2020/01/10背景変更 裕次郎灯台

第10回美術鑑賞会を開催しました

 美術鑑賞クラブは平成24年11月10日に第1回鑑賞会を箱根美術館とポーラ美術館で開催して発足後、この2月27日(土)横浜美術館での開催で第10回鑑賞会となりました。この美術館は平成25年7月に「プーシキン美術館フランス絵画300年」を鑑賞していますので訪問は2回目となりました。

JR逗子駅に細野、西山、仲内、林、山村、柳生、斉藤、足立の8名が10時集合、桜木町駅下車、ランドマークの建物から外へでると横浜美術館の正面広場は大きな噴水池が取り壊されて芝生と水場に変える工事中でした。

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 今回は現代日本を代表するアーティスト村上隆(1962年生れ)の現代美術を中心とするコレクションを初めて大規模に(400点展示)紹介するものでした。企画された細野さんの話では若者たちには今人気のアーティストで、お嬢さんにこの鑑賞会の話をしたところ70代の我々が観に行くということで驚かれたということでした。版画家でもある林さん以外は初めて聞く名のアーティストでした。

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 美術館に入ると大きなガラスケースに入った飛行機の残骸が目に入り、「特殊作戦艇メルカバ」とのことでした。多くの奇抜な彫刻・塑像・絵画等のコレクションを見て回りましたが、やはり曽我蕭白の「定家・寂蓮・西行図屏風」や北大路魯山人の陶器をみるとほっとする面もありました。

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 村上隆さんは海外にもコレクションを保管されているようで、展示に当たっては自前のスタッフで作業されているとのことでした。なお村上さんは掲示物の説明書きの中で「この展覧会は横浜美術館の館長の逢坂恵理子さんが居るから成立しました」と述べていました。 

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 横浜美術館コレクション展「神話とヌード」も鑑賞しました。説明書きに西洋では神話と宗教的物語に限ってヌードを描くことが許されていたということで、日本とは大きな違いを初めて知りました。モローや太田聴雨、小倉遊亀さんの絵等を鑑賞しました。

 美術館を出て建物の向側にあるマークイズの中にある店で軽く喉を潤して小休憩したあと、みなとみらい線横浜駅へ。ダイヤモンド地下街を抜け天理ビル出口から地上に出て本日の目的の一つでもある「九つ井横浜店」に行きました。

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 栄区田谷に本店がある「九つ井」は地名を店名にしたそうです。戦国大名北条氏鎌倉山に連なる戸塚一帯の山並みを戦略要地として玉縄城を築きましたが、麓の田谷のあたりはたくさんの泉がわき出ていたため飲料水として水番人を置きこのあたりを「九つ井」と呼んでいたとのことです。 

 ビル地下の横浜店で古式手打ちそばと天ぷらを食べながら、1回から10回までの鑑賞会を振り返りましたが、どうも記憶が蘇ってくるのは鑑賞会での食事をした場所でした。なお「九つ井」で使用される器は「九つ井陶芸工房」、ガラスは「九つ井ガラス工房」ですべて制作されていて「九つ井山の上ギャラリー」もあって個性溢れる作家の作品を紹介しているそうです。すべて本店の近くにあります。

 また前述の逢坂さんは「館長としてキュレーター(学芸員)として現代美術展を通じて表現したいこと」としてインタヴューに答えているインターネット記事もありましたので現代美術に関心のある明大OBの方は是非読んでいただきたいと思います。

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 村上隆の超巨大絵画「五百羅漢図展」が六本木の森美術館で開催されている案内もありました。この作品は日本中の美術大学から200人超といわれる大勢のスタッフを集めて完成させたとのことです。

 

2月28日(日) 第20回クラシック鑑賞会を開催しました

 平成23年4月3日に第1回クラシック鑑賞会を発足してドビュッシーの曲を聴いた。いつまで続くかと心配されたクラシック鑑賞会が無事に第20回目を迎えることができた。人間で言うなら成人式だからもう心配はいらない。
 会場は柳生宅の特別鑑賞室(リスニングルーム)でこの家の主の秘蔵のLP/ドーナッツ/SP/CD/DVD/などの他あらゆるオーディオ機器に囲まれた中で開催され、柳生さんをいれ8名の参加となった。

