2020/01/10背景変更 裕次郎灯台

明治大学校友会逗子葉山地域支部創立30周年記念ブログ(1)-支部草創期を振り返るー

(序)

 古い記録は常に存在価値がうすれ破棄される運命にある。まして個人所有の記録は昨今の終活の影響もあり保持することへの罪悪感を伴って破棄の運命を増している。

 中国では古来より古い出来事を記した書は現体制の批判のもとになることを危惧して法律で焚書として焼き捨てられた時代もあった。一方たまたま残っていた記録に存在価 値を高め考古学者や郷土史家等によって記録を掘り起こす努力がされている現実もある。当支部は草創期に大貫宏初代支部長の「記録を残すように」との熱い指示もあって創立総会前の役員会から議事録が作成されている。当支部10年史にその一部が記載されていた。

 この30周年の間に支部役員も代り、記録写真係だった西山隆治氏が故人となり既に新しい記録写真は激減した。残っている数多くの写真も行事参加者がいる間は若干保持の価値を有しているがその後はやはり破棄へと進むのは役所の古い記録が破棄されると同じかなと思う。会社であれば書類の保管期限というのが定められるが、校友会では今のところこの問題が取り上げられたことは無い。1年延期して実現した支部創立30周年記念祝賀会に「マンドリン祝典コンサート」をしていただいた御茶ノ水マンドリン倶楽部(明大マンドリン倶楽部OB6名)の方に当支部総会や新年会で過去演奏した際の写真をお渡しできた(当ブログに先立ち掲載済)のは西山さんの残した写真によるところが大であった。

 7月に数回に分けて支部創立前後の書簡や、記事を含む記録を掲載して「創立30周年記念ブログ」とします。会報第41号、第42号、第43号の支部創立30周年記念

特集号と合わせ今年の夏の暑い時期に目を通してもらえればと思います。

                      (足立・写真の多くは故西山氏)

 

1.明治大学校友会逗葉支部設立発起人会名簿       昭和58年卒 榎本春夫

 平成4年6月11日〈木)横浜銀行逗子シーサイド倶楽部で11名の明大OBが集まって支部設立の発起人会が開催されました。それまで船津、森の両氏による設立への動きはありましたが、正式な会合のスタートとなりました。足立氏からの依頼により当日参加した方が署名した名簿をお送りします。なお会場従業員に明大の井戸川清さんがおられましたが署名には参加されなかったので私が欄外に名前を記しました。

 大貫 宏(S28年旧商学部卒:逗子)、船津孝二郎(S31年商学部卒:逗子)、

 森 英二(S37年商学部卒:長柄)、   小林 仁(S42年商学部卒:久木)、

 石渡璋典(S33商学部卒:沼間)、       松岡 寛(S42年政経学部卒:横浜)、

 榎本春夫(S58年政経学部卒:逗子)、五味敬明(S32年経営学部卒:長柄)、

 白石幸子(S37年政経学部卒:一色)、稲村 茂(S48年商学部卒:横浜)、

 広瀬敏夫(S42年政経学部卒:長柄)    - - - 署名順- - - 

 

2.明治大学校友会逗葉支部設立への第一歩       昭和42年卒 松岡 寛
                            (発起人会を代表して)

 平成4年初め 逗子銀座通りの「串焼きクローブ」で明大OBの4名が校友会設立について酒を飲み交わしながら話が盛り上がっていた。メンバーは東京飼料商事の船津氏、葉山町議員の森氏と横浜銀行の稲村氏と小生である。趣旨は「明治大学校友会逗葉支部」の設立の打ち合わせである。

 近隣他大学の活躍や明大校友会鎌倉支部や横須賀支部の活発な校友会活動が聞こえて来ました。しかしながら当逗葉地区には支部もなく地域に対する奉仕活動を発揮する機会も無かった。更にはOBが何名在住しているのかさえ分からない状態である。これを憂いた船津氏 森氏が当時横浜銀行に勤務していた稲村氏と小生に発起人会の準備を呼び掛け集まったのが設立へのきっかけであった。

 支部設立の承認条件は暗中模索の手探り状態であったが50名のOBが必要である事は承知していたので船津 森両氏は逗子市役所 ロータリークラブ等の人脈を駆使し 我々は銀行の伝手を頼りにOB資料の作成に取り掛かった。50人の目安がつきいよいよ6月11日に発起人会を開催する運びとなり場所を横浜銀行逗子シーサイドクラブとして提供する事になった。

