月20日の平成5年度総会(逗葉支部旗授与式)には茶木原方実氏にご参加いただきました。船津氏の長くからの知人で慶大卒の方にも出て欲しいとの思いだったと思います。当支部が創立後も暫くは逗葉三田会との交流はありませんでしたが、平成10年6月21日の横浜銀行シーサイド倶楽部で開催された総会に初めてご案内をいただき、日向、森、杉山、足立の4名が参加しました。この時の内容は当支部ブログ“2015.6.17.逗葉三田会懇親会参加”に過去の追想として触れています。家族も呼び、若い卒業生も多く参加の総会、懇親会の印象が強く残っています。この意味からか他校との交流は暫く途絶えていましたが、ある時逗葉稲門会の須賀会長が逗葉三田会の三田宏也終身会長に交流を働きがけ、当支部の平成27年度総会後の懇親会に三田会長と菊池尚幹事が参加されました。当囲碁クラブとは交流がありましたが、早慶立明4校の逗葉睦会だ出来てからカラオケ会、ゴルフ会で交流会が始まりました。コロナ禍で中断中ですが再会を願っています。

お世話になった歴代会長名を記して当時の役員の方々に御礼と感謝を申し上げます。

 歴代会長:三田宏也→有友嘉紀 各会長様

 佐野久二様

 下田一成様(右2番目) 

 菊地尚様(中央)

 三田宏也様(左)

  伊藤忠宏様⤴

 山口雅司様と渡邉正貴様

 田中克彦様(左) 

 有友嘉紀様

*会長の有友嘉紀様には逗葉三田会様の総会時や逗葉睦会役員会でお会いしていま

 したが、明大校友会当支部総会が令和2年から4年まで対面総会が出来ず、また

 令和5年はご来費をお呼びしませんでした。総会時での懇親の機会がありません

 でしたが今後とも宜しくお願い致します。 

 

 

 ③立教大学逗子葉山立教会 

 逗子葉山立教会さんはホームページによると平成元年に湘南立教会から分かれて設立されたということです明大校友会の当支部設立の3年前でした。平成5年11月20日の平成5年度総会(逗葉支部旗授与式)に初めて平井義男会長、青山哲也氏、東郷桂子女史にご参加いただきました。平井会長は船津さんの逗子ロータリーでの古くからの知人でもあり以後当支部総会後の懇親会には欠かさず出席いただいています。女性の役員が会の運営をされている印象が深いのですが、当支部の地引網の集いやお花見会にお呼びした縁で同じ場所で別々にお花見会が実現したり、逗子海岸花火鑑賞会では葉山港管理事務所で一緒に鑑賞の場を設けて頂いたりしています。役員の東郷桂子さんが中心となって逗子まつりでの出店で声を掛けられ当支部も2度フリーマーケット出店したことがありました。また役員の清水澄子さんが逗子日米協会の会長だった縁で、米軍基地内の日米親善ゴルフ会に桜井、足立で参加させもらったこともありました。東日本大震災では役員の周東敏子さんが立教大学グリークラブのOBだった縁で立教、早稲田、明治の3校校友会で大学のグリークラブを呼んでチャリテフィーコンサートを逗子文化プラザで開催した事もありました。当校友会だけでなく地元他大学との協力によるイベントは明大マンドリンチャリティーコンサートや早稲田ジャズコンサート、立教卒の落語家三笑亭小夢さん(真打)の落語会にしても協力関係が顕著でした。

お世話になった歴代会長名を記して当時の役員の方々に御礼と感謝を申し上げます。

 歴代会長:平井義男→大石國夫→魚住孝男→寺木正方→青山哲也→岸野浩平→松田武久

     →岩井譲治   各会長様位

 平井義男様

 

 内山定男様(右)

 寺木正方様(左3番目)

 東郷桂子様と周東敏子様

 青山哲也様

 田中英一様(右2番目)

 三枝太郎様と清水澄子

 田嶋進様(左)

      寺木元会長⤴ (父親の寺木定芳氏は日本麻雀連盟総裁でした)

 

 岸野浩平様

 宮田 勝様(右2番目)

  松田武久様(左)

 秋谷勝三様(左2番目)

    (当支部バス旅行に参加の秋谷様)

 

 井上義朗様(右)

 岩井譲治様(左2番目)

 西野正雄様(左)

 

 会長の岩井譲治様と幹事長の西野正雄様には逗子葉山立教会の総会時や  

 逗葉睦会役員会でお会いしていましたが、明大校友会当支部総会が令和

 2年から4年まで対面総会が出来ず、また令和5年はご来費をお呼びし

 ませんでした。総会時での懇親の機会がありませんでしたが今後とも宜

 しくお願い致します。 

 

 

 ④中央大学逗葉白門会 

 かなり前から大師通りの武藤不動産(武藤英一さん)に逗葉白門会事務局の看板かかっていましたが活動を休止して久しく、平成10年6月に今井武志さんを会長に総会を開催し、その後平成16年か17年に杉本代八郎さんが会長になられてから交流が始まりました。囲碁クラブは逗葉白門会の栗田潤さんとは早稲田、慶応、中央、明治の4校交流大会で顔を合わせ、船津さんの紹介で逗子ロータリークラブの三宅譲さんも知人なっていましたが、たまたま山村元支部長の近くに杉本会長が住んでおられたので当支部総会後の懇親会に逗葉白門会の方にもご案内して平成17年度から平成19度の3年間総会後の懇親会にご来賓として出席いただきましたが逗葉白門会様の事情により残念ながら交流は途絶えています。

 杉本代八郎様

 栗田潤様

   栗田潤様⤴  峰松雄様⤴  伊藤様⤴河合さん⤴

   (中大)(早大) (慶大) (明大) 

 

 逗子葉山地区に法政大学の校友会はありません。以前大学落語研究会を招き逗子文化プラザで大学落語会を開催したおり、青山学院落研も参加したので、湘南支部の西山喬久支部長と結城邦博幹事が青山学院大学の幟を持って駆け付けてくれました。また上智大学校友会の逗葉ソフィ会がありますが一部会員と話はしていますが交流はありません。

 

   

3.30年の歩みの中で逗子葉山地域支部総会にご出席いただいた方々

 

 当支部創立20周年記念誌に平成4年の創立総会~平成24年の総会及び20周年記念式典にご出席いただいた大学、校友会、地元他大学の関係者の方々を“あいうえお順”で記していました。これを“ご参加順” に変更し平成25年~令和5年の総会及び30周年祝賀会にご出席いただいた方々を太字で追加し、これまでのご支援、ご協力に感謝申し上げます。

 平成15年11月総会より校友会改革により神奈川県東部支部管下の逗子葉山地域支部となったため、平成16年から総会は6月に変わりましたが総会に明治大学および校友会本部からのご来賓はなくなりました。しかし平成24年6月総会は創立20周年記念総会のため明治大学と校友会本部からもご来賓を迎えました。本来30周年記念祝賀会にはお呼びするケースだったのですが、まだコロナ禍の環境下ご来賓を東部支部のみとしてお呼びしませんでした。

  

明治大学     岡野加穂留様、戸沢充則様、狩野芳一様、松瀬貢規様、

          圭室文雄様、野上修市様、石川繁様、松本隆栄様

 

②校友会本部    玉井宏夫様、山口孝様、向殿政男様、木村一郎様、向井眞一様

 

③神奈川県東部支部 小林弘昌様、木村一郎様、中井克明様、木下泉様、向井眞一様、

          別府寛隆様、淺原友則様、平戸明彦様

 

④横浜地域支部   安藤正美様、桐ヶ谷健司様、岡本順太郎様、小斉平かよ子様、

          内田浩二様、中井克明様、小林弘昌様、林田富美子様、

          (以上旧神奈川県支部)永井幸雄様、、藤代耕一様、大谷實様、 

          田野井一雄様

 

⑤川崎地域支部   江添健一様、柴田欽司様、木村一郎様、鴨志田壽夫様、

          魚津利興様、小澤義弘様、野口浩史様、別府寛隆様、

          此村善人様 内山岩男様

 

⑥横須賀地域支部  牧島功様、広瀬和幸様、石渡稔様、小池克明様、下境秀実様、

          加藤高明様、藤田正典様、狩野昭夫様

 

⑦鎌倉地域支部   斉藤実様、鈴木達雄様、林富子様、牧田高明様、寺部かつ様、

          岡嶋正様、大西弘明様、木下友男様、木下泉様、四十八願稔様、

          塚本正男様、柳本成生様、奥村晴幸様、當間伸行様、

          井上秀壽様、木村壮平様、珍田宥充様、萩原成樹様、田中治様、

          荻矢健治様、磯崎勇次様

          

茅ヶ崎地域支部  真壁洋二様、津島金治様、小林宏様、渡辺清己様、加藤繁一様、

          坂本輝雄様、阿諏訪幸三様、管野文雄様、諏訪一三様、

          青木幹夫様、佐々木桂子様、藤原琢也様、北畠範文様、

            佐々木発次様、黒川博樹様  

          

⑨藤沢地域支部   金子勇二様、国松誠様、渡辺竹夫様、山崎喜知、佐藤秀雄様、

          柴田倭敏様、鈴木良二様、菅沼良策様、山口幸雄様、

          金井英雄様、川井孝雄様

 

⑩小田原地域支部  石井政行様、加藤泰夫様、中村静夫様、岸頼道様、高橋和久様、

          水落泰三様

 

⑪厚木地域支部   難波一彦様、黒沢剛様

 

⑫平塚地域支部   水越謙様、鳥海春吉様、金子弥昭様、根岸栄一様

 

⑬相模原地域支部  山下義幸様、神田達治様、

 

⑭逗葉稲門会    齋藤忠司様、安達俊雄様、杉原忠雄様、小松崎英様、

          鈴木尚様、山内哲様、和田修芳様、 黒澤正昭様、荒木孝夫様、 

          川崎隆宣様、橋本宥司様、佐野孝雄様、蓬田俊雄様、峰松雄様、

          遠山徳昭様、古賀順子様、 山本陽張様、青木栄一様、

          須賀一朗様、五十嵐孝司様、野際基実様        、

 

⑮逗子葉山立教会     平井義男様、青山哲也様、東郷桂子様、魚住孝男様、

                                     周東敏子様、内山定夫様、木下明様、寺木正方様、田嶋進様,

                                     田中英一様、三宅弘様、岸野浩平様、三枝太郎様,清水澄子様、

                                    秋谷勝三様、宮田勝様、松田政久様、東郷洋次様、鈴木裕之様、

                                   吉田正一様、井上義朗様       

          

⑯逗葉三田会    佐野久二様、茶木原方実、下田一成様、菊池尚様、

          荒井泰彦様、三田宏也様、山口雅司様、渡邉忠貴様、

          高野和則様、田中克彦

 

⑰逗葉白門会    杉本代八郎様、深町宏様、栗田潤様

 

(注記)

1)茅ヶ崎、小田原、平塚、厚木、相模原の各地域支部は神奈川県西部支部管下と

  なったため平成15年以降お呼びしておりません。藤沢地域支部のみ箱根駅伝

  応援会でお世話になっているため交流を継続しています。

2)逗葉三田会は申し出があって一時期交流が途絶えていましたが平成27年より

  交流が復活しています。

3)逗葉白門会は申し出があって平成19年総会ご出席以降交流が途絶えています。

4)上智大学 逗葉ソフィア会があり知った会員もおりますが交流はありません。

 

(付記1)

 平成12年12月の総会の際は、西暦2000年で明大校友会神奈川県下支部

20世紀最後の総会のためご来賓者に参加証明をお渡ししていました。

 


 (付記2)

 平成15年校友会の組織改革で神奈川県下校友会は神奈川県東部支部と神奈川県西部支部の2つの県支部に別れ、横浜、川崎、横須賀、鎌倉、逗子葉山の支部は神奈川県東部支部管下の地域支部となりました。6月14日設立総会が開催され、故西山隆治さんが写真記録を残してくれていましたので、当支部に来られなかった他地域支部の方も写っていますので当支部創立30周年記念ブログでもあり添えておきます。

 

 

 (付記3) 

 平成23年10月開催した東日本大震災義援3大学(立早明)グリークラブチャリティーコンサートの後にこの3大学校友会で親睦カラオケ会を開催していました。平成28年4月慶大校友会を加え逗葉睦会が発足。親睦の麻雀会、ゴルフ会、歌会が開催もコロナ禍で中断していますが大勢集まるのはやはり歌会です。写真を添えて他大学の皆様にこれまでのご協力にお礼申し上げます。



     明治大学校友会逗子葉山地域支部創立30周年記念ブログ(3)終了

明治大学校友会逗子葉山地域支部創立30周年記念ブログ(2)-明大マンドリン倶楽部演奏会との縁ー

*当支部の活動のなかで何と言っても草創期にはマンドリン演奏会が中心でした。

お花見会・森宅バーベキューの集い・忘年麻雀会での会話は必ずマンドリン演奏会の話になりました。逗子葉山地域で第1回明治大学マンドリン倶楽部演奏会を行った際の準備状況について臨時総会で報告された記録が残っているので今回はマンドリン演奏会についてこの記録から記すことにします。 

