一泊忘年会は一風変わった宿「ウエルネスの森・伊東」に一泊
今年平成30年12月9日(日)~10日(月)の忘年会は、昨年の湯河原から少し足を延ばす事になるけれども、伊東に一泊することになった。
宿の「ウエルネスの森・伊東」には、いわゆる団体客がよく使用する宴会場の設備がなく、替わりに広い客室があった。平成最後の年の一泊忘年会を、一風変わっているがチョイスしてみて何と結果はグーでした。
辞典を引用するとウエルネスとは、「健全な体と心をもって充実した社会生活を送るため、積極的、創造的な活動に取り組む行動様式」とあった。年の暮れを健康的に過ごせることに越したことはない。
広い客室のビッグスイートの部屋は、30畳のリビングが付いている和洋室で、ゆったり寛げる間取りであった。参加者は18名で5部屋にそれぞれの荷物を置き、着替えて先ず大風呂に入って、体を癒し部屋へ戻って一服。その後、ビッグスイートの一室である幹事の部屋で形式的な忘年の儀式となり支部長挨拶、幹事長のこの一年の主だった報告もあった。
その後の時間が夕食会場へと足を運んでのバイキングである。一固まりに配置されていたので、食べ放題の刺身・天ぷら・ステーキなどをテーブルに運び、これまた飲み放題の好みの酒を選んで、和気あいあいの楽しい時間が過ぎていった。その内の誰かが、これで制限時間がなければ言う事無しだよ、と言っていた。
食後、再び幹事の部屋の二次会場へ移動する時には、結構腰のふらつく人がいた様だった。二次会は時間に制限もなく続いていった。
この「ウエルネスの森・伊東」はバブルの頃に高級リゾートマンションとして売り出されたがバブル崩壊で売れ残った部屋を、宿泊設備に変えたもので、ホテルのような広いロビーは無く、当然受付もマンションの受付そのものであったが、さすがに広い各部屋には厨房設備が完備していて凝ったどっしりした木製彫刻の椅子やテーブルが備わっていて、貴賓室のような雰囲気が漂っていた。部屋のドアを開けるとそこは風が吹き抜ける外の廊下だったので風呂や食堂に行く時は外に出るという作りになっていた。
翌朝は食事を終えると、玄関前での記念撮影に促された。
この一泊忘年会では、<歩こう会>がセットされていて前日は宿へ来るまでに、伊東市立の木下杢太郎記念館に立ち寄った。木下杢太郎(本名・太田正雄)は森鴎外の勧めで皮膚医学者となり、詩人、戯曲家、小説家、美術評論家、吉利支丹史研究家という多彩な面で活躍し、また6か国語に通じ世界各地を旅した文人画家でもあった。天保年間に建てられた生家がそのまま保存されていました。医者で詩人の木下杢太郎(Ⅿ18年生まれ)は同じく医者(精神科医)で歌人だった斎藤茂吉(M15年生まれ)と長い付き合いがあったことも展示資料で判りました。
翌日ホテル前での解散後は、有志による<歩こう会>が予定されていて、仲内部長のガイドにより出発し、来宮神社を目指した。由緒ある神社に参拝してから、境内の大楠にパワーを貰いそのまま熱海駅に向かった。来宮駅に戻った人もいました。
熱海駅前商店街入口までは下り坂だったので、歩くのも楽だった。熱海駅前商店街入口から駅まではかなりの上り坂だったが店を見たり土産を買ったりして駅到着。車中では宿で残った酒とつまみを一部持参していたので飲みながら大船駅へ。
なお今年亡くなった漫画家“さくらももこ”さんを偲んで宿で買った「ちびまる子ちゃんのシャンメリー」も飲んでいます。
用事のある人を除き大船駅で下車しそばを食べて逗子に戻りました。
(中山)
今年の明早ラグビー観戦会は惜しい結果となりました
今年も秩父宮ラグビー場に総勢20名の会員と共にやってきました。12月2日第1日曜日は伝統の明早戦。過去の対抗戦の戦歴は明治の負け越しで故北島監督が生きているうちに早稲田に勝ち越せという願いは今もって叶わずです。
私は山梨の名門と言われている日川高校出身でラグビー大好き人間です。しかし私が明治大学に通っていた頃、明治は低迷していた時期で、明早戦を観る機会はありませんでした。1970年代後半になって明治も徐々に力を付けてきて、早稲田と対等に戦えるようになってきました。いまでも覚えているのは何年か記憶はありませんが、あの頃タッチジャッジは両校のラグビー部員が両サイドのタッチジャッジをしていました。
明治のウイング(渡邉?)が左隅にトライしたのですが、明治のタッチジャッジが思わず両手を挙げて万歳をしてしまいました。レフリーはラインを割ったのかと確認に行きレフリーのジャッジ通りトライを認められ事なきを得ました。多分この試合が久々に早稲田を破った試合ではなかったと思います。
今期の明早戦は、早稲田はディフェンスが良く、「今年の早稲田強い」という前評判でしたが、予想に反し帝京に大差で敗退。一方明治は勝っても、もたつきが目立ち、11月3日の明慶戦では明治のミスが目立ち、思わぬ敗退。ところが11月18日の帝京戦では、明治が慶応戦の敗退から見事に立ち直り、スクラムを圧倒してディフェンスもフォワードのしつこいタックルで帝京の猛攻を凌いで23対15で8年ぶり勝利となりました。