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 最初にいつもとは異なって、オーケストラの仕組み(96人の楽器の編成)について中山さんが写真入り資料を配布して解説し、ドイツで331年前の2月23日に生まれ、イギリスで1759年に亡くなるまでヘンデルについての説明があり、またヘンデルが劇場用の音楽を主として作ったためオペラとオラトリオの説明もあり、我々は中山さんがこのような知識を持っていたことに脱帽した。
 それに続き足立さんから、まだピアノが無かった(チェンバロの時代)バロック期を代表するヘンデルはバッハと同じ1685年生まれで、この年日本では徳川5代将軍綱吉が「生類憐みの令」を出し、生類は犬、猫、鳥、魚類、貝類、虫類などにまで及んだと補足の解説。
 それだけで終わらず、真打の柳生さんからヘンデルの人生と特に有名で頻繁に演奏される曲それぞれの特徴を丁寧に解説いただいた。


 ドイツで生まれたので正式名は、ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデルだが、彼は生涯の約3分の2をイギリスで過ごし、イギリスでの活動歴が圧倒的に長いことから、英語名ではジョージ・フリデリック・ハンデルと呼ばれ、イギリスの作曲家だとする意見もある。ヘンデルの父親ゲオルクは宮廷つきの医師のため、ヘンデルが音楽の道を志したのに父親は反対し、ヘンデルはそれを押し切って音楽の道を選び、ドイツから出てイタリアに留学し、1727年には正式にイギリスに帰化し、1759年体調の悪化により死去。74歳であった。生涯独身だった。
 この点、先祖代々音楽家の家庭に生まれ、生まれた時から音楽家になるべくして育てられ多くの子に恵まれ、教会音楽で活躍したバッハとは対照的な境遇だった。ヘンデルが生まれたドイツ中部のハレはバッハが生まれたアイゼナッハから約130kmに位置するが二人は会うことはなかった。

今回鑑賞した曲は、

① 管弦楽組曲《水上の音楽》。
(イギリス王室のテムズ川での船遊びに際して演奏された。)

②オラトリオ「メサイア」の中で歌われる《ハレルヤ・コーラス》。

② ハープ協奏曲《オルガン協奏曲第6番》
(ロンドン生まれの、吉野直子によるハープ演奏)

④《王宮の花火の音楽》
(勇壮な響きを出すため管楽器と打楽器のみが使われた曲)

ヘンデルはオペラ・オラトリオ・カンタータチェンバロ・オルガンなどの他にも多くのジャンルの曲を作曲しているが、曲名だけでは知らないと思っているけれど演奏が始まると口ずさむ曲がいくつもある。

次回は、誰か?

候! ご期待! (林  記)

明治大学考古学の生みの親は逗子市小坪生まれです

 明大OBで一色に住んでおられる古要祐慶さんから「湘南考古学同好会々報142」をお送りいただきました。古要さんからはほぼ継続して記事を送っていただいていますが、今回は“前方後円墳の起源を求めて”と題して3回目の寄稿でした。中国の古い時代から日本の古墳時代の話を掘り下げた内容のためここでは触れませんが、「前方後円墳」と「明治大学考古学」について記してみます。 

 平成11年3月と4月に逗子市と葉山町の境界で大型の前方後円墳1号と2号が発見されて市民町民はじめ近隣住民に「考古学のロマン」を感じさせられたのは誰もが思い出されるでしょう。逗葉地区では古墳時代前期の遺跡発見はあっても古墳は初めてでした。あれから17年経ちますが、思い返すと葉山桜山団地西側の山頂で携帯電話の中継所建設工事に伴う樹木の伐採が行われたのがきっかけだったと思います。

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 近くに住む考古学愛好家の東谷洋之助さんが以前から前方後円墳ではないかと思っておられたので地元教育委員会を通じ県教育委員会に調査を依頼することとなり、その現地調査結果、前方後円墳であることが確認されました。2号も田村良照氏により発見され(財)かながわ考古学財団の試掘調査結果によると出土した壺形埴輪の破片等により4世紀後半(西暦350年~400年)に築かれたものとのことでした。2号古墳は明確な葺石を伴っていて県下最大(直径90m)はもとより県下前期古墳では初めての発見でした。