 

 

1.第1回明治大学マンドリン倶楽部演奏会の準備経過報告の記録

     - - -  平成5年4月24日(土)石渡薬局2階で開催した臨時総会にて   - - -

 校友会逗葉支部創立を記念して来る5月23日の日曜日に第1回明治大学マンドリン倶楽部演奏会を行うための準備をすすめておりますが現在迄の経過につきご報告申し上げます。

1)まず「明治大学マンドリン倶楽部」の演奏会の開催につきましては、全国よりその要請が多く、横須賀支部では、支部設立の歴史から毎年恒例としておりますが、三浦支部では過去1回のみ、隣町の鎌倉支部では、まだ1回も開催していない状況です。新しい支部で、しかもまだ大学の正式な校友会支部として承認が下りていない中、この5月の若葉もえる最高の時期に演奏会派遣を承認されたということはラッキーであった陰に、この誘致に対し会員の五味敬明様の並々ならぬ大学当局への働きがけが有ったことと推察されこの場を借りて厚くお礼申し上げます。また当支部にはマンドリン倶楽部OBの長沢和彦様と稲村茂様がおられ心強く思っております。

             (後に瀬川昇様もOBであることが判明しました)   

 

2)次に昨年11月支部創立の際に既に演奏会開催と日程については内定がとれておりましたのでその後の大学当局への手続きと開催にあったっての準備についてご報告いたします。

①大学当局への開催申請につきましては、まだ校友会逗葉支部が承認されておりませんので初め鎌倉支部の名前を借りることも考えましたが、その後の調査から一般団体としての「明治大学逗葉駿台会」名として申請が可能と判り、今年2月8日付で会長大貫宏、責任者大川謙一の名で明治大学学生部長宛に派遣願を提出し2月23日付で学生委員会で承認された旨の通知を受けております。

 なお演奏会の会場につきましては逗子・葉山地区の場所としては逗子開成学園記念講堂と葉山町福祉文化会館があげられ早くから両方5月23日日曜日を予約しております。逗子開成学園については学校側の決めで学校行事が決まらない段階で半年後の予約は出来ないとのことでしたが船津様の熱意とご尽力で予約していただきました。一方葉山町福祉文化会館については森様の葉山開催の強い希望で予約していただき、逗子に決定した後もつい先日まで予約を入れたままにされていたと聞いております。会場、収容人数では葉山が良く、聞きに来る人の交通の便ではやや逗子が良い。環境では潮騒が聞こえる開成学園と山あいの葉山町福祉文化会館とそれぞれ特色の違いは有りますが、結論として第1回目として校友会会員の拡大をねらい目として電車徒歩でも来れる逗子開成学園記念講堂と致しました。

②演奏会の内容につきましては、マンドリン倶楽部より当日の曲目プログラムが送付され、またマネージャーの関口光信君に演奏会場を既に視察してもらっています。当日は大型バス1台、トラック1台で学生50人が来る予定になっております。

③演奏会の運営につきましては、校友会厚木支部三枝副支部長様と仲野事務局長様より懇切なるご案内をいただき、プログラム等参考にさせてもらい、逗子葉山地区の特色を入れて当支部のプログラムを作成中であります。

④なお予算につきましては、この演奏会がチャリティーコンサートとして位置付けておりますので支出は逗子及び葉山の社会福祉協議会への寄付30万円を含めて200万円と見積もっております。この費用につきましては入場券の販売とプログラムへの広告料でまかなう予定で入場券は1枚2,000円とし、広告につきましては既に50あまりの各法人から広告料をいただくことになっております。

 

⑤さて5月23日の演奏会につきましては逗子開成学園記念講堂の収容人数が350名ほどを前提に昼の部1時30分開場・2時開演、夜の部5時30分開場・6時開演とし、それぞれ曲目の合間に逗子市長と葉山町長に寄付金を受け取ってもらう予定にしております。入場券につきましては収容人数に幾分歩留まりを加味した800枚ほどの印刷手配を行い3月6日に完成、引き続き3月27日にポスター60枚を完成させ市中に掲示するとともに、この会場の石渡薬局様他3ヶ所に入場券の販売店をお願い致しました。

 

 

⑥また広告につきましては、演奏会のプログラム案を3月6日に作成しこれをもとに広告掲載のお願いを金融機関、各医院、スーパー、商店、飲食店等に開始し、今日迄ほぼ予定の予算枠を確保した次第です。

⑦当日は校友会逗葉支部の創立記念でもあり校友会の会員を増やす趣旨から会場受付の一角に校友会コーナーを設け創立準備から演奏会までの経過を掲示し新会員の登録と併せ明大ヨット部からの出し物等、色々思案中ですので良い案が有りましたら幹事にお申し出いただくか、または直接参画いただければと思います。打合せは逗子銀座商店街串焼きクローブで公演開催までは毎週土曜日3時より集まって行っております。

 

⑧最後になりましたが、昨年11月より今日までの過程で本日出席されておりませんが大学関係者として現在病気療養中ですが葉山に斉藤正直元学長がおられ、また現職教授として鈴木享子教授、白石四郎教授、由井武夫教授、浅田毅衛教授の4名の方がおられることが判りマンドリン倶楽部演奏会のご案内を差し上げております。また逗子葉山地区早稲田大学慶応義塾大学の校友会並びに明治大学校友会横須賀支部及び鎌倉支部にご招待券を差し上げております。

 

本日の臨時総会には新たに会員と思われる方々にもご案内を差し上げましたが、その中で大先輩である昭和14年法学部卒の安東重季様にご出席いただいておりますのでお礼申し上げると共にご紹介し、これまでの経過のご報告とさせて頂きます。 

                           平成5年4月24日

 

 

  (葉山開催は森さんの熱望もあり第2回開催は葉山第1回コンサートとした)

 

*当支部創立発起人の一人に明治大学マンドリン倶楽部OBの方がおられ、又草創期支部活動に参加された方にも同倶楽部コンサートマスターをされ方がおられた。逗葉地区での明治大学マンドリン倶楽部チャリティーコンサートが開催され、学生時代を思い出してお手紙を頂いた同倶楽部OBの方もおられた。支部創立30周年記念祝賀会にマンドリン倶楽部OBの方6名の演奏をたっぷり耳にしながらこれらの方のことが脳裏に思い出された。残されていた記録をブログ掲載します。

 

2.新入生歓迎会で初めてマンドリン倶楽部と出会う   昭和48年卒  稲村 茂

                             (発起人会の一人)

 明治大学入学式後の新入生歓迎会で初めてマンドリン倶楽部と出会う。華麗なマンドリンの音色と繊細でかつダイナミックな演奏に魅せられて入部を決意。早速部室を訪れた。上級生は一応歓迎してくれたものの、「入部テストがある」と聞き、大きなショックを受ける。テストは教則本にある数十曲の中からテスト当日に指示され一曲を古賀先生をはじめ、上級生全員の前で独奏するというもの。

 約2か月間、上級生の指導を受け、練習を重ねて、一応自信をもって臨んだが不合格。3度目にして晴れて合格となる。正式部員としての活動がスタートしたものの、とにかく厳しさ、辛さの連続であった。礼節と規律を重んずる伝統ある倶楽部ゆえ、上級生の指示、指導の厳しさは格別であった。辛いものの最たるものは、春夏の合宿であった。睡眠時間は平均3~4時間、弦を押える左手指には硬い豆ができ、痛さを通り越した練習量であった。そのほか演奏旅行は全国津々浦々におよび、当時は学生運動が盛んな時期で大学もストに突入していたためか、連続20日間のハードスケジュールであった。出発前は旅行気分で楽しみにしていたものの、見事にあてがはずれてしまった。夜行列車での徹夜に近い写譜、楽器運搬、会場でのステージ設営と、下級生はまさに体力勝負であった。ステージ衣裳兼作業着である学生服には汗から塩と化した白い線が幾重にもにじみ出ることしばしばであった。

 25年も昔のことであるが、振り返れば大変なつかしい想い出である。辛い想い出ばかりでなく、もちろん楽しい想い出も沢山ある。当時培ったマンクラ精神は、社会人である今でも心の支えであり、倶楽部員であったことを誇りに感じている。改めてご指導いただいた古賀先生をはじめとする諸先輩、そして苦楽を共にした同僚に心より感謝申し上げる次第である。当時使っていた楽器とレコーディングしたレコ―ド盤は家宝として大切にしている。古賀先生の教え「音楽は和なり」のもと、明治大学マンドリン倶楽部の限りない発展を祈念してやまない。

       横浜市西区みなとみらい3-1-1 横浜銀行 支店部 稲村 茂

 

                 (このブログ掲載は転居先が判った稲村 茂様よりご了解を得ています)

(残念ながら料金後納郵便で消印無く年月不明ですが、文面から卒業して25年と有るので平成9~10年頃で支部創立5周年に際して郵送されたのではと思える)

 

 

3.マンクラの元コンサートマスター長沢和彦さん 雑記  昭和42年卒 足立泰秀

 

 昭和35年仏文科卒の元幹事故長沢和彦さんは紀子夫人と夫婦そろって支部草創期よく行事に参加されていた。平成5年4月24日に逗子の石渡薬局二階で臨時総会を開催したことがあるが、この時私が長沢和彦さんに会った最初だった。この総会は5月に開催する逗葉地区最初の明治大学マンドリン倶楽部チャリティーコンサートの準備状況報告とOBの校友会参加拡大が目的だったが、参加された長沢和彦さんから逗子開成から横高に移り明大ではマンドリン倶楽部のコンサートマスターをされたこと、横須賀米が浜で「ウタック弦」というスナックをされているとの自己紹介があり、マンドリンコンサート成功のため尽力したい旨の力強い話があった。

 平成6年1月12日葉山上山口にあるピアノレストラン“マイファニー・バレンタイン”で新年会を行った事がある。この時船津、五味、森、鈴木敏雄の各氏が夫人を伴って参加され長沢和彦さんも紀子夫人と一緒に参加された。白いピアノの演奏を聞いて懇親を深めた後、二次会として20名程が「ウタック弦」に押し掛けている。店には長沢和彦さんのギターが置かれ壁にはフランスでアラン・ドロンと一緒に撮影された写真が掛けてあったのが記憶に残っている。

 

   長沢和彦(後列中央)・紀子(中段左)夫妻に五味敬明夫妻も参加した懇親会

 

 

                                ウタック弦にて(後にアラン・ドロン写真)

 

 多くの会員が署名している校友会逗葉支部創立記念旗があるがこれには“昭和34年(35年の誤りか)仏文科マンドリン倶楽部卒 長沢和彦”と横に“ウタック弦 長沢紀子”の署名が残されていてご夫妻が支部草創期から参加されていることを物語っている。

      明治大学関係者と他大学校友会の方々に混じって

      「明り庵」岡田恵子氏、「ラスト倶楽部」清水礼子氏の署名もあり

       クローブや万紫味の良く利用した店の名前もある 

 

 残念ながら若くして亡くなられたが和彦さんとの出会いについて紀子奥様から情熱的な出会いの克明なお手紙をいただきました。和歌山県での明大マンクラ公演の際に出合い、お寺の娘でしたが和彦さんと結婚しましたとのことです。私が在学中だった昭和30年代後半~40年前半の頃は学生がサークルで地方に行くと東京から明大の学生さんが来てくれたということで旅館に泊まっても大歓迎してくれた時代で、まして明大マンクラ部員の場合は特別な思いを持って迎えられた時代だったと思います。外地に長期出張していた時に森英二先輩から長沢和彦さんの訃報を電話で知らされ、マンクラ時代の事をもっと聞いておくべきだったと悔やまれましたが、その後カラオケクラブに参加された紀子奥様からマンクラ時代の友人だった佐伯亮さん(コロンビアレコードの作曲家・編曲家)のこと等聞くことがありました。

 

 

4.昭和二十年に入部したマンドリン倶楽部を偲んで  昭和23年専法卒 瀬川 昇

 

 逗葉駿台会も三年目を迎え、益々その内容が充実して参りました事は誠にご同慶に存じます。会の主要行事の一環として毎回マンドリン倶楽部をお招き頂き、OBとして厚く御礼申し上げます。

 私が明大に入学したのは昭和二十年で、八月十五日の終戦により学徒勤労動員は解除され、九月から授業が開始されました。同時に部活も復活し、憧れのマンドリン倶楽部に叔父から譲られたカタニヤを抱えて入部しました。部室は本館の地階に在り、オデルの教則本を基に先輩から指導を受けるのです。その一巻の途中まで習得するとテストがあり、パスすると正部員になり、Ⅿ.U.Ⅿ.C.のバッチと指輪が貸与されるのです。その時の嬉しかったこと。