「明早戦当日は、帝京戦の余韻を胸に多いに期待して、JR逗子駅に午前8時50分に集合しました。明早ラグビー観戦会は平成10年から毎年応援し続けて21回目で、例年競技場に入る前に何処かへ寄ることにしていて、今年は東京駅で降り箱根駅伝のスタートとゴールである大手町の読売新聞本社を訪問しました。スタート地点に立ち、また箱根駅伝コース沿道の浮世絵(歌川広重の東海道五十三次)の陶版画を見ました。参加者から逗子市役所1階ホールに掲げてある大きな信楽の陶版画(谷文晁の鐙摺濱と久野谷村の2枚)を連想した話もありました。
スタートライン(日本橋浮世絵)
次いで建物を回り箱根駅伝の記念碑も見学しました。改めて2回目優勝が明治大学であることを実感させられました。
また信濃町駅でだいぶ出来上がった国立競技場の周囲を回るグループと直接秩父宮ラグビー場に行くグループに分かれました。ラグビー場の門を入ってすぐ丹羽政彦前監督を見かけたので挨拶し砂山さんが手配してくれた入口No11東A席に固まって着席しました。ゴールのすぐそばで明治のスクラムトライを見るには絶好の場所でした。天気も良く風も無い暖かな日で弁当を食べて試合開始を待ちながら、在学中監督不在時に主将を務めたという田中澄憲新監督の采配にも期待しました。なおすぐ傍の席で逗葉稲門会の方々が創部100周年ワセダの応援に来られていました。」
(「 」内はブログ担当追記)
試合は、いきなり開始早々早稲田のフルバック河瀬(父は明治のFL)に先制トライを許し、その後も追いつくことも無く27対31の1トライ差で敗北という残念な結果に終わりました。特に固い早稲田のディフェンスとバックスの鋭い縦への切り込みに苦戦をしいられました。後半の10分のPGで明治はスクラムを選択して、スクラムトライを狙いましたが、コラプシングの反則でトライとならず、流れを変えられる絶好のチャンスをつぶしたことが惜しまれます。その後明治は猛追して2トライを奪うも4点差でノーサイド。1月2日に大学選手権で早稲田と再戦する可能性がありますので是非リベンジを果たしてほしいと思っています。
(このスクラムトライが決まっていればと惜しまれました)
重たい足取りで逗子に戻り「すなっく舞」で残念会となりましたが、後から稲門会の方も帝京大と両校優勝で祝勝会のあと寄られノーサイド親睦会となっています。
(根岸)
12月のクリスマス・カラオケ会で第200回記念祝賀式を挙行
12月1日(土)のカラオケクラブ定例会は、毎年恒例の「クリスマスパーティ―」で会場“すなっく舞”の店内をイルミネーション(初期の頃当クラブ寄贈)で飾り付け、又料理も会場で用意されるもの以外に寿司やつまみを別途買い込み、柳生さん扮するサンタクロースからの全員へのプレゼントを用意し和やかな雰囲気づくりをしました。
丁度第200回目に当たり 記念祝賀式も行ないました。
当日の準備と次第は下記の通りでした。
やはり第200回となるとお祭り好きな明治としては、厳粛な祝賀式を行おうという事で、会場に国旗を掲げ、祝賀式では日本の賀歌(国歌)を2番まで皆で斉唱、(参加された河合さんから小さい頃3番まで歌ったという話も出ています)
次いで 足立部長から200回迄の主なイベントの説明がありました。
当校友会で国旗を掲揚したのは創立10周年と20周年の総会のみでしたので今回が3回目となります。国歌を斉唱したのは初めてでした。
平成14年5月の発足式、平成17年4月の3周年の時は土屋花情没後15年,八州秀章没後20年の春でもあり『さくら貝の歌』を合唱、平成19年8月の阿久悠追悼カラオケ会、平成21年8月の石原裕次郎23回忌追慕カラオケ会、平成22年8月の第100回開催記念では明大ゆかりの作曲家作詞家の歌を歌って祝いました。平成24年4月には創部10周年で物故カラオケ会員に黙祷、当時の山村3代部長より10年のあゆみ挨拶がありました。平成26年12月のクリスマスカラオケ会は高倉健さんを偲ぶカラオケ会でもありました。そして昨年8月は平尾昌晃さん追悼カラオ会を行っています。初代の馬場カラオケクラブ部長は若い頃平尾さんの音楽教室の生徒さんでした。
平成14年5月の第1回から毎月第1土曜日13時~17時まで、雨の日や暴風の日も休まず続けられてきたことを祝し、合わせてママが健康で店を開けてくれたことに感謝しお礼の品もお渡ししました。過去平成18年6月は参加者が3名でこの時出られた馬場、森、山村3氏のカラオケへの熱い思いを改めて痛感しました。
カラオケ曲は例年通り、クリスマスキャロル、クリスマスソング、ベツレヘムの星に因んだ星の歌、冬の歌等を歌った後は、やはり関係ない歌披露となり平成最後のクリスマス・パーティ―を終えています。