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 発見当時は明治大学考古学の大塚初重名誉教授が良く来られていて、古要さんは教授と頻繁に連絡をとっておられました。また明大OBの梅沢重明元群馬大学教授や水野正好奈良大学教授も来られていました。広大な農業生産地を背後に持たないのに何故前方後円墳が築かれたのか、前方後円墳がある富山県氷見市と同様に海運を支配した大和朝廷と関係が深い豪族が逗葉地区にいたのか等、多くの意見が出ていました。当時古要さんから古逗子湾と古長浦湾の陸橋は1.9~2.0㎞しかなく、東京湾の奥の丸木舟運航者は海難を恐れて南下したがらなかったため古逗子湾と田越川の役割は測り知れなかったのではと教えていただきました。中国大陸や朝鮮半島で建造された大型外洋構造船が相模湾から古逗子湾にも姿を見せるようになったわけです。以前、船津さん(現・名誉支部長)から逗子市と氷見市は何故かロータリー倶楽部で交流があったと聞いたことがあります。

 住民の関心が薄れる中にも保存を念頭に、国史跡指定、指定地の公有化、調査と学術的検証はすすめら今も発掘の準備がされています。

 この間、平成17年6月に逗子海岸に面するカンティーナ2階で総会を開催した際に、古要祐慶さんと東谷洋之助さんに「長柄桜山古墳群について」と題し記念講演をしていただいたこともありました。 

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 日本の歴史において馬や牛がいなかったと思われる邪馬台国や奴国は3世紀末に消息を絶ち、その後の4世紀の日本については中国の歴史にも登場しないので「謎の4世紀」と言われています。このあと馬具や埋葬した馬の骨が大量に出土するようになったので4世紀に朝鮮半島から騎馬軍団が到来して大和朝廷誕生の大きな動きがあったとする見方もあります。北朝鮮でも前方後円墳は発見されていて日本より300年程古いとのことです。日本で前方後円墳が作られたのは3世紀末から6世紀末までで東北地方から南九州まででと言われるなか、逗葉の前方後円墳が4世紀末という早い時代に作られたことは、古墳時代を中心に研究される大塚名誉教授にとって最大関心事だったと思われます。三浦半島では逗葉の古墳が発見される前は横須賀市長沢の熊野神社脇の円墳が最古で5世紀中頃とされていました。

 明治大学文学部考古学専攻は、1950年(昭和25年)に明治大学考古学研究室として創立しました。私立大学では初めてでした。創立者は後藤守一(しゅいち)氏で1888年(明治21年)鎌倉郡小坪村(現逗子市小坪)に生まれています。明治20年頃、当時小坪寺にあった鷺浦小学校(現小坪小学校)の校長として着任した後藤啓蔵氏の子として生まれたのです。明治22年に小坪(新宿を含む)、逗子、久木、山の根、池子、沼間、桜山が一緒になり三浦郡田越村となったので小坪は鎌倉から離れました。大塚初重名誉教授は教え子にあたり、以前古要さんからこの話を聞き、小坪で亡くなり墓も小坪の寺にあるようなことを耳にしたので、明治の考古学の創立者が逗子で生まれ 逗子に眠っているなら前方後円墳もありこれは大変なことだと思い、小坪の小坪寺(しょうへいじ・浄土宗)、正覚寺(浄土宗)、海前寺(時宗)、佛乗院(真言宗)を訪ねて後藤守一氏の墓を探したこともありました。住職に聞いても該当者無しということでしたが、小坪寺のすぐ下の草むらに日蓮宗の墓が幾つかあり、小坪寺は火災で焼失した報身院(浄土宗)と香蔵寺(?宗)が明治40年に合わせて再建されたので、ひょっとして廃止になった香蔵寺に墓があったのではとのロマンで終わっています。小坪には廃寺になった養生院という寺もあったそうでした。

 しかし後藤守一氏は小坪生まれには違いなく古要さんも住所を役所で調べられたが判らなかったとのことでした。亡くなられたのは小坪ではなく東京との情報もありますが場所は確認できていません。