 それでも直ぐに演奏会に出られる訳ではなく、猛練習が続くのです。昭和二十一年に共立講堂で開催された復活第一回定期演奏会では雑用係でした。舞台に出られるようになったのはその後のことです。授業をさぼって、神田日活(現在はタキイ種苗売店になっている。)で「カサブランカ」を観たのは此の頃です。一番印象に残っている演奏会は昭和二十二年一月に開催された日比谷公会堂の舞台です。この主催は朝日新聞社だったと思いますが“100人によるマンドリンオーケストラ”と銘打ったもので、東京六大学マンドリン倶楽部の共演に早稲田と共立女子大のコーラスが賛助出演する大掛かりなものでした。独唱は斉田愛子さん、指揮は慶応の常任指揮者服部正さんでした。

 当日の曲目の中で「ムーア人グラナダ」のトップは明大が担当しました。当時の私のパートはマンドリュートでした。卒業後、社会人の倶楽部に入ってからも「ムーア人グラナダ」を弾く機会がありますが、その度に五十年前を思い出しています。私事で恐縮ですが、現在、芋花育種の適地を求めて千葉へ転居する準備に追われています。折角、入会させて頂いた逗葉駿台会ですが大したお役にも立たず申し訳なく存じております。逗葉駿台会の益々の発展を心から祈念しております。      (小坪にて)

 

  (瀬川様には消息不明と昭和23年専法卒と高齢のためブログ記載の

                     ご了解は敢えてしておりません)

   

(注記)当 明治大学校友会逗葉支部は当初明治大学逗葉駿台会の名称のもと会則等を作成、明大マンドリン倶楽部チャリティーコンサートも第8回まで主催を明治大学逗葉駿台会としていた。当支部の名称は創立総会で明治大学校友会逗葉支部として以降、校友会の組織改革で明治大学校友会逗葉地域支部となったあと現在の明治大学校友会逗子葉山地域支部と改名して現在にいたっている。支部旗は3種頂いた。各クラブは独立制の意味合いから逗葉駿台会・・・クラブとしている。

 

 

5.明大マンクラの大先輩竹岡信幸夫人を訪問 雑記   昭和42年卒 足立泰秀

 

 明治大学マンドリン倶楽部の大先輩というと倶楽部OBでない私でも古賀政男(Ⅿ37~S53)、竹岡信幸(Ⅿ40~S60)、清水保雄(Ⅿ43~S55)の3人がまず頭に浮かぶ。

 古賀政男亡き後を受けこの倶楽部を指導したのが逗子に住んでおられた同倶楽部OBで作曲家でもあった竹岡信幸氏でした。又現在同倶楽部を指導している作曲家甲斐靖文氏は竹岡信幸氏に多くの薫陶を受けマンクラの伝統を受け継いでいます。

 記録によると-、平成5年11月6日の黒沢溪副支部長宅で第1回手打ちそば会を行なった際、斜隣りが故竹岡信幸さんの家であることが判り、間もなく みさを夫人を訪問しています。玄関を入るとすぐ縦長の大きなポスターガ目に入ってきました。映画となった「赤城の子守唄」のポスターで夫人の話では現存するものは殆んどないようです。また応接間のサイドボードには昔のレコードが飾ってありましたが、これは「支那の夜」のレコードの原版でヒットの痕跡を留めるべくかなり磨り減っていました。

 心臓にやや障害をお持ちの夫人でしたが若い頃からと思われる気品が漂い、話上手で昔の事を良く覚えておいででした。それまで知らなかったのですが奥様はロサンゼルス五輪の水泳代表選手で女性初の金メダルに輝いた前畑秀子さんと一緒に参加されていて当時の写真も飾ってありました。その後宝塚から映画女優の道を選ばれ芸名“横田みさを”さんでした。竹岡信幸さんは大学卒業後、古賀政男さんと同じくコロンビアレコードに入られ、多くの作曲を手掛けられ、島倉千代子さんが歌った「東京の人をさようなら」等も作曲されていました。80歳近くまで逗子に住んでおられたので当支部創立が10年早かったら直接お会い出来て、マンドリン倶楽部の事をお聞きすることができたかなと思います。事務局の訪問が嬉しかったようで後日奥様から“おたより”もいただきました。だいぶ年月が経った後、明早ラグビー観戦会の前に古賀政男音楽博物館に寄って木製の竹岡信幸さんの肖像をみています。

 

 

*なお竹岡信幸さんが亡くなった後の葬儀に参列した元葉山にあったレストラン・カウベル 中村良夫氏より寄せられた記録があり「逗葉支部十年史」に掲載されましたが、ここに再度掲載致します。

 

 

6.竹岡信幸先生の葬儀に参列して    レストラン・カウベル 代表 中村良夫

 

 ついこの前だと思っていたのに、もう10年もたっていたのですね。東京の教会での葬儀に妹(元コロンビア専属、浜百合子)と一緒に参列して準社葬の様な葬儀にびっくり、そして明大応援団の若者が大きな重い校旗をしっかりと捧げていた姿にびっくりしました。その驚きとは、10数年もの永い間、公私共に親しく師事していたため、よく見えなかった先生の偉大さに驚かされた事です。コロンビアレコードに与えた影響力の大きさ、元マンドリン倶楽部会長としての存在の大きさ、名誉ある卒業生に対する母校の敬意の表わし方、そして明大マンドリン倶楽部に対する処遇の大きさに感動したのです。

 「ヨッチャン、今夜ね、古賀さんの後を継いで4年後輩の僕がマンドリンクラブの会長をする事になったヨ」普通の会話の様に話していた事がこんなに重大なものとは全く気付きませんでした。ある本の著者は見た目「銀行員の様な人」又ある評論家は「竹岡氏はホームランバッター」と書いてありました。エピソードは沢山ありますが、その1つに“いとしの妻は泣くじゃない”で始まる名曲「人妻椿」をリバイバルして再ヒットさせたあるグループが、放送で少しふざけて歌ったのを聞いてすぐ抗議の電話をしました。自分の作品をとても大切にしていたのです。反面、私が「下田夜曲」をラテンのアレンジで歌いたいと申し出たところ、「それは面白いアイデアだね 出来たら是非聞かせて欲しいね」と新しいものに意欲的な面もある方でした。夜もの3部作として「支那の夜」、「東京の夜」他、子守唄ものとして「赤城の子守唄」、「悲しき子守唄」他、本当に沢山のヒット曲(ホームラン)がある中から妹は「東京の人よさようなら」を好んで練習曲にし、愛染かつら主題歌「悲しき子守唄」を2度のテレビ映画主題歌としてリリースさせて戴きました。私もコロンビアレコードの専属になりましたが、今は先生のお許しを得て歌唱を指導しております。

 先生に歌と作曲を師事したことが、今多くの人のために役立っております。今でも端正な上品な先生が笑顔で「やあ、ヨッチャン いらっしゃい」と迎えてくれそうな気がします。先生に知り合えた事を誇りにしています。(ちなみに名曲「赤城の子守唄」は、明大マンドリン倶楽部現役生の時に作られた事はあまり知られておりません)

- -平成9年7月6日葉山で開催した第4回コンサートプログラムに掲載もしました- - 

 

(この記事は既に第4回コンサートプログラムにも寄稿いただいて掲載済の為、

             このブログ掲載にあたってはご了解と判断しています)

 

 

7.サークル活動の中の学生・マンドリン倶楽部    政経学部教授. 中野渡信行

 

 <記載にあたり> 学生の頃手にした「季刊明治20」(S41年7月発行)にお世話になった木下勇商学部教授の記事が掲載されていたので捨てずに残っていますが、たまたまこの20号に中野渡信行政経学部教授が「サークル活動の中の学生・マンドリン倶楽部」と題して記事を掲載していました。私の在学中の昭和40年度の活動を克明に紹介していて、長沢和彦さんは卒業後、稲村茂さんはこれから4~5年後に入部されたと思いますが学生の1年間が判る内容なので参考に記しておきます。- - -  

 

(「季刊明治20」政経学部教授. 中野渡信行氏の記事より一部抜粋)i

 明治大学マンドリン倶楽部の昭和40年度の活動状況の中から主なものをあげてみても、地方演奏が実に多い。2月20日頃から1週間、伊豆の春季合宿、これには同部の先輩の古賀政男氏や清水保雄氏、甲斐氏その他の人達が指導に参加されている。2月28日から、宮崎。鹿児島の各県、そして沖縄における演奏旅行約一週間。それから九州の各地、中国地方から大阪を経て四国各地、近畿、中部地方演奏旅行して、やっと3月9日に帰京しているのであるが。4月5日に明治大学新入生歓迎会に出演。それから7月の夏休みまでは、毎週土、日に東京やその近郊での演奏、レコ―ディング。そしてこの倶楽部春の一番大きな催物である春季定期演奏会(第76回)を司会は先輩の下平源太郎氏が受け持って、古賀氏、清水氏や他の先輩の指導で絢爛たる演奏会を催している。7月2日から1週間、長野県白樺湖畔のホテルで前述の各先輩の指導を受けて合宿練習。11日から関東各地、中部山岳地帯の各都市、そして東北、北海道では釧路を最後に9月11日帰京。10月9日にはフジテレビ小川宏ショーに出演。11月1日~3日は明治大学駿台祭、全明治音楽祭、六大学演奏会。13日は“秋の饗宴”ともいうべき秋季定期演奏会(第77回)が先輩のもと一層の華々しさを加えて開演されている。その後も数回の演奏旅行があるが、この活動状況を見てそのエネルギッシュなのに驚かされる。毎年のスケジュールなのである。 - - -(一部省略) - - -

 私は明治大学青森県人会の会長となっている。八戸市では昼夜二回の演奏、青森市では朝の内疲れを見せないマンドリン倶楽部諸君が社会福祉関係を慰問された。こうした忙しい時間のあいまをみては、全国各地で慰問されているとのことを聞いて、この美しい行為を誰にもあまり宣伝がましい素振りもせずに地方演奏を続けている、この倶楽部の諸君に心から敬意を表したのである。

 

- - 中野渡様は既に故人となられ当支部発起人会の一人白石幸子さんのご主人白石四郎氏(元政経学部長)は中野渡氏の弟子で弔文を寄せられていました。

                                                                  記載に当たってご了解の代りに紹介です- - - 

 

 

8.明大マンドリンの旋律             S37年法学部卒 甲斐靖文

<掲載にあたって>

 ここまで書いてくると現・明大マンクラの常任指揮者甲斐靖文さんについて掲載しないわけにはいかないと思う。多く残っていて廃棄の運命にあるる明大マンクラの記録の中に平成23年(2011年)日本経済新聞の文化蘭に掲載された甲斐靖文さんの記事(西山隆治さんより)があったので、ご本人にお断りしてはいないが、昨年11月6日〈日〉幕張で開催された明治大学マンドリン倶楽部創部百周年祝賀会に当支部長として参加してお会いし、当支部の過去のプログラム記事に原かおりさんと共に署名を頂いた(先のブログに掲載済)縁もあり、また12年も前の記事でもありお許し頂けると思う。

 平成18年12月3日(日)明早ラグビー観戦会の前に参加した13名が和泉校舎近くの和田堀廟所を訪問して古賀政男さんの墓を参拝したこともありました。

  (写真撮影の川崎さんと“すなっく舞”のママを入れて13名が古賀家墓参をしました)
  (前列右から2番目の故西山隆治さんは多くの明大関係の新聞切り抜きを届けてくれ

    ました。自らは支部行事の写真記録係でした)

 

〈甲斐靖文氏の12年前の新聞記事〉

 明治大学マンドリン倶楽部(マンクラ)は1923年創立と日本屈指の伝統を誇る学生オーケストラだ。私は恩師の古賀政男先生の後を襲って音楽監督・常任指揮者を務め、今年で40年目になる。

<衝撃だった大分公演>1972年のある朝、古賀先生から電話だかかってきた。「すぐ来てほしい」。先生の家に出向くと、数人の学生も一緒に待っていた。「おれの後を継いでマンクラの音楽監督になってくれないか」と頼まれた。私は当時32歳。日本コロンビア専属の作曲・編曲家として活動し始めて5年がたっていた。勉強中の若輩者だからと一度は断ったが、先生の強い意志に「わかりました、おやじさん」と返答した。

 明大を卒業してから10年目。再び古巣のマンドリン倶楽部に舞い戻ることになったのだ。私は大分県別府市で生まれた。高校までは白球を追う野球少年。でも、歌うことも大好き。NHKの歌番組「ラジオ歌謡」から流れる「白い花の咲く頃」「あざみの歌」といった曲を口ずさんでいた。ある日、5歳上の兄に誘われ、大分市で開かれた明大マンドリン倶楽部の公演に出掛けた。洗練されたアンサンブルを目の当たりにして、驚いた。「学生服を着ているが、彼らはプロに違いない」と思ったほど。自分も入ろう。そう決意した。