サンタクロースからプレゼントされたスクラッチ宝くじは残念ながら1人200円当たっただけでしたが、欠席された2代部長の船津さんから寄贈されたお土産(サンルイ島のお菓子)を全員が受け取り会場を後にしました。
全国校友石川大会に参加し、金沢市内を観光しました
第54回明治大学全国校友石川大会が、9月30日加賀百万石の城下町金沢市に於いて開催され、9月29日前夜祭から参加。10月1日は金沢市内を観光しました。
当支部は、山村支部長ほか仲内、西山、白石、鈴木(達也)の総勢5名参加でした。
9月29日(土)金沢市内散策と前夜祭出席
9月30日(日)記念式典・,講演会・懇親会出席
10月 1日(月)エクスカーションに参加(加賀1日観光コース)金沢市内観光
前日17時~19時 金沢駅そばの「ホテル金沢」で開催される前夜祭から出席することとし、9月29日10時48分発の新幹線で東京駅を出発し金沢駅に13時23分に到着。片町の宿泊ホテルにチェックインの後、前夜祭開始時間まで金沢市内を散策しました。生憎雨でしたが、片町、香林坊を散策し、長町武家屋敷跡を見学しました。武家屋敷の野村家も見学する予定でしたが、外国人観光客で一杯のため、見学を断念して尾山神社に向かいました。同神社は、前田利家公と正室・お松の方を祀っており、和漢洋折衷の三層アーチ形の神門は五彩のギヤマンを配し、国の重要文化財に指定されています。
その後、前夜祭の会場に向かいました。芸妓衆の優雅な三味線と踊りに見惚れ、能登の勇壮な御陣乗太鼓に痺れ、おいしい加賀料理と地酒に堪能しました。
台風24号は、30日未明に金沢を通過し、朝は台風一過、清々しいお天気になり同日の全国大会記念式典は13時からなので、我々は朝食後ホテルの近辺を散策しています。片町を通り、犀川大橋を渡り、寺町方面へ向い、妙立寺(忍者寺)で外側だけを見学しました。その後「にし茶屋街」等金沢らしい風情の残っている町並みを散策しホテルへ戻りました。
当日は13時~16時に記念式典、講演会が金沢駅そばの「石川県立音楽堂」に於いて出席者約1,000名(推定)で開催されましたが、台風の影響で沖縄・九州等一部の支部で出席不可能になったようです。
第1部記念式典は、大会旗入場、国歌・校歌斉唱、物故校友への黙祷から始まり、開会宣言、安井克郎石川県支部長の歓迎の挨拶、来賓・大学役職者・校友会役員の紹介、向殿政男校友会長の大会会長挨拶、柳谷孝大学理事長・土屋恵一郎学長の祝辞、来賓谷本正憲石川県知事(中西副知事代読)・山野之義金沢市長・今村健連合父母会長の祝辞がありました。最後に次年度開催県の小関道生千葉県東部支部長の全国支部長代表挨拶があり、万歳三唱で閉会でした。
(安井克郎石川県支部長の歓迎挨拶)
第2部記念講演は、「まちづくり都市 金沢」の演題、講師は前金沢市長山出保氏で、和服姿の金沢らしい装いでした。
第3部懇親会は、17時~19時に全国大会会場近くの「ホテル日航金沢」に会場を移して開催され、芸妓衆20数名が勢揃ろい、三味線、太鼓で賑やか、華やかな御囃子で始まりました。中村驍大会実行委員長の歓迎挨拶、鏡開きの後に乾杯し、金沢の地酒を飲み、おいしい加賀料理に舌鼓を打ちながら懇親を深めています。応援団、チアガールの演技もあり、更に盛り上がりました。次年度開催県の千葉県のPRもあり、最後は全員肩を組み、明治大学校歌を声高らかに歌い閉会となりました。
翌10月1日は9時からエクスカーションの「専属侍ガイドが案内する金沢周遊コース」で金沢市内見物をしました。ガイドさんは侍の装いで、三味線のお師匠さんも同乗し、城下町の情緒たっぷりでした。先ずは「近江町市場」の見物。1721年に開かれた市場で、鮮魚店、青果店、飲食店など約180店が入っているそうです。ズワイガニはまだ時期が早いため見かけませんでしたが、仲内さんはマツタケ、白石さんはノドグロにご執心でした。次は「ひがし茶屋街」の散策。石畳、出格子のある町家が続き、大変風情があり、過去にタイムスリップした感じでした。近くの宇多須神社にも参拝。兼六園そばの「兼見御亭」で昼食後「兼六園」を見学。兼六園は日本3名園のひとつで、加賀前田家の歴代藩主が造営を続け完成させた庭園です。名木「唐崎松」、「霞ヶ池 徽軫(ことじ)灯籠」等を見学。石川門をくぐり金沢城公園も見学しました。
その後、帰りの新幹線の時間の関係でバスツアーを離れ、金沢駅ショッピングモール「あんと」でお土産を物色しました。「あんと」は広くきれいで、お菓子だけをみても見た目に美しく、おいしく、さすが「加賀百万石」にふさわしいと感じました。新幹線に乗車しましたが、東京駅では台風の影響で横須賀線が不通のため京浜急行に乗車し、22時頃新逗子駅に到着。台風に振り回されましたが、楽しい旅でした。
(山村博輝記) - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