 なお古要さんから次のような示唆もいただいています。「後藤啓蔵氏が校長として着任された頃は横須賀線が未開通だったので多分東海道線藤沢駅で下車し、近くを流れ柏尾川の水運を利用し船で河口の江ノ島近くまで行き、そこから三崎行の定期船に乗って小坪海岸で下船され着任されたと考えています。明治23年頃移動で小坪を離任される際は横須賀線が開通していたので小坪から船で田越川の逗子駅近くまで行き、そこで下船し逗子駅から横須賀線に乗られたと考えています。」とのことです。

 現在、後藤守一氏の墓は静岡県沼津市香貫山塩満寺(日蓮宗)にあり、小坪で生まれ沼津中学で学び東京高等師範を卒業、明治大学教授となり東京?で亡くなり沼津に眠っています。沼津の塩満寺は後藤守一氏のご先祖が出資者となり建立した寺とのことでした。大塚初重氏や古要さんも幾度かこの寺にお参りをされたとの手紙の添書きもありました。

 逗子葉山の明大卒業生の方には、明治大学考古学の創立者が逗子市小坪で生まれということもあり「考古学と前方後円墳」により関心を持っていただけたらと思い、このブログに掲載することにしました。         

 当校友会支部のブログを読まれた方からの他の寄稿文をお待ちしています。

逗子葉山地域支部慶弔規定紹介

 新年会のご案内にも紹介していますが、その年の1月1日~12月31日の間に

99歳の白寿、90歳の卒寿、88歳の米寿、77歳の喜寿を迎えられる会員(年会費納入者)には記念品として5,000円のギフト券をお渡ししています。

また新年会出席の該当者の方には、この席で紹介して出席者の皆さんの祝福を受け記念写真も撮っています。欠席の該当者の方は役員が記念品を自宅にお届けしています。

今年1月16日(土)葉山国際村の「湘南OVA」で開催した新年会のブログをご覧下さい。

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(注記)過去70歳の古稀、80歳の傘寿も対象とした時期もありましたが、支部

               政上より慶弔規定の見直し(2009年6月と2012年2月)により現在

               は上記となっています。

また会員で結婚された方にはお祝い金を10,000円お渡ししています。

昨年は逗子市沼間の三武豊蔵さん(S41年経経卒)が該当者で、カラオケクラブでお祝い会をしています。

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 一方、会員の逝去及び支部長が承認した方の逝去の場合は香奠5,000円と生花一基を出すことにしています。支部長が承認した方とは、現在会員ではないが長年会員で多くの行事に参加し支部活動に貢献されたが、病気等で2~3年前から会員でなくなった方が該当者と考えていただければと思います。

また会員の葬儀の際は遺族の方にお聞きし、要請があれば受付の手伝いや弔辞を述べ、葬送曲として「明治大学校歌」を流したり、「明治大学校友会逗子葉山地域旗」を掲揚する等支援することを規定しています。過去明大マンドリン倶楽部の曲を流したり、「逗葉駿台会垂旗」の棒の先を黒い布で覆い掲げたこともありました。

 昨年10月14日逗子市逗子4丁目の片瀬昭雄さん(S43年工学部卒)が亡くなられ10月25日と26日の葬儀の受付は息子さんの会社関係者と町内会が行いましたが明治も2名お手伝いしました。

片瀬さんは掛け替えのないクラシック鑑賞クラブ員でしたので11月3日のクラシック鑑賞会で片瀬さんを偲んでバルトークの曲を聞いています。

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 また今年2月2日葉山町一色の小山和之さん(S30年法学部卒)が亡くなられましたが、5日と6日の葬儀には受付手伝い2名を出し砂山支部長が弔辞を述べています。

小山さんは麻雀クラブ員だったことと、出身が熊本県で以前小山さんの計画で菊池市熊本市、天草五島の旅を共にした船津、石渡、砂山、西山、山村、足立の各氏も当時の事を思い出しながら参列し、小山さんの冥福を祈っています。弔辞にもこのことが述べられていました。