 58年(昭和33年)、明大法学部に入学し、あこがれのマンドリン倶楽部の部室を訪ねると、周囲は剣道部や空手部といった運動部ばかり。汗臭いにおいが漂っていた。その年の入部者は百数十人もいた。まだまだ娯楽の少ない時代。私と同じように音楽に飢えている若者が多かったのだ。1年生はまず教則本を入手して、課題曲を弾けるようになるのが目標。放課後、部室で上級生の指導を仰ぎ、午後7~8時まで練習を続ける。弾けるようになると、上級生と合奏する資格を得るための試験を受ける。上級生の前で緊張しているからなかなかうまく弾けない。私も2度目で何とか合格した。

<夏合宿で地獄の猛特訓>夏休みに入ると、古賀先生も参加する夏合宿が待っていた。場所は佐渡島のホテル。練習は午前9時に始まり、午後10時までが合奏。それから12時までがパート練習で、深夜3時、4時まで個人練習が続く。厳しさに音を上げる新入生が多く、例年9月になると部員はごっそり抜けている。秋になると、1年生の中から、東京近郊の演奏会に同行し、ステージに立つ者も出てくる。私が現役のころは公演数が多く、年間120~130公演をこなしていた。今はそれほど多くないが、週末や休日には各地の明大校友会や地方自治体の招きに応じて、公演を開いている。

 現在、私は年2回ある1週間の合宿、春と秋の定期演奏会には必ず参加し、学生たちと汗を流す。思い出は尽きないが、78年の古賀先生の音楽葬や三木武夫元首相の衆院・内閣合同葬で演奏したことは印象深い。三木さんは明大OBで、母校の徳島県土成中学校の校歌を古賀先生と一緒に作っている。そんな縁で、奥様の睦子さんから、「マンドリン倶楽部に校歌を演奏してほしい」と依頼があったのだ。

 

 伝統のマンクラも時代に応じて変わってきた。一番の変化は、創立以来男子部員だけだったのを、入部希望者が減ってきたため、97年から女子部員も受け入れるようにしたことだ。一時は部員の半分近くを女子が占めた。現在は3分の1ほどだが、今年は初の女子学生指揮者が誕生した。一方、変わらないのはクラシックを演奏するとき、男子は全員学生服でステージに上がること。実は古賀先生が存命のとき、「学ランは古くさいからブレザーに変えよう」とおっしゃったのだが、学生側が拒んだ。折り目正しい制服姿はOBや観客からも好評だ。

<古賀イズムの担い手>ジャンルにとらわれず偉大な楽曲を生み出した古賀先生。クラシック、歌謡曲からポップスまで多彩なジャンルをこなすマンドリン倶楽部は古賀イズムの担い手でもある。このほど2枚組のCD「古賀政男とその時代 明治大学マンドリン倶楽部 昭和歌謡曲を奏でる」(コロンビア)が発売されたので、耳を傾けていただければ幸いだ。私は来年73歳になる。古賀先生が亡くなった年に並ぶが、もう少しは続けられるだろう。合宿で学生たちと酒を酌み交わしながら、古賀先生が育ててきた音楽を一緒に作り上げていく。こんな喜びはほかにはない。

 (注記:甲斐靖文氏は今年84歳で常任指揮者を務めて52年になられます)

 

9.明治大学マンドリン倶楽部を逗子に呼んだ最大の功労者 五味敬明氏

 平成7年6月会員の高橋弘さんが責任者を務める佐島マリーナでモーターボートに乗りマリーンリゾート懇親会を開催した折に五味敬明氏に謝辞と記念品を贈呈しました。

 

謝辞 〈第1回明治大学マンドリン倶楽部演奏会実現に労の有った五味氏へ)

 紫紺のあじさいの花が色づく中、我々は今、都会とは違う時間(とき)が流れている佐島マリーナのマリーンリゾートに参集しています。思い起こせば横浜銀行シーサイド倶楽部に校友会逗葉支部の創立を願って11名のOBが参集したのは丁度3年前の6月11日のことでした。逗葉地区で初めて明治大学マンドリン倶楽部演奏会を開催することが、支部創立の出発点であったことを思えば、貴方のご尽力は多大のものでありました。つい1週間前の6月17日に隣の鎌倉支部が長い歴史の中で初めてマンドリン倶楽部コンサートを開催し1500余名を鎌倉芸術館の大ホールに集めました。やっと念願が叶い支部活動が一歩前進できると役員の方がもらしていたとのことを聞くにつけ逗葉支部のこの3年間の力を改めて驚きを持って感じるばかりです。昨年11月には開村したばかりの緑豊かな丘陵の地・湘南国際村の国際会議場で支部総会を行いましたが、これも又近隣支部を驚かせるものでした。懇親会で開催したオークションは貴方の持論である高額のもの、300点以上のものを集めるところまでいきませんでしたが、値決め・順番・演出はまさにオークションそのもので、逗葉支部の過去の債務をすべて精算する結果となりました。現在新しい人との新たな出会いを求めて150名の会員の方から年会費の入金をいただき、一方100名以上の方々から同好会への参加を願って趣味の返事が寄せられています。

 貴方のこれまでの一直線で爆発的なセンスに深く敬意をはらうと共に、明日への逗葉支部の活動の指針としたいと願っております。ここにこの3年間の経過の節目として貴方のこれまでの労に深く感謝しその活動の証として記念写真を贈呈するものです。

   平成7年6月24日     明治大学校友会逗葉支部 支部長 大貫 宏

  五味敬明殿                      (代読 石渡璋典)

 

 

10.逗子での明大マンクラ公演での珍事について 雑記  昭和42年卒 足立泰秀

 

 逗子葉山地域での明大マンクラ公演は、大きな会場が無いため入場券収入だけでは目的とするチャリティーコンサートができない。地元企業の皆様方にプログラムへの広告協賛をお願いし、葉山に於ては森英二さん他に発起人会の一人広瀬敏夫さんや宮澤恒夫さんの精力的な尽力がありました。

 昭和42年政経卒の広瀬敏夫さんは明大ハーモニカソサエティー部員だった経歴から音楽には造形深くギターで作曲もされていました。共にカラオケクラブ幹事でもあったのである時作曲した曲に作詞を私が頼まれて出来上がったのが「KAZEに吹かれて 」という曲です。埼玉県にある(有)ASORA音楽制作でCDにしてもらい、又後日ボーカル“河瀬あい”さんの歌声を入れてCDを66枚プレスして北は北海道、南は沖縄まで広瀬、足立の友知人に1枚1,500円で販売もしました。

 先輩の桐島元樹さんが写真を、またカラオケクラブ会場のママ馬場恵美子さんが絵で協力してくれました。ここまでは両者の自己満足の範囲だったのですが、そのあと平成17年10月15日(土)逗子文化プラザで開催した第9回明治大学マンドリン倶楽部チャリティーコンサートの際にマンクラに譜面を渡してダメモトで演奏をお願いしたところなんと練習して演奏してくれました。各楽器ごとの譜面作りもあったと思いますが支部役員が作詞作曲した曲をマンクラが演奏したのは珍事だったのではと思います。

 コンサートの前に広瀬さんは湘南ビーチFMに出演してマンドリンコンサートのPRの際にこのCDを流してもらっていました。会報駿台逗子・葉山第10号の1頁に歌詞を添えてご当地ソングとして「KAZEに吹かれて」が演奏され大変好評でしたと記載されています。当時の部員はプログラムによると主将山崎裕介(県立熊谷高・ギター)、指揮者三谷和也(神奈川大学付属高)、コンサートマスター杉浦皓介(明治大学付属中野高・第1マンドリン)でした。3人共まだ40歳程と思いますので当時の「KAZEに吹かれて 」演奏の逸話が有れば聞いてみたいと今になって思います。

 

 

マンドリンコンサートはチャリティーの位置づけから地元他の多くの方々とのご支援を頂き、これまで13回開催を続けるなかに親交を深めさせていただいた方も多い。また経費節約で1度だけプログラムを自前で(A3プリンター印刷、製本)作成したこともあった。写真を添えて感謝に変えさせて頂きます。

 

   根田哲雄氏(当時:東神興業㈱社長・明治大学マンドリン倶楽部OB会理事長)

 

 

 キングストア臼井滋夫妻とペギーさん(若い時の写真・コンサートプログラム掲載)

 

 ペギー葉山さん(逗子公演)

 沢いづみさん(葉山公演)

 絵画のオークション

 絵画寄贈の鈴木英人さん

 プログラムを印刷から自前製本)

 

        花束贈呈のコスモス・インターナショナル・スクールの生徒さん


マンドリンはイタリア生まれでイタリアで育った楽器です。逗葉地区の第1回公演から

演奏曲は第3部がALL  OVER  THE  WORLDでした。日本のここの歌の演奏

は当然ありますが、常に東亜の一角から世界に目を向けているのは明治大学の精神で

す。海外勤務が多かった小川幹雄新支部長の今後の支部運営に大いに期待しています。

 

         支部創立30周年記念ブログ(2)終了

明治大学校友会逗子葉山地域支部創立30周年記念ブログ(1)-支部草創期を振り返るー

(序)

 古い記録は常に存在価値がうすれ破棄される運命にある。まして個人所有の記録は昨今の終活の影響もあり保持することへの罪悪感を伴って破棄の運命を増している。

 中国では古来より古い出来事を記した書は現体制の批判のもとになることを危惧して法律で焚書として焼き捨てられた時代もあった。一方たまたま残っていた記録に存在価 値を高め考古学者や郷土史家等によって記録を掘り起こす努力がされている現実もある。当支部は草創期に大貫宏初代支部長の「記録を残すように」との熱い指示もあって創立総会前の役員会から議事録が作成されている。当支部10年史にその一部が記載されていた。

 この30周年の間に支部役員も代り、記録写真係だった西山隆治氏が故人となり既に新しい記録写真は激減した。残っている数多くの写真も行事参加者がいる間は若干保持の価値を有しているがその後はやはり破棄へと進むのは役所の古い記録が破棄されると同じかなと思う。会社であれば書類の保管期限というのが定められるが、校友会では今のところこの問題が取り上げられたことは無い。1年延期して実現した支部創立30周年記念祝賀会に「マンドリン祝典コンサート」をしていただいた御茶ノ水マンドリン倶楽部(明大マンドリン倶楽部OB6名)の方に当支部総会や新年会で過去演奏した際の写真をお渡しできた(当ブログに先立ち掲載済)のは西山さんの残した写真によるところが大であった。

 7月に数回に分けて支部創立前後の書簡や、記事を含む記録を掲載して「創立30周年記念ブログ」とします。会報第41号、第42号、第43号の支部創立30周年記念

特集号と合わせ今年の夏の暑い時期に目を通してもらえればと思います。

                      (足立・写真の多くは故西山氏)

 

1.明治大学校友会逗葉支部設立発起人会名簿       昭和58年卒 榎本春夫

 平成4年6月11日〈木)横浜銀行逗子シーサイド倶楽部で11名の明大OBが集まって支部設立の発起人会が開催されました。それまで船津、森の両氏による設立への動きはありましたが、正式な会合のスタートとなりました。足立氏からの依頼により当日参加した方が署名した名簿をお送りします。なお会場従業員に明大の井戸川清さんがおられましたが署名には参加されなかったので私が欄外に名前を記しました。

 大貫 宏(S28年旧商学部卒:逗子)、船津孝二郎(S31年商学部卒:逗子)、

 森 英二(S37年商学部卒:長柄)、   小林 仁(S42年商学部卒:久木)、

 石渡璋典(S33商学部卒:沼間)、       松岡 寛(S42年政経学部卒:横浜)、

 榎本春夫(S58年政経学部卒:逗子)、五味敬明(S32年経営学部卒:長柄)、

 白石幸子(S37年政経学部卒:一色)、稲村 茂(S48年商学部卒:横浜)、

 広瀬敏夫(S42年政経学部卒:長柄)    - - - 署名順- - - 

 

2.明治大学校友会逗葉支部設立への第一歩       昭和42年卒 松岡 寛
                            (発起人会を代表して)

 平成4年初め 逗子銀座通りの「串焼きクローブ」で明大OBの4名が校友会設立について酒を飲み交わしながら話が盛り上がっていた。メンバーは東京飼料商事の船津氏、葉山町議員の森氏と横浜銀行の稲村氏と小生である。趣旨は「明治大学校友会逗葉支部」の設立の打ち合わせである。

 近隣他大学の活躍や明大校友会鎌倉支部や横須賀支部の活発な校友会活動が聞こえて来ました。しかしながら当逗葉地区には支部もなく地域に対する奉仕活動を発揮する機会も無かった。更にはOBが何名在住しているのかさえ分からない状態である。これを憂いた船津氏 森氏が当時横浜銀行に勤務していた稲村氏と小生に発起人会の準備を呼び掛け集まったのが設立へのきっかけであった。