       横浜銀行逗子シーサイドクラブ当時の従業員 右は井戸川清さん(明大)

 当支部設立発起人会の証人になっていただき、明大校友会設立を喜んで頂きました。 

 

 当日は大貫氏をはじめ11名の皆様がご参集され酒量が上がるにつれ議論多いに活発を呈したと記憶している。会長候補の選任 支部の名称等はスムースであったがマンドリンの公演は五味氏 根田氏の強力な後押しもあり支部の単独開催の方向で設立1年目のメインイベントとする事を決定した。会員の増強については逗子市役所の石渡氏のご尽力で「広報逗子」に案内を掲載しOBの参集を呼びかける事が出来た。こうして具体的な支部設立の第一歩を踏み出す事が出来た。

 幹事の足立氏より支部設立の発起人会迄の記録を残したいとの事で小生に指名があったが何分にも3年前(平成4年)の事であり断片的な事しか思い出せません。それにしてもその後の当支部の隆盛を見る度に船津 森両氏の支部設立への並々ならぬ熱意を思い出し小生も微力乍らご協力を惜しまない積りです。最後に当支部の益々のご発展をお祈りいたします。        (このブログ掲載は松岡寛様よりご了解を得ています)

 

 *横浜銀行逗子シーサイドクラブでは平成7年9月10日第1回逗葉駿台祭も開催 

  現在イタリアレストラン「カンティーナ」として建物内部を改造して残っている

 

 

3.校友会逗葉支部創立宣言文 雑記(平成4年暮れ)  昭和42年卒 足立泰秀

 

 支部創立記念式典に岡野加穂留学長が来ることが決まり、何かセレモニーをと考えていたが思いつかず記念式典の次第は来賓の挨拶 という月並みのもので書き上げることになった。11月15日(日)朝早く散歩の途中、久しぶりに澄み切った空に映える披露山を見たとき「創立を披露する」ということが思い浮かんだ。ここは鎌倉時代源頼朝が全国から届けられた品々を披露したという故事によりいつしかこう呼ばれるようになったということで、この山頂に自由民権に生きた尾崎行雄氏の記念碑が建っていることが思い起された。

 山頂に足を伸ばして碑の前に立つと『人生の本舞台は常に将来に在り』また英文で『On  Life’s  stage , always be prepared  for  the future』と刻みこまれていた。明治大学校友会逗葉支部の創立と今年が明治大学創立111年を考えると大学草創期に自由民権運動に重要な役割を果たした尾崎行雄氏と今、山の緑を守る市民運動で全国的な活動の先駆けとなっている逗子葉山、これこそ当支部の特色ではないかという点にゆきあったった。「本舞台」という味のある言葉と、新たに校友となるべき将来を荷う学生と大学及び校友会のつながりが連想され創立宣言文を作ることが思い浮かんだ。

 児玉花外作、明治大学校歌の歌詞と校友会の目的をからめ、先に大学を出たもののなすべき決意をこめて創立宣言文は出来あがった。

 当日朗々と読み上げた石渡副支部長とこれを直立不動の姿勢で受けていた岡野学長の姿勢は特に印象的であった。創立宣言文は2通作り、立会者として会場店主の石渡詳三氏に店の割り印をしてもらい1通を岡野学長に引き渡しした。もう1通は石渡副支部長の保管となっており、そのうち掛け軸にでもしたらよいのではと思う。

 

 

4.明治大学校友会支部の創立に参画して        昭和42年卒 足立泰秀

  (明治大学商学部石井ゼミナール・石井会会報 

           創刊第30号記念号掲載記事より 平成6年2月発行)

 

 昨年8月の初め我が街、逗子市の発行する「広報ずし」を見ていた妻が明大の記事が載っているという。見ると確かに「明治大学校友会逗葉支部設立へのお願い」という記事が載っているのではないか。逗子市と葉山町は活動を共にすることが多く逗葉地区という言葉が定着しているが、稲門会、三田会とかの逗葉支部の活動は日頃耳にするわりに、明大校友会の話はなかった。とりあえず発起人の家に電話を入れておいた。