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なお当支部の慶弔委員は下記となっています。

 慶事:(委員長)砂山、(委員)足立、川﨑、桜井

 弔事:(委員長)砂山、(副委員長)杉山、(委員)仲内、山村、綾部

慶事の長寿につきましては、生年月日の登録が必要です。

慶事の結婚及び弔事につきましては、知り合いの役員にお知らせ下さい。

*事務局(電話046-875-8358根岸宛)でも結構です。改めて担当役員より

 確認の電話を差し上げる場合もあります。

新年会を湘南国際村の「湘南OVA」で開催しました

 1月16日(土)午後2時より湘南国際村西側に位置しリゾートホテル(シングル16室、ツイン17室)でもある「湘南OVA」のレストランを会場として平成28年新年会を開催しました。会場からの送迎用のマイクロとバンの2台が13時に逗子駅前(大竹カメラ前)に到着。27名が乗り込み30分程で会場に着きました。会場には先発組9名が3台の自家用車を利用し(2台は翌朝引き取り)12時30分に入り、又直接会場に来られた方が5名おられ参加者は41名でした。 

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 先発組は新年会の案内掲示、参加者の名札や名簿、次第ほか当校友会オリジナルお揃いゆかたお誂え案内 の配布物等受付の用意、マイクの確認、ビンゴの景品などの設置を行い13時30分からの受付開始に備えました。湘南OVAの横山秀美ゼネラルマネージャーと藤方崇博マネージャーとは事前に会場で打ち合せ済でしたので、予定通りのテーブル、椅子が用意されていて準備の手間はあまり掛かりませんでした。奥の半円のガラス窓の右側の暖炉には薪が赤々と燃えていました。毎年のことですが、新年会の掲示案内表示は書道クラブの会員が墨書したものを持参していましたが、日向相談役の提言もあり高齢化を配慮して墨書をやめ、東逗子駅近くにある(有)アスカ工芸に依頼してビニール用紙に印刷したものを今年から採用しました。ビニールのため長年使用可能です。但し年度は未記載ですがこれで良しとしました。これとは別に当日欠席された書道クラブの牛久順之部長から新年に相応しい「寿」一文字の書が額入りで届けられたので展示しました。昨年忘年会で頂いて封を切っていない酒も持ち込まれ、また九州別府にある「日本猿酒㈱」の茶色の甕入り酒も申年に因み持ち込まれていました。これには「猿抱子歸青嶂後 鳥銜華落碧巖前」の墨書も添えられていて、この会場が無心の癒しの場であることを偲ばせていました。

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 開会5分前に牛久さんの書と寄贈品の酒の紹介が足立幹事長よりあり、14時に綾部副支部長の開会の辞で始まりました。次いで砂山支部長の新年の挨拶がありました。『昨年はバス旅行やクラブ活動を含め多くの行事を行ってきましたが、今年は会員拡大と合わせ、地元慶応、早稲田、立教の他大学とも交流を深めていきたい』との話が出ています。その後、新年会の恒例イベントである敬老祝賀がありました。今年は米寿1名、喜寿7名がおられ出席は高橋、林、関本、白石の4名の方でした。記念品が支部長から手渡されたあと、夫人同伴で出席された高橋さんが該当者を代表して挨拶されました。欠席された米寿の太田、喜寿の長島、岩本、西山の4名の方には後日役員がお届けすることにしています。

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 小休憩の間に料理と酒が壁際に設置されたテーブルに出され、各テーブルにビールとコップも配られる中、最年長の柳生さんの乾杯挨拶で懇親会が始まりました。懇親会から杉山副支部長も司会に加わっています。次いで暫くぶり参加の関本さんから挨拶をいただき、料理と酒を味わいながら歓談する中スピーカーからは明大マンドリン倶楽部のCD演奏が流れていました。

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  頃合いをみて詩吟朗詠が今年もありました。田澤さんが石川丈山の「富士山」を、菅野さんが自作の「逗子葉山の詩」と源実朝の「箱根にもうづとて」を吟じられました。なお菅野さんから詩の解説を依頼されているということで幹事長から説明もあり、『焼酎好きの田澤さんは昨年忘年会で山口箱根町長から寄贈された焼酎「富士山」に想いを込めて吟じられ、又菅野さんは新年に相応しく源実朝が二所詣で箱根権現に行った時の歌を選ばれていますが、右大臣まで昇った実朝が亡くなられたのは28歳でした』と聞いて以外に感じた方も多くいました。なお毎年詩吟披露をされていた西山さんは当日欠席で、毎回写真撮影もされていましたが、今回の写真は林さんにお願いしました。