 支部設立の承認条件は暗中模索の手探り状態であったが50名のOBが必要である事は承知していたので船津 森両氏は逗子市役所 ロータリークラブ等の人脈を駆使し 我々は銀行の伝手を頼りにOB資料の作成に取り掛かった。50人の目安がつきいよいよ6月11日に発起人会を開催する運びとなり場所を横浜銀行逗子シーサイドクラブとして提供する事になった。

       横浜銀行逗子シーサイドクラブ当時の従業員 右は井戸川清さん(明大)

 当支部設立発起人会の証人になっていただき、明大校友会設立を喜んで頂きました。 

 

 当日は大貫氏をはじめ11名の皆様がご参集され酒量が上がるにつれ議論多いに活発を呈したと記憶している。会長候補の選任 支部の名称等はスムースであったがマンドリンの公演は五味氏 根田氏の強力な後押しもあり支部の単独開催の方向で設立1年目のメインイベントとする事を決定した。会員の増強については逗子市役所の石渡氏のご尽力で「広報逗子」に案内を掲載しOBの参集を呼びかける事が出来た。こうして具体的な支部設立の第一歩を踏み出す事が出来た。

 幹事の足立氏より支部設立の発起人会迄の記録を残したいとの事で小生に指名があったが何分にも3年前(平成4年)の事であり断片的な事しか思い出せません。それにしてもその後の当支部の隆盛を見る度に船津 森両氏の支部設立への並々ならぬ熱意を思い出し小生も微力乍らご協力を惜しまない積りです。最後に当支部の益々のご発展をお祈りいたします。        (このブログ掲載は松岡寛様よりご了解を得ています)

 

 *横浜銀行逗子シーサイドクラブでは平成7年9月10日第1回逗葉駿台祭も開催 

  現在イタリアレストラン「カンティーナ」として建物内部を改造して残っている

 

 

3.校友会逗葉支部創立宣言文 雑記(平成4年暮れ)  昭和42年卒 足立泰秀

 

 支部創立記念式典に岡野加穂留学長が来ることが決まり、何かセレモニーをと考えていたが思いつかず記念式典の次第は来賓の挨拶 という月並みのもので書き上げることになった。11月15日(日)朝早く散歩の途中、久しぶりに澄み切った空に映える披露山を見たとき「創立を披露する」ということが思い浮かんだ。ここは鎌倉時代源頼朝が全国から届けられた品々を披露したという故事によりいつしかこう呼ばれるようになったということで、この山頂に自由民権に生きた尾崎行雄氏の記念碑が建っていることが思い起された。

 山頂に足を伸ばして碑の前に立つと『人生の本舞台は常に将来に在り』また英文で『On  Life’s  stage , always be prepared  for  the future』と刻みこまれていた。明治大学校友会逗葉支部の創立と今年が明治大学創立111年を考えると大学草創期に自由民権運動に重要な役割を果たした尾崎行雄氏と今、山の緑を守る市民運動で全国的な活動の先駆けとなっている逗子葉山、これこそ当支部の特色ではないかという点にゆきあったった。「本舞台」という味のある言葉と、新たに校友となるべき将来を荷う学生と大学及び校友会のつながりが連想され創立宣言文を作ることが思い浮かんだ。

 児玉花外作、明治大学校歌の歌詞と校友会の目的をからめ、先に大学を出たもののなすべき決意をこめて創立宣言文は出来あがった。

 当日朗々と読み上げた石渡副支部長とこれを直立不動の姿勢で受けていた岡野学長の姿勢は特に印象的であった。創立宣言文は2通作り、立会者として会場店主の石渡詳三氏に店の割り印をしてもらい1通を岡野学長に引き渡しした。もう1通は石渡副支部長の保管となっており、そのうち掛け軸にでもしたらよいのではと思う。

 

 

4.明治大学校友会支部の創立に参画して        昭和42年卒 足立泰秀

  (明治大学商学部石井ゼミナール・石井会会報 

           創刊第30号記念号掲載記事より 平成6年2月発行)

 

 昨年8月の初め我が街、逗子市の発行する「広報ずし」を見ていた妻が明大の記事が載っているという。見ると確かに「明治大学校友会逗葉支部設立へのお願い」という記事が載っているのではないか。逗子市と葉山町は活動を共にすることが多く逗葉地区という言葉が定着しているが、稲門会、三田会とかの逗葉支部の活動は日頃耳にするわりに、明大校友会の話はなかった。とりあえず発起人の家に電話を入れておいた。

 10月も半ばを過ぎて準備会の案内が届いたので顔を出してみると、やはり広報を見て集まった人が多くここでこれまでの校友会の動きが次の通りであることがわかった。校友会は神奈川県下に既に10支部あり、(後でわかったが全国に195支部ある)隣町の鎌倉支部や横須賀支部は活発に地域の奉仕活動を含め活動しており、逗葉地区のOBの有志は誘われて参加している。過去にも逗葉地区に支部設立の動きがあったが果たさず今日に至っていること等々。広報に載った経過は、逗子の船津氏と葉山の森氏がお互いの支部設立の願いを広く呼び掛けており今年の2月に第1回の準備会が開かれ(葉山在住で家族でOBである白石教授の奥様も出席)、これに参加した逗子市役所に勤務する石渡氏のはからいによるものであった。

     

 私が出席したのは第2回の準備会であったが支部創立の意気込みを持った好きな人々が集まったという感じで具体的な計画はこれからということだった。ただ一つ逗葉支部設立を前提に支部主催で来年5月23日明大マンドリン倶楽部演奏会を開催する目標が出来ていた。目標があり差し迫っているため、この期をのがしたら支部の設立は当分できない。こういう話は短期間で決めてしまわなければ進まないということで、1ヶ月後の11月中に創立総会を開催する、そのために集会場を串焼きクローブに決め毎週1回夜集まって打合せすることを申し合わせた。「校友会への届出条件、県下の支部の承認、両支部の推薦状取付、逗葉地区OB名簿(最低50名必要)作成、創立総会・記念式典の日取り・会場・進行役割分担・OB及び来賓への案内状作成」等々を『明治は一直線』というレスリング部OBの五味氏の掛け声とヨット部OBの広瀬猛氏の何でも賛成で1ケ月の間の3・4回の打ち合わせで決めた。

 これらは、準備会に参加した者がおのずと誰言うとなく準備委員となって割り振った役割を各自の判断でストーリー付けしてくれたことと、私をはじめとする昭和40年代前半卒業組みの杉山、広瀬、大川諸氏が、自分たちが動かなければいけないことを判っていたからだと思う。看板、式次第等の書き物は明大書道部創設の黒沢氏の役割となり、私はその文案を担当した。そうこうするうちに創立記念式典に岡野学長の出席が決まり、セレモニーを追加する楽しみが加わった。あれこれ考え、創立宣言文を二通り作り読上げた後、会場の開成堂店主に立会人として店の割り印をしてもらい一部を学長に手渡すこととした。

               (廃棄の運命にある逗葉支部創立のあゆみ写真掛図)

 

 我が街逗子は、ここ数年米軍住宅建設で山の緑を守る市民運動ですっかり有名となり(女性市長が誕生している)この明日をどう見るかという全国的な市民運動の高まりの先駆けとなったことと、また明大創立111年に当たることを考え、大学草創期に時同じくして自由民権運動で重要な役割を果たした逗子にゆかりある尾崎行雄氏の言葉を思い起こして明大校歌の歌詞を絡めて創立宣言文を作り上げた。

 11月21日無事逗葉支部の創立はなり、今年(*平成5年)5月22日には、沢逗子市長、守屋葉山町長を迎え盛大に支部創立記念明大マンドリン倶楽部チャリティ-コンサートを開催することが出来、奇しくも同日逗葉支部の正式承認が駿河台の記念講堂で開催された代議員総会で成された。創立日より丁度1年目の今年(*平成5年)11月20日には、逗葉支部旗の授与式典に89歳の安藤神奈川県支部長、玉井校友会副会長・県下校友会支部・他大学校友会の来賓を迎え、更に岡野学長には再度お来しいただき謝辞をお渡し出来、一連の動きの締めくくりが出来たことに加え、地元の斉藤正直元学長、白石、由井、鈴木(享)、浅田各教授の暖かいご協力をいただけたのは本当に幸運であった。この一年を振り返って大学が今澎湃たる変化の波の中にある時、OBとして地域での我々世代のなすべき役割を一つ果たせたという感じがする。石井会の会報「わ」の30号という区切りにあたり初期のころの当事者の一人として当時を偲ぶとともに最後に「逗葉支部創立宣言文」を記し石井会0Bで新たに支部のOBとなる方々へ今後の活動への参加をお願いし記念としたい。

 

 「我々逗子葉山地区OBは、今年が明治大学創立111年をむかえるに当り草創期の権利自由揺籃の時代を遠くしのび、この逗子葉山地区が自由民権運動に生きた尾崎行雄氏ゆかりの地であって湘南の海のかなたに霊峰不二を仰ぎみる披露山の石碑に刻まれた『人生の本舞台は常に将来に在り」(On  Life’s  stage , always be prepared  for  the  future)という言葉を思い起こす。我らは校友会相互の親睦をはかることは元より学窓を巣立ち社会の本舞台に出ようとする新たな後輩たちを支援し共に奉仕の精神を持って地域社会に貢献し、しいては大学の発展の一助となることを決意した。我らは平成の文化興隆の時代にあって理想に生きる若人が新たな支部の栄をになってくれることを願い先に大学の門を出た者の責としてここに支部創立を宣言する。

      平成4年11月21日 明治大学校友会逗葉支部 支部長 大貫 宏   

  明治大学学長 岡野加穂留殿 

 

 

5.平成5年総会 逗葉支部旗授与式の記録 

                                    (岡野加穂留学長への謝辞と記念品贈呈) 

 

     逗葉支部旗は 岡野学長→玉井校友会副会長→大貫支部長 に授与

 

  昨年11月の逗葉支部創立総会に又、本日の校友会逗葉支部旗授与式の記念すべき日、岡野学長には1年あまりの間に2度も逗子葉山地区にお越しいただきましたこと心よりお礼申し上げます。学長をお引き受けになられてから教壇の現場を離れず全国各地の校友会出席を江戸っ子かたぎで一手に引き受け、体重が5キロ減ってふらふらであるとも聞いておりますので、お呼びするのに大変恐縮ではありましたが、あえてご出席いただきましたこと役員一同深く感謝申し上げます。

 ここに感謝の意を表し、謝辞を朗読し、記念品を贈呈したいと思います。はじめに石渡璋典様より謝辞の朗読を行います。記念品の引き渡しは船津孝二郎夫人の長恵様よりお願い致します。

(謝辞)

 私共の校友会逗葉支部は、昨年11月21日岡野学長の御出席をいただき、また県内支部の暖かいご支援により地元校友の長年の希望を実現し創立することが出来ました。この逗子、葉山地区の特色を折り込んだ我々の創立宣言文を学長にお渡ししてから早や1年を経過し本日ここに校友会神奈川県逗葉支部旗を授与されるにあたり感激を新たにするものです。本日再度学長を当支部へお招きできましたことは、学長の校友会活動に対する強いご厚情と推察し、青木信樹新会長のもと国内外における明治大学校友会の新たな支部としての役割を想う時、身の引き締まる思いが致します。

 大学が今澎湃たる変化の波の中にある時、校友会も同じく社会の大転換の中で変わっていかなければいけない時、この逗葉支部は誕生しました。学長には今後逗子、葉山地区の支部活動を将来にわたって見守っていただきますようご期待し支部会員一同、昨年来からのご厚情に深く感謝申し上げます。また逗葉支部の創立を記念し、校友の「わ」が絶え間なく続くことを願い、ニコライの鐘ならぬ時を刻む記念時計を作りましたが、この裏に本日出席しております我々支部会員の名を刻み「感謝のあかし」として贈呈するものです。

    平成5年11月20日  明治大学校友会逗葉支部 支部長 大貫 宏

    岡野加穂留殿  (代読 石渡璋典)

 

           岡野加穂留学長への感謝記念品(裏)

 

 

支部長章授与)

 昨年11月逗葉支部創立の日より支部長役を大貫宏様に務めていただいておりますが、校友会逗葉支部旗を得た今、本日ご出席のご来賓の方々には大変恐縮ではございますが県下校友会、地元他大学校友会及び斉藤正直元学長初め地元在住教授の方々に署名していただいております先ほどご紹介致しました記念時計を「支部長章」として引き渡しを行いたいと思います。署名の最後になりますが岡野学長の署名をいただければ幸いです。支部長夫妻への引き渡しは五味敬明夫妻よりお願い致します。

 

 

 

        

