2020/01/10背景変更 裕次郎灯台

全国校友福岡大会の思い出「足を伸ばし熊本を訪問」後編

 10月12日(火)は予ねて連絡していた熊本市南区川尻にある老舗酒造「瑞鷹 ㈱ の東肥蔵」を訪問しました。熊本県中心部から南方へ8kmの所にある川尻地区は、早くから海外との交易港として開け、江戸時代には緑川流域の物資の集散地として栄えました。船着場の近くには年貢米の集積地とされていた「熊本藩川尻米蔵」があり、その近くで酒造りを始めたのが「瑞鷹」とのことです。

 蘆花の縁で船津支部長発案で逗子の町起こしも考え焼酎「ろか」が実現の一歩を歩み出した感を強くしました。吉村圭四郎専務と吉村朋晃常務さん達に歓迎していただき帰ってからも吉竹照明(有)瑞鷹赤酒東京店長さんとも話が続き、昨年亡くなった砂山昇先輩が「“新ブランド焼酎” 発売事業計画」まで作られていましたが諸般の事情で計画中止となりました。瑞鷹の「赤酒」はうなぎの垂れに欠かせず、土曜のうなぎの日になると瑞鷹訪問を思い出します。

 

 その後に天草五橋を渡って天草四郎像やメモリアルホールを見学したのは参加者にクリスチャンの方がいたからではなく徳富蘆花がクリスチャンだったからと折角川尻迄来たので寄ったということです。2~3か月早い時期で有れな天草の市花ハマボウの群生地にもジャンボタクシーで寄ってもらいたかったのですが既に花は終わったあとで行っていません。

 

 熊本市内に戻り熊本城天守閣に登り、展示してあった碁盤も確認、また水前寺公園をゆっくり散策して熊本空港から帰路となりました。空港には焼酎「しろ」の大きな看板が我々を見送ってくれました。

    (我が家にある銀杏の板目碁盤とよく似て、板目碁盤でした)

 

 

1.熊本県支部へのお礼状 

                           平成16年10月17日

  明治大学校友会熊本県支部

   支部長 野上 禮之介 様

   幹事長 米村   弘 様

                        明治大学校友会逗葉地域支部

                          支部長 船津 孝二郎

 前略 先日の熊本旅行の折りには、ご多忙にも関わらず、また野上支部長様にはご体調不良にも関わらず、懇親の場を設定いただき誠にありがとうございました。

 「青柳」で熊本の珍味、美酒を味わいながら、熊本、逗子・葉山の話、支部行事の話、共通する徳富蘆花の話等話題に花咲き、楽しく有意義なひとときを過ごすことができました。

 また、米村幹事長様には「瑞鷹」の吉村専務様にご連絡いただいたお陰で、翌日吉村専務様にもお会いすることができました。ご厚意に厚く御礼申し上げます。

 焼酎の件につきましては、吉村常務様と今後検討していくこととなりました。

 私共の今回の旅行は、全国大会、福岡・熊本観光に加えて、大変有意義な旅となりました。

 今後貴支部との友好をはかり、ご指導、ご鞭撻を賜れば幸甚に存じます。

 末筆ながら貴支部のご発展、ご隆盛を祈念いたしますとともに、御礼まで申し上げます。                               敬具

   付記:このお礼状は、山村博輝事務局長(当時)作成されて送られています。

 

2.熊本地震について  

 2016年4月14日と16日に起きた2016年熊本地震(前震と本震)は熊本城でも甚大な被害が発生、現在も2052年完全復旧の基本計画が進められている中で、10年後の7月28日に2026年熊本地震が発生しました。復旧した石垣等が再度崩落や、膨らみで40カ所被害が出ているそうです。建造物でも土壁の割れ被害が出て今後の調査で全体像が明らかになると思います。

 川尻にある酒造の老舗瑞鷹㈱も気になるところですが、10年前の107年振りの震度7が2回発生した地震で(川尻は震度6弱)100棟を超える建物の約7割が被災し施設や設備被害総額が7億円以上に及んだそうです。しかしそれでも復興を果たし110年前に建てられた醤油蔵や倉庫として使われていた桝大蔵(ますだいぞう)を3年かけて修復し新たに観光拠点として今年6月30日にグランドオープンしたばかりでした。ホームページの被害状況のお知らせを見ますが地震で瓶在庫やタンクの原酒等の多量の亡失はあっても新規に作られているようです。訪問した際に常務だった吉村朋晃さんが現在代表取締役社長を務めておられるようなので物流改善を含め今後の再建と発展を祈念しています。

 余談として熊本旅行の際に作成した資料に熊本が「火の国」と記載しても地震の件は記載していませんでした。文人の文章にも地震の件は見当たりませんでした。1975年1月に阿蘇地方震源のⅯ6.1の地震があり、2000年6月に熊本地方を震源とする5.0の地震はありましたが震度7を記録した地震は10年前迄この一世紀ありませんでした。ただ1997年3月と5月に震度6.6と6.4の鹿児島県北西部地震が20年ぶりに震度6を超えて起きていて、このあたりから地震活動が活発になってきたような気がします。

 地震から3年後の2019年7月アカデミーコモンで開催された代議員大会で前年7月に起きた西日本豪雨災害につき岡山県支部の木下唯志支部長と会話し又熊本県支部の高宮宏支部長と地震その後の状況でお聞きしましたが、復興は早くて10年、熊本城は36年の長期になることでもわかる通り長期間が必要なのを実感しました。まだ地震が続いていてニュースで目にする日奈久断層帯と布田川断層帯の動きは要注意です。

 気温が40度ほどになる中で断水、停電の続く地域もあり、避難されている方々への災害復興のノウハウを生かした幅広い支援を願っています。瑞鷹の「料理用東肥赤酒」(日本古来の灰持酒“あくもちざけ”)を三河屋で買ってきて、ちょびちょび飲みながら妻が料理に使ってその後のニュースを見ています。

 

   前編・中編・後編につき 文章:足立泰秀、写真:故西山隆治   (完)

全国校友福岡大会の思い出「足を伸ばし熊本を訪問」中編

 全国校友福岡大会にあわせて熊本旅行を企画したため、やはり熊本をよく知るために熊本旅行記念資料を作成して参加者に配りました。参加者に母親が菅原道真の血を引く方もいて当然大宰府跡もコースに入れたので資料に加えました。当時我が家にあった千趣会発行の「文学の旅」17:九州Ⅱの記事を熟読して劉寒吉氏、夏目漱石氏、三好達治氏、吉井勇氏、火野葦平氏、徳富蘆花氏、小泉八雲氏、森鷗外氏、犬童球渓氏、落合直文氏等の文人の記事から、ともかく逗子葉山の地と熊本が繋がる情報を捜して記事に載せました。自己満足的な資料でしたが、当時の参加者の多くが故人となってしまったため校友会の記録としてブログ掲載しておきます。


1.太宰府天満宮と菅原道真について(熊本旅行記念資料より)

 全国校友福岡大会の舞台の福岡。町の中央を那珂川が流れていて西が旧城下町の福岡、東が商人の町博多である。福岡は1200年の星霜を経て今に残る水城、都府楼跡、四王寺山、観音寺、筑前国分寺、太宰府天満宮などの史跡に恵まれ史話と伝説に富み旅情つきないものがあります。大宰府が設置されたいきさつは日本書紀によると既に538年対外交渉の要地のために官家を置いたことが記され、609年には筑紫大宰の官名が現われている。その後斉明天皇、天智天皇母子二代にわたる百済(くだら)再興の軍事の失敗によって対馬、壱岐の二島と筑紫路に防人(さきもり)が配置され水城が造られ二城を築くといった国防強化がはかられた。大宰府はこの要塞の中にあって九州の政治、経済、外交、軍事を司る官府となった。右大臣から大宰権帥(だざいのごんのそち)に左遷された菅原道真が来て大宰府といえば菅原道真を連想するようになった。道真は配所の南館(榎寺)で903年2月25日59歳で没し太宰府天満宮本殿の場所(安楽寺)に埋葬されている。死後本官に復し太政大臣を贈られている。

菅原氏は天照大神に遡る名家土師氏から分かれ奈良時代のすえ奈良西郊の菅原の地名をとって菅原の苗字に変えたという。道真の祖父は唐に留学してきてから大学の文章(もんじょう)博士となり従三位に昇進、父是善も従三位の参議であった。是善の三男が道真で35歳で父の後を継いで文章博士になっている。道真の漢詩の才は小さい時から突出していた。「月輝きて晴雪の如く、梅花は照星に似たり。憐れむべし、金鏡転じて、庭上に玉房馨を」という11歳の時の詩が残されている。当時文章は経国の大業つまり作文即政治とまでいわれ宇多天皇(譲位して宇多上皇)の信任熱く後年右大臣となった。学者出身で右大臣までなったのは吉備真備と二人だけである。祖父の「菅家集」、父の「相公集」、自分の「菅家文草」をあわせて天皇に献上しているが左大臣藤原時平の成長とともに時平らの陰謀で「上皇を欺き自分の女婿の皇弟を天皇に代えようとした」という罪で大宰府に左遷された。時に901年2月であった。道真は死んでから50年とたたないうちに神(天満大自在天神)として祭られるようになった。冤罪によって大宰府での死後その怨霊が宮中をおそう雷となって藤原一門を脅かし北野の天神社(北野天満宮)に道真こと菅公(菅丞相)をあわせ祭ることとなったからである。道真は大宰府から当時の有名な文人で親友の紀長谷雄に詩を送っているが左遷された年「九月十日」に回想した詩は後世の人たちが菅公を忠臣に祭り上げるのに大きな役割を果たしたといわれる。「自詠」の「離家三四月 落涙百千行 万事皆夢の如し 時々彼の蒼を仰ぐ」や「不出門」の「都府楼はわずかにその瓦の色を看 観音寺ただ鐘声を聴く」にあるように亡くなるまでの2年間は門を閉ざしての日々であったという。小倉百人一首に菅公として「このたびはぬさも取りあえず手向山紅葉のにしき神のまにまに」の歌が選ばれている。

- - - - - - - 西山隆治さんに大宰府跡で道真の詩の吟詠をお願いしたい- - - - - - -

「九月十日」           

    去年の今夜は清涼に侍す 秋思の詩篇独り断腸 

            恩賜の御衣今此に在り 捧持して毎日餘香を拝す

「聞旅雁」

    我は遷客となり汝は来賓 共に是れ蕭々たる旅漂の身 

            枕を欹てて帰去の日を思量すれば 我は何れの歳をか知らん汝は明春

 道真の子として系図に名を留めているのは男11人、女3人ですが子は23人あったといわれ、このうち愛媛での子孫に馬場香澄さんの母堂がおられた。愛媛が道真の姫と縁があるのか、馬場さんには道真の血が流れていてこのゆえ天平時代からの文章道(もんじょうどう)の血が騒ぎ今も向学心を奮い立たせて、明治大学校友会逗葉地域支部会報「駿台逗子・葉山」に毎号俳句を寄稿いただいています。

 

2.阿蘇山と養神亭について(熊本旅行記念資料より)

 熊本はおおむかし「火の国」と呼ばれた。阿蘇山の火口から噴き上げる巨大な火柱や八代海の沖にちらつく不知火の火影を象徴したものであるという。大化の改新で「肥の国」となり、やがて肥前と肥後に分かれている。阿蘇の地名の起こりは昔景行天皇が行けども行けども果てしない草原で人の子一人見当たらないのを怪しんで「この国には人はなきや」と声を出したところ阿蘇の二神が現れて「われら二人あり何ぞ(あそ)人なしや」と申し上げたところ阿蘇という名をお与えになったということである。

 阿蘇山は火の国九州の象徴であり、瀬戸内海と有明海を結ぶ阿蘇水道という低地帯の中央に噴出した火山で、その雄大な規模は世界でも比類がない。世界一の活火山阿蘇の陥落火口(カルデラ)は東西16キロ、南北23キロ、周囲80キロにおよび、周囲を囲む外輪山は高さ400メートルもの屏風岩となっている。カルデラ内の火口原は阿蘇谷と南郷谷とに分かれそれぞれ多くの集落があり、火口丘群は阿蘇五岳といわれ噴煙を上げている中岳を中心に高岳、根子岳、烏帽子岳、杵島岳が聳えている。烏帽子岳の北方に広がる古い爆裂谷の跡に草千里が浜がある。果てしない大草原が噴煙の山裾に広がり肥後名物の赤牛がのんびりと草を食んでいるという。温泉も多く内の牧、湯ノ谷、地獄、垂玉、戸下、栃木などの温泉が点在している。

 熊本を森の都と言って新婚生活を4年間過ごした夏目漱石が阿蘇に登ったのは明治32年のことである。この時泊まったのが内牧の山王閣の前身である養神亭であった。山王閣は近年に洋風のホテルに変り昔の面影は無くなってしまったそうだ。逗子海岸田越川よりに相州逗子養神亭が開業したのが明治22年のことであり阿蘇の名を冠した徳富蘇峰が逗子の家から間近な養神亭を見て、郷里の偉大な阿蘇山にある温泉宿に思いを馳せていたのか、又は逗子の方が先に出来たのであれば内牧の宿主が逗子にいる蘇峰にあやかって同じ名を付けたと考えてもも何ら不思議ではないように考えられる。養神とは簡単に言えば精神修養で「こころ」をやしなう意のようだ。相模湾の大海のかなたに浮かぶ富士山を眺め、また草千里が浜のかなたにまるで巨大な仏様が伏しているように聳える(阿蘇の寝仏と言う)阿蘇五山を眺めれば自ずと「こころ」が洗われて羊が(黙々と草を)食んでいるような心境になるというものだ。養うとはそういうものかと思って久しぶりに逗子延命寺にある養神亭の創立者丸冨治郎の縦長の大きな墓石の前に立ってみると回りはこの旅行で行こうとする菊池市と縁があるのではないかと思える菊池一族の墓で囲まれていた。養神亭については逗子郷土史「手帳」の71号に『ホテル養神亭むかしと今』として掲載されているのでこころある参加者は阿蘇へ行く前に逗子図書館郷土資料室か葉山図書館でご覧になったらと思い紹介だけしておきます。

 阿蘇と言えば昭和20年代から昭和30年代初めに生まれた人ならば『孝女白菊の歌』という詩を耳にされた方が多いと思う。『青葉茂れる桜井の』で始まる「楠公の歌」の作詩者落合直文の叙事詩で西南の役で西郷隆盛軍に組して敗れ阿蘇山中に隠れ行方不明になった父を捜して阿蘇を旅する白菊の話である。縦長の石に白菊の記念歌碑が阿蘇長陽村に立っていると言うが何故かその形は見る人によっては逗子にある丸冨治郎の墓の形を思い起こすという。阿蘇で忘れてならないのは阿蘇の味「肥後の赤牛」である。明治の末、和牛とシンメタール種の牛をかけ合わせて作られ、肉質がやわらかく霜降り肉になりやすいので全国的に有名になっている。是非本場で味わってみたいものである。また阿蘇は肥後一の宮・阿蘇神社がある。創立は紀元前281年と伝え十三の神を祀っているが中でも神武天皇の孫神(阿蘇大神健磐龍命・たけいわたつのみこと)とその妃神及び阿蘇初代の国造の三座の神は特に重く祀られています。阿蘇大宮司家は神武天皇孫神より綿々と相継ぎ皇室に次ぐ旧家として世に知られています。中世以降は肥後の国の大半は阿蘇家が領有していたという。

 

3.菊池市(旧隈府町)と菊池氏について(熊本旅行記念資料より)