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 この後、今年はギターとハーモニカの演奏が加わりました。まず小川(幹)さんからフォークギターの演奏に合わせて英語で歌も5曲ほど披露、ウエスタンハットが良く似合っていました。次いでゲストの三木秀夫さんのハーモニカ演奏があり、広瀬さんとのギター合奏では明大で学んだ林伊佐緒作曲の「リンゴ村から」他の演奏を聴きました。林さんの解説もありましたが、三木さんがお持ちのドイツ・ホーナー社製のクロマティック・ハーモニカが奏でる重厚な音色に驚いた人は多かったと思います。林さんは同じホーナー社製のアコーディオンをお持ちと言われていました。締めに過去にも新年会で演奏された広瀬さんのクラシックギターでの古賀政男の「湯の町エレジー」他を聴いています。

(演奏曲)

小川さん:Cotton Fealds、Release Me、Your Cheatint Heart、フォークソング

   メドレー(500マイル、七つの水仙、グリーンフィールズ、風に吹かれて)、

   三木さんと合奏---Molly  Darling(冬の星座)

三木さん:星に願いを、花は咲く、

広瀬さん:三木さんと合奏---りんご村から、俺は待ってるぜ

   湯の町エレジー、悲しい酒、およげたいやきくん

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 今年の新年会は窓の外にプールが見え、相模湾を見下ろし遠くには富士山を眺められ、ゆったりした癒しの会場、そして料理、酒も良く、又アトラクションも素晴らしい内容となりました。余興の最後に数字が映像で出る機械によるビンゴを行い、当たらなかった人も湘南OVA玄関前に販売している菓子をあらかじめ購入していたのでこれを渡しています。 豊田副幹事長の指揮で明大校歌を斉唱、エールを行い、山村支部長代行の閉会の辞で17時に新年会を終了しました。なお昨年小川(幹)さんと共に新幹事になられた佐藤さんが今年の新しい試みとして役員会の前1時間に各会員にテーマを設けて講演いただく「逗葉駿台会なるほどゼミ」を新設しようとの提案もあり、参加者に講演のテーマ聞き取りをされていました。多くの方がテーマを申告していました。

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 参加者は、また会場のマイクロとバンに分乗して帰路に着きましたが、13名程の方が、二次会の予定をした逗子郵便局前にある「すなっく舞」に寄り、早稲田歌謡クラブの方達と入れ違いに入ってカラオケを歌って新年会の盛況を祝しました。小川(幹)さんは、ここでもギター演奏で歌を披露されました。

(記:デジカメの電池切れで終わり頃の写真がなく、高橋さんのスマートフォンで撮った集合写真は届きましたので追記しました。)

第11回箱根駅伝応援会を開催しました

 当明治大学校友会逗子葉山地域支部が設立されたのは平成4年11月21日ことでしたが、毎年正月2日と3日に迎える東京箱根間往復大学駅伝競争(略称・箱根駅伝)には、明大の名が無いまま13年の歳月が過ぎていきました。

 平成15年10月18日箱根駅伝予選会が箱根町の芦の湖畔の湖尻林間駐車場前をスタート、箱根高原ホテル前をゴールとする16.3キロのコースで行なわれました。これは平成16年正月の箱根駅伝が第80回の節目の年にあたるのを祝し明大S42商卒の山口昇士箱根町長が駅伝に出場出来ない大学の選手にも箱根を走らせてあげようという素晴らしい発想でした。10年後の1昨年は第90回の節目にあたり是非とも明治が巷間3強と呼ばれている駒大、日体大東洋大を大きく引き離し65年振りの総合優勝を果たすのを見届けたかったのですが好健闘にもかかわらず5人が区間賞という東洋大の前に往路7位、総合6位に終わりました。

          (第1回箱根駅伝応援会の案内チラシ)

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  平成17年の正月から当支部の箱根駅伝応援会がスタートしました。逗子葉山から一番便利で近い場所ということで藤沢地域支部の応援場所に合流させてもらうことにしました。藤沢駅さいか屋方面下車、銀座通りを通り南仲町郵便局を過ぎた先の南仲通交差点が応援場所です。この場所は戸塚中継点と平塚中継点の間で往路3区、復路8区にあたり共に10時半前後の通過予定と応援には最も相応しい時間帯となっています。応援に際し明治の小旗10本(現在禁止)と幟1本に加え横3メートルの横断幕に支部の名と応援団参加者の名を署名して声援を送ることにしました。