    上記支部長章は、大貫初代支部長、船津2代支部長、石渡3代支部長、

   砂山4代支部長、山村5代支部長を経て令和5年7月8日の役員会冒頭で

   足立6代前支部長から小川7代新支部長に引き渡されました。署名の字は

   薄くなっていますがこの記念時計は、創立時の想いを伝えて31年の時を  

   今も刻んでいます。

            

            支部創立30周年記念ブログ(1)終了

定時総会と1年遅れの支部創立三十周年記念祝賀会が開催できました

 

     (定時総会と支部創立三十周年記念祝賀会への経過)

 

 6月17日(土)14時から逗子海岸に面したシーサイドイタリアン

              「カンティーナ」で第31回となる令和5年度定時総会を開催しました。

            

 令和元年に同場所で開催以降、新型コロナ感染拡大により令和2年~4年の3年間は校友会本部の許可もあり総会議決を役員会議決に変えて会員の皆様には総会議決書としてお送り致しました。対面での懇親会も開けず、また当然ご来賓をお迎えしての他支部や他大学の方々との交流も出来ませんでした。一般会員の方にとっては貴重な交流の場でもあり残念に思っていました。 

 また昨年は当支部が創立して30周年を迎えた年でしたが、これもコロナ禍で飲食歓談の環境ではなく早々と1年延期を決めていました。残念なことは、支部創立の発起人であり、その後の支部の歩みを推進された2代支部長の船津孝二郎氏と初代幹事長の森英二氏(元葉山町長)がこの間に創立30周年を待つことなく亡くなられてしまったことです。

 

 10年前の石渡支部長代に行った支部創立20周年の際は支部草創期を知る会員も多く、砂山実行委員長の元で逗子文化プラザさざなみホールを予約、明大応援団バトンチアリーディングの学生さんも呼んで盛大に記念式典を行ったことが思い出されます。

    ご来賓に大学、校友会本部、他支部、地元の早稲田、立教の校友会の方々に加えて平井逗子市長と山梨葉山町長もお迎えしてご祝辞を頂きました。また会員でもある久木在住の浅田毅衛明大名誉教授に「明治大学130周年のあゆみ」と題して映像付きで講演もいただきました。この講演内容は当支部ホームページに掲載していますので今も見ることが出来ます。ホームページの開設は平成30年でしたが当支部草創期の内容も講演で触れていましたのでIT委員の鈴木悟さんに載せてもらいました。創立20周年の際の参加者は会員55名、夫人3名、ご来賓17名、応援団6名の81名でした。 

                  

 このこともあり、令和元年の総会で支部長に就任してから創立30周年記念式典開催が頭にありました。実行委員会を作り委員も決めたのですがコロナ禍と草創期を知る役員も高齢化し、今年コロナ感染の減少に伴う開催が可能となっても未だ各所での総会がご来賓を呼ぶ環境に無いことも配慮し、役員会で逗子葉山地域の会員を中心とする記念祝賀会として開催することに致しました。10周年と20周年の慶節には記念誌を作成しましたが、30周年では支部会報「駿台逗子・葉山」の第41号、第42号、第43号を特別記念号とし、第43号に総会及び記念祝賀会の内容を記載することにしました。支部草創期は隣の横須賀と鎌倉の支部様には色々教えていただいたこともあり、紙面の都合で両地域支部長様にはご祝辞をお願いし、上部支部である東部支部長様のご祝辞に加えています。本来これまでお世話になった他支部の方々や地元他大学校友会の方々をお迎えしで対面で感謝を申し上げるべきところではありますが、この当支部ブログで過去の写真も加え、感謝を申し上げる次第です。

 記念祝賀会では小川幹事長の提案もあり、これまで幾度となく総会や新年会に出演して演奏を披露していただいた明大マンドリン倶楽部OBの方6名に再度登場していただき1時間たっぷりマンドリンの音を聞いていただくことを役員会総意で決めています。また会員の同伴者、知人もマンドリン演奏鑑賞は無料としてこれまでのご支援に感謝を表することにしました。

 

(当日の進行は下記の通りでした)

 

一部役員、マンクラ集合  12:30

役員の集合時間              13:00

受付                             13:30~14:00

総会                             14:00~14:30

 開会のことば (司会・根岸事務局長)

 物故会員へ黙祷

 ご来賓紹介  (神奈川県東部支部幹事長 平戸明彦様)

   本日は誠におめでとうございます。

 支部長挨拶  (足立支部長)

 議事     (議長・支部長)

    第1号議案 令和4年度活動報告に関する件 (説明・小川幹事長)

    第2号議案 令和4年度会計報告に関する件 (説明・中山会計担当)

          会計監査報告         (報告・白石監査委員)

    第3号議案 役員選任(案)に関する件   (説明・足立支部長)

    第4号議案 令和5年度活動計画に関する件 (説明・小川幹事長)    

    第5号議案 令和5年度予算(案)に関する件(説明・中山会計担当)

    *議事は全て可決されました。

   閉会のことば (司会・根岸事務局長)

    *総会終了をもって小川幹雄新支部長以下新役員体制に移行となりました。

    *新役員紹介 

 

 休憩                        14:30~14:45

   この間にマンドリン鑑賞のみの方入場

 マンクラ演奏          14:45~15:45

   赤岩大輔リーダー祝辞を含む挨拶

   小坪出身の高橋宏行メンバー挨拶

   マンドリン演奏14曲 (マンクラOB作成プログラム掲載写真を参照)

     

 休憩           15:45~16:00

 祝賀会懇親会       16:00~17:30

   開会の挨拶  (司会・鈴木達也新幹事長)

   支部長挨拶  (小川幹雄新支部長)

   支部創立発起人代表挨拶(石渡瑋典氏)

   ご来賓祝辞  (東部支部幹事長 平戸明彦様)

   乾杯     (桐島元樹氏)

   歓談

   校歌斉唱 ・エール    (東部支部幹事長 平戸明彦様)

   閉会のことば (司会・鈴木達也新幹事長)

 

 *付記:明治大学から総会祝い 日本酒“おお明治”2本、焼酎“独立自治”“権利自由”

     各1本届く。また全国校友愛知大会の案内書類も届き参加者に受付で配布。

 

(当日)

 当日は天気も良く、駅前と亀ヶ岡八幡宮境内では逗子市商工会主催の「第31回逗子みやげまつり&マルシェ」が開催されていて、電車やバスで逗子駅や逗子葉山駅に出て来られた方は賑わいを目の当たりにされたと思います。会場入口からは逗子海岸が良く見え6月30日の逗子海岸海開きを前に浜では海の家の建設が進み、海上ではウインドサーフィンが波穏やかな中にも走りゆくのが見えました。この海岸が明大体育会ボードセーリング部の練習場であり。明大セールNo46を見かけるとこれまで校友会として一度「若布で一杯」の行事で接点を持った記憶もありますが交流を広げられなかったことを申し訳なく残念に思います。

 

      (明治大学校友会逗子葉山地域支部 第31回定時総会)

 

 

支部長挨拶  (足立支部長)

 支部長をしております足立です。令和2年の新年会を行って以降、今年の新年会開催までコロナということで予定した行事がほぼ出来ませんでしたがコロナ感染の減少で総会が出来ることになりました。本日はまだ6月半ばではありますがお暑い中、第31回定時総会と併せて1年延期致しました支部創立30周年記念祝賀会にご参加頂き有難うございました。本来ならば支部創立30周年ということで他支部とまた地元他大学の方をお呼びして今までのご支援に感謝を申し上げるべきところではありますが、昨今他支部や他大学も来賓を呼ばないということが続いておりますので、ご案内は上部支部の神奈川県東部支部のみとし、今回は4年振りの総会ということで地元校友の方を中心に総会とマンドリン倶楽部OBの方の演奏を充分に聞いていただき祝賀会懇親会につなげることと致しました。記念式典ではなく祝賀会と致しましたので宜しくお願い致します。支部創立30周年の挨拶については祝賀会で創立発起人代表の石渡さんにしていただきますので私からは省略させて頂きます。本日は懇親会最後までどうぞごゆっくり有意義に過ごしていただければと思います。

 

新役員を承認

 総会では支部40周年に向けて新しい役員体制が承認されました。これまで若い卒業生を呼び込むため、また高齢者への配慮の意味もあって役員会に出席出来なくなった方も役員としてきました。さらに内規で役員を退任した後も副支部長、幹事長、監査委員、副幹事長だった方は有資格者として理事や参与の肩書を付していましたが、この内規は新役員体制を契機に総会前の役員会で削除することにしました。今年は役員改選期でもあり。4年前の総会における役員名簿には顧問までで44名の方が載っていました。12名の方が亡くなり、体調不良で自宅療養や施設入居及び転居の方が10名程おられ毎月の役員会には出席を要請できませんので役員名簿から外させて頂きました。

 最終的に総会前の6月役員会で総会議案書記載の16名の方を役員としましたので、名前の無い方は一般会員となります。希望の行事等へご参加と今まで通りご協力いただける際は現役員へのご支援をお願い致します。総会を欠席された前役員、有資格者の方には新役員について確認いただくため総会時配布した資料をお送りしています。 

 

             (マンドリン祝典コンサート)

 

 総会後に支部創立30周年記念演奏として 24年前から当支部の行事の際に出演していただいている赤岩大輔さんをリーダーとする明大マンドリン倶楽部OB6名の方に再度出演頂きました。「マンドリン祝典コンサート」と銘打ってプラグラムも作成されて持参され、出席者全員に配布して頂きました。曲目はプログラムの写真をご覧ください。これまでの出演経歴・写真をこのブログ末尾に<追想>として記しておきます。

 

赤岩大輔リーダー祝辞 - - -プログラム(写真)に記載

 明大卒業後家業の傍ら平成6年「東京マンドリン合奏団」を旗揚げ。一方明治大学

 マンドリン倶楽部OB会有志の「お茶ノ水マンドリン倶楽部」として各地で演奏

 

 

小坪出身の高橋宏行メンバー挨拶

 本日は逗子葉山地域支部の皆さん おめでとうございます。私は逗子の小坪というところの出身で、亀ヶ岡団地です。逗子海岸とか葉山、何十年も前になりますが大変懐かしいです。卒業してからかれこれ35年程経ちますけど逗子に住み引っ越しして校友会の応援が出来なくて本当に申し訳ないのですが、私は転勤が多く大阪、千葉、埼玉、群馬、東京いろんなところに住んでいろんな景色を見た中でこの逗子葉山の景観美ですね、伊豆半島、大山、富士山、丹沢もありますね、本当に良いところです。いろんなところに住んで風光明媚な逗子葉山本当に良いところです。今日はこの逗子で演奏しますので宜しくお願いします。

 


 

                         (当支部創立30周年記念祝賀会)

(祝賀会)

 当日一日だけのために沼間にある(有)アスカ工芸で「明治大学校友会逗子葉山地域支部 支部創立三十周年記念祝賀会」の縦長の垂れ幕(写真)を作り、会場の窓側に掲示しました。創立20周年記念式典の際は書道クラブの故黒澤溪氏が墨書した大きな横書きの平成二十四年定時総会の垂れ幕(年号のみ張り替えて使用)の上に小さい字で支部創立20周年記念式典と墨書した紙を貼ってすませ、評判が良くなかったことが頭にありました。

祝賀会での挨拶及びご来賓祝辞はテープに録音させて頂きました。以下の内容を紹介しておきます。平戸様にはご了解をいただいています。

 

支部長挨拶  (小川幹雄新支部長)

 本日の総会で支部長を承ることになりましたので一言ご挨拶申し上げます。昨年、当会は創立三十周年を迎えましたが、この大きな節目に重責を担う事になりました。三十年の長きにわたり歴代の支部長初め先輩の方々が築かれた歴史を継承し発展させるよう微力を尽くしたいと思います。私は入会してまだ七年で二年目には幹事長に就任し六年間務めて来ました。高齢化対策や支部活動の活性化等、課題は山積みされておりますがコロナ禍での活動休止等もあり 対策はなかなか思う様に進んでおりません。高齢化対策としましては新年会から一泊忘年会に至る各種の年間行事や同好会活動への新しい会員の参加促進。校友会で把握している逗子葉山在住の卒業生の名簿を基に積極的な入会の呼びかけを行うなど、これまで以上に活動を活発化したいと思います。既に後期高齢者で決して若くもない私ですのでご期待にお応えできるかどうか不安ではありますが、新任されました幹事長初めとする役員の方々と協力して“前へ!!”進みたいと思います。宜しくご支援のほどお願い申し上げ、ご挨拶とさせて頂きます。

      - 

支部創立発起人代表挨拶(石渡瑋典氏)

    

 石渡発起人でございます。コロナがまん延して4年近く出合いの機会がほとんどな い、そういうところ31年経った本日ここに祝賀のパーティーが主催できることは力になった6代目の足立支部長に感謝を申し、ただいま7代目の支部長になられた小川さんに対しこれから宜しくとお願い申し上げたいと思います。 