(2001年の全国校友石川大会を偲んで)
なお全国校友石川大会への参加は今回2度目でした。先の平成13年(2001年)の石川大会は、当支部の記録には、平成16年発行の「逗葉支部十年史」に杉山現副支部長が『全国校友大会にこの10年で7回出席』と題して記載しているだけです。当支部の会報は平成14年10月創刊だったため記載はありません。十年史の記載は下記の通りでした。
逗葉支部が正式承認されて始めて、全国校友東京大会が平成5年10月31日に和泉校舎で開催されました。勉強のため5名参加した中に私も入れてもらい1800余名が参加した活気ある盛大な大会に驚いた記憶があります。以後平成6年の仙台大会、平成7年の岐阜大会、平成9年の山梨大会、平成10年の青森大会、平成13年の石川大会そして昨年の平成14年の大阪大会とこの10年で7回出席したことになります。(途中一部省略)。初めは3人参加程度でしたが山梨、青森と各9名参加と増え石川大会は逗葉支部創立10周年記念旅行と銘打ったこともあり18名が参加しています。(途中省略)全国大会で感じることは、全国に散らばるOBの結束と愛校心です。場所は変わっても肩を組み合い明治の校歌を恥じることなく大きな声で斉唱し熱気が止まらないこの雰囲気が好きです。全国大会の中でも石川大会は特筆すべきですが、ここでは大阪大会について述べておきます。(以下省略) 杉山建雄。
この記事でも判る通り、先の石川大会は逗葉支部創立10周年記念旅行であり18名も参加したにもかかわらず、タイミングが1年早かったため、十年史及び会報にも詳細を載せることができませんでした。金沢は逗子とも縁の深い文豪泉鏡花の生まれ故郷でもあり、今回残されていた資料より先の石川大会の内容をブログに追加掲載することにしました。
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 平成13年(2001年)石川大会参加 貸切バス旅行会は下記の行程でした。
9月14日(金)
逗子発22:30→横浜町田IC《東名・東海北陸自動車道》→ (車中泊)
9月15日(土)
14:00~金沢市文化ホール(記念式典出席)・金沢東急ホテル(懇親会出席)→
ホテルアクティ金沢
9月16日(日)
ホテル発8:30→千里浜→稲忠漆芸会館(昼食)→輪島(朝市)→総持寺→
9月17日(月)
ホテル発8:00→上越JCT→《上信越》→長野IC→ たきや(昼食)→
善光寺見学 →長野IC→《上信越・中央高速》→八王子IC→<16号経由>
→ 逗子20:30着
当時、明治大学は長吉泉理事長、栗田健総長、山田雄一学長で明治大学校友会は青木信樹会長、そして大会実行委員長は尾戸嘉博石川県支部長でした。当支部とも縁の深かった岡野加穂留元学長もご招待で来られていて、ご来賓に谷本正憲石川県知事、山出保金沢市長が出席されました。
逗葉支部(当時の支部名)からの参加者は船津支部長を団長に広瀬(猛)、桐島、関、石渡(璋)、日向、森、杉山、足立、牛久、吉田、大波、石渡(俊)、西山、田澤、飯塚、馬場、斎藤の18名でした。母校創立120周年、21世幕開けの意義深い年の大会となり「新世紀・夢みどり石川におこせ 紫紺の旗風」がスローガンでした。
加賀百万石金沢の地は逗子に住んだ泉鏡花やまた隣町の鎌倉東慶寺に眠る西田幾多郎、鈴木大拙等の生まれ故郷でもあり、行く前から加賀宝生の謡いを耳にして菓子店・森八の「鏡花もなか」を食べることも楽しみの一つにしていました。金沢勤務経験があった山村さんは案内役をつとめたいと言っておられたのですが不本意ながら社用で不参加でした。
参加者が皆まだ元気で、貸切バスで9月14日夜出発。
15日の朝、世界遺産になった白川郷を散策し(写真クラブが作った2002年のカレンダーに写真掲載されました)、金沢市に入り泉鏡花記念館を見学、又浅野川と犀川に挟まれた地にある兼六園内を見学し、ことじ灯篭前の寄観亭で昼食を済ませ、14時からの大会記念式典に参加しました。渡辺隆喜明大文学部長の「日本海の風土と人間」と題する記念講演後の懇親会では、伝統芸能の素囃子「長唄 連獅子」、踊「小唄 加賀鳶」、そして金沢三廓(ひがし・にし・主計町)芸妓連によるお座敷太鼓を鑑賞しましたが流石に金沢と感じました。
( ゴリ泳ぐ 鏡花の道の 浅野川 - - - 歩きながら俳句一句 - - - )
( 岡野加穂留元学長と尾戸嘉博石川県支部長 )
16日は能登半島西岸をバスで走り千里浜海岸を経て、稲忠司漆芸会館、輪島朝市を見学、戻って総持寺、能登金剛を見学後一路宇奈月温泉に向いました。ここを宿にしたのは船津さんの父親が寄贈した善光寺の青銅の灯篭を見学する予定に入れていたためでした。
( 千里の浜 七重八重もの 白波と 友の笑いと 敬老の旅 )
(宇奈月温泉 グリーンホテル喜泉の女将 まだ元気かな!)