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  明大は平成17年の出場以来、平成20年の欠場を除き正月の3が日を楽しませてくれています。平成21年は総合8位で43年振りのシード権を確保する活躍でした。また平成22年は往路応援場所の藤沢に1位で来る大活躍で応援団を結成した甲斐があったと満足感に浸る事が出来ました。小田原中継点まで1位だったので往路完全優勝をして山口箱根町長から後輩の選手に優勝杯を渡して上げられれば最高でしたが箱根の山は厳しく6位となっています。それでも復路も頑張り総合10位と2年連続シード件を得て、平成23は総合5位、平成24は鎧坂主将が早稲田を抜いて総合3位と健闘し、平成25年は故障者が多かったにもかかわらず総合7位。平成26年は総合6位。昨年は黄金世代と言われた4年生の活躍で往路2位、総合4位と今年8年連続のシード権での出場につなげています。昨年11月行われた全日本大学駅伝は6位とエース横手欠場でも明大は健闘、黄金世代の卒業後で今年は耐える年と言われる中にも是非とも青山学院、東洋、駒沢の3強とこれに続く早稲田、東海、中央学院、山梨学院の各大学の2校を負かしなんとか6位以内の活躍を願っての応援でした。昨年は町長と同じS42商卒の松本穣(ゆたか)競争部長が退任して中川秀一部長に代わりましたが松本部長はゼネラルマネージャーとして残り西弘美監督のもと明大の活躍に期待しました。

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 2日(土)はラグビー応援に行った人もいて参加者5名と少なかったのですが、藤沢地域支部の方が用意した甘酒をご馳走になり、横断幕を下げて待つなか3区1年生の坂口裕之君が4位で応援場所を通過していきました。これも1区4年の横手 健君の2位のおかげで、やはり初出場のためか平塚には12位でタスキを繋ぐこととなり、5区ではさらに5校に抜かれ往路17位の結果となりました。

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3日(日)はシード権確保が難しい中にも参加者が9名揃いました。10位拓大との差が5分40秒のため、1位の青山学院と10分以上差を付けられた12校が箱根を一斉スタートし明治が如何にこのグループから大きく抜け出るかが課題でした。8区3年生の吉田 楓君が応援場所に来たのは7番目で早稲田と競り合って走っていき戸塚では総合で15位でした。

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 毎年のことですが、全校が通過した後、藤沢から逗子に戻り、千登世寿司で9区以降の結果を確認し、明治の健闘を祝して乾杯することになっています。船津名誉支部長が待っていて店のテレビで9区と最終10区を見ました。

 9区4年生の斎田直輝君が12位にあげ10区2年生の山田 稜君に後を託すことになりました。しかしこの時すでに総合10位との差は5分以上ありシード権外になっていました。結果は14位となり8年間続いたシード権出場は途絶え、再度予選会からスタートすることになりました。1位から5位は予想通りの結果でした。

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 復路のタイムは9番目でしたので予選会を勝ち上がり来年の出場を期待したいと思います。千登世の奥様にも入ってもらい予選会Vサインで箱根駅伝応援会を終えました。 

毎年恒例の忘年麻雀大会を開催しました

 12月26日(土)午前11時から逗子海岸中央入口近くにある新宿会館3階で忘年麻雀大会を開催しました。逗葉駿台会麻雀クラブ主催で仲内、西山、高梨、石渡の麻雀クラブ員が担当役員でこの4氏を含め12人が参加し3卓4回戦で行いました。

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 この会場は一時同クラブが中心になって設立した日本麻雀連盟逗子葉山支部の月例会場で使用していた場所で、3年間で解散した際に麻雀卓2台と麻雀牌を寄付したため、この麻雀台と牌に当時の思いが蘇えってきました。川崎から参加した田澤さんが当時の心構えとして洗牌は牌を全て裏返しにして裏返らないように牌を動かす、捨牌は横一段を6枚として次から段を変えるなど思い出していました。というのも、新宿会館での忘年麻雀大会は初めてだったからです。