 菊池市はむかしの隈府(わいふ)の町であるが菊池の地名は既に698年に現れている。戦後温泉が湧いて城山の下が温泉街になっているようだ。菊池市は徳富蘆花の夫人愛子の出身地であり、「思出の記」の主人公菊池慎太郎は熊本に近い妻籠という小さな町に生まれたことになっているが描写からすると明らかに菊池市であるという。主人公が発奮して世の中に出て行くその過程を描いたのがこの作品であるが蘆花自身の自伝的小説といわれている。フランス流の急激な自由主義の感化を受け、転じて人道主義的キリスト教を信じ、のち功利主義を教える官立の大学を卒業し、相愛の女性と結婚するという筋であり当時の読書界に歓迎され多くの人々に強い影響を与えたという。城山は南北朝時代の菊池市の居城の跡で後醍醐天皇の皇子懐良(かねなが)親王を擁して南朝方の菊池武光がいた城である。1348年征西府が菊池に置かれ1361年この征西府が大宰府に移ってからも1372年に今川了俊軍に敗れるまで菊池一族の最盛期であった。城山の頂き、本丸跡に立つと一望のもとに森や沼や川や小さな集落の点在する田園風景を臨むことができる。まさに「思出の記」の風光であるという。徳富蘆花の文学碑はその一段下の広場にあって屏風形の黒い石に「思出の記」の冒頭の一節が彫ってあり、その前に置いてある丸い石に「新天新地曙 四海一家春、徳富健」と書いた蘆花の自筆の文字が刻んであるという。城山の上にある菊池神社は南朝方の忠臣菊池武時、武重、武光の三人を祀って春秋の例祭は大いに賑わうという。城跡は東西44間、南北104間、高さ20間で今も一の廓、二の廓が残っている。今の中心街は昔の総廓で家臣の屋敷は全てこの中にあった。この本城を中心として四方に十八外城がありそのさらに外には三十余の砦が築かれていたという壮大な難攻不落の城であったという。菊池氏全盛の頃は九州における政治文化の中心地で九州の京都と称された時もあった。

 逗子延命寺境内に「三浦道香主従七基の墓」というのがある。戦国時代、北条早雲に敗れて小坪の住吉城から三浦の新井城まで逃げていった兄三浦義同(よしあつ)のため延命寺あたりで戦って死んだ三浦道香と家来たちの墓で生き残った菊池幸右衛門が主人の菩提をとむらうためこの地に住みつきこれが菊池一族の祖となったと郷土史は伝えている。1513年のことである。延命寺には菊池または菊地の姓の墓が多く明大S28商卒の菊地慎一さんが総代をされている。熊本の菊池氏とのつながりをお聞きしたが聞いたことがないとのことであった。故菊池正治(元県会議員)さんや菊池慎一さんと小学校の同級生という菊池又男(やすお)さん(明大S29政経卒)は昔菊池市に寄ったことがあり娘さんが盛岡に嫁いだが盛岡に菊池の姓が多く嫁ぎ先の姓も菊池であったとのことである。現在逗子のど真ん中 緑のオアシス亀ヶ岡八幡宮の世話人をされていて最近「招亀」の焼き物をつくり町おこしに一役かっている菊地武良さんの話によると、逗子の菊池氏は熊本の菊池一族と縁が有るように思うと言っておられた。菊池市を訪ね菊池神社のお守りまで持っていて見せていただいた。菊池市を訪ね膚で感じられたのかもしれない。ただこのお守りには「丸に並び鷹の羽」紋がついていて逗子の菊池(菊地)家の「丸に違い鷹の羽紋」と異なっていた。「丸に違い鷹の羽紋」は阿蘇大神宮家が代々使用している紋である。我が家の玄関には武良作の招亀が飾ってあるがこの亀はテレビでも取り上げられ注文が多いが一つずつ手作りのため形も異なり数が出来ずあまりPRはしていないとのことであっだ。(余談だが諸橋畳店のご主人も藁で亀を作り正月に売り出しておられるがこれは極端に数が少ないようだ。)

 各地に菊池の姓が広まっているがどこも熊本が源流のようである。中でも武蔵の菊地氏、常陸の菊池氏が知られており、逗子が江戸時代多くの藩の領地になっていることを考えると前橋、川越、佐倉あたりから来た菊池一族がいるのかもしれない。盛岡の菊池氏は古くより阿部氏の一族に久久智氏(菊池氏)がいるのでこの流れかもしれない。

*お名前を記した方々は既に故人となられてしまった。

 

4.徳富蘇峰・蘆花兄弟について(熊本旅行記念資料より)

<蘇峰>

 徳富家は元来、現在の水俣市の出身ですが蘇峰は文久3年(1863)熊本県上益城郡杉堂村の母の実家で生まれ生後間もなく水俣に帰っている。名は猪一郎。蘇峰はペンネームで阿蘇を意味するようだが「蘇」は「よみがえる、息う、草を刈る」の意で他の使い方ではキリストのことを耶蘇という。六歳の時に弟の蘆花が生まれた。新島襄の同志社に学んだが中途に去って熊本に帰り父一敬とともに大江義塾を創立した。明治15年、蘇峰20歳の時である。25歳で民友社を創立し「国民之友」を発刊し、後に「国民新聞」を出した。明治人らしく皇室中心主義、国権主義に立脚した評論が多いがその晩年を通して書き続けた「近世日本国民史」は高く評価されている。昭和32年11月、95歳をもって没した。逗子に住んだ大分県豊後高田生まれの明大の大先輩藤原楚水翁は蘇峰の青山南町のお宅や大森の山王草堂でお眼にかかったり、国民新聞掲載の「日曜だより」や「人物月旦」などを愛読し啓蒙させること多大であったと述べています。一敬一家が郷里を引き上げ東京に移住したあと逗子桜山に2階建の老龍庵を建て父母を住まわせているが蘇峰も一とき定住し近世日本国民史はこの老龍庵で書かれている。逗子のことは明治26年8月28日の国民新聞に『逗子たより』として長文の記事を載せていてこの全文を楚水翁は著書「随筆藻塩草」に紹介している。長男太多雄は若くして亡くなったため孫の敬一郎氏は蘇峰に育てられ今も各地にある蘇峰・蘆花記念館に関与されている。平成10年7月山中湖文学の森・徳富蘇峰館が開館したがここに寄贈した蘇峰ゆかりの「筆筒」の記事を桐島元樹さんの娘さんが編集委員をしている「かまくら春秋」発行の隔月雑誌「星座」2004年5月No21梨花号に寄稿されている。孫の敬一郎氏は1922年生れ、海軍兵学校卒、大協石油に勤務、大協菱和石販元社長。

<蘆花>

 明治元年(1868年)水俣に生まれる。本名健次郎。17歳の時熊本で洗礼をうけている。19歳の時兄蘇峰に伴われて京都の同志社に学んだが新島襄の姪と恋に陥ち2年で中途退学する。上京して兄の民友社につとめ明治30年国民新聞に「不如帰」を連載、明治33年に民友社から出版されるやベストセラーになった。熊本県菊池市(昔の隈府(わいふ)町・熊本はかって隈本(くまもと)という地名であったという)の人原田愛子と結婚したのは26歳の時であった。「不如帰」(ふじょき)は一般にはホトトギスと読まれているが川島武男と浪子との恋愛とその離婚を中心とする物語は百数十版を重ね、新派に上演されたり、縁日のノゾキにもなったりして長く熱狂的な支持を受けた。ほかに「自然と人生」「思い出の記」「黒潮」「寄生木」「日本から日本へ」などの著書がある。晩年は蘇峰と別れ東京の千歳村に半農生活を送り昭和2年59歳で没した。

 蘆花は逗子の柳屋という宿に明治31年から3年近く愛子夫人と逗留中にこの不如帰を書き始めたという。そしてこの宿に泊まっていた軍人の未亡人から明治の元勲大山巌大将の令嬢の悲しい物語を聞いた。この小説のヒロインそのままに胸の病いで婚家を出された令嬢は別れた夫を思いながら息を引き取ったのであった。高橋是清と犬養毅の名をとったという逗子浪子不動高養寺の沖の海中に昭和8年に建てられた不如帰の碑があり、この碑に使われた石材は大崎の先にころがっていた鍋島石です。九州鍋島藩が江戸城を築くため伊豆から運んできて難破で海に落ちたとの言い伝えがあり、九州の蘆花に因んで使われたのかとも思える。蘆花がこのペンネームを使ようになったいきさつは不詳ですが「蘆」は「あし・よし」で、まだ穂を出さない状態をいい、穂を出した状態では「葦」という字を使うようです。また世界の中心に聳える山を古代インドでは須弥山(しゅみせん)(音訳で蘇迷蘆・そめいろ)というが兄弟がこの言葉を意識して使い分けをしたのかはわからない。また明治時代「花」の字をペンネームに取り入れる人が多かったのも事実で蘆花も児玉花外、田山花袋たちと同じだったようにも思える。奇しくも逗子と縁のある泉鏡花も花をペンネームに入れている。

 

5.徳富愛子夫人と逗葉の別荘について(熊本旅行記念資料より)

<愛子夫人>

 菊池市出身の知人古庄さんから「菊池観光ガイド」が送られてきた。この中に蘆花の夫人愛子(旧姓原田)さんについての記載があった。逗子の柳屋に3年ほど蘆花と共に暮らしていた夫人としか知らなかったが菊池では蘆花以上の評価のように思えた。熊本に行って恥をかかないため紹介しておきます。

 愛子は文学少女として成長し、教師となるもあきたらず、英語、音楽、そして絵画の道を自らみがき、その多彩な才能は夫蘆花の作品にことごとくあらわれている。口述の筆記、校正、編集、ふるさとの描写、そして女性心理の細やかな書体はすべて愛子夫人の手によるものとされ、「思い出の記」「不如帰」などがあげられる。愛子は夫蘆花と共に自然主義者、平和主義者でロシアの偉大な作家トルストイとの親交を深め、その生き方に共鳴して、自然界の中に生き、農業を営みつつ作品を創りあげている。また、いち早く世界に目を向け、銀婚式の記念として世界一周旅行(1919~1920)に1年2ヶ月をかけてでかけ世界から日本を見つめている。ただ単なる物見遊山ではなく、この世界から戦争をなくし、平和をもたらすにはどうしたらいいかを夫婦で真剣に考えながらの旅であった。逗葉支部のこの熊本旅行が逗葉の将来を真剣に考える旅になればとも思う。

 パレスチナのナザレで愛子は「姉妹むつみし ひたにかたらば 闘う小等は あらじあらせじ」と詠んでいる。この句は英語に訳されて、欧米旅行中に多くの平和を希求する人々に強い感動を与えた。世界の民族、人種、宗教を超えた広さ、深い人間愛に根ざしながらも、愛子のもとを訪れてくる人々に対して物心両面の面倒を見、そして夫蘆花をささえつつ、こよなく、ふるさとに思いを寄せていた女性である。自らの才能を蘆花に献げつつも、その合間に描いた水彩画の清らかさ、美しさ、自然らしさは、ふるさとと菊池川であろうか。菊池市が生んだ愛の生涯を貫いた偉大な女性。それが徳冨愛子である。

<逗葉の別荘について>

 徳冨蘇峰は明治26年の国民新聞に載せた『逗子だより』に逗葉の地に初めて別荘を建てたのは井上毅(梧陰)であると述べている。また福岡出身の金子堅太郎伯の談話として明治23年の夏、井上の葉山の別荘を訪ねている記録も残されている。井上毅は法制局長官として明治憲法制定の立役者であり、また文部大臣として教育勅語の草案その他のことに当たったが後に肺結核を患いこの葉山の別荘に於いて明治28年3月13日52歳で没している。葉山新善光寺には葉山で逝った井上梧陰を偲ぶかのように睦仁と璽が押されたこの教育勅語が掲げられているが以前馬場女史が暗誦されていたのを脇で聞いたことがある。井上梧陰は熊本藩士で明治5年欧州に行き帰国後大久保利通に知られ岩倉具視、伊藤博文等に重く用いられているが、逗葉の地と熊本の地を結びつける重要な人物であった。

 余談になるが湘南の地をリゾート地(保養地、別荘地、海水浴場)として勧めたエルウィン・ベルツ(大正天皇侍医)は葉山に御用邸建設を進言し自らも葉山堀内に別荘を持った。大磯をリゾート地の適地としたのが初代陸軍軍医総監松本順であり、鎌倉を称揚したのが東京医学校長長与専斎である。逗子を押したのが軍医大監矢野義徹でかれは軍艦の司厨長であった丸富次郎に田越川河口の場所に旅館養神亭を開かせている。今回の旅で全国福岡大会まで東洋のナポリと言われる長崎出身の吉田良建さんが参加されるが、長崎を舞台にしてキリシタン殉教の本格的ロマンを書いた作品『青銅の基督』の作者長与善郎は専斎の子である。長崎はまた県立長崎医専の教授であった歌人斎藤茂吉ゆかりの地である。以前岡村了一明治大学理事長の葬儀の帰りに東京青山墓地に立ち寄ったことがあるが井上梧陰の支持者だった薩摩出身の大久保利通の広大な墓所の中に何故かこの斎藤茂吉も眠っていた。

 

6.クルスがつづる幻想の島・天草について(熊本旅行記念資料より)

 天草は美しい風光に恵まれ、数々の殉教の歴史を秘めた静かな南の島である。天草灘の夕陽の輝きはかって島の人々が初めて見たギヤマンに香るワインの色のように甘く不安なあこがれを秘めているという。天主堂に輝くクルス(十字架)とアンゼラスの鐘の音色は今も紫色のロザリオ(大小の珠53個を鎖でつないで輪状とし十字架をつないだもの)をつまぐり、灰色の甍舗(いしだたみ)に祈祷のひそかな呟きを流している。天有主(デウス)への祈祷の声が天に満ちた島、そして切支丹の西洋文化と大陸の文明が融合してエキゾチックな香が漂い哀愁の中に浪漫と幻想が錯綜する島でもある。

 天草は雲仙とともに国立公園の指定第一号の地でパールラインと呼ぶ天草五橋の完成で九州本土と陸続きになっている。大矢野島、永浦島、池島、前島、上島を結ぶ五つの橋は我国橋梁技術の粋を集め、宇土半島の三角から上島の松島まで17キロの道程である。上島の今津と河村の間に散在する群島を松島に似ていることから天草松島と呼んでいる。

 明治40年新詩社の詩人与謝野寛、木下杢太郎、吉井勇、平野万里と共に北原白秋は天草を旅している。当時「五足の靴」と呼ばれた人々であった。白秋は旅から帰って「天草雅歌」という作品を発表しているがこの題名は旧約聖書の雅歌から得た語句や情調が生かされているという。天草で五人をもてなしたのが土地の人がバアテルさんと呼んでいた敬虔なフランス人の神父ルドルヴィコ・ガルニエであった。バアテルとは父を意味するポルトガル語で伴天連尊者とあて字にしているが、このカトリックの神父は下島大江の天主堂にいて太平洋戦争が始まる昭和16年まで健在であった。この宣教師が私財を投じて建てた大江の丸屋根の天主堂は民家と離れなだらかな段々畑の丘の上にあって天主堂までつづら折りの坂道が続いているという。また湖のような入江の羊角湾に面した崎津の天主堂は小作りの家並みの中にあってゴシック式の尖った屋根の建物である。

 天草は東と南は八代亜紀を連想する八代湾と謎をひめる不知火海に、北は万葉集にも詠まれている有明海・島原湾に、西は怒濤岸を噛む天草灘に面し、山が多く平地に乏しく島内の生活基盤が弱いので古くから長崎奉公人を出している。有明海と言えば有明三詩人として北から田口(今の大川)で生まれた古賀正男、柳川で生まれた北原白秋、三池で生まれた吟道家西山隆治(当校友会会員)さんがいる。今回の旅ではこれらの地へ寄らないのでせめて天草から有明海を遠望したい。また天草上島から島原半島の南有馬を望んで天草四郎らが散った断崖の岬に築かれた原城址に思いをはせたい。原城址はかって逗子新宿四丁目の山の中腹に住んだ堀田善衛氏が著書「海鳴りの底から」の中でこのキリシタンの砦について語り一躍重要な舞台となった。寛永14年(1637年)婦女子1万1千人を含む3万7千人の百姓信徒が16歳の天草四郎を総大将に小西、豊臣の浪人を加え、12万5千人の幕府軍と戦い籠城80余日、兵糧弾薬つきて落城、一揆軍はことごとく悲惨な最期を遂げたという。信徒70万人といわれたキリシタンも信長の死によって40年近い保護政策は終り、長崎西坂に於ける26人のキリスト教徒処刑を最初に世界史上まれな迫害時代の幕が上がった。以降明治6年にキリシタン禁制が解かれるまで270年以上禁教、弾圧の時代が続くことになったが、この間文化6年(1805年)には天草大江で隠れキリシタン5千人が発見されているという。