 10月も半ばを過ぎて準備会の案内が届いたので顔を出してみると、やはり広報を見て集まった人が多くここでこれまでの校友会の動きが次の通りであることがわかった。校友会は神奈川県下に既に10支部あり、(後でわかったが全国に195支部ある)隣町の鎌倉支部や横須賀支部は活発に地域の奉仕活動を含め活動しており、逗葉地区のOBの有志は誘われて参加している。過去にも逗葉地区に支部設立の動きがあったが果たさず今日に至っていること等々。広報に載った経過は、逗子の船津氏と葉山の森氏がお互いの支部設立の願いを広く呼び掛けており今年の2月に第1回の準備会が開かれ(葉山在住で家族でOBである白石教授の奥様も出席)、これに参加した逗子市役所に勤務する石渡氏のはからいによるものであった。

     

 私が出席したのは第2回の準備会であったが支部創立の意気込みを持った好きな人々が集まったという感じで具体的な計画はこれからということだった。ただ一つ逗葉支部設立を前提に支部主催で来年5月23日明大マンドリン倶楽部演奏会を開催する目標が出来ていた。目標があり差し迫っているため、この期をのがしたら支部の設立は当分できない。こういう話は短期間で決めてしまわなければ進まないということで、1ヶ月後の11月中に創立総会を開催する、そのために集会場を串焼きクローブに決め毎週1回夜集まって打合せすることを申し合わせた。「校友会への届出条件、県下の支部の承認、両支部の推薦状取付、逗葉地区OB名簿(最低50名必要)作成、創立総会・記念式典の日取り・会場・進行役割分担・OB及び来賓への案内状作成」等々を『明治は一直線』というレスリング部OBの五味氏の掛け声とヨット部OBの広瀬猛氏の何でも賛成で1ケ月の間の3・4回の打ち合わせで決めた。

 これらは、準備会に参加した者がおのずと誰言うとなく準備委員となって割り振った役割を各自の判断でストーリー付けしてくれたことと、私をはじめとする昭和40年代前半卒業組みの杉山、広瀬、大川諸氏が、自分たちが動かなければいけないことを判っていたからだと思う。看板、式次第等の書き物は明大書道部創設の黒沢氏の役割となり、私はその文案を担当した。そうこうするうちに創立記念式典に岡野学長の出席が決まり、セレモニーを追加する楽しみが加わった。あれこれ考え、創立宣言文を二通り作り読上げた後、会場の開成堂店主に立会人として店の割り印をしてもらい一部を学長に手渡すこととした。

               (廃棄の運命にある逗葉支部創立のあゆみ写真掛図)

 

 我が街逗子は、ここ数年米軍住宅建設で山の緑を守る市民運動ですっかり有名となり(女性市長が誕生している)この明日をどう見るかという全国的な市民運動の高まりの先駆けとなったことと、また明大創立111年に当たることを考え、大学草創期に時同じくして自由民権運動で重要な役割を果たした逗子にゆかりある尾崎行雄氏の言葉を思い起こして明大校歌の歌詞を絡めて創立宣言文を作り上げた。

 11月21日無事逗葉支部の創立はなり、今年(*平成5年)5月22日には、沢逗子市長、守屋葉山町長を迎え盛大に支部創立記念明大マンドリン倶楽部チャリティ-コンサートを開催することが出来、奇しくも同日逗葉支部の正式承認が駿河台の記念講堂で開催された代議員総会で成された。創立日より丁度1年目の今年(*平成5年)11月20日には、逗葉支部旗の授与式典に89歳の安藤神奈川県支部長、玉井校友会副会長・県下校友会支部・他大学校友会の来賓を迎え、更に岡野学長には再度お来しいただき謝辞をお渡し出来、一連の動きの締めくくりが出来たことに加え、地元の斉藤正直元学長、白石、由井、鈴木(享)、浅田各教授の暖かいご協力をいただけたのは本当に幸運であった。この一年を振り返って大学が今澎湃たる変化の波の中にある時、OBとして地域での我々世代のなすべき役割を一つ果たせたという感じがする。石井会の会報「わ」の30号という区切りにあたり初期のころの当事者の一人として当時を偲ぶとともに最後に「逗葉支部創立宣言文」を記し石井会0Bで新たに支部のOBとなる方々へ今後の活動への参加をお願いし記念としたい。

 