17日帰路最終日は善光寺で青銅の灯篭(前田青邨、吉田五十八、山田豊市という錚々たる人物協作)を見て中央高速で帰ってきました。
石川大会の参加土産袋には獅子頭の土産が入っていました。
また袋自体には榊原岳水作の「駿台の豪俊 金城に集い 紫紺の旗は翻りて意気栄(さかん)なり 今日の世粉 誰か克(よ)く歎かんや 暁鐘 撞打して昇平を啓かん」の漢詩が印刷されていました。
逗子葉山地域支部平成30年度行事計画
- - - 逗子葉山地域支部平成30年度行事計画 - - -
明治大学校友会逗子葉山地域支部の平成30年度行事計画をお知らせします。
事前に予定されてご参加をお待ちしています。また関連事項で詳しい内容を知り
たい方は事務局又はクラブの連絡先にお問合せ下さい。( 済の行事は個別ブログ参照)
(1)お花見会
①日 時 平成30年3月31日(土) 10時~14時
( 済 4月予定を早めた。参加19名 )
②場 所 桜山中央公園
③会 費 無料 ( 但し弁当、飲み物各自持参 )
(2)逗子海岸花火鑑賞会
①日 時 平成30年6月1日(金) 18時30分~
(済 参加17名他子供2名)
②場 所 葉山港管理事務所2階
③会 費 2,000円
(3)平成30年度逗子葉山地域支部定時総会、懇親会
( 会費納入者に5月中旬以降案内 )
①日 時 平成30年6月16日(土)受付14:00 終了18:30
(済 会員43名、ご来賓15名)
②場 所 シーサイドイタリアン「カンティーナ逗子店」
③議 案 通常議案ほか
④講 演 なし
⑤会 費 6,000円
(4)会報第35号発行 平成30年8月1日号
( 過去5年前迄年会費納入者及び50歳~70歳相当の卒業生全員に7月末迄配布 )
(5)納涼バーベキューの集い
①日 時 平成30年8月18日(土)13:00~17:00(済 参加19)
②場 所 沼間の綾部副支部長宅庭
③会 費 2,000円
(6)明大ヨット部ファミリー感謝デーヨット試乗会
①日 時 平成30年8月5日(日)10:00~16:00(済 参加8名)
②場 所 葉山港管理事務所3階( 明大ヨット部合宿所を変更 )
③会 費 3,000円)
(7)第54回全国校友石川大会への参加旅行会
①日 時 大会:平成30年9月29日(土)~10月1日(月)
②場 所 (式典)石川県立音楽堂 (懇親会)ホテル日航金沢
③費 用 80,000円
(8)箱根駅伝予選会応援会
①日 時 10月13日(土)
②場 所 立川の国立昭和記念公園
③会 費 未定
(9)ラグビー明早戦観戦会、その他見学
①日 時 平成30年12月2日(日)
②場 所 秩父宮競技場
③会 費 未定
(10)一泊忘年会
①日 時 平成30年12月8日(土)・9日(日) を予定
②場 所 未定
③会 費 未定
(11)忘年麻雀会( 麻雀クラブ主催・一般会員参加可 )
①日 時 平成30年12月 22日(土)
②場 所 新宿会館
③会費 未定
(12)会報第36号発行 平成31年1月1日号
( 過去5年前迄年会費納入者及び50歳~70歳相当の卒業生全員に12月末迄配布 )
(13)箱根駅伝応援 ( 会報1月号送付時に案内 )
①日 時 平成31年1月2日(水)・1月3日(木)
②場 所 藤沢県道30号線南仲町交差点前 (藤沢地域支部に合流)
③会 費 無料( 電車賃各自 )
(14)平成31年新年会 ( 会費納入者に12月中旬以降案内 )
①日 時 平成31年1月19日(土)
②場 所 未定
③会 費 未定
*上記の各行事には人数制限があり案内がいかない場合がありますが、会員なら
参加可能ですので参加希望の方は事務局(☎ 046-875-8358根岸)か
メールyasuhide-adachi-tkb@nifty.comでお申し出下さい。
ブログをご覧になって入会希望の方も上記にご連絡下さい。
- - - 逗子葉山地域支部平成30年度各クラブ行事計画 - - --
参加希望の方又は内容を知りたい方は各連絡先にお問い合わせ下さい。
【囲碁クラブ】 連絡先:清水 ( TEL・FAX ) 0467-22-9762
・毎月毎火曜日の13:00~17:00 会費 500円 於・ 久木囲碁伊藤教室
・平成30年 5月17日(木) 明早囲碁交流会 於・ 久木囲碁伊藤教室
・研修旅行会を予定。日程未定。 場所 箱根
【ゴルフクラブ】 連絡先:根岸( TEL・FAX ) 046-875-8358
・平成30年 4月18日 (水)春季ゴルフコンペ 於・葉山国際カンツリー倶楽部