 天草はまた日本における洋画発達の地である。1592年天草下島の志岐に画学舎が設立されニコラオ神父のもとイタリア・ルネッサンスの遠近法や陰影画法を学んでいる。当時の作品は多くが禁教により失われたが摂津高槻地方に伝わった聖フランシスコ・ザビエル画像や長崎県外海(そとめ)に伝えられた聖ミカエル画像など七世代に亘って命がけで守り通した作品などが残っている。海を渡りローマのイエズス会聖堂(キエタ・ジェズ)にも西坂で処刑された55人の殉教図が残されているという。

 

7.熊本城と波奈之丸碁盤について(熊本旅行記念資料より)

 熊本城は肥後の領主加藤清正が築いた城で、関が原合戦の翌年、慶長6年(1601年)に起工して同12年に完成した。このとき古い「隈本」という地名を熊本に改めたという。築城なった時、清正は記念して本丸天守閣の前に二本の銀杏を植えた。このために銀杏城の異名もある。加藤家は二代目の忠宏の時代に取り潰しになり、豊前小倉の城主細川忠利が54万石の城主として入封し細川家は明治維新まで続いた。明治9年の神風連の乱でも明治10年の西南の役でも猛攻を受けたがビクともしなかった。大坂城、名古屋城とともに天下の三名城と称される。

 18世紀から19世紀にかけ藩の財政悪化の中で諸藩がそうであったと同じく肥後藩でも高い生活水準を保持することに専念していた。五代藩主細川宗孝の時に参勤交代の際の藩主の乗り船の御座船として「波奈之丸(なみなしまる)」が建造されている。我が家には父が入手した「波奈之丸碁盤」と呼ぶ銀杏の木で作られた碁盤が残されているが聞いた話として京都建仁寺の永源庵に在った時があり、のち大徳寺家に渡ったという。この碁盤はかって波奈之丸に積まれていたということであった。証明するものは散逸したのか何もなく真偽のことは判らない。

 囲碁について触れると応仁以降天正に至る凡そ百有余年の間、天下騒乱群雄割拠の時代にあって、この乱世に処しながら京都奥嵯峨の日蓮宗寂光寺の二世日海という者が囲碁に秀で信長、秀吉、家康の厚い信頼に浴し乱世のすいおくに参じて軍事を賛佐するに至った。全国諸藩の藩主、儒家、僧侶、郷士に至るまで囲碁は議論を交える際の欠くべからざる手段となっていたのです。日海はすなわち棋所の開祖本因坊算砂でこういう時代の中当然波奈之丸に積まれた碁盤を後に「波奈之丸碁盤」と呼ぶようになったといわれる。かなり前になるが熊本城の天守閣に展示されている細川家の遺品の中に銀杏の木で作られたような碁盤が有ったという話を聞いたことがある。今の天守閣は昭和35年に新造されたコンクリートの城であり内部は歴史資料館になっているそうだ。波奈之丸碁盤が幾つ作られたかは判らないが碁盤というものは数百年に亘り使用に耐え得るものなので限られた数ではなかったかとも思う。また太い古木から採られるもので同じ木から二面採るのが普通で兄弟盤がこれにあたる。

 永源庵を調べて判ったことはそこは細川家ゆかりの寺であった。参勤交代の制度廃止と共に波奈之丸に積まれた碁盤は一時ここを安住の地としたのではないか。大徳寺家で思い出すのは逗子に別荘があり明治大学の創立時の恩人で大徳寺家出身の西園寺公望である。もし西園寺公がこの碁盤を所有していた時があったとすれば我が家にある波奈之丸碁盤を囲んだ人たちは肥後にあっては幕末維新の嵐の時代に日本の生んだ最高の思想家横井小楠を初めとする開国を願う多くの藩士であったであろうし、西園寺公に移ってからは西園寺公が時の文学者を集めて「雨声会」と名づけた会合をしていることから推察すると森鴎外、小杉天外、田山花袋、泉鏡花、児玉花外、永井花風、徳富蘆花たちではなかったか。当然明治大学草創期の多くの先輩達がこの碁盤を囲んだことに思いをめぐらさずにはいられない。熊本城にあるという碁盤がもし我が家にある碁盤と木目が一致し兄弟盤であることが判明し、もしかして加藤清正が植えた銀杏の木から作られた可能性が深まる事を願って熊本城行きを楽しみにしている。勝手な思い込みで申し訳ないが熊本旅行前に一度我が家にある波奈之丸碁盤を拝見して熊本に行こうという人が現われればなお有り難い。この碁盤の蓋の裏に横井小楠の詩、偶興十二首を記してあるがこれも何時か熊本城を訪れる日が来る事を願ったためでもある。父は一度だけ東京の青山碁盤店に削り直しに出したことがあり、黒くなった表面は綺麗に板目(通常は柾目)の木目が現われたが、側面は何故か茶褐色の艶があって年老いた囲碁職人も削ることをためらったという。

 

8.森の都・熊本の公園について(熊本旅行記念資料より)

<北岡自然公園>

 明治9年1月30日は日曜日であった。その日の午後熊本洋学校の学生たちは続々と花岡山に登っていった。やがて山頂に集まった一同は鐘掛け松と称する大きな松の根元に座をしめると敬虔な面持ちで英語で賛美歌を和唱した。一人がヨハネ伝第十章を暗誦し、それから祈祷を捧げさらに年長者が奉教趣意書を読み上げると一同はその長い巻物に署名した。山頂での結盟書の署名は35人にのぼった。そしてこの中の一人に14歳の徳富蘇峰が加わっていたという。「熊本バンド」として有名なこの花岡山の北側の麓が北岡自然公園である。そこは細川家第一代忠利の菩提寺だった妙解寺の跡であり今も廟所が残っている。清雅な庭園の中には多くの殉死者の墓が並び武士の意地と封建時代の非情さが胸に迫って来るという。殉死に対し主君の許しがなかった阿部弥一右衛門をはじめとする阿部一族の悲劇は森鷗外が小説に取り上げているが、この阿部屋敷は現在近代的な熊本放送の敷地となっている。

 

<八雲公園>

 熊本の百貨店鶴屋の真裏に八雲公園というのがあった。その公園に接して小泉八雲の旧居があった。ラフカディオ・ハーンがアメリカから来日しすぐ松江中学の英語教師になると彼は古風な習俗の残っている山陰の風土を愛し松江の士族の娘節子と結婚した。一年後熊本大学の前身である第五高等学校の教師となって熊本に赴任し、この手取本町の家から黒髪町の五校まで人力車で通ったという。ハーンは夕陽が好きだったといわれ、松江時代から書き始めていた「知られぬ日本の面影」を完成したのはこの家であったという。3年後神戸に去り、クロニクルの記者となって自由な文筆活動に入り、日本に帰化して名を小泉八雲と変えている。八雲により良き時代の日本を紹介した厖大な記事が外国に向け発信されていった。ハーンが去って1年半後五校の英語教師として夏目漱石が四国松山から赴任している。漱石は明治29年から4年3ヶ月教師のかたわら俳人として熊本で暮らしているが6軒の家にすんだといい坪井旧宅が残されている。

<水前寺公園>

 水前寺公園(成趣園)は九州の名だたる名園で熊本の代表的な名所である。細川忠利の創建の水前寺を他に移してその跡に忠利が茶屋を建て池泉回式庭園を築いたのが始まりで以後五代綱利の代まで80年かけて造られたという。東海道五十三次を形どったという公園の中に阿蘇の伏流水が湧く池を中心にして柴山、浮石、松などが配置されている。園内にある出水神社は細川歴代藩主と二代忠興夫人ガラシャを祭っている。また京都桂離宮から移築したという古今伝授の間があり、この建物を見て桂離宮を見たことに成るという。園路沿いには梅園、能楽堂があり四季折々の風情に富む公園になっている。

<徳富記念園>

 邸内には椎や樟が繁り大きな椎は徳富蘇峰が青年の頃植えたもので樹齢120年を超えているという。樹林の間に「大江義塾遺跡」と刻んだ石標がたっているが、此処は蘇峰が明治15年から19年まで自ら塾長となって開いた学塾の跡である。正面に三階建ての洋館があり蘇峰、蘆花のための記念館である。左手に兄弟が育った瓦葺きの家もある。記念館の一階は遺品室、二階は著書や雑誌類が並び、三階には遺墨の軸や扁額の類があっておびただしい収蔵品である。逗子に縁のある「不如帰」、「自然と人生」の書に眼をやると昭和初年中学に学んだ年代の人にとってはこの徳富蘆花と大町桂月、高山樗牛の三人がかって教科書の古文調の文章の手本だった時期があったのを思い出すという。

      ( 中編:終 ) 

全国校友福岡大会の思い出「足を伸ばし熊本を訪問」前編

 当校友会のブログを開始したのは2015年4月からでしたので、それ以前の行事については会報「駿台逗子・葉山」に掲載してお届けしていました。全国校友福岡大会は会報2005年(平成17年)1月号に掲載も紙面の制約もあり充分お知らせ出来ていません。逗子葉山に特に縁の深い行事などは「思い出」版としてブログ掲載したらと考え、先に逗子とも縁が深く多くの印象深い出会いがあった2014月年9月の全国校友新潟大会について掲載しましたが熊本地震のニュースで記憶も新たにし「全国校友福岡大会の思い出 足を伸ばし熊本を訪問」として掲載することにしました。

 

     全国校友福岡大会は下記日程及びスケジュールで実施されました。

   ◎10月10日(日)~11日(月)を前編、旅行記念資料を中編、

       10月12日(火)を後篇としてブログ掲載します。

 

 1.大会参加で熊本旅行の目的:

  熊本は逗子における郷土の文豪徳富蘆花の郷里であり、逗子に姓の多い菊池氏の発

 祥の地とも言える菊池市を訪問。併せて当時進めていた逗子発信の地元焼酎『ろか』

 の依頼先である熊本県南区川尻にある酒造「瑞鷹㈱東肥蔵」を表敬訪問することでし

 た。

 

 2.航空券・ホテル・ジャンボタクシー・保険の手配について

  副幹事長足立の明大石井常雄ゼミの同期だった松本勝二君が、㈱スカイツアーから

 独立して彩旅行センターを運営していたので当方の旅行訪問先希望を伝えて便宜を図

 ってもらいました。航空券、ホテル予約のあと、ジャンボタクシー手配も依頼しまし

 た。

    彩旅行センター 松本勝二様

  熊本旅行では御世話になります。9名となりお手数を掛けますが宜しくお願いしま

 す。さて電話で話した現地でのジャンボ・タクシーの件ですが下記行程で費用がどの

 くらいかかるか見積って下さい。

  10月11日(月)

   アパホテル福岡渡辺通

    (9:00発)  ⇒太宰府天満宮拝観

             ⇒菊池市・隈府城跡、菊池神社拝観

             ⇒阿蘇山・内牧温泉山王閣 通過、阿蘇神社拝観、

             ⇒熊本東急イン  (18:00頃)

10月12日(火)

  熊本東急イン

    (9:00発)  ⇒瑞養酒造(天草への途中立ち寄る・15分)

             ⇒天草五橋通過

             ⇒天草上島・天草四郎記念館見学、

               ⇒天草下島・大江の天主堂見学、崎津の羊角湾通過

             ⇒熊本・熊本城見学、水前寺公園散策、

                                                           大江徳富蘆花記念園見学

                                            ⇒熊本空港着

                          (18:00頃) ANA648便19:00発

  費用 1.ジャンボ・タクシー2日分(運転手費用、燃料込み)

     2.高速料金

     (入場料は除く)  

  熊本での見学散策は11日に時間があれば前倒ししても良い。
  天草下島は時間的に無理なら取り止めても良い。

    2004-9-21  明治大学校友会逗葉地域支部

                足立泰秀(TEL046-871-4482)

  

(結果:ホテル発は1時間早め8:00発とし下記旅行スケジュールになりました。

  10月11日(月)

    ホテル発 8:00 ⇒ 8:30着 太宰府天満宮拝観 9:30発

           ⇒10:10着 菊池市・隈府城跡、菊池神社産廃 12:00

                                                            (菊池又は途中で昼食)

           ⇒13:00着 阿蘇山山頂

                 (内牧温泉山王閣、阿蘇神社拝観)15:00発

           ⇒16:15着 立田自然公園

                 (泰勝寺跡でガラシャ夫人の墓所あり)16:45発

           ⇒17:00着 熊本東急イン(宿泊ホテル) 

           ⇒18:45着 熊本県支部との懇親会会場(青柳)

                 (懇親会 19:00~21:00)

                                         ⇒21:30着 熊本東急イン

  10月12日(火)   

    ホテル発8:00     ⇒  8:30着 瑞鷹株式会社東肥蔵 8:45発

            ⇒10:15着 天草五島

                 (大矢野島・天草四郎メモリアルホール見学)

                 (松島で昼食、ショッピング) 12:00発

            ⇒14:00着 熊本・熊本城見学 15:00発

            ⇒15:15着 大江徳富記念園見学 15:45発

            ⇒16:00着 水前寺公園散策 17:00発

                                         ⇒18:00着 熊本空港  19:00発(ANA648便)

            ⇒20:35着 羽田  21:00発(バス)

            ⇒21:45着 横浜  22:05発(JR)

            ⇒ 22:37着 逗子                                       

                 

 3.全国校友福岡大会を兼ねた熊本旅行会 出発前連絡(速報第5弾・最終)

  10月2日(土)スナック舞での旅行結団集会で出た話で重要事項を含め確認の

       ため通知しておきます。

    行  程 - - -新逗子駅発 7時53分 →金沢八景駅で特急に乗り換え

          →金沢文庫駅で後続に羽田行き車両増結のため移動 8時4分発

                               →砂山さん横浜駅で乗車 8時20分発

                               →羽田着8時47分⇒(ANA247便 9時40分発)

   (注意) 新逗子駅発の電車でそのまま金沢文庫まで行くと8時4分発の特急に

        間に合わないので必ず金沢八景駅で乗り換える。

                *万一7時53分の電車に乗り遅れた場合は後続の8時13分に乗り同

        じように金沢八景駅で特急に乗り換え、金沢文庫で後部に増結する羽

        田行きに移って羽田(9時07分)まで急いで来て下さい。

  1)往復航空券引換証、ジャンボタクシー・ホテルのパック券が10月6日に旅行

    会社から届きました。航空券は当日空港で引換え全員にお渡しします。

  2)旅行会社への支払は10月7日振込で完了しました。(1人150円で1千万

    円の保険付き)

  3)熊本県支部との懇親会の熊本側は野上禮之介熊本支部長と米村弘幹事長の2名

    となりました。

  4)瑞鷹㈱東肥後蔵の吉村常務さんより10月4日事務局に電話があり12日お待

    ちしていますとのことでした。

  5)川崎さんから逗子風景絵葉書セット、逗子観光マップ、逗子グルメマップ、

    チラシ歩いてみよう逗子をそれぞれ各10部受理しています。葉山は森さんに

    依頼しています。

  6)その他  - - - - 西山さんから2004年9月号の京王ニュースに載った「蘆花

           恒春園」の記事が届けられましたので旅行前にお届けします。

 

4.10月10日(日)全国校友福岡大会出席

  熊本空港で昼食をとり一旦宿泊先のアパホテル福岡に行き荷物を預け大会会場に入

  りました。

   (以下会報第7号記事)

 10月10日福岡での校友全国福岡に10名が参加しました。前日は台風12号が湘南地方を襲い大変な荒れでしたが当日は好天となり飛行機も予定通り離陸しています。博多の福岡ドームに隣接するシーホークホテルリゾートで式典に臨み女流講談師神田紅さんの「古賀政男物語」に感激しほろっとする場面もありました。

 

 懇親会では村山元総理と懇談し一緒に写真を撮ったり、また熊本県支部の方々と懇談しています。ホテルへの帰路中州の屋台によってラーメンを食べるという福岡の夜も満喫しました。

 

5.10月11日(月)ジャンボタクシーで熊本旅行へ   

   (以下会報7号記事)

 今回の旅行は熊本県出身の会員小山和之さんの尽力で逗子に住み「不如帰」「自然と人生」などの名作を残した郷土の文豪徳富蘆花の郷里熊本を訪ね、合わせて熊本県支部との交流も含めていました。11日熊本への途中、予約したジャンボタクシーで大宰府跡を訪ねました。天満宮前では参加した西山隆治さんの菅原道真に因む漢詩の朗詠に耳を傾け一般観光客も足を止めて一時の静寂さを堪能していました。

    (太宰府天満宮近くの戒壇院***もくげんじゅ“木槵樹”を見る)

 

 また逗子に姓の多い菊池氏の発祥の地とも言える菊池市を訪ねましたが、ここは熊本城ができる前に九州の京都と呼ばれ南朝側の一貫した支援者であった菊池氏の本拠地で蘆花の妻愛子さんの生地でもありました。此処で土産として菓子「蘆花」を買っています。

          (菊池神社 なぎ“梛”の木の傍で)

 

 

 阿蘇山へ入り連綿と続く阿蘇大宮司の神社を参拝し、草千里を見て雄大や阿蘇山を後に熊本のホテルについています。

 

 ホテル近くの「青柳」に赴きここで熊本県支部との交流懇親会を行いましたが体調不充分な野上禮之介支部長と米村弘幹事長に参加いただき逗葉からの土産として鎌倉彫りの盆や逗葉の絵葉書・案内チラシに合わせ逗葉支部十年史と明大卒の大先輩藤原楚水著「随筆藻塩草」をお渡しして逗葉地区をPRし今後の交流を約しています。

                              (前編 終)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

明治大学ラグビー部5年ぶり優勝 対抗戦制覇19回目!! 