 31年前の平成4年6月11日発起人会という会合を開催致しました。- - -以下発起人会メンバーの船津孝二郎氏、森英二氏、大貫宏氏、五味敬明氏等の名前をあげて紹介いただきました。発起人会の会場となった横浜銀行シーサイド倶楽部はこのカンティーナの場所で同じ建物です。11月21日の創立総会前夜にご指導いただいた鎌倉支部の牧田様や横須賀支部の牧島様の紹介もありました。特に五味敬明氏の尽力で第1回明大マンドリンコンサートが早々に逗子開成記念ホールで開催に至った話、支部創立の条件である会員50名集めるため逗子市広報に案内を出した話、打合せ場所が逗子銀座通り串焼きグローブだった話、創立総会を石渡薬局2階(フランス料理店サンテルミ)で岡野学長を迎え開催した話も出ていました。- - - 会報第43号に別内容で謝辞として掲載

 

・ご来賓祝辞 (東部支部幹事長 平戸明彦様)

 神奈川県東部支部幹事長をさせて頂いております平戸明彦と申します。本日はこのような素晴らしい祝賀会にお招きをいただきまして誠に有難うございます。本来ならば支部長である向井支部長がご挨拶しなければならないのですが、たまたま本日明治大学の全国支部長会が重なり、元明治大学理事になられていて現在も校友会の相談役なので欠席は難しいということで断腸の思いでここにおられませんがくれぐれ宜しくお伝え下さいとのことです。申し訳ございません。

 さて、この度は創立30周年本当におめでとうございます。神奈川県東部支部は規模は日本一の38,000名の校友の方々を抱えておりまして、逗子葉山地域支部はその中の1つでございます。とにかく逗子葉山の会報誌が素晴らしくて毎回足立支部長から送っていただけるのですが、熟読すると小一時間はかかるというその構成、内容など全国屈指はおろか、多分どこにもない素晴らしい地域誌だなと思い毎回楽しませていただいています。それからヨット部合宿所もありまして皆様方と学生さんが直接触れ合い、支援されているということで非常にアットホームな地域支部と思います。そして30年も続くということは本当に皆さん仲良く過ごせているんだなと思います。

 話は変わりまして、神奈川県東部では代議員制をとっており、総会などの案内数が限られます。そ分の代わりに地域支部がエリア内校友に直接地域支部総会の案内する場合などの郵送費等が大学校友会事務局より援助いただけるシステムとなっております。特に新会員募集に大きく寄与できるのではないかと思いますので是非ご利用してほしいところです。結びに、瀟洒な住宅が多いハイソサエティーな街に呼ばれて嬉しく思います。こんな綺麗な自然豊かな海と素敵な街があって本当にうらやましく思いました。

 (付記)大学からの郵送費援助については令和3年度から当支部も申請受理しておりますが、対象が終身会費納入者分のみとなっておりますので、まだ納入前の方は是非納入をお願い致します。

 

(懇親会)

 

 

  左から秋元新副支部長・マンクラキーボード丸山さん・

                     小川新支部長・根岸新副支部部長 

 


(散会後)

二次会を平戸東部支部幹事長を交え“すなっく舞”(カラオケクラブ会場)で行いました。また赤岩さん一行は小坪出身の高橋さんに大崎・披露山公園に案内してもらい夕焼け絶景を見られたそうです。

                 

 

 

 

       < 追想支部創立20周年の時はどうだったのかな!!

 

      (以下は平成24年6月の支部創立20周年の際の写真です)

(中央:講演 いただいた故浅田毅衛明治大学名誉教授 右:向井眞一校友会副会長様)(右下:逗子葉山に深い思いを寄せていただいた故中井克明横浜地域支部支部長様)

 

 

 (創立20周年記念式典に出席の故森英二初代幹事長、故船津孝二郎二代支部長)(左下:逗子葉山立教会会長 故岸野浩平様 右下:逗葉稲門会会長 故須賀一朗様)

 

 

   

     < 追想明治大学マンドリン倶楽部OB会の方々の当支部演奏!!

 

 赤岩さんをリーダーとする明治大学マンドリン倶楽部OB会の方々は当支部30年の歴史の中で24年歩みを共にしてきました。演奏会場を見ると当支部の歴史を垣間見ることが出来ます。

 

     (  以下は過去当支部総会と新年会等に出演した写真です )

 

 平成11年11月 6日(土)当支部総会(逗子マリーナ・イルピラータ)演奏

 

 

平成12年12月 2日(土)当支部総会(逗子開成学園・海洋教育センター)演奏

 

 

平成13年11月10日(土)当支部総会(葉山マリーナ・エメラルドルーム)演奏

 

 

 平成14年11月 9日(土)当支部総会(葉山湘南国際村センター)演奏

    (当支部創立10周年記念式典 国際会議場の前のホワイエ)

 

 

平成18年 1月14日(土)当支部新年会(葉山マリーナ・エメラルドルーム)演奏

 

 

平成20年 1月19日(土)当支部新年会(観音崎京急ホテル・浜木絹)演奏

 

 

平成28年 9月24日(土)白石幸子幹事お祝い会(鎌倉パークホテル翠雲)演奏

 

 

平成29年 6月24日(土)当支部総会(逗子文化プラザ・さざなみホール)演奏

 

 

 令和5年6月17日(土)当支部総会(シーサイドイタリアン・カンティーナ)演奏 

   *今年を迎えました。写真は前掲。

 

        

                 (完)  文:足立 、写真:鈴木悟     

尚 追想部分の写真は支部創立2年目から参加して支部の写真係を務めた故西山隆治氏による写真であり支部創立30周年にあたり改めて感謝するものです。

 

 

 

 

 

お花見会を4年振りに異常ともいえる状況下実施しました

 年間行事のお花見会は、今年3月25日(土)10時からの開始を11時からに変更して桜山中央公園で開催予定にしていました。

 最近の天気予報は気象観測の精度向上でまず外れることがなくなっていますが、どういう訳かこのお花見会の1週間前頃から毎日の天気予報がコロコロ変わり当日の雨を心配させるようになりました。3年間続けてコロナで中止していたことと、「支部創立30周年記念お花見会」の位置づけにもしたかったので25日の好天を願うばかりでした。3月17日には小川さんから会場近くの道路の桜並木の開花情報も写真で送られてきていました。しかし28日(火)に延期いたしますとの連絡をせざるを得ないこととなりました。28日に実施となりましたがこれも異常ともいえる実施でした。

 

 

         明大校友会「お花見会」日程変更のお知らせ

逗子葉山地区会員各位 

 先に「お花見会」を4年振りに開催することになりましたのでご案内を致しました

が、予定の3月25日(土)の天候が小雨が強まるとの予報です。予報は2~3日

前や朝と晩で変わってきて23日15時現在は曇のようですが、降水確率40%で

気温も前日よりかなり下がると見込まれるため25日(土)を28日(火)に延期

することにしましたのでご連絡致します。 

 校友との一時の歓談を求めて散歩がてらお出かけ下さい。

 

 日時:令和5年3月28日(火)11:00~14:00

 場所:逗子市桜山 桜山中央公園

     JR逗子駅からイトーピア行バス 桜山公園バス停下車 

      *先の案内は土日ダイヤでしたが平日ダイヤにかわります。

    (JR逗子発:10:10,10:40、又は11:10,11:40)

 会費:無し 但し各自昼食と飲み物持参下さい。

 その他:

  1)ブルーシートの上に赤い毛氈を敷いたグループです。

        明治の小旗を2本ほど出しています。

        近くに公園内のトイレもあります。

  2)途中参加、途中退席、家族や知人同伴もOKです。

  3)参加申込不要ですが、参加の方で返信をいただければ幸いです。

 

     2023-3-23   逗子葉山地域支部 支部長 足立

 

*お花見会の内容は、参加者と参加を予定していた人への以下の報告の通りでした。 

     昨日のお花見会とカラオケご苦労様でした 

       メール:小川、根岸、鈴木達、山村、佐藤、鈴木悟

       FAX:豊田、綾部、高梨、日向、川崎、 

 昨日の延期したお花見会は開催できて大変良かったと思います。 

 参加予定者は足立、小川、根岸、鈴木達、山村、高梨、青海、石渡、日向、川崎、豊田佐藤哲夫、森夫人の13名で3月25日を28日に延期したため綾部、中山、秋元の3氏は不参加となっていました。鈴木悟、砂山の2氏は不参加から参加に変更の可能性も期待しましたが特に連絡は有りませんでした。 

 昨日は朝9時現在小雨が続いていて9:01高梨さん、9:02山村さん、9:11

青海さんから電話確認が入りました。山村さんは日向さんと参加予定だったとのことで

11時に雨が止むとは思えないとの意見でした。高梨さんは風邪気味とのことで、この

時点で状況から中止にして再延期は無しと返事をしましたので、山村さんと青海さんに

も同様の返事をしました。9:10小川さんに電話しましたが繋がらず、9:48佐藤

哲夫さんから風邪気味のため欠席のメールが入っていました。

 

 9:53小川さんから電話が入り桜山の天気予報では11時は雨が上がるのでともかく会場に行くしかないこと、カラオケ会場すなっく舞は急きょ店を開けてくれることになったので、お花見会後に行くことにしたとのことでした。3氏に中止と伝えたので青海さんに電話も繋がらず、山村さんには小川さんから電話をお願いした結果、山村、日向両氏はお花見会欠席もカラオケは参加となりました。

 

 ここ1週間の天気予報は毎日コロコロと変わり、前日も28日と29日は晴れの予想でしたが、前日夜からの雨が朝までつづいていたため参加予定者も当然中止と思って結局集まったのは場所取りの豊田さん、鈴木達さん、足立、根岸さん、小川さん、石渡さんの6名でした。11時にはほぼ止んでいましたが曇空でブルーシートと赤い毛氈は従来の場所から木の下へ、ついで石の長椅子のある場所の横と3回敷き直ししました。

 

 数日続いていた雨も小雨のためか地面はぬかるみにはなっていなかったので、雨上がりのお花見会を4年振りに開催し、見頃の山桜も愛でて中止にしなくて良かったの思いが深まりました。

 

 豊田さんには場所取りに加え缶ビール1箱分とシュウマイの差入れをいただき、各自持参の弁当、酒、ワインとつまみを回しながらマスク無しの屋外歓談宴会が戻ってきました。足立持参の携帯おかん器で石渡さん持参のワインをホットワインにして豊田さん以外の皆で飲みました。その後シューマイも紙コップに入れて温めましたが、紙は失敗で熱伝導率が低くあまり熱くなりませんでした。

  ガスボンベから携帯おかん器に変えました

 

 4年前のイノシシ年はイノシシ桜(ボタン桜)とイノシシ酒(ボタン酒)記載の配布物があって説明もしましたが、さすがにウサギ桜とウサギ酒のうんちく話は無しでした。兎酒はトシュと読むので陶淵明の「歓を得ては当に楽しみを作すべし 斗酒比隣を聚む」の詩を豊田さんに話しています。(嬉しい時は大いに楽しみ騒ごう。酒をたっぷり用

意して、近所の仲間と飲みまくろうの意)2年前に亡くなった西山さんが健在であれば

詩吟も出たと思うと残念な気がしました。出典は後日に豊田さん宛FAXとしました。

 

 お花見会なので盛りを過ぎたソメイヨシノ話も出ました。サクラの苗を頒布している「公益財団法人日本花の会」は病気に弱いなどの問題を抱えているソメイヨシノの苗木の販売を平成21年(2009)から取り止めていて現行のソメイヨシノに代えて神代曙(花色が淡紅色でやや濃くなる)を植樹するよう奨めているそうです。 

   ソメイヨシノ

 神代曙

 

 葉と花が一緒の山桜の大木が丁度見頃でした。初め大島桜と説明もありましたが、山桜に訂正でした。

 山桜

 大島桜

 

 13時近くに花見のグループも2~3組顔を出し、若手グループのお嬢さんに皆の写真を撮ってもらい開催の証拠としました。お礼に携帯おかん器を1個差し上げました。

 

 終って足立、小川、鈴木達、石渡4名はカラオケ会場に行き、間もなくして山村、日向の両氏が合流、17時過ぎまで暫くぶり石渡、日向両大先輩を交えて沢山歌を入れて聞き入り歓談をしました。お花見会の後なので最初「花」の歌詩が出てくる歌を唄おうということになって鈴木達也さんの「花の首飾り」でスタートし「熱き心に」「津軽平野」「四季の歌」「さざんかの宿」「くちなしの花」等出たと思いますが、あと思いつかずフリーの歌に変えました。白石さんが参加していれば「夜桜お七」が聞かれたと思います。 

 

 このメールは記憶力が落ちているので忘れないための備忘録で送っています。

                 2023ー3ー29   足立

 

豊田様

     陶潜(陶淵明)雑詩 

人生無根蒂 飄如陌上塵 分散逐風轉 此已非常身 落地爲兄弟 何必骨肉親 

得歡當作樂 斗酒聚比鄰 盛年不重來 一日難再晨 及時當勉勵 歳月不待人

 