・平成30年 10月17日(水) 秋季ゴルフコンペ 於・葉山国際カンツリー倶楽部
【歩こう会】 連絡先:仲内(TEL・FAX ) 0467―25-4591
・計画中
【カラオケクラブ】連絡先:足立( TEL・FAX )046-871-4482
・毎月1回 第1土曜日13:00~17:00 会費2,000円
於・逗子郵便局前「すなっく舞」
【麻雀クラブ】 連絡先:西山( TEL・FAX )046-875-5462
・毎月1回 最終木曜日13:00~17:00 於・大船の麻雀荘「五五五」
・平成30年12月22日 (土) 忘年麻雀大会を予定。 於・新宿会館
【クラシック鑑賞クラブ】 連絡先:柳生( TEL・FAX )0467-22-2004
・奇数月の月末土曜日に開催 会費1,500円 於・小坪の柳生監査役宅
・参加者はJR逗子駅前集合12:30
【美術鑑賞クラブ】 連絡先:仲内( TEL・FAX ) 0467-25-4591
・展示イベントをみて不定期に開催。
・平成30年 5月12日(土)虎姫一座鑑賞と浅草周辺施設見学会
【なまずクラブ】 連絡先:中山( TEL・FAX ) 045-772-5365
・奇数月の月末土曜日に開催 於・東逗子駅前 「バーNaNa」
【スポーツ観賞クラブ】 連絡先:西山( TEL・FAX ) 046-875-5462
・イベントをみて不定期に明大スポーツ戦を観戦
【デッサンクラブ】 連絡先:小川( TEL・FAX ) 046-807-3052
・毎月第一金曜日に開催 於・逗子文化プラザ交流センター
*年間行事やクラブ活動は、年2回発行の会報「 駿台逗子・葉山 」に実施内容を
掲載しております。
*過去の会報掲載内容についてはメールにてyasuhide-adachi-tkb@nifty.com 宛お問い合わせ下さい。
*事務局にメール番号を連絡( 総会や新年会の出欠葉書に記載 )しておられない方
は上記メール番号宛
メールにて連絡下さい。行事他のご案内をタイムリーにお届けします。
- - - 逗子葉山地域支部なるほどゼミ (日程) - - -
平成29年
林 さん「私の人生を変えたスイス、精密機械と共に55年」 2月18日(土) 済
山村さん「ハプニングから始まった株式会社業務の世界へ、
そして会社法との大格闘」 4月15日(土) 済
石渡さん「うるわしき桜貝ひとつ、真白き富士の嶺の歌にも
残る逗子海岸の歴史」 7月22日(土)済
西山さん「世界に誇る日本の文化、着物、着物の魅力」 9月16日(土)済
柳生さん「意外に知られていない地下鉄の話をしましょう」 11月11日(土) 済
平成30年
足立さん「私は仕事のかたわら、樹医になった、樹木の勉強会を
10年間主宰、観察ウオーキングもまた楽し」 1月13日(土)済
砂山さん「土光敏夫社長の“鶴の一声”予定」 4月21日(土)済
仲内さん「東急不動産で土地買収」 7 月21日(土) 済
綾部さん「国際興業(株)の思い出」 9月15日(土)
日向さん「大相撲との付き合い20年(仮称)」 10月20日(土)
川﨑さん「 」 11月17日(土)
杉山さん「 」 12月15日(土)
菅野さん「 」 月 日 (土)
船津さん「美味しい牛乳、その前に日本の酪農家、牛のエサに
ついて学びませんか」 未定
佐藤さん「トランプにゆれるアメリカの暮らしと社会」 未定
「松下幸之助のモノの見方考え方」 未定
以 上
全国校友新潟大会の思い出「新潟文化博物館を訪ねて」
当校友会のブログを開始したのは2015年4月からでしたので、それ以前の行事については年2回発行の会報「駿台逗子・葉山」に掲載してお届けしていました。しかし紙面の制約もあり充分お知らせ出来ていません。今後逗子葉山に特に縁の深い行事などは「思い出」版としてブログ掲載したらと考え、まず手始めに逗子とも縁が深く多くの印象深い出会いがあった2014月年9月の全国校友新潟大会について「全国校友新潟大会の思い出 新潟文化博物館を訪ねて」として掲載することにしました。
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
逗子海岸中央からやや田越川方面に行ったところに「新潟文化博物館分室」があります。「黒門」の家として昔から有名ですが、主の伊藤淑郎さんとは、20年程前、盗難にあった自転車が黒門前に乗り捨てられていて通報していただいたお礼に伺って初めてお会いしたという奇妙な出会いでした。