 101回目の明早戦を25対19で明治が制した。点差は1T・Gで早稲田が逆転できる僅か6点。前半10対10 後半15対9。

 試合はキックオフから競り合いだった。両校どちらが勝利し対抗戦優勝を決めるか、一方的な流れが生まれないままの激戦が続いた。

 その後半31分にこの試合最大の山場を迎え、明治が絶好のチャンスを迎えた。その直前28分には点差を広げるチャンスが幻のトライによって消えた明治だったが、それで気落ちすることなく、敵陣で圧力を掛け続け連続でボールを維持し、直前31分早稲田ゴールに殺到。

 ここでの連続プレイ3度目のラインアウト・モールがラックになる直前、6番FL最上選手がスクラムから左に離れ、僅か2m先のゴールラインに身体を投げ出しながら腕を2度伸ばしてトライ、主将平のゴールも決まって。点差は9点差に開いた。残り時間9分と多分3~4分のロスタイム。この試合の競り合い状態から残り9分で早稲田が逆転するには2トライを明治から奪わらねばならない。「明治は安全か?」、いいえ、明早戦はそんなに甘くない。

 試合全体でFWは明治が一人5.9kg重いのに早稲田の圧力でスクラムを崩され、後半だけで「スクラムを意図的に崩した」としてコラプシングを4度も取られていた。早稲田は35分に主将野中が5本目のキックで3点を挙げ、明治を1トライ・ゴール差に追い上げてきた。残り時間4分と多分3~4分のロスタイム。明治のキックで早稲田陣に入るも早稲田巧みなボール回しで明治ゴールを強襲、明治正確・強烈なタックルでゴールを割らせない。この試合の明治のタックルは接点でのプレイも含んで早稲田の前進をほぼ完全に防いでいる。ラックでの反則が少ない。ラインアウト・モールは明治が圧倒している。しかし、自陣ゴール前でのスクラムでコラプシングやオフサイドを連続3度でトライを認定する時代だ。反則は絶対に許されない。

 実際3週間前の対帝京戦ではロスタイム、帝京ゴール前のプレイで明治ボールのラインアウト・モールで帝京が連続オフサイド。3度目のオフサイドでレフリーはゴールポスト下に移動して明治のトライ・ゴールを認定。明治が逆転勝利を挙げたばかりだった。早稲田必死。その早稲田ボールのラックも明治ディフェンスに止められて、時間はついにロスタイムに入って数分、ボールを早稲田FWが痛恨の落球、明治ボールのスクラム。しかし、マイボールスクラムでも今日の早稲田FWの圧力は猛烈に厳しい。

「コラプシング、オフサイドをするな!!」明治のファンは皆、国立でもTV前でも叫んでいたのではないか。明治のSHが丁寧にボールをイン、すぐ出してインゴールの味方にパス、彼が振り向きざまボールをサイドスタンドにキック。レフリーが両手を挙げて長い笛。終わった!(早稲田に)勝った!対抗戦5年ぶり19回目の優勝だ!今シーズン 初戦で筑波に敗れた。よく立て直した立派!

 明早戦は大学選手権(今年62回目)の予選ではない。明慶戦も予選ではない。慶応がルールブックを下さった。早稲田は初めて明治と定期戦を組んで下さった。

早稲田との初戦は1923(大正12)年 関東大震災の年の12月24日 早稲田戸塚球場で開催。35分ハーフ 早稲田 42vs3 明治

 明早戦102年目の第101戦目。

 80分間の激闘を制しての43勝目(7分56負)。     豊田茂紀

 

(追記)

 12月7日の明早戦観戦会は当支部から鈴木(達)、秋元、綾部(6名)、久保(4名)、馬場、小見、古本(2名)の計16名が参加し、東部支部の平戸さんから観客席の写真を送っていただいたので古本さんの写真と共に了解のもと掲載しました。

 関東大学ラグビー対抗戦の5年振り優勝を果たし参加された方は39,084人の大観衆の中で神鳥裕之監督はじめうれし涙の平主将をはじめとする選手を目の当たりにして良い思いをされたと思います。令和2年の優勝の時、私は自宅テレビ前でした。この年はコロナで観戦会が実施できなかったからです。

 早稲田に勝ったあと全国大学選手権となりましたが14日に花園で関西学院大が福岡工大を破って勝ち上がり、20日秩父宮で明治が関西学院大との準々決勝に臨みました。結果は関西学院大に46対16と点数的には圧勝して1月2日の京都産業大東海大に勝利)との全国大学選手権準決勝に進みました。 なお準々決勝では帝京大が明治が初戦で敗れた筑波大に36対0という完勝でしたが、関東対抗戦では筑波大が帝京大に勝利しているので判らないものです。明治が破った早稲田も天理大を下し、準決勝4校が出そろいました。豊田さんの指摘のように敗れた後の立て直し如何なので明治と早稲田が決勝に残っても早稲田に再度勝利は並大抵ではないと思います。

 なお豊田さんには5年前の正月に「逗葉の寅さん」と題してブログ投稿していただきました。逗葉の本名渥美清さんは初期の明治大学ラグビー部選手で当時の明早戦についても記載されていました。読まれていない方は「逗葉の寅さん」を検索して見ていただければと思います。(足立)

 

明治大学校友会逗子葉山地域支部創立30周年記念ブログ(拾遺) ― 村山富市大先輩の訃報報道に過去を偲ぶ ー

 明治大学の大先輩である村山富市元首相が10月17日午前11時28分に大分市内の病院で死去の報道をテレビで見ました。翌日の読売新聞朝刊にも1面と合わせ4面と33面に関連記事が掲載されていました。101歳でした。

 明治大学校友会逗子葉山地域支部の創立30周年を記念したブログに村山富市大先輩との縁について記載していなかったことが思い出され、資料の破棄は偲びずブログに投稿しておきます。

1.岡野加穂留学長と村山首相の縁での当校友会支部とのつながり

 平成4年11月地元明治大学校友会として当時の岡野加穂留学長をご来賓に迎えて創立総会を開催しました。2年後の平成6年6月に村山大先輩は自社さ連立政権で第81代首相に就任され岡野加穂留氏を相談役とし首相時代、官邸に節目ごとに来ていただいて助言を受けていたそうです。この縁で平成18年7月20日東京都港区の東京プリンスホテルで故岡野加穂留元明治大学学長(学長退任後に当支部顧問でした)のお別れ会があった際に弔辞を寄せられ、当支部から出席した西山隆治先輩が録音したテープが届けられて残っています。代読だったのでご本人の声ではありませんが採録も一部の場所については判読できず「- - - -」表示にしています。村山さんの想いが示されて記されているので記載しておきます。なお当支部で弔辞を聞かれたのはお別れ会出席者の馬場香澄、日向強、森英二、西山隆治、山村博輝、宮澤恒夫、川崎仁久、杉山建雄の8名でした。

             弔  辞 

 岡野加穂留先生の訃報に接し、私は思わず耳を疑いました。いつも背筋を伸ばして若々しかった岡野さんの様子を想い出しすぐには信じられなかったからであります。- - - - - - - 以外に私の大切な人物を失ってしまいました。

 岡野さんと私は、大学下で時代は少しずれておりましたが、入った明治大学を母校として果敢な明大時代を過ごしたあと、私は郷里大分の片田舎から実践活動を通して政治家への道を歩み、岡野さんは自らそうした江戸っ子らしく洗練されたスタイルで学問に専任、世界的視野を持つ我が国有数の政治学者になられました。政治家と政治学者という関係はもともと深いえにしが有ったのでしょう。

 1994年図らずも私が総理大臣に就任し、衆院選を迎える時に当時- - - - - - -に相談役として岡野加穂留さんがおられたことは、頼もしくまた有難いことでありました。たびたび首相時代、官邸に節目ごとに来ていただいて助言をお伺いしました。

 岡野さんは、古今東西の政治について実に深い知識を持ち、なお現場の政治には、ただちに客観的かつ的確に判断する専門家でした。- - - - - 言語も明解な内容でその様は- - - - -  細部を峻別して一刀両断の信念の人でありました。しかもその熱血漢振りは明大教授時代、ラグビー部の部長として大学を何度も優勝に導くなど有名であります。

 2000年の「岡野加穂留明大教授を囲む会」には当時の小渕恵三首相も出席して親友岡野さんの交わりの深さを語っておられたのでありますが、その後急逝された時、私が小渕さんの弔辞を読ませていただきました。そして今度は岡野加穂留さんに弔辞を献じることになるとは誠に感慨無量の思いであります。

 岡野さんは、学問的信念から日本国憲法の強固な擁護者としてかって- - - - - 敢行されてこられました。岡野さんらしい名言として「明日の天気は変えられないが、明日の政治は変えられる」という言葉を残されたのが印象的であります。時として議会制民主主義が並々と迎える今だからこそ貴重な人を失ったという痛恨の思いをもって岡野加穂留先生に心よりの哀悼の意を捧げるものであります。

   2006年 7月 20日        元内閣総理大臣 村山富市  

2.当支部初の新年会で配布された資料

 平成7年2月 当支部初の新年会で配布資料に村山首相と岡野学長との懇親会記事を転載しました。平成7年1月の明治大学広報第375号に平成6年11月村山首相と岡野学長との懇親会が六本木樓外樓飯店でもたれました。これは明治大学が毎年新入生に配布する学生生活の案内書「思索の樹海」に掲載する対談収録のためでした。

 村山首相は自分の思い出からウルマンの「青春とは」を引用しながら新入生には今の青春をいかに生きるかということが大事なことじゃないでしょうか、また卒業生には明治の建学の精神を忘れず自分の人生をしっかり生きることが社会のためになることだという気持ちでやってほしいと明治大学にエールを贈っています。

 なおこの新年会の配布資料には1月17日午前5時46分におきた兵庫県南部地震阪神大震災)で災害にあわれた校友会兵庫県支部はじめ地域支部の方々への支援のため義援金を集めて校友会に提出しますと記していました。

3.当支部会報「駿台逗子・葉山」を10年間郵送

 支部創立10周年を記念して平成14年に創刊した当支部会報「駿台逗子・葉山」は平成18年から10年間全国校友会に送付して逗子葉山地域をPRしていましたが校友会本部役員の一部の方にも送付し村山富市名誉会長にも郵送していました。

4.明治大学全国校友大会で寸時懇親と写真撮影

 明治大学全国校友会で当支部参加の折りには時として村山名誉会長の席に行って挨拶し一緒に撮った写真が多く残されています。船津孝二郎支部長が参加した栃木大会では船津さんの名刺の裏に村山さんが自宅の住所と電話番号を記されて渡され、現在私の所にあります。携帯にも登録してあり数度必要性からお電話し、ある時故菅野成一副幹事長も直接村山名誉会長と話をされています。

 福岡大会

 栃木大会

 広島大会

 東京大会

 

 

 大分大会

 桂林荘公園

 大分出身の村山名誉会長が思想的影響を受けたのではと思い江戸時代の教育者で

大分県日田出身の廣瀬淡窓の歌碑の前で西山隆治さんに朗詠してもらいました。

  ( 道うことを休めよ他郷苦辛多しと 同袍友有り自ずから相親しむ

    柴扉暁に出ずれば霜雪の如し 君は川流を汲め我は薪を拾わん )                                       

5.支部総会の記念講演を依頼

 平成19年6月支部総会時の記念講演を村山名誉会長にお願いしたことがありましたが、これは実現しませんでしたが依頼状が残されています。

                           平成18年12月24日

  村 山 富 市 様

                         明治大学校友会逗葉地域支部

                             支部長 船津孝二郎

       平成19年6月の当支部総会時の記念講演のお願い

 拝啓 私は12月16日(土)に行われた明治大学学生会館である「紫紺館」の落成式でお会いし栃木大会の際の写真をお渡しして懇談させていただいた,明治大学校友会神奈川県逗葉地域支部支部長をしております船津孝二郎といいます。その際来年6月の当支部総会にお招きしてご講演いただきたい旨お願い申し上げました。逗子葉山の地には行ったことがないので是非行きたいとのご希望もうかがいましたので、改めて書面により下記日程、内容にて正式な依頼状を送付させていただきます。

 総会会場の逗子開成学園は、中学、高校の一貫教育の男子校で海洋教育に特色を持っています。教育レベルは県立高校を遥かに超え東大入学も珍しくない中、父兄の多くが私学では早慶より明大を希望し今年も70余名が明大に入学しています。私共の地域奉仕への活発な校友会活動の実績が少なからず影響しているのかとも思います。理事長の小泉一郎さんは31年工卒と私と同期で、小泉純一郎前総理とは従兄弟の関係にあります。逗子の市議会議長も明大卒ですので村山先輩のこれまでの経験から国政で、また地方行政で何が大切か等に付いてお話をうかがえればこんなに素晴らしいことはないと思っています。

 是非ご来逗いただきご講演賜りますようお願い申し上げます。      敬具

                記

          明 治 大 学 校 友 会 逗 葉 地 域 支 部 総 会

    日 程 : 平成19年 6月16日(土)

    時 間 : 総 会   14時30分

          記念講演  15時~

    懇親会   16時~18時

    場 所 : 逗 子 開 成  学 園

  * 東京のご自宅まで車でお迎えにうかがい、帰りもご自宅まで車でお送りする

   予定にしています。

6.森英二幹事長が葉山町長就任の際にお祝いの色紙を依頼

 平成20年1月森英二幹事長が葉山町長に当選した際には、船津支部長から話があって村山名誉会長に電話しお祝いの色紙をお願いしました。我が家に色紙「思無邪 村山富市 為 英二兄」と書「貴不驕賤不依」(2枚)が送られてきて色紙は6月鎌倉パークホテルでの支部総会の時に森英二氏に船津支部長から手渡されました。色紙は町長室に飾られ退任後は自宅に飾っていました。2枚の書の1枚は我が家に飾ってあります。なお明治大学校友会逗子葉山地域支部創立20周年記念誌の末尾にこの村山さんからの色紙の写真が掲載されています。記念誌は寄贈した逗子市図書館で見ることが出来ます。

 なお解説書も添えてありました。

7.日中友好に貢献された岡田朝太郎顕彰碑製作の際にお名前記載の了解依頼

 平成19年6月逗子文化プラザのギャラリーで泉鏡花“逗子ロマン時代”写真展を開催したことがありました。主催はNPO法人パートナー逗子でしたが逗子市山の根に住む鏡花の養女泉名月さんが明大卒でもあり当校友会支部も共催でした。