 当支部の忘年麻雀大会は支部創設の翌年平成5年から毎年欠かさず続いていて今年で第23回目でした。第1回は平成5年12月31日に葉山の船津宅で行い終了後、新善光寺で除夜の鐘を聞き初詣をして正に忘年のイベントでした。平成6年の第2回から平成16年の第12回まで、途中2回を除き久木の故広瀬宅で行っています。平成11年の第7回は25日だったためクリスマス忘年麻雀会と名づけ、また平成12年の第8回は20世紀最後の年だったこともあり20世紀餞送忘年麻雀大会として共に葉山船津宅で開催しました。平成17年の第13回から平成24年の第20回までは新逗子駅近くの清水橋たもとにあった「天ぷらたがぎ」の2階で開催、廃業と共に平成25年の第21回と平成26年の第22回は場所を葉山に移し長柄にある「アンコール葉山」の娯楽室を借りて開催していました。

(ついでに過去の思い出をあげれば ー ー  忘年麻雀大会ブログ掲載初めてのため)

  1. 優勝者の名誉を称えるため優勝杯(横綱杯)を作り、持ち回りで優勝者の名を書いて付けています。優勝杯の経緯は省略。
  2. 平成12年の第8回の案内状は候文で出されました。

  「去ルヲ送ルヲ餞トイウノ理(コトワリ)古キ俳書ニ御座候。山海ノ地ニ居ヲ構ヘ

  テ二十世紀ヲ送リ給ハム事、誠ニ奇特ノコトト存ジ仕リ候。逗葉駿台会ニ有リテ交

  歓スルコト八年、此度残リタル二千年ノ思イヲ留メ二十世紀餞送ノ席ヲ遂グ可ク

  候。然レバ相応シキ思イ出デノ品等御持参ノ上、御来駕下サレバ猶更幸甚ニ存知奉

  リ候。」               記

        日 時   2000年12月23日(土)

        麻雀大会 午前11時~午後5時、 懇親会 午後 5時~

        場 所   葉山 船津宅

3.久木の広瀬宅では、信子奥様に「バラ寿司」を作っていただいた。また「たかぎ」

  での最初の忘年麻雀大会には信子さんに「バラ寿司」を届けていただいた。

4.逗子市民まつりに出店した立教会のすずかけ店で購入した錫製のワインカップで優

  勝の美味しいワインを味わった人がいた。確か「たかぎ」での砂山さん。

5.「アンコール葉山」での最初の忘年麻雀大会には稲門会の村松さんに参加していた

  だいた。 

 

 本題に入ると、今年の忘年会は前日までにお弁当を逗子銀座通りの清田肉店に注文、酒類はいつもの三河屋さん注文で共に新宿会館に当日届けていただいた。また「お食事処夢」さんと「チャイハナ」さんから、又細野副支部長からお祝いの清酒、老酒、泡盛、焼酎を頂いた。当日10時30分に準備開始でほとんどの方に準備を手伝っていただいた。畳座敷に麻雀卓1台(折り畳み椅子の足にビニールを敷く)、板の間に2台設置。書道クラブ墨書の「逗葉駿台会忘年麻雀大会」の垂れ幕を掲示。採点表の掲示。コップ、皿は会館の品を棚から出して使用。森永ミルクセンターから購入した景品を優勝から12位B.M.まで分配作業。この間に麻雀牌で席決めも行う。

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 これらを終了して11時過ぎに開始。麻雀クラブ仲内部長の挨拶、石渡審判役の簡単なルール説明があって即各卓で缶ビールやコップ酒を飲みながら試合開始。

結果は日本麻雀連盟当時使用していた採点表(4枚綴り)を使用。1回戦から2回戦まで行った後にお弁当を食べ、3回戦、4回戦を終了したのは5時30分を回っていた。

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 結果は優勝桐島さん、準優勝仲内さん(勝ち点は同じだった)3位船津さんでした。なお11位のB.B.と12位のB.M.も負け点が同じでした。参加者は船津、田澤、桐島、石渡、砂山、高梨、仲内、西山、川﨑、足立、秋山、小川で全員が沢山の森永製品の景品を持ち帰っています。

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 麻雀クラブ員4~5名以外は昨年の忘年麻雀大会以来とのことでしたが、毎年恒例のイベントですので麻雀クラブ員以外の方でも参加をお待ちしています。今年の会費は4,000円でした。(会場代、弁当、酒、つまみ、景品代)