 「我々逗子葉山地区OBは、今年が明治大学創立111年をむかえるに当り草創期の権利自由揺籃の時代を遠くしのび、この逗子葉山地区が自由民権運動に生きた尾崎行雄氏ゆかりの地であって湘南の海のかなたに霊峰不二を仰ぎみる披露山の石碑に刻まれた『人生の本舞台は常に将来に在り」(On  Life’s  stage , always be prepared  for  the  future)という言葉を思い起こす。我らは校友会相互の親睦をはかることは元より学窓を巣立ち社会の本舞台に出ようとする新たな後輩たちを支援し共に奉仕の精神を持って地域社会に貢献し、しいては大学の発展の一助となることを決意した。我らは平成の文化興隆の時代にあって理想に生きる若人が新たな支部の栄をになってくれることを願い先に大学の門を出た者の責としてここに支部創立を宣言する。

      平成4年11月21日 明治大学校友会逗葉支部 支部長 大貫 宏   

  明治大学学長 岡野加穂留殿 

 

 

5.平成5年総会 逗葉支部旗授与式の記録 

                                    (岡野加穂留学長への謝辞と記念品贈呈) 

 

     逗葉支部旗は 岡野学長→玉井校友会副会長→大貫支部長 に授与

 

  昨年11月の逗葉支部創立総会に又、本日の校友会逗葉支部旗授与式の記念すべき日、岡野学長には1年あまりの間に2度も逗子葉山地区にお越しいただきましたこと心よりお礼申し上げます。学長をお引き受けになられてから教壇の現場を離れず全国各地の校友会出席を江戸っ子かたぎで一手に引き受け、体重が5キロ減ってふらふらであるとも聞いておりますので、お呼びするのに大変恐縮ではありましたが、あえてご出席いただきましたこと役員一同深く感謝申し上げます。

 ここに感謝の意を表し、謝辞を朗読し、記念品を贈呈したいと思います。はじめに石渡璋典様より謝辞の朗読を行います。記念品の引き渡しは船津孝二郎夫人の長恵様よりお願い致します。

(謝辞)

 私共の校友会逗葉支部は、昨年11月21日岡野学長の御出席をいただき、また県内支部の暖かいご支援により地元校友の長年の希望を実現し創立することが出来ました。この逗子、葉山地区の特色を折り込んだ我々の創立宣言文を学長にお渡ししてから早や1年を経過し本日ここに校友会神奈川県逗葉支部旗を授与されるにあたり感激を新たにするものです。本日再度学長を当支部へお招きできましたことは、学長の校友会活動に対する強いご厚情と推察し、青木信樹新会長のもと国内外における明治大学校友会の新たな支部としての役割を想う時、身の引き締まる思いが致します。

 大学が今澎湃たる変化の波の中にある時、校友会も同じく社会の大転換の中で変わっていかなければいけない時、この逗葉支部は誕生しました。学長には今後逗子、葉山地区の支部活動を将来にわたって見守っていただきますようご期待し支部会員一同、昨年来からのご厚情に深く感謝申し上げます。また逗葉支部の創立を記念し、校友の「わ」が絶え間なく続くことを願い、ニコライの鐘ならぬ時を刻む記念時計を作りましたが、この裏に本日出席しております我々支部会員の名を刻み「感謝のあかし」として贈呈するものです。

    平成5年11月20日  明治大学校友会逗葉支部 支部長 大貫 宏

    岡野加穂留殿  (代読 石渡璋典)

 

           岡野加穂留学長への感謝記念品(裏)

 

 

支部長章授与)

 昨年11月逗葉支部創立の日より支部長役を大貫宏様に務めていただいておりますが、校友会逗葉支部旗を得た今、本日ご出席のご来賓の方々には大変恐縮ではございますが県下校友会、地元他大学校友会及び斉藤正直元学長初め地元在住教授の方々に署名していただいております先ほどご紹介致しました記念時計を「支部長章」として引き渡しを行いたいと思います。署名の最後になりますが岡野学長の署名をいただければ幸いです。支部長夫妻への引き渡しは五味敬明夫妻よりお願い致します。

 

 

 

        

    上記支部長章は、大貫初代支部長、船津2代支部長、石渡3代支部長、

   砂山4代支部長、山村5代支部長を経て令和5年7月8日の役員会冒頭で

   足立6代前支部長から小川7代新支部長に引き渡されました。署名の字は

   薄くなっていますがこの記念時計は、創立時の想いを伝えて31年の時を  

   今も刻んでいます。

            

            支部創立30周年記念ブログ(1)終了