 写真展に来られた元東京帝国大学法科教授で明治大学専任教員だった岡田朝太郎の孫にあたる高木さと子さんの強い要望を受け岡田朝太郎顕彰碑製作建立の役を引き受けました。朝太郎がまだ清国の時代に日中友好に大きな役割を果たしたことが判明し顕彰碑に時の日本中国友好協会の名も記載することになり、村山さんが名誉顧問をされていることが判ったので名誉会長の平山郁夫さんと共にお名前の記載のご了解のお願いを手紙で出し、電話で確認をしました。現在この顕彰碑は逗子市池子の望洋公園先の海と富士山が見える場所に建立されています。

 裏面(顕彰碑)

 表面(川柳碑)

 

                          平成20年8月31日

  明 治 大 学 校 友 会

   名誉会長・元総理 村山富市 殿

                        明治大学校友会 逗葉地域支部

                            支部長 船津孝二郎

        岡田朝太郎顕彰碑へのお名前の記載ご了解のお願い

 暑かった今年の8月も月末になって異常気象が続きましたが、9月を迎えることとなりました。村山先輩にはご健勝にてお過ごしのことと思います。

 過日は私共校友会支部会員の森英二君の葉山町長就任にあたりお祝いの色紙をお願いしたところ、快くお贈りいただき有難うございました。6月末の総会で神奈川県下支部長の方々が見守る中この色紙を手渡しております。大先輩の味のある字と選んでいただいた言葉でもあり渡す前に総会会場に展示もさせて頂きました。森英二君も町長室に飾って町政に励んでおります。

 さて現在当支部では元明治大学教授(当時は専任教員の呼称)であった岡田朝太郎の顕彰碑建立の計画を進めています。この記念碑に日本中国友好協会名誉顧問としての村山富市様のお名前を記載したくご了解をお願い申し上げます。

 かって北京大学創立時、清国政府の要請を受けて中国に渡り幾千年の歴史を持つ中国法系を廃止して近代化に大きな貢献をした日本の刑法学者、商法学者、裁判官、監獄学者がいました。東京帝国大学法科教授で後に明治大学教授となった岡田朝太郎もその一人で、この葉山に住み、この地で亡くなっています。葬儀には教え子であった時の首相がものものしい警戒の中で参列したと聞いています。また岡田朝太郎は岡田三面子という雅号を持ち、川柳のバイブルともいえる江戸時代から続く「柳多留」の資料蒐集と研究に優れた功績を残し今日の川柳界の先駆者となっています。横浜生まれで青山墓地に眠る阪井久良伎山口県萩生まれで鎌倉建長寺に逗留していた井上剣花坊の二人を加え川柳界の3大恩人ともいえます。岡田朝太郎は岐阜県大垣生まれですが、明治政府が招いたフランス人で近代法の父とも言えるボアソナードの通訳をしながら刑法を学び、その権威となっていきました。東京帝国大学教授となり海外視察後、ドイツ法にも長じ、また法研究のかたわら古川柳の研究にも力を注ぎ尾崎紅葉とも友交を重ね、硯友社の一員として泉鏡花とも交流がありました。明治27年から明治大学の教員を兼ねていましたが中国から帰国してからは明治大学専任となり生涯各国法典の比較研究につとめています。多摩霊園の墓には川柳の碑がありますが、やはり住んだ、そして朝太郎がこよなく愛した葉山の海が見える場所に川柳碑を立て、出来れば萩市が川柳大会を開催しているように、川柳愛好家が葉山に集まりささやかでも川柳大会を開催してくれたらとの思いが遺族の方の長年の夢でした。

 現在朝太郎の孫にあたり80歳になる高木さと子さんが逗子に住まわれ、川柳碑建立に向け資金提供を前提に親戚共々全精力を傾けておられます。高木さと子さんが祖父から引き継いで所持していた明治時代初期の何処の大学でも手が出るほど欲しがっている貴重な資料を当支部の勧めで東京大学ではなく明治大学に昨年寄贈して頂いたこともあり、この願いを是非実現させようてあげようとの考えで公共の記念碑として進めている訳です。

 幸い地元在住の浅田毅衛明治大学名誉教授にもご協力頂き逗子市長、葉山町長にも発起人になって頂き、日中友好協会や川柳協会の方々のご賛同も得て碑文が固まりつつあります。北京でのオリンピックの年でもあり、できれば日中友好協会の名誉顧問である村山富市様の名と名誉会長である平山郁夫さんの名を記念碑に刻みたくご了解を頂きたくお願いを申し上げます。中国国歌の作曲者聶耳(ニエアル)が鵠沼海岸で亡くなった縁で中国雲南省昆明市と友好を結ぶ湘南日中友好協会の岩崎富久男会長が幸いにも元明治大学商学部教授だったこともあり明治大学の縁でご支援いただき岡田朝太郎の件でお調べ頂いたりもしました。岡田朝太郎が指導した北京大学は今年110周年を迎えていますが、かって中国の北京大学、西草大学、南海大学が戦乱を避けて西南連合大学として移転していた昆明市はこのことを誇りに思っていると岩崎会長から聞いています。オリンピックのテレビ放映で北京の字を見るにつけ北京大学が連想され、マラソン競技ではコースであった北京大学が写り正に目が釘付けになりました。

 大先輩に甘えて一方的なお願いになりますが、名誉という職のため一存でご了解いただけるのではと思いましたのでお願いすることに致しました。設置場所は葉山の寺院を予定しており、公共性のある石の記念碑ともなれば一生残り地元明治大学校友の励みになるのではとも思いますので積極的に進めている訳です。後日事務局より電話でご了解の確認をさせて頂きたいと思いますので宜しくお願い申し上げます。

 時節柄、気候の変わり目に入りますのでお体くれぐれご自愛下さい。全国校友秋田大会へは17名参加予定ですので、またお会いできるのを楽しみにしています。

                                以 上

8.村山富市元首相の訃報後の付記

 村山元首相は昨年3月100歳を迎え秋に妻のヨシヱさんと共に夫婦で100歳を迎えた。村山さん宅に電話した際はいつもすぐご本人が出られた。奥様の体調から首相時代は次女の方がファーストレディー役をされて海外にも同行されたようで次女の方と一緒に住まわれていたと思いますが電話に出られたことは無かった。全国校友大会も私は12年前の大分大会で花束を受け取る村山さんを拝見しましたがその後の大会にも参加されたのではと思います。全国大会では人気者で頼まれればいつも一緒に写真に入ってくれました。中国からの留学生が村山さんとの写真を親に送ったところ両親とも涙を流して喜んだという記事も見ましたが村山さんは中国でも好かれていて、訃報は中国でもいち早く報道され中国人民の古くからの友人であり、長年にわたり中日友好事業に尽力したと述べていました。首相辞任後議員団団長として北朝鮮を訪問し国交正常化交渉再開で合意したり、政界引退後は国内外で講演し平和を訴え続けておられ訪韓したり90歳を過ぎた10年前の2015年にも中国を訪問していました。“おお、そうじゃのう”と人の話しに耳を傾けてくれる気さくな人柄で人にやさしい政治を心掛け1か月半ほど前に体調を崩すまでお元気だったようです。ご冥福をお祈りいたします。(了)

                写真:故 西山隆治  文:相談役 足立泰秀

 

明治大学校友会逗子葉山地域支部創立30周年記念ブログ(4) ー全国の校友会他支部との縁ー(完)

 当校友会逗子葉山地域支部支部創立より神奈川県以外の全国の校友会他支部のと接点があり、それぞれの時期に於てご支援、ご協力をいただいてきました。創立30周年記念ブログの最終にあたり全国の校友会他支部との縁に触れてお礼と感謝を申し上げます。

 

1.明治大学校友会逗葉支部創立10周年総会・記念式典への祝電

 当支部が創立されて大貫宏初代支部長は杉山建雄さんの運転する広瀬猛さん宅の車で北は青森県まで全国大会に参加し、他支部との交流を図られたと聞いています。このことは当支部十年史に記載がある創立十周年記念式典に際し他支部から送られた祝電でも判ります。以下記載の内容です。

 

 貴支部、創立10周年記念総会を迎え、心よりお祝い申し上げます。貴支部のますますのご隆盛と校友皆様のご健勝をお祈りいたします。

              明治大学校友会 茅ヶ崎支部 支部長 津島金治

 

 本日の明治大学校友会逗葉支部創立10周年記念式典を祝し、心よりお喜び申し上げます。私も明治が好きで歩いてきましたが、一歩一歩重ねる事、継続する事を、心掛け、今後の校友会活動を進めたいと思います。貴支部のますますのご隆盛を、北の大地より祈念いたします。

              明治大学校友会 札幌支部 支部長 水野弘作

 

 貴支部の創立10周年のご祝典、誠におめでとうございます。皆様のご努力により、ゆるぎない支部活動を続けておられる事、喜ばしい限りと存じます。今後のますますのご躍進をお祈り致します。機会がありましたら、皆様お揃いで長崎に来てください。お待ちしています。

              明治大学校友会長崎支部 支部長 石橋冨雄

 

 明治大学校友会逗葉支部創立10周年、誠におめでとうございます。船津支部長はじめ支部の皆様のご健勝と、貴支部のますますのご隆盛をお祈り致します。皆様で蔵王の空気を吸いにお出掛け下さい。

              明治大学校友会仙台支部 支部長 吉見宣夫

 

 明治大学校友会逗葉支部創立10周年記念式典ご開催の由、心よりお喜び申し上げます。今後も益々のすばらしい支部運営が、行なわれる事をお祈りいたします。来年の明治大学校友長野大会に、貴支部の皆様でご列席賜りますようお願い致します。

              明治大学校友会松本支部 支部長 佐藤忠雄

 

以下、電文を省略し、支部名と支部長のお名前のみをご紹介いたします。

 

              明治大学校友会 大阪支部 支部長 小野寺弘三

              明治大学校友会 石川支部 支部長 尾戸 嘉博

              明治大学校友会 青森支部 支部長 柏原 和夫

              明治大学校友会 帯広支部 支部長 窪田重男

 

2.会報「駿台逗子・葉山」を全国支部に10年間送付

 船津孝二郎二代支部長は、常々逗子という地名は全国区ではないと言うのが口癖でした。御用邸のある葉山はともかく逗子を全国にPRするのが大事とのことで、当支部会報「駿台逗子・葉山」が自前のA3プリンターから印刷屋に切り替えた第十号のあと、平成18年7月1日発行の第11号から全国校友会に会報を送ることになりました。

 大久保印刷に1700部注文したまでは良かったのですが、書道クラブに宛名を筆で書くようにとの話になりました。大学に依頼して届いた2006年(平成18年)3月20日付の明治大学校友会所在地名簿(支部長名記載)が残されていますが都道府県校友会が北海道支部から沖縄県支部大韓民国支部、台湾支部迄56ヶ所、それにそれぞれの地域支部が188ヶ所で合わせて244ヶ所でした。また校友会本部役員名簿もありこれを牛久順之、日向 強、足立泰秀の3人のクラブ員が1人80ヶ所程筆で宛名書きをして会報を全国支部に送りました。2回目からは1月1日号のみ年1回送付しています。数年程筆書きは継続しましたが、会報代、郵送代もかかり全国へのPRの目的はある程度果たせとの船津さんの指示もあって平成28年1月1日発行の第30号で終了にしました。校友会の改革もあり神奈川県の支部が東部支部と西部支部に別れた後も一時西部支部の地域支部にも会報だけは送付していましたが、現在、西部支部は藤沢地域支部のみ会報送付を継続しています。なお大学と校友会本部には理事長、学長、大学支援部長、校友連携事務室長、校友連携事務担当、そして校友会会長を含め一緒に校友連携事務担当宛に郵送しています。以前は、長堀守弘(校友会顧問・理事長)、納谷廣美(校友会顧問・学長)、村山富市(名誉会長)、向殿政男(会長)、前川一郎(広報担当)、大石 喬(相談役)、塩澤 護(相談役)、長吉 泉(相談役・前理事長)、日高憲三(校友会担当)の校友会本部役員にも全国支部に送るため知っておいていただきたいとの理由でお送りしていましたが全国支部への送付を終了と共に止めています。

 森英二元幹事長の葉山町長就任に際しお祝いの色紙を送っていただいた村山富市校友会名誉会長にはその後もお送りしていましたが、高齢に配慮し今は送付を止めています。村山富市名誉会長には全国大会で幾度もお会いして一緒の記念写真も多く残されています。全国校友会に送付を止めて以降も、残った会報を全国大会に持参して懇親会で話をした方に渡すこともありました。現在でも全国大会の懇親会で10年程前に逗葉から会報が送られてきたことをご存知の方がたまにおられます。会報第11号発行は船津支部長代でその後石渡支部長になり砂山支部長代まで会報は全国支部に送付していましたので、お礼状等は当校友会の支部長宛となっていました。当支部からの会報送付の縁で他支部の会報が多く届き好評であったことがお礼状で判ります。韓国支部や台湾支部の方とは全国大会でお会いし、会報送付の縁で親しく歓談できたこともやはり送付して良かったと当時思いました。縁は何かの切っ掛けで大きくもなり、まして明治の仲間なので今日初めて会っても長年の付き合いのように打ち解けて歓談できます。

 最初の会報第11号送付案内と今残っている会報送付お礼状及び他支部の会報から支部の名を記載し感謝申し上げます。

 

(他支部から会報送付のお礼状)*手元に残っているもの

 

今治地域支部  平成18年9月  日 支部長 近藤賢治様

 当支部の会報をみて電話で会報送付のお礼と合わせ徳富蘆花愛媛県今治市の郷土の文豪であることを教えていただきました。又当支部の垂幕「明治大学逗葉駿台会」について問い合わせもあり回答が残っていましたので記しておきます。

(当支部からの回答)

 当支部の会報を注意深く見ていただいたことにまずお礼申し上げます。問合せのありました垂旗について先般電話でご回答致しましたが、少し不親切だったかなと思い直し旗のサイズにつきお知らせしておきます。長方形の逗葉地域支部旗は大学校友会から拝領していますが、式典や慶弔時に使用する目的で「明治大学逗葉駿台会」の名で下記の仕様の垂旗(たればた)を作成しています。旗の先はステンレス色(白)の三角錐の矢じりで弔事の時は黒い覆いをして使用しています。以下サイズをお知らせ致しますので検討中であればご参考にして下さい。(垂旗写真とサイズを送付も省略)

 逗子葉山の地は明治の文豪徳富蘆花の「不如帰」の舞台になった場所で今も兄蘇峰の子孫が住んでいる町です。蘆花は郷土の文豪として知られ市内に蘆花公園もあります。今治市は蘆花が母の勧めでキリスト教の洗礼を受け母方の従兄が牧師でいる今治教会に来て住んでいた町であることも承知しました。平成12年の全国校友愛媛大会の時は参加できませんでしたが蘆花の縁もあり栃木大会にご参加の方がおられればお会いし懇親を図りたいと思っております。逗葉からは私を含め船津支部長以下12名参加の予定です。平成18年9月18日逗葉地域支部 幹事 足立泰秀

 

東京都東部支部  平成21年1月 7日 (前)支部長 河原啓介様

 船津孝二郎殿 拝啓、昨年も大変すばらしい会報をお送り賜り感謝申し上げます。新年早々、日本一の会報をお送りいただきありがとうございました。本當にすばらしことだと思います。記事の内容編集がまね出来ません。3Pに山科誠さんの記事を見ました。山科さんは、浅草ロータリークラブ、又東京商工会議所でも役員会でいろいろと活動した仲間でした。山科さんにお会いしました時は、浅草の河原啓介がよろしくとお伝え下さいませ。(大変お世話になりましたので)

 実は 東部支部長を4年間つとめさせていただきまして、20年2月から明治大学評議員の末席をつとめさせていただき、大学の経営の面で勉強させていただいております。後任の東京都東部支部長さんには(平成19年5月から)昭和31年商学部卒加茂登千さんが就任されていらっしゃいます。住所は〒130-0003墨田区横川×―×―×でございます。