この時、新潟の文化博物館のパンフレットをいただき何時か訪ねたいと思いつつ年月が過ぎて行きました。当時、葉山で第4回明治大学マンドリン倶楽部チャリティーコンサートを控え、慶明の縁もあり入場券を差し上げたところ、来場いただき後日「全員詰襟での一部、二部は清潔な青年達そのもので『青年ここに在り』といった感じで過ぎ去った自分達の青年時代を想い起したりして居りました。 お陰様にて大変楽しませて戴きました」という丁寧な手紙まで頂戴しています。またこの場所では「黒門カルチャー」の書道教室で船津名誉支部長の娘の山本京子さんが子供たちに教えておられました。京子さんには当支部の書道クラブが2012年に楽書展を開催したおりに出展いただいています。
黒門の場所は明大の大先輩 藤原楚水氏の著書「藻塩草」によると、伊藤さんの前は成瀬正恭氏の別荘だったそうで、我国にゴルフを伝えた先達と紹介しています。成瀬正恭氏は犬山城主成瀬氏(2004年まで犬山城を個人で所有していた)の分家の子孫らしく十五銀行頭取、神戸貿易銀行支配人等を務め、慶大卒で慶應義塾評議員でもあったそうです。黒門は鹿鳴館より移築したらしいとのことでした。この建物は明治40年代に11代将軍徳川家斉の孫松平康民により創建されたようですが、逗子小学校同期の及川洋一君が逗葉文芸「北斗七星第五号」(2014年4月発行)に『海辺の別荘 黒門 前篇』を寄稿しているので黒門の経緯はこれに譲ります。残念ながら後篇で「新潟文化博物館」について寄稿する前に急逝してしまったのは非常に残念に思っています。
黒門 前篇の記事の中に正恭氏の長男正一氏が仲間の久米正雄、菊池寛。芥川龍之介、松岡譲等を黒門に呼んでいたと記されていますが、成瀬一家との深い付き合いが無ければ菊池も芥川も大成したかわからないと述べています。黒門は成瀬正恭氏から(正しくは十五銀行の子会社から)七代目の伊藤文吉氏(淑郎さんの父)に売却されました。
2014年(平成26年)の明治大学全国校友大会が新潟に決まると、大会参加の旅行会で逗子とも縁の深い新潟文化博物館を是非コースに入れたいという思いが湧いてきて、念願の訪問が実現しました。
訪問する前に伊藤淑郎さんを訪ね閑談しましたが、なんと新潟の兄 八代目文吉さん夫婦には子が無く、淑郎さんの娘夫婦が養子縁組して新潟文化博物館に居るとのことでした。館長の兄伊藤文吉さんに逗子の明大校友会が訪ねる旨の連絡も取っていただきました。
新潟大会参加旅行会は下記の行程スケジュールでした。
大会では実行委員長の田代和孝氏から歓迎挨拶、向殿校友会会長、日高理事長、福宮学長の挨拶、来賓の泉田裕彦新潟県知事、篠田昭新潟市長、他の祝辞が続きました。
その後の講演では新潟を故郷とする明大ラグビーに人生をささげた北島忠治氏について吉田義人監督が「北島監督の教えと明治魂」と題して熱弁を振るっていました。懇親会では米と酒の宝庫・新潟で多くの酒が出されていました。
(懇親会で明大グリークラブの出演もありました)
(右から2人目。弥彦神社前で西澤商店を経営する西澤哲司氏。
明日、弥彦山に行くので寄ることを伝えました。)
(滋賀県支部長 岩田守弘氏(右)と。来年の滋賀大会に必ず参加を約束しました)
(会場は千曲川が流れ着く信濃川河口に沿った場所で夕日がきれいでした)
この年8月に綾部宅で行ったバーベキューの集いに参加された近くに住む会員の守谷成美さんから、なんと新潟で泊まることにした鳥屋野潟に面した「割烹の宿 湖畔」のご主人堀健治さんが明大での親友であることを知らされました。この宿を決めたのは畳の部屋に集まって歓談できる旅館、大浴場があるという条件に適ってたまたま決めた宿でした。参加できなかった守谷さんからの連絡で堀さんには大変お世話になり、新潟駅に着いて大会に臨む際、荷物だけ先に宿に運んでいただけたのはとても助かりました。旅行の前と後に堀さんから案内やお礼の手紙をいただき明大の縁のありがたみを実感しました。
(「割烹の宿 湖畔」玄関前にて)
新潟文化博物館では伊藤淑郎さんの娘さんのご主人で常務の伊藤英之さんの出迎えを受け、歴史をうかがわせる庭と館内をゆっくり時間を掛けて説明を受けました。逗子からの訪問ということで事前に連絡が行っていたため特別の配慮があったと思います。
(ジャンボタクシーと小型タクシーの2台で“豪農の館” 北方文化博物館に到着)
(出迎えを受けた伊藤英之さんより、まず庭から説明が始まりました)
(このブログ掲載の前日、テレビで角川春樹氏と俳優榎木孝明さんの因縁の対談を見ました。北方文化博物館の大藤の下に春樹氏の歌碑が在ることを思い出して載せました)