人生《じんせい》根蒂《こんてい》無し 

飄《ひょう》として陌上《はくじょう》の塵《ちり》の如《ごと》し
分散《ぶんさん》して風を逐《お》いて転《てん》ず
此《こ》れ已《すで》に常《つね》の身に非《あら》ず
地に落ちて兄弟《けいてい》と為《な》るは

何ぞ必ずしも骨肉《こつにく》の親《しん》のみならん
歓《よろこび》を得《え》ては当《まさ》に楽しみを作《な》すべし
斗酒《としゅ》 比隣《ひりん》を聚《あつ》む
盛年《せいねん》 重ねて来たらず

一日《いちじつ》 再び晨《あした》なり難《がた》し
時に及んで当《まさ》に勉励《べんれい》すべし 歳月《さいげつ》人を待たず 

 

*** この報告で豊田さんからFAXで下記のような過分と思える意義ある返信がありました。蘊蓄披露はそろそろ止めようかなと思っていた矢先で受け止めていただいていることに感謝を込めて紹介しておきます。

 

 花見会の時 紹介された中国の詩人 陶淵明の雑詩 良い詩でしたね。私蔵本にありました。

 一冊は岩波 中国詩人選集4  陶淵明(名は陶潜 字は淵明或は字は元亮とも)

 一冊は筑摩 中華飲酒詩選32 50名弱の詩人中一番で350頁の中の30余頁

 雑詩とは一種の無題詩 十二詩中の「その一」が紹介の詩でした。

 人生無根蒂(人生根蒂無し) 蒂・・・木や野菜の実を幹につないでいる物

 

以下 ・・・歳月不待人まで、本では詳しく読み方を解説してありましたから私にも読めましたが、その上で足立さんの読みをなぞると もっとこの詩の良さが判る様に感じました。良い詩です。足立さんの読みの方が 読む人がもう少し膨らませて読めますね、だから基本の意味・解説を変えることなく多様な理解が出来ると思います。

 五言絶句や五言律詩にとらわれていません。あえて言えば絶句に律詩を加えて十二詩(十や十六詩もある)

いつも(お花見会で)蘊蓄を聞いているのですが、「よく種(資料)をみつける」ということで感じいっております。私は高校の教員の仕事の1/3は読書だと思っています。(残り1/3が授業更に1/3が部活動指導と生徒指導)。生徒の知的好奇心を刺激し、それに応えて膨らませていくために専門教育・科目だけでなく別の分野の読書も欠かせません。高校の教員の多くが読書に勢力をかけている訳ではなく、私を含めてダイジェストなレベルにとどまっている者の方が多いのが現状のような気がしますが、それだけに教員でない方の蘊蓄というよりもそれを越えたレベルアーツ(知的教養)の深さに憧憬を感じます。会報でそれをどの程度、紹介できるかは判りませんが逗子葉山地域支部の花見が陶淵明の言う飲酒・会食の楽しさに加えて、参加者の力によって知的交流に場になっていることを紹介できるといいなと思っています。花見は人数も予定を下回り、好状況の中での実施にはなりませんでしたが、内容的には成功と評価できるものだったと思います。有難うございました。(豊田)

 

明大校歌を合唱出来ない新年会でしたが3年振りに開催しました

 1月21日(土)12時より逗子市沼間にある日本料理の老舗「魚万」の2階和室(椅子席)で令和5年逗子葉山地域支部新年会を3年振りに開催しました。「魚万」は14代続く魚屋で2階の落ち着いた雰囲気のお座敷で自慢の日本料理を堪能しました。

 畳部屋での新年会は平成8年の葉山新田なか、平成12年の葉山町福祉文化会館2階和室、平成13年葉山日影茶屋、平成27年逗子魚勝がありましたが全て畳に座っての新年会でした。昨今他と同様 魚万は畳部屋を椅子席にして高齢者に配慮していました。

 令和2年1月の新年会後から新型コロナ感染拡大が続き令和3年は当然中止、令和4年は役員各位の開催願望が強く1月開催は無理でも2月に延期して様子をみようとのことで会報1月号にも新年会の記事を掲載、1月に案内を出す手順で進めていましたがやはり開催はできませんでした。今年令和5年の新年会は昨年会報第42号(1月号)原稿締切時点では感染も減少傾向がみられ1月開催として会報にも掲載し会員には会報と共に新年会開催のご案内を会費6,000円として年末には届くようにお送りしました。

 まず新年会当日の報告の前に、この新年会の特色を3つ先に述べておきます。

  • コロナ感染対策を重視した例年恒例の楽しいイベントをすべて中止した静かな飲食と対面の小声での懇親でした。移動も極力控えました。
  • 新年会の会費は無料としました。
  • 新年会に欠席された方や出席された方から、このコロナ禍の3年間、会報発行や少ないながら行事開催に向けて手弁当で尽力した若手役員慰労として寄付をいただきました。

 *会費を無料にした諸理由につき説明しておきます。

①1月役員会時点ではコロナ感染拡大傾向で出席いただいた会員の方が期待した新年会

 ができない。

②当支部はコロナ感染以降、予定した例年の行事が開催出来なかったため、令和2年度

 と令和4年度につきましては支部長の提案に役員・監査委員が賛同し年会費3,00

 0円を免除してきました。会員の方には2年分年会費6,000円免除しています。

③令和4年度も総会中止や他支部・他大学の総会中止や案内がなく祝儀等や他の経費支

 出が少なかったことと期末資金残を考慮。

④コロナ禍で大学に学生支援金として既に50,000円寄付しているため資金を会員

 に向けたい。

⑤新年会が一般会員に呼びかけた当年度の最後の行事でもあり、この新年会が支部創立

 30周年記念でもあること。

等を考慮した結果1月役員会で決めましたが最終決定ではなく、重要な会計事項ですのでお二人の監査委員にもご意見を伺いご賛同いただきました。

 

(会場下見で思う)

 感染下降ぎみとはいえ3年振り開催のため支部長として事前に会場を下見しました。魚万はかなり前に沼間にある逗子商工会館2階で総会を開催した際に料理をお願いしたことがあり、今でも野菜の煮物が美味しかった記憶が残っています。マンドリンコンサートでもプログラムによく広告をいただいていますので下見の際はこのお礼も再度しています。

  上の写真一番右側の入口から入ると横幅のある手摺りの着いた階段がすぐ目に入り、高齢で足のやや不安な方でも安心かなと思いました。2階廊下の脇に手洗いと衣紋掛けも十分にあり、和室が4部屋ありました。天井には空調も多く設置してあり、柱の構造からもともとは2部屋だったのを4部屋とし少人数の対応にも使えるようにしたようです。

 下見の際は襖もまだしたままで板廊下から畳廊下の先には「無量寿」の書が掛けてありました。(当日は別の額でした)。昔書道クラブで日向さんを含む書道クラブで葉山新善光寺で心経を書いて納書会を行った際に無量寿経四誓偈を書いて合わせて納めたことが思い出されました。また経の文句の「願」から昨年12月亡くなったという知らせを受けたばかりの四十八願稔元鎌倉支部長や当支部会員で新年会のご案内を差し上げた中井克明前横浜支部長の正月の急逝も思い出されて、支部創立30周年新年会を迎え当支部の昔を知る人が少なくなったのを残念に思いました。

 部屋の中に掛けてあった漢字一文字の額(上)は元書道クラブ員としても読めませんでしたがあえてお聞きしませんでした。

 

(当日の報告)

 会場入口の前に大きな鉢に入った植木がありましたのでお店の方に断って明治の小旗を根岸さんと括りつけておきました。また会場の部屋は下見で鴨居があることが判りましたので、小道具を用意して「明治大学校友会逗子葉山地域支部 新年会」の縦長垂れ幕を掛け、明治の小旗も適当に秋元さんが飾ってくれました。参加者は22名で来た順に空いた席に着いていますが、良くしたものでいつものメンバーのかたまりになっていました。12時開会予定でしたが遅れた方もおられたので少しずらしました。

 小川幹事長の司会挨拶で出席者にお礼と、本日の新年会の進め方や会費無料の説明もありました。ビールが席に出される間に支部長挨拶となりました。

   

            支部長 足立

 特に余興も無いので時間をもらいたかったのですが長い挨拶は良くないのは重々承知も8分も過ぎてしまい切り上げのサインが出て一部支部長書面挨拶にしました。その後最高齢で卒寿を迎えられた桐島さんの乾杯挨拶で全員立ってコップを隣同士合わせながら再会を祝しました。あとは個々のテーブルでの懇親となりました。

    中締め挨拶の秋元さん             司会の小川幹事長

 

 支部創立発起人の故森英二夫人の勝美さん  初参加の青海さん    綾部さん

 

             受付の根岸さん   日向さん

 

       初参加の佐藤さん          久しぶりの関本さん

 

            砂山さん          田澤さん

 

     乾杯挨拶の桐島さん        長唄披露の齊藤さん

 

                            大川さん

 

         中山さん               川﨑さん

 

 司会から指名があって挨拶もありました。支部創立30周年でもあり支部創立発起人の故森英二氏の奥様で準会員でもある森勝美さんからもその旨のご挨拶をいただきました。暫くぶりの関本さんからもご挨拶いただき、私はこれまで関本さんと懇親の機会をのがしていたので隣の席が空くのを待って行きお話できました。

 なお会則の変更で慶事表彰が無くなったあとも西山さんが生前明大グッズを用意し過去2回ほど新年会で敬老祝賀をおこないましたが2年間新年会も出来ず、また1度は対象で祝った方も多く、若手役員からは来年以降も無しで良いとのことで新年会時の敬老祝賀は時間短縮の意味や誕生日登録が好ましくないため廃止しました。

 やはり集まった会員が立って肩を組み明大校歌を合唱し昔を思い出すことが元気の源なのでこれが出来ない新年会は味気ない感じがしますが、司会から指名されて一番壁際に座っていた斎藤さんがコロナに配慮して声をやや抑えて長唄を披露いただいたので新年会の雰囲気を感じることが出来ました。終わりに一番若い秋元幹事が中締めの挨拶をして全員立って関東一本締めで手を1回叩き閉会となりました。その後参加者全員で集合写真を撮っています。

 

             ↑

           石渡さん(椅子)

  写真を撮っていただいた高橋さん(前列)

    ↑             ↑    ↑             

 受付の鈴木達也さん     山村さん 鈴木立身さん(後列)

 

 写真を見る限り高齢者の方が多く明日の支部を心配されている様子が感じられた新年会でもありました。

 鈴木悟会報編集委員長が法事で出席できなかったのは残念でしたが、長らく行事の写真係だった西山さんのあと写真は鈴木悟さんが撮ってくれていましたが、今回は高橋先輩にお願いしました。集合写真だけではやはり行事の思い出も蘇らないので多くの写真を撮っていただいた高橋さんには大感謝です。受理した写真は全て掲載しました。

1)高橋様から写真送付にあたりコメントもありましたのでご本人にも伝えご紹介して 

  おきます。

 新年会お疲れさまでした。久しぶりの開催でしたが、矢張り人間はお互いに顔を合わせて語り合うことが最大の健康法と感じました。有難うございました。この間病気になられた方、亡くなられた方、少々認知症?気味の方等環境が変わっていることに我々の年齢が急速に進んでいることを感じます。健康寿命を延ばすヒントは多々ありますが、好奇心を持つ事、物忘れを時間を掛けても思い出す事、仲間と話し合うことと言います。今回の新年会に参加して皆さんが楽しそうに貪欲に語り合っている光景をみて感じました。

2)新年会と合わせて会報第42号送付後に、体調上行事参加が難しい豊田会員(S38

  政経卒)から読後感が寄せられています。新年会で披露も難しいのでこのブログで

  紹介させて頂きます。 

 氏家、三武両氏の訃報を知り、総会や新年会で私が校歌斉唱とエール交歓を行う時によく励まして頂きました。両氏のご冥福を祈ります。会報第42号をザーット拝読、とても面白く拝読した記事は ①秋元正己さん「会員寄稿」 ②川崎さんの「箱根駅伝」③小川さんの「ラグビー明早戦 9年ぶりの国立対決制す」と「東京6大学野球祝春秋連覇と日本一」その他 支部発展期前半10年の活動歴の抜粋 多方面にわたって充実していることを示している。改めて凄い活動力だなと感じました。これだけの活動を行うには歴代支部長・幹事長が事実上の専従でなければ出来ないことと私は思います。ありがとうございます。

 

 新年会終了後に若手役員と一部の参加者で逗子駅前に戻りカラオケボックスで恒例の慰労会を行いました。3月のお花見会行事は残っていますが、新年度に向け検討事項も多く今後役員一同意思合わせをして進めていきます。

                 (文:支部長 足立、 写真:高橋)