 そこでお願いがございます。このすばらしい会報を長堀守弘理事長に是非見ていただきたく私にお送りいただいた分からお渡しいたしたいと思います。それはこんなすばらしい会報は他にはないと思うからです。そこで恐れ入りますが、上記の加茂支部長にお手数を掛けますがお送り頂きたいのです。よろしくお願い致します。台東区は上野、浅草が中心になりますが、何かお役に立てることがございますればと思っておりますのでお申し出下さい。今后ともよろしくお願い申し上げます。感謝

 

浜松地域支部   平成22年3月 1日 支部長 片渕 守様

 幹事長山村博輝様 浜松地域支部の片渕と申します。この度はご無理なお願いで「慶弔規定」をお送り頂きありがとうございました。かねがね貴支部の会報を拝見しておりましたが、全国でも有数の会報で感心しておりました。この「慶弔規定」も見させて頂き、大変ありがたく拝見しました。これからの当支部の作成にあたり、大いに参考にしたいと思っております。尚、当支部でも近々のうちにホームページを開設します。貴支部との交流を持てればと思っております。貴支部のますますのご発展を祈りながら、先ずはお礼のご挨拶とさせていただきます。

 

習志野地域支部   平成24年1月 9日 支部長 岩城文彬様

 貴会報「駿台逗子・葉山第24号」拝読いたしました。新年おめでとうございます。貴会報をご恵送戴き有難く読ませていただきました。表紙は霊峰富士をバックとして潮騒と共に校歌が沸き上る活力溢れる場面を彷彿とさせます。貴支部における活発な活動と校友会会員のコミュニケーションの優れていることは多いに参考にして習志野地域支部の活性化を計っていきたいと存じます。自衛隊木更津駐屯地での記述もあり、千葉県の各支部はもっと青少年をまじえた活動を拡げていく必要を感じています。当支部においては校友会会員有志でNPO法人を立ち上げ、老々介護ともいえる健康体操の普及と地域の活性化を図っています。又、子供達を対象として、市内の自然、歴史の語り部、ハイキングを毎年実施しています。それと伝統の明治大学マンドリン倶楽部演奏会を定期開催して市内の学校合唱団の参加によって地元との賛同、一体化、結果としてチケットの早期完売がなされている訳です。校友会の活動に参加して感じることはまだまだ活性化する余地が有り過ぎることです。NPO法人習志野文化協会を立ち上げたことで校友会会員がパソコンとメールを使いこなしていく必要性にせまられ、結果として60、70、の手習いで伝達が早期、確実に行われるようになりました。社会で活躍してきて一服している者、名誉職にある者、現役でバリバリ活躍している校友、校友各々の力を結集させる仕事を創り出した訳です。これは習志野地域支部の近況であると同時に実は自慢なのです。この手法で千葉各支部間でも活動をリンクさせ活性化が図れればと思考しているしだいです。

年頭にあたり、貴支部の益々のご繁栄を希望いたします。啓白

 

町田地域支部    平成25年1月 6日     飯田光宏様

東三河地域支部   平成25年1月 7日 支部長 吉川一弘様 

藤沢地域支部    平成25年1月 7日 支部長 金子勇二様

 砂山昇様 新しい年の初めを迎へ益々ご清祥のこととお慶び申し上げます。箱根駅伝には藤沢までお越し戴き有難うございました。只今、御支部の創立20周年記念誌のご恵贈を戴きました。内容は充実して質量共に優れ、その立派なことに感服すると同時に、取纏め編集に当られた委員長様のご苦労が偲ばれました。私共も平成21年に10周年を迎えましたが、記念誌を発行することが出来ず(財政上の理由による)年2回発行している会報を創立10周年記念特集号とした次第です。今後共ご指導を宜しくお願い申し上げます。

 

鳥取県支部     平成25年1月 7日 支部長 三保文嗣様

北海道支部     平成25年1月 9日 支部長 水野弘作様

 謹賀新年 貴支部会報第24号を拝受いたしました。毎度お心遣いに有難うございます。創立20周年を迎えられ益々のご発展をお祈り申し上げます。貴支部杉山建様には永年に亘りご好誼を頂いております。

 

埼玉県東部支部   平成25年1月 9日 支部長 出野康夫様

 謹啓 逗子・葉山の校友の皆様には、益々お元気で新春をお迎えのこととお慶び申し上げます。本年もよろしくお願いいたします。又、常日頃は毎回支部報をお送りいただき、厚く御礼申し上げます。中味の濃い、立派な支部報でございます。非常に読みやすく貴支部の活発な活動が手に取る様にわかります。そして地域活動の貢献度も頭が下がる思いです。毎回このような素晴らしい会報を作成されることは砂山昇様をはじめとして編集委員の皆様には大変な能力とご努力をされていることと思われます。感謝、感謝の気持ちでいっぱいです。勝手ながら我々の支部でも、お手本として活用させていただいております、ありがとうございます。今後とも、ご指導、ご交際のほどお願い申し上げます。貴支部の益々のご活躍、ご発展を心からご祈念申し上げ御礼とさせていただきます。

 

東京都東部支部   平成25年1月 9日 支部長 加藤登千様

 前略 若さ漲る力で躍進を続ける貴支部報(第24号)落掌致しました。船津氏とは同年卒で曽て幹事会時代の総会にて久木の加藤一美(故人)氏に紹介して貰った事を想起致しました。 益々の盛会を祈念致し御礼迄 早々(筆書き)

 

名古屋地域支部   平成25年1月11日 支部長 西脇 司様

 拝復 貴支部ますますご盛栄のこととお喜び申し上げます。平素は格別のご高配を賜り、厚くお礼申し上げます。さて、この度は会報をご送付いただきまして誠にありがとうございます。早速拝見致しましたが、市民まつりへの出店などを通じた地域活動や、色々なクラブ活動、陸上自衛隊ヘリコプター搭乗会などの記念行事については、とても興味深く色々と参考になりました。また、昨年は貴支部創立20周年にあたり、誠におめでとうございます。心よりお喜び申し上げます。当支部といたしましても、今後も様々な校友活動を通じて、学生及び校友の活躍を後押しするべく、また地域貢献すべく、全力を尽くして参る所存です。当支部の活動のご報告まで、直近の会報を同封致しましたので、ご高覧ください。今後とも変わらぬご好誼のほど、よろしくお願い申し上げます。まずは略儀ながら書中をもってお礼申し上げます。敬具

 

大宮地域支部    平成25年1月15日 支部長 高橋成典様

大韓民國支部    平成25年1月17日 支部長 朴 元錫様

 謹啓 新年おめでとうございます。今年もご健康でご發展、ご多幸で有りますようお祈り申し上げます。過年中は大変お世話になりありがとうございました。本年も宜しくお願い申し上げます。この度は貴支部會報第24号をご送付いただき有難く拜受致しました。また、全國校友靜岡大會でのお寫眞有難うございます。厚く御禮申し上げます。今回の會報には貴支部創立20周年記念のお祝いのご様子や全國校友靜岡大會参加記など實感のこもった文とおなじみの海外旅行紀行に同好クラブの樂しい活動状況など興味深く勉強させていただきました。自衛隊ヘリ搭乗の企画はすばらしいと思いました。今後とも宜しくお指導お願い申し上げます。末筆ながら、極寒の折、支部長のますますのご健勝ご發展と貴支部のご隆盛をご祈念申し上げます。敬具

 

長岡地域支部    平成25年1月23日 支部長 恩田孝重様

 前略 この度、貴地域支部会報をご恵贈いただき誠にありがとうございました。いつものご高配に恐縮致しております。充実した内容に感心させられるとともに役員やご担当の方々の熱意とご努力に敬意を表します。同行クラブが七つもあり羨ましい限りです。新潟では現在七地域支部が存在し会報は県支部が年2回発行しておりましたが労力と資金節約を目的に1月19日にホームページを立ち上げ、徐々に充実を図って行くことになりました。このため会報の発行は廃止となりました。明年の全国校友大会は新潟県が担当いたします。明大戦没学徒忠霊の慰霊祭も予定しておりますので、ご参加下さるようお願い申し上げます。早々

 

東京都南支部    平成25年1月    支部長 米山耕右様

高知県支部     平成25年1月    本部相談役 大石 喬様

墨田地域支部    平成26年1月 9日 支部長 加藤登千様

渋谷地域支部    平成26年1月 9日 支部長 鈴木正彦様→櫻井義修様

広島県竹原地域支部 平成26年1月10日 支部長 佐藤伸次郎様

習志野地域支部   平成26年1月19日 支部長 岩城文彬様

大韓民國支部    平成26年2月 4日 支部長 朴 元錫様

 

習志野地域支部   平成28年1月23日 支部長 岩城文彬様

 貴支部会報を拝受しました。今後は貴支部ブログで拝見させて頂きます。時宜に即した良い策と存じます。千葉東部支部会報は今年より年1回の発行となりましたので5月に刷り上がりましたら早速送付申し上げます。当支部では全国校友千葉大会に向け目下、準備中でございます。会場は幕張メッセの施設を活用する予定で予約もいれ、多くの校友を迎えるべく千葉、東部、西部はもとより直近の開催県には参加して実際のノウハウを学んでおります。首都圏だと言っても先ずは傘下のホスト校友の意識を高めていくことから始めております。校友数の少ない滋賀大会を組織した京都、滋賀は良く纏まっていたと思います。オリンピックの前の年が千葉大会で御座いますので、何れご案内申し上げます。

 

山口地域支部   平成28年1月25日 支部長 久光彰様 幹事長 大隅正和様

 拝啓 新春の候、明治大学校友会逗子葉山地域支部会員の皆様におかれましては、ますます御健勝のこととお慶び申し上げます。さて、昨年2月に大島喜平が支部長を退任し、新たに久光彰が着任いたしました。ご報告が遅くなり、申し訳ございませんでした。事務局の所在地については、変更はございません。これまで10年間に亘り会報をお送り頂き、誠に有難うございました。今後の貴支部の発展と、皆様のご健康、ご活躍をお祈り申し上げます。敬具

 

 

(会報をお送りいただいた全国の校友会支部)*手元に残っているもの

 

大阪府大阪校友会「駿台だより」平成7年7月第23号 会長 野見山亨様

  以降 第33号 会長 手嶋 健、 第34号、第35号、第38号

茅ケ崎支部「紫紺ちがさき」 平成14年1月 1日創刊号 支部長 津島金治様

藤沢支部「明大ふじさわ会報」平成14年1月26日創刊号 支部金子勇二様

  以降 今日迄8月号と1月号届く

鎌倉地域支部「紫紺のきずな」平成18年11月23日 復活第19号         

  支部長 塚本正男様  以降 復活第24号、復活第28号  

新潟県支部駿台会だより」平成21年1月10日第8号 支部長 栗山 清様

  以降 平成23年7月31日第13号 支部長 田代和孝様

茨木県水戸地域支部「水戸地域支部だより」平成21年2月1日第3号 

  支部長 海老沢康郎様  以降 第8号、第11号

千葉県西部支部「千葉県西部支部だより」平成21年夏 第5号 支部

東京都西東京市地域支部「明大校友会西東京だより」平成22年9月第6号 

  支部長 有賀 茂様   以降 第8号            

愛知県名古屋地域支部「MUNews」平成24年5月 第23号 支部

埼玉県東部支部「埼玉県東部支部報」平成24年12月20日第16号 支部

東京都多摩地域支部多摩地域支部紫紺」平成28年2月1日第6号 

  支部長 岩渕義郎様    以降 第7号、第8号         

大和地域支部「暁の鐘 やまと」平成29年4月1日号 支部長 石川建雄様

 

 

 

3.全国校友会他支部との逸話 

大阪府大阪校友会)

 平成7年1月17日午前5時46分におきた兵庫県南部地震で災害に会われた校友会兵庫県支部兵庫県菊水町)はじめ地域の方々への義援金5万円を大阪校友会に送りましたが、この年7月発行の機関誌「駿台だより23号」が送られてきて《校友会の友情》として“東京本部校友会と幹事会そして近隣支部、更に逗子葉山支部校友会と支援の見舞金が届けられた。その対応のご好意は有り難く、深い感謝を捧げたいと思います。と掲載されていました。この縁で暫く交流と会報が届きました。野見山亨会長の後を受けた手嶋健会長はなんと逗子市小坪の住吉城跡近くにかなりの敷地の家があり日向強さんとは連絡を取っていたと聞いています。

熊本県支部

 平成16年10月に全国校友福岡大会が開催されました。地元校友会での九州旅行は初めてで徳富蘆花で縁の深い熊本を訪問しようとの話になりました。福岡大会の懇親会で野上禮之助熊本県支部長と懇談、蘆花の愛子夫人の郷里菊池市を訪ねたあと熊本市に入り熊本県支部の方々と旅亭青柳で親睦を図りました。この際に逗子に住んだ明大の大先輩藤原楚水氏の著書「随筆藻塩草」や逗葉の絵葉書、案内チラシに合わせ逗葉支部十年史を贈呈しました。残念ながらその後支部長は急逝されましたが熊本県支部との交流は逗子に残る菊池姓ゆかりの菊池神社を参拝したこともあり記憶に強く残っています。平成28年4月熊本地震が発生し、熊本城が損傷、3年後の令和元年7月の支部長会懇親会で高宮宏熊本県支部長と話をする機会がありましたが、昔熊本を訪問したことを話し地震の復興状況をお聞きしました。

 

           藤原楚水(喜市):明治34年法卒



愛媛県今治地域支部

 平成18年7月会報送付に際し郷土の文豪として徳富蘆花の名前を記して送った縁で愛媛県今治地域支部の方から連絡をいただきました。なんと徳富蘆花今治市の郷土の文豪だったのです。蘆花はクリスチャンだったことと牧師の従兄が住んでいた今治の教会で一時期暮らしていたことを教えてもらいました。蘆花はキリスト教伝道のかたわら今治英学校の教師として一時期滞在、長編小説『黒い眼と茶色の目』に今治での生活のことを述べていて、また、『思出の記』では、今治でのことを宇和島でのこととして描いていました。

 

江戸川区地域支部

 平成19年1月20日イタリアレストラン・カンティーナ2階での新年会で「ワインのランク当て」試飲とクイズを行いました。会報を全国の校友会に送った縁で江戸川区地域支部の白子英城支部長と輸入ワインで太い絆ができ、ワインは白子支部長から届けてもらいました。普段当支部は日本酒か焼酎でワインを口にする機会が少ないなか逗子葉山立教会のワイン勉強会に参加している北野牧子幹事が中心となって参加者に配っています。

尚、会報委員でもあった北野さんはグルメクラブを担当し逗子と葉山の美味しい食事処を全国支部に会報を通じ紹介していました。

 

台東区地域支部

 平成22年5月8日(土)のバス旅行で神輿と太鼓の工場見学をしています。台東区地域支部の宮本卯之助支部長との会報送付の縁で浅草の言問橋すぐ近くにある宮本卯之助商店を31名の会員が訪問し、宮本会長や幹部の方々の出迎えを受け製造・修理の現を見せてもらい西浅草にあるショールームでは世界各地の太鼓を一堂に集めた世界太鼓博物館で説明も戴きました。先の東京五輪の火炎太鼓は宮本卯之助商店で作られたこともお聞きしました。宮本会長が付きっ切りで説明いただいたのには感謝、感謝でした。

 

新潟県支部

 平成26年10月に全国校友新潟大会が開催されました。逗子海岸中央からやや渚橋よりの場所に昔から黒門で知られる新潟の北方文化博物館分室があり、室長は慶応卒の伊藤淑郎さんで明大マンドリンコンサートにも来ていただいた方で知らない仲では無かったので新潟旅行の際は北方文化博物館を見学したいという強い思いがありました。

 実現となり伊藤さんの娘婿の方が北方文化博物館の館長になっておられ淑郎さんから連絡をしていただいたこともあり良くしていただきました。地元明治の校友と慶応の塾員との友諠の証でもありました。新潟大会懇親会では役員で弥彦神社前で土産店を開いている西澤哲司さんとほんの少し会話しただけだったのに翌日の弥彦神社訪問の話をしたところ当日は店に荷物も預け神社境内の案内から弥彦山登頂及び帰りの駅までの手配等していただいたのには明大の仲間の有難さを痛感しました。当時当支部ではまだブログを開設ていませんでしたが、新潟大会は記録に残したい思いが有って平成30年9月に追憶としてブログ掲載ました。

 北方文化博物館内

 弥彦神社

 

滋賀県支部

 平成27年9月に全国校友滋賀大会が開催されました。前年新潟大会の際に岩田守弘滋賀県支部長とは会話して是非滋賀大会に来て下さいと言われていました。逗葉の明大仲間との大会や琵琶湖周辺の旅行の想い出もありますが、滋賀大会はこれまで他の全国大会ではなかった大会の報告書が砂山支部長宛に届いています。参加者集計や多くの写真が掲載されていました。実は後日談で逗子市役所1階に掲示してある谷文晁の久野谷村と鐙摺浜の2枚の絵の件で葉山郷土史研究会の方から問い合わせをいただきました。昭和59年の市庁舎竣工の際に寄贈された絵ですが市に詳細が残されていないとのことです。市役所に務め昔を知る石渡元支部長の話では滋賀県に発注したようなことを教えてもらいました。滋賀大会の際にお世話になった縁で滋賀県支部幹事長の村田茂紀氏(H4年政経卒)が近江八幡金剛寺町で会社を経営されていることが資料にあったのでメールで調査をお願いしました。結果的には判明しませんでしたが快く引き受けていただき、調査結果についても報告がありました。陶芸の町信楽も頭にあり何時か市役所の谷文晁の絵がやはり滋賀県で作られたことが判明するのを祈念しています。 

 岩田守弘滋賀県支部長(右)

 

(札幌地域支部

 平成28年1月12日、当校友会幹事に加わった佐藤嘉信さんから札幌に行って経営者を対象に講演をしますとのメールが届いた。佐藤さんのこれまでの経歴については良く聞いていなかったが縁あって松下幸之助さんのそばで働いたことがあり、「松下幸之助に学ぶ・繁栄の発想」と題して講演するということだった。明大校友会札幌地域支部に副支部長として明大ゼミ仲間の船越谷義之君「㈱フナコシヤ 代表」がいることを思い出して佐藤さんに返信したところ、すぐ同支部の花岡幹事長に連絡され、花岡さんも良く知った仲ということで船越谷君に連絡をとってもらい佐藤さんの講演を聞いてもらうことが出来た。また山村さんのメールで佐藤さんは明大で講義していることも知らされた。明治大学は日本全国から生徒が入学する大学であることは今も変わらないと思う。大学時代の仲間が全国に散らばっていて遠くて会えなくても現在はメールという便利なものがあって写真添付で即送られてくるので有効に使わないといけない時代になった。残念ながらアメリカに渡った佐藤さんは一時メール交信ができたが現在は無効となっている。

 

               船越谷札幌地域支部支部長(左)と 花岡札幌地域支部幹事長(右) 

 

 (岡山県支部

 平成30年7月に発生した西日本豪雨災害に対して翌令和元年11月逗子文化プラザホールでこの災害の復興支援を目的に明治大学マンドリン倶楽部チャリティーコンサートを開催しました。葉山での開催から5年振り、又会場予約が難しい逗子では前回開催からは12年振りでもあり盛況に終了しました。この年7月に駿河台で開催された全国支部長会で木下唯志岡山県支部長とその後の復興状況を聞いていた縁もあって、義援金岡山県支部経由で倉敷市長に直接届けてもらった方が明治大学の名も強調されるので良いのかなと思い、木下さんにメールで打診したところ岡山県支部の役員会で話してもらいご了解の返信をいただきました。岡山県支部口座に義援金30万円を振込し、校友会逗子葉山地域支部の捺印をしたのし袋を郵送で送りました。マンドリンコンサートのチラシも送ったので後日木下支部長他1名の方が伊東香織市長を訪問して義援金を渡していただき、その際の領収書と写真が送られてきました。市長の前のテーブルに逗子でのマンドリンコンサートのチラシも写っていて木下支部長には木下大サーカスでお忙しい中本当に頭が下がる思いをして感謝の言葉がありませんでした。その後この縁もあって多摩や横浜また鎌倉での木下大サーカスの招待券を送っていただき私は横浜公演を見ています。よく耳にする“明治は一つ”を実感しました。

 

 明治大学校友会逗子葉山地域支部創立30周年記念ブログ(4)をもって、支部創立30周年記念ブログは完結と致します。支部創立20周年の際は草創期の方々も健在で記念誌も作成し支部創立10年史と同様に逗子市図書館に寄贈しました。しかしさすがにその後の10年で亡くなった方が多く、又ご支援とご協力いただいた近隣明大校友会の方や地元他大学の方でも既に故人となられた方が多くおられます。30周年記念誌作成は早々に止め、会報第41号(令和4年8月1日号)と第42号(令和5年1月1日号)に第43号(令和5年8月1日号)の3号を支部創立30周年記念特集号にすることを決めていました。第43号には1年遅れの支部創立30周年祝賀式の報告記事を載せています。

 祝賀式ではコロナの影響も残りご来賓をお呼びしなかったので、この3号のみではご支援とご協力いただいた方々への感謝の思いが不充分ではとの思いも有って多くの写真を含む記録を基に当支部ブログに「支部創立30周年記念ブログ」を投稿致しました。ブログは残るものなので6月定時総会開催ブログ「定時総会と1年遅れの支部創立三十周年記念祝賀会が開催できました」と会報特集号と合わせて見ていただければと思います。

 昨今個人情報等の配慮が難しくなっていますので、あくまでも校友会行事に際しての個人名と写真を基本に掲載していますのでご了承下さい。

   令和5年8月24日  文:足立泰秀  写真:多く西山隆治撮影」(故人)

明治大学校友会逗子葉山地域支部創立30周年記念ブログ(3)ー神奈川県下他支部と地元他大学の交流ー

*当支部創立よりこれまでの30年間には、多くの方々のご支援とご協力をいただきました。ブログ(2)で述べた明治大学マンドリン倶楽部チャリティーコンサートでは多くの入場者と広告協賛をいただいた法人の方々に感謝を申し上げます。先月6月17日(土)に1年遅れで開催した当支部創立30周年記念祝賀会では、本来これまでお世話になった明治大学校友会他支部の方々や地元他大学校友会の方々をご来賓に迎えお礼と

感謝を申し上げるべきところでしたが、コロナ感染が縮小したと言ってもまだまだご来賓を迎えて盛大な祝賀会は難しく、ご来賓は神奈川県東部支部のみとし会員主体の祝賀会としました。従ってこのブログで明治大学校友会他支部及び地元他大学校友会との交

流の記録を記してお礼と感謝を申し上げることに致します。 

 

1.神奈川県下明治大学校友会他支部との交流

 ①神奈川県東部支部

       (東部支部長の向井眞一様は支部創立30周年記念祝賀会は欠席でしたが

            会報第43号にご祝辞をいただきました)

 

 淺原友則様

 進林徳彦様(左)  

     (東部支部幹事長 平戸明彦様に祝賀会でご祝辞をいただきました)

 

 ②鎌倉地域支部 

 当支部創立当時鎌倉支部(当時の呼称)支部長は井上蒲鉾の牧田高明社長で鎌倉法人会(鎌倉・逗子・葉山)会長でもあり、発起人の船津さんは仕事で縁があったので平成4年2月鎌倉支部に逗葉支部設立について相談しに行き大変お世話になったそうです。また創立総会の2ケ月後には鎌倉支部の新年会に船津、大川、足立の3名が参加させてもらい大学校友会の新年会の在り方を学んでいます。鎌倉裏駅の寿苑で開催された新年会は参加者が50名程で女性は10数名でしたが、会員の伝手でリオのカーニバルのような姿のダンサーが2名呼ばれていたのには驚きました。堅苦しいのはダメを肝に銘じた出来事でした。こんな縁もあって逗葉より遅れること2年後の平成7年6月17日鈴木達雄支部長のもと鎌倉芸術館大ホールで初めて明大マンドリン倶楽部コンサートが開催された時は入場券を30枚販売協力しました。明大ヨット部が八景島から部員総出で応援していたこと、逗葉支部の為に2階席最前列を用意してくれていたこと等草創期より絆の深い支部です。古都鎌倉をめぐるウオーキングにも参加案内をもらい、逗葉地区以外に横浜の支部からも参加されておられました。

お世話になった歴代支部長名を記して当時の役員の方々に御礼と感謝を申し上げます。

歴代支部長:牧田高明→鈴木達雄→四十八願稔→奥村晴幸→井上秀壽→塚本正男→

     →萩原成樹 各支部長様

 牧田高明様

 斎藤 実様(中央)

 鈴木達雄様

 寺部かつ様(左)

 四十八願稔様と木下友男様 

 奥村晴幸様

 井上秀壽様(左)

 塚本正男様と柳本成生様

 田中治様(左)

 荻矢健治様(右4番目)    

 木下 泉様(右)

 萩原成樹様(左)

 磯崎勇次様(右3番目)

 

 

 ③横須賀地域支部 

 平成4年7月船津さんは森さんと共に横須賀支部(当時の呼称)の牧島功幹事長(横須賀会会長・県議)を訪ね支部設立の支援を受けました。当時逗子葉山の現役学生は横須賀会に所属して明大マンドリン倶楽部横須賀公演の手伝いをしていた学生も多くこれは継続としたそうです。この年10月5日横須賀公演があり岡村マネージャーから来年5月23日開催で逗子公演が内定している話も確認したそうです。横須賀支部で感心することはマンクラ公演では必ずゲストを迎え、それも有名になる前の歌手を出演させていることです。その道に力のある明大卒の方が居ることを感じます。

毎年よこすか芸術劇場で明大マンドリン倶楽部コンサートを開催し横須賀会が準備している当日その前に懇親会があり参加していました。長らく議案決議の総会出席は無く参加するようになったのはかなり後になってからです。

お世話になった歴代支部長名を記して当時の役員の方々に御礼と感謝を申し上げます。

歴代支部長:石渡 稔→加藤高明→小池克彦 各支部長様

 牧島 功様

 下境秀実様

 (下境様には平成5年第1回マンドリンコンサート打上式に参加頂きました)

 

 石渡 稔様

 小池克彦様(右)

 

 加藤高明様(中央)

 

 狩野昭夫様(左)

                       


 ④横浜地域支部

 平成5年11月20日の平成5年度総会(逗葉支部旗授与式)に神奈川県支部(当時の呼称)安藤正美支部長に出席いただきました。当時89歳の高齢でしたが矍鑠たるお姿でした。平成6年の総会には桐ケ谷健司副支部長に出席いただき湘南国際村国際会議場を見ていただきました。神奈川県支部とは総会での交流で個人的なお付き合いが主でした。平成7年度から4度総会に来られた小斉平かよ子様、平成8年度総会に初めて来られた内田浩二様、20世紀最後となった平成12年度総会に初めて来られた中井克明副支部長、平成13年度総会に初めて来られた小林弘昌支部長はその後神奈川県東部支部長として平成15年度総会に出席いただきました。その後中井様が支部長になられ平成27年に田野井一雄様に変わる迄当支部の行事に深い関心を頂いておりました。逗葉支部設立前夜から逗葉とは縁が深いと口癖のように言われていました。

 安藤正美様

 小林弘昌様

 桐ケ谷健司様(右) 

 

小斉平かよ子様(右2番目)

 内田浩二様

 中井克明様

 藤代耕一様

 田野井一雄様 

 

 

 ⑤川崎地域支部

 平成5年11月20日の平成5年度総会(逗葉支部旗授与式)に江添健一支部長に出席いただきました。21世紀最初の平成12年度総会には木村一郎支部長と鴨志田壽夫副幹事長にご出席いただき逗子開成学園海洋センターで懇親を深めさせていただきました。平成15年の校友会改革により川崎地域支部になってから支部長は魚津利興様に変わり、以後野口浩史幹事長と共に幾度となく当支部総会にご出席いただきました。

 平成27年度総会には支部長になられた此村善人様と副幹事長の内山岩男様にご出席いただきコロナ禍で総会中止までこのお二人でお越しいただきました。川崎地域支部には箱根駅伝の監督だった松本穣明大教授がおられ、自らの農園(トカイナカヴィレッジ)で春と秋に収穫を兼ねたバーベキューを行っていると聞いていて是非1度は参加したいと思いつつ今日まで果たしていません。

 江添健一様

 木村一郎様

 柴田欽司様(右)

 鴨志田壽夫様(中央)

 野口浩史様(青)

 魚津利興様

 別府寛隆様 

 松本 穣様(中央) 

 此村善人様と内山岩男様

 


 ⑥茅ケ崎地域支部 

 平成4年の創立総会に茅ケ崎支部(当時の呼称)真壁洋二支部長と津島金治氏に出席いただき、平成5年11月20日の平成5年度総会は逗葉支部旗授与式が主でしたが、この時 現神奈川県西部支部からは茅ケ崎支部の真壁洋二支部長と小林宏副幹事長にご参加いただきました。その後も茅ケ崎支部は必ず来ていただき茅ケ崎地域支部になった後も平成23年度総会迄ご来賓に迎え交流が続きました。

 真壁洋二様

 津島金治様 

 加藤繁一様と渡辺清己様 佐々木発次様(左)

 小林 宏様



 ⑦平塚地域支部

 平成4年の創立総会に平塚支部(当時の呼称)水越謙支部長と鳥海春吉氏、金子弥昭氏に出席いただき、平成6年度総会には根岸栄一幹事長にお越しいただきました。総会にも案内をいただき出席していますが交流は短い期間でした。

 水越 謙様

 根岸栄一様

 

 ⑧厚木地域支部

 平成4年11月28日付の厚木支部(当時の呼称)副支部長三枝敏明氏と事務局長仲野三樹生氏からの手紙が残されています。これには鎌倉支部の懇親会で逗子でのマンドリン演奏会の話を聞き、参考までに切符見本、ポスター、ガイド冊子(プログラム)を同封します。ガイド冊子は広告収入源であること、毎年市の社会福祉協議会に10万円寄付していること。弊支部がご紹介して茅ケ崎支部でもご利用いただいていることも記されていて、逗葉の公演ではほぼこれを大いに参考にさせてもらいました。総会にも案内をいただき出席していますが交流は短い期間でした。

 難波一彦様と黒沢剛様

 

 ⑨藤沢地域支部

 神奈川県下支部で逗葉支部の次に平成11年5月藤沢支部(当時の呼称)が設立されました。11月7日藤沢市民会館で開催された第1回総会に日向、森、広瀬敏夫の3氏が出席しています。設立にあたり金子勇支部長から色々問い合わせがあったように聞いています。役員の方が大勢来られ船津葉山別邸で懇親麻雀会を行ったこともありまはした。神奈川県西部支部に分かれてからも藤沢地域支部箱根駅伝応援会で毎年正月お世話になっているため今も総会にはご案内を差し上げ、当支部からも出席する交流が続いています。藤沢地域支部は大所帯と古い宿場町でもあり、伝統的文化風土があって支部主催で毎年3月末~4月にかけ“明大チャリティーアート展”を開催しご案内をもらい見学もしています。展示作品は趣味の範囲を超えたもので逗葉ではまずできません。今年退任された川井孝雄支部長と村上喜美雄幹事長には大変お世話になりました。

お世話になった歴代支部長名を記して当時の役員の方々に御礼と感謝を申し上げます。

歴代支部長:金子勇二→西島恒博→村上喜美雄→山口幸雄→川井孝雄→寺谷啓

 

  金子勇二様

 

                           村上喜美雄様(右2番目) 

 山口幸雄様

 

 令和5年正月の第15回応援会に持参したこの応援垂幕には藤沢地域支部の方々も

 過去から署名を頂いています。甘酒他お世話になり有難うございます。

(藤沢地域支部)青木良直、東莉沙、有田裕一、石井博、磯崎英彦、岩池正暢、

印南静夫、大塚光晴、近江真梨奈、金子勇二、川島隆、北辻賢仁、国松 誠、

小島圭策、小林由比、斎藤穂積、斎間勝、佐藤広基、柴田倭敏、城田恵子、

菅沼良策、鈴木良二、高橋君郎、高橋威、堤田欽也、堤田晴也、寺岡明人、中澤幸雄、永友亨、中西実、野口捷代、長谷川将顕、藤瀬健太郎、馬渕豊、三田勉、宮野智、

村上喜美雄、山口功、山口幸雄、大和賢二、横田龍之介、吉澤陽子、若林世哉子 各氏

 

  川井孝雄様(左2番目) 

  寺谷啓一様 

*令和5年度の総会で支部長に寺谷啓一様がなられたと聞いております。毎年

   正月は箱根駅伝応援会でお世話になりますので宜しくお願い致します。

 

 

 ⑩他の神奈川県西部支部

 小田原支部(当時の呼称)、相模原支部(当時の呼称)も短い期間でしたが総会に出席いただいたことがありました。大和地域支部 、秦野地域支部、座間地域支部とはこれまで交流はありませんでした。

 

 

                      石井政行様(小田原)(右3番目)

 山下義幸様(相模原)

 

2.地元他大学校友会

 ①早稲田大学逗葉稲門会

 平成4年の創立総会に斉藤忠司会長、安達俊雄幹事長に出席いただき当支部設立立会人の役をお願いしています。翌平成5年6月5日JR逗子会館で開催された逗葉稲門会総会の勉強のため大貫支部長と船津、五味、森、杉山、足立、大川の7名が特別に参加させてもらいました。来賓として校友会本部、横浜、川崎、横須賀、鎌倉、藤沢の各校友会の方々が出席されていました。翌7月10日には久木の高松食堂で逗葉稲門会との役員顔合わせ会を開催しました。出席者は船津、石渡、五味、黒沢、森、広瀬敏、小林、足立、杉山の9名で逗葉稲門会からは斉藤会長、河村・杉原・門脇の3副会長、安達幹事長、小松崎事務局長、黒沢・山本・荒木の4幹事で9名でした。逗葉の早稲田OB1000名、年会費2,000円、支払者300名(継続性のある人200名)、月1回10名程で会合、10月2日早稲田ハイソサエティ葉山公演予定等の情報を教えてもらい、逗葉稲門会の活動は当支部の地元での活動のお手本とさせていただいています。平成5年11月20日の平成5年度総会(逗葉支部旗授与式)には斉藤会長、杉浦忠雄副会長、安達俊雄幹事長、小松崎英事務局長にご参加いただきました。この30年を振り返ると当支部草創期に毎年のように開催していた早稲田ハイソサエティオーケストラにるる早稲田ジャズコンサートの活動や、クラブ活動特に歴史散歩の会など安達俊雄氏が大学時代の友人である小池清志氏を講師に招き平成5年から平成21年迄須賀一朗会長代で30回を迎え記念誌を発行されました。格調高い内容に驚くと共に逗葉稲門会のバイタリテフィーに感心させられこれは現在も続いています。

お世話になった歴代会長名を記して当時の役員の方々に御礼と感謝を申し上げます。

 歴代会長:齊藤忠司→鈴木尚→山内哲→須賀一朗→安達俊雄→山本陽張→荒木孝夫

     各会長様

 

 斎藤忠司様

 

 鈴木 尚様

 山内 哲様(左2番目)

 和田修芳様

 川﨑隆宣様

 佐野孝雄様と古賀順子様

 峰松 雄様 (右3番目)

 須賀一朗様

 安達俊雄様と野際基実様

  山本陽張様 

 五十嵐光司様 

 荒木孝夫様(左)

 

 *令和5年度に新会長になられた荒木孝夫様は当支部創立10周年

       を迎えた湘南国際村センターでの平成14年総会時に参加いただ

       いていました。今後とも宜しくお願い致します。



 ②慶応義塾大学逗葉三田会

 平成4年の創立総会に慶大卒の佐野久二氏に出席いただき、平成5年11月20日の平成5年度総会(逗葉支部旗授与式)には茶木原方実氏にご参加いただきました。船津氏の長くからの知人で慶大卒の方にも出て欲しいとの思いだったと思います。当支部が創立後も暫くは逗葉三田会との交流はありませんでしたが、平成10年6月21日の横浜銀行シーサイド倶楽部で開催された総会に初めてご案内をいただき、日向、森、杉山、足立の4名が参加しました。この時の内容は当支部ブログ“2015.6.17.逗葉三田会懇親会参加”に過去の追想として触れています。家族も呼び、若い卒業生も多く参加の総会、懇親会の印象が強く残っています。この意味からか他校との交流は暫く途絶えていましたが、ある時逗葉稲門会の須賀会長が逗葉三田会の三田宏也終身会長に交流を働きがけ、当支部の平成27年度総会後の懇親会に三田会長と菊池尚幹事が参加されました。当囲碁クラブとは交流がありましたが、早慶立明4校の逗葉睦会だ出来てからカラオケ会、ゴルフ会で交流会が始まりました。コロナ禍で中断中ですが再会を願っています。

お世話になった歴代会長名を記して当時の役員の方々に御礼と感謝を申し上げます。

 歴代会長:三田宏也→有友嘉紀 各会長様

 佐野久二様

 下田一成様(右2番目) 

 菊地尚様(中央)

 三田宏也様(左)

  伊藤忠宏様⤴

 山口雅司様と渡邉正貴様

 田中克彦様(左) 

 有友嘉紀様

*会長の有友嘉紀様には逗葉三田会様の総会時や逗葉睦会役員会でお会いしていま

 したが、明大校友会当支部総会が令和2年から4年まで対面総会が出来ず、また

 令和5年はご来費をお呼びしませんでした。総会時での懇親の機会がありません

 でしたが今後とも宜しくお願い致します。 

 

 

 ③立教大学逗子葉山立教会 

 逗子葉山立教会さんはホームページによると平成元年に湘南立教会から分かれて設立されたということです明大校友会の当支部設立の3年前でした。平成5年11月20日の平成5年度総会(逗葉支部旗授与式)に初めて平井義男会長、青山哲也氏、東郷桂子女史にご参加いただきました。平井会長は船津さんの逗子ロータリーでの古くからの知人でもあり以後当支部総会後の懇親会には欠かさず出席いただいています。女性の役員が会の運営をされている印象が深いのですが、当支部の地引網の集いやお花見会にお呼びした縁で同じ場所で別々にお花見会が実現したり、逗子海岸花火鑑賞会では葉山港管理事務所で一緒に鑑賞の場を設けて頂いたりしています。役員の東郷桂子さんが中心となって逗子まつりでの出店で声を掛けられ当支部も2度フリーマーケット出店したことがありました。また役員の清水澄子さんが逗子日米協会の会長だった縁で、米軍基地内の日米親善ゴルフ会に桜井、足立で参加させもらったこともありました。東日本大震災では役員の周東敏子さんが立教大学グリークラブのOBだった縁で立教、早稲田、明治の3校校友会で大学のグリークラブを呼んでチャリテフィーコンサートを逗子文化プラザで開催した事もありました。当校友会だけでなく地元他大学との協力によるイベントは明大マンドリンチャリティーコンサートや早稲田ジャズコンサート、立教卒の落語家三笑亭小夢さん(真打)の落語会にしても協力関係が顕著でした。

お世話になった歴代会長名を記して当時の役員の方々に御礼と感謝を申し上げます。

 歴代会長:平井義男→大石國夫→魚住孝男→寺木正方→青山哲也→岸野浩平→松田武久

     →岩井譲治   各会長様位

 平井義男様

 

 内山定男様(右)

 寺木正方様(左3番目)

 東郷桂子様と周東敏子様

 青山哲也様

 田中英一様(右2番目)

 三枝太郎様と清水澄子

 田嶋進様(左)

      寺木元会長⤴ (父親の寺木定芳氏は日本麻雀連盟総裁でした)

 

 岸野浩平様

 宮田 勝様(右2番目)

  松田武久様(左)

 秋谷勝三様(左2番目)

    (当支部バス旅行に参加の秋谷様)

 

 井上義朗様(右)

 岩井譲治様(左2番目)

 西野正雄様(左)

 

 会長の岩井譲治様と幹事長の西野正雄様には逗子葉山立教会の総会時や  

 逗葉睦会役員会でお会いしていましたが、明大校友会当支部総会が令和

 2年から4年まで対面総会が出来ず、また令和5年はご来費をお呼びし

 ませんでした。総会時での懇親の機会がありませんでしたが今後とも宜

 しくお願い致します。 

 

 

 ④中央大学逗葉白門会 

 かなり前から大師通りの武藤不動産(武藤英一さん)に逗葉白門会事務局の看板かかっていましたが活動を休止して久しく、平成10年6月に今井武志さんを会長に総会を開催し、その後平成16年か17年に杉本代八郎さんが会長になられてから交流が始まりました。囲碁クラブは逗葉白門会の栗田潤さんとは早稲田、慶応、中央、明治の4校交流大会で顔を合わせ、船津さんの紹介で逗子ロータリークラブの三宅譲さんも知人なっていましたが、たまたま山村元支部長の近くに杉本会長が住んでおられたので当支部総会後の懇親会に逗葉白門会の方にもご案内して平成17年度から平成19度の3年間総会後の懇親会にご来賓として出席いただきましたが逗葉白門会様の事情により残念ながら交流は途絶えています。

 杉本代八郎様

 栗田潤様

   栗田潤様⤴  峰松雄様⤴  伊藤様⤴河合さん⤴

   (中大)(早大) (慶大) (明大) 

 

 逗子葉山地区に法政大学の校友会はありません。以前大学落語研究会を招き逗子文化プラザで大学落語会を開催したおり、青山学院落研も参加したので、湘南支部の西山喬久支部長と結城邦博幹事が青山学院大学の幟を持って駆け付けてくれました。また上智大学校友会の逗葉ソフィア会がありますが一部会員と話はしていますが交流はありません。

 

   

3.30年の歩みの中で逗子葉山地域支部総会にご出席いただいた方々

 

 当支部創立20周年記念誌に平成4年の創立総会~平成24年の総会及び20周年記念式典にご出席いただいた大学、校友会、地元他大学の関係者の方々を“あいうえお順”で記していました。これを“ご参加順” に変更し平成25年~令和5年の総会及び30周年祝賀会にご出席いただいた方々を太字で追加し、これまでのご支援、ご協力に感謝申し上げます。

 平成15年11月総会より校友会改革により神奈川県東部支部管下の逗子葉山地域支部となったため、平成16年から総会は6月に変わりましたが総会に明治大学および校友会本部からのご来賓はなくなりました。しかし平成24年6月総会は創立20周年記念総会のため明治大学と校友会本部からもご来賓を迎えました。本来30周年記念祝賀会にはお呼びするケースだったのですが、まだコロナ禍の環境下ご来賓を東部支部のみとしてお呼びしませんでした。

  

明治大学     岡野加穂留様、戸沢充則様、狩野芳一様、松瀬貢規様、

          圭室文雄様、野上修市様、石川繁様、松本隆栄様

 

②校友会本部    玉井宏夫様、山口孝様、向殿政男様、木村一郎様、向井眞一様

 

③神奈川県東部支部 小林弘昌様、木村一郎様、中井克明様、木下泉様、向井眞一様、

          別府寛隆様、淺原友則様、平戸明彦様

 

④横浜地域支部   安藤正美様、桐ヶ谷健司様、岡本順太郎様、小斉平かよ子様、

          内田浩二様、中井克明様、小林弘昌様、林田富美子様、

          (以上旧神奈川県支部)永井幸雄様、、藤代耕一様、大谷實様、 

          田野井一雄様

 

⑤川崎地域支部   江添健一様、柴田欽司様、木村一郎様、鴨志田壽夫様、

          魚津利興様、小澤義弘様、野口浩史様、別府寛隆様、

          此村善人様 内山岩男様

 

⑥横須賀地域支部  牧島功様、広瀬和幸様、石渡稔様、小池克明様、下境秀実様、

          加藤高明様、藤田正典様、狩野昭夫様

 

⑦鎌倉地域支部   斉藤実様、鈴木達雄様、林富子様、牧田高明様、寺部かつ様、

          岡嶋正様、大西弘明様、木下友男様、木下泉様、四十八願稔様、

          塚本正男様、柳本成生様、奥村晴幸様、當間伸行様、

          井上秀壽様、木村壮平様、珍田宥充様、萩原成樹様、田中治様、

          荻矢健治様、磯崎勇次様

          

茅ヶ崎地域支部  真壁洋二様、津島金治様、小林宏様、渡辺清己様、加藤繁一様、

          坂本輝雄様、阿諏訪幸三様、管野文雄様、諏訪一三様、

          青木幹夫様、佐々木桂子様、藤原琢也様、北畠範文様、

            佐々木発次様、黒川博樹様  

          

⑨藤沢地域支部   金子勇二様、国松誠様、渡辺竹夫様、山崎喜知、佐藤秀雄様、

          柴田倭敏様、鈴木良二様、菅沼良策様、山口幸雄様、

          金井英雄様、川井孝雄様

 

⑩小田原地域支部  石井政行様、加藤泰夫様、中村静夫様、岸頼道様、高橋和久様、

          水落泰三様

 

⑪厚木地域支部   難波一彦様、黒沢剛様

 

⑫平塚地域支部   水越謙様、鳥海春吉様、金子弥昭様、根岸栄一様

 

⑬相模原地域支部  山下義幸様、神田達治様、

 

⑭逗葉稲門会    齋藤忠司様、安達俊雄様、杉原忠雄様、小松崎英様、

          鈴木尚様、山内哲様、和田修芳様、 黒澤正昭様、荒木孝夫様、 

          川崎隆宣様、橋本宥司様、佐野孝雄様、蓬田俊雄様、峰松雄様、

          遠山徳昭様、古賀順子様、 山本陽張様、青木栄一様、

          須賀一朗様、五十嵐孝司様、野際基実様        、

 

⑮逗子葉山立教会     平井義男様、青山哲也様、東郷桂子様、魚住孝男様、

                                     周東敏子様、内山定夫様、木下明様、寺木正方様、田嶋進様,

                                     田中英一様、三宅弘様、岸野浩平様、三枝太郎様,清水澄子様、

                                    秋谷勝三様、宮田勝様、松田政久様、東郷洋次様、鈴木裕之様、

                                   吉田正一様、井上義朗様       

          

⑯逗葉三田会    佐野久二様、茶木原方実、下田一成様、菊池尚様、

          荒井泰彦様、三田宏也様、山口雅司様、渡邉忠貴様、

          高野和則様、田中克彦

 

⑰逗葉白門会    杉本代八郎様、深町宏様、栗田潤様

 

(注記)

1)茅ヶ崎、小田原、平塚、厚木、相模原の各地域支部は神奈川県西部支部管下と

  なったため平成15年以降お呼びしておりません。藤沢地域支部のみ箱根駅伝

  応援会でお世話になっているため交流を継続しています。

2)逗葉三田会は申し出があって一時期交流が途絶えていましたが平成27年より

  交流が復活しています。

3)逗葉白門会は申し出があって平成19年総会ご出席以降交流が途絶えています。

4)上智大学 逗葉ソフィア会があり知った会員もおりますが交流はありません。

 

(付記1)

 平成12年12月の総会の際は、西暦2000年で明大校友会神奈川県下支部

20世紀最後の総会のためご来賓者に参加証明をお渡ししていました。

 


 (付記2)

 平成15年校友会の組織改革で神奈川県下校友会は神奈川県東部支部と神奈川県西部支部の2つの県支部に別れ、横浜、川崎、横須賀、鎌倉、逗子葉山の支部は神奈川県東部支部管下の地域支部となりました。6月14日設立総会が開催され、故西山隆治さんが写真記録を残してくれていましたので、当支部に来られなかった他地域支部の方も写っていますので当支部創立30周年記念ブログでもあり添えておきます。

 

 

 (付記3) 

 平成23年10月開催した東日本大震災義援3大学(立早明)グリークラブチャリティーコンサートの後にこの3大学校友会で親睦カラオケ会を開催していました。平成28年4月慶大校友会を加え逗葉睦会が発足。親睦の麻雀会、ゴルフ会、歌会が開催もコロナ禍で中断していますが大勢集まるのはやはり歌会です。写真を添えて他大学の皆様にこれまでのご協力にお礼申し上げます。



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