(囲炉裏を囲んで建物内部の説明を受けました)
館内に掲げられている扁額「君子居中庸」「倹以養徳」は伊藤家当主の理念、家風を表し、また伊藤家の小作人に対する心遣いが感じられる「田地買うなら精々悪田を選び、悪田を美田にして小作に返すべし」という家訓は現在も息づいているとのことでした。
( 柱が三角、畳は菱形という奇妙な三楽亭も外から拝観しました)
新潟文化博物館を出て、ジャンボタクシー一行は万代橋、古町通りを見て新潟県護国寺を訪問。ここで明大戦没学徒慰霊殿で手を合わせた後に弥彦神社に向いました。
弥彦神社前の売店西澤商店のご主人西澤哲司さん(明大卒)とは、大会の懇親会で偶然会話していて、神社内をガイド顔負けで丁寧に説明していただき神社を参拝しました。西澤商店に荷物を預かってもらい九州東北部の英彦山、姫路市の雪彦山と共に日本三彦山と呼ばれる弥彦山(ランドマークと同じ634m)にもロープウエーで登りましたがあいにくの天候で日本海は見えませんでした。
後日、砂山さんが「スペインポルトガルの旅」をした際に弥彦村商工会婦人部の四人組と一緒になり西澤さんをよく知っていてスペインの地で多いに盛り上がったという尾ひれまでつきました。
(西澤さん! 弥彦神社の素晴らしい案内有難うございました)
(砂山さんがスペインで盛り上がった弥彦村商工会婦人部の四人組)
越後一宮弥彦神社の造営で多くの大工を指導し采配を振るった小林平次郎は乃木神社本殿、靖国神社本殿等を手掛けたその道では著名な宮大工です。逗子披露山に有った尾崎行雄邸も彼の手掛けた建物の一つとのことで、尾崎行雄邸の解体撤去される前に明大の仲間と見に行ったことなどが思い出されました。
逗子ゆかりの場所が他県にもあることを考えると、昔逗子海岸に「なぎさホテル」があり、ここで旧軽井沢に「なぎさホテル直営の山のホテル」があることを知らされ、泊まりに行ったことなどが思い出されました。長年の「新潟文化博物館」訪問の思いが明大の仲間と共に叶った喜びを味わった旅行会でもありました。
平成最後の「納涼バーベキューの集い」を開催しました
毎年8月は納涼と役員の慰労を兼ねて沼間の五霊神社裏の小高い所にある綾部副支部長宅の庭で「納涼バーベキューの集い」を行っています。人数に制限はありますが一般会員も誘っています。今年は8月18日(土)13時~17時の時間帯で開催しました。参加者は山村、仲内、林、川﨑、足立、小川(幹)、菅野、中山、根岸、三武、柳生、西山、船津、石渡、砂山の各氏に毎年準備役の杉山夫妻と綾部夫妻を加えて19名参加となりました。連日猛暑が続いていましたが当日はやや暑さも和らいで絶好のバーベキュー日和となりました。
今年は会場が綾部宅に移ってから6回目で、またブログに掲載するようになって4回目となり、毎回開催時期、場所、時間帯、参加者、バーベキュー料理等内容がそれほど変わりませんが、やはり印象は異なりますのでこれまでの綾部宅バーベキューの集いを振り返ってみたいと思います。
平成25年の時、筆者は仕事で不参加でしたが、綾部宅庭の広さや見晴らしに感心し、綾部・杉山の両夫妻に感謝の集いになったようです。平成26年の時は全国校友新潟大会を控え逗子海岸にある北方文化博物館分室(黒門)の縁もあり娘さんのご主人が館長をされている新潟の北方文化博物館見学予定とか、明大校友会お揃いの“ ゆかた ”作成の話し、近くに住む守谷さんがスイカ差入で参加されたことが印象に残っています。
平成27年の時は、ブログ掲載が初めてでしたので当校友会のバーベキューの歴史について記し、まず引き受けていただいた綾部夫妻と手伝いの杉山夫妻への感謝と継続できたことへの安堵感を記しています。平成28年は綾部宅のすぐ近くの五霊神社について記し、丁度開催されていたリオデジャネイロのオリンピックに話題がいっています。また雨天を見込み予め魚万の仕出しが用意され、やはり途中から大雨に見舞われたのも特別な出来事でした。昨年の平成29年は亀ヶ岡八幡宮で逗子沖縄祭りが開催されていてJR逗子駅からバスで会場に向かう参加者は少し見て“泡盛”を買ってバスに乗りました。昨年は全国校友大会が沖縄で開催されることになっていましたので話題も沖縄が出ています。
平成30年の今年は平成時代最後のバーベキューの集いとなりましたが、同じく逗子沖縄祭りが開催されていて、昨年同様に鎌倉女子大学沖縄舞踊愛好会の踊りなどを西山、足立で見ていますが、丁度仮設ステージで逗子市出身のボーカルユニットNiⅯ2(エムアイエムツー)の2人も出演していました。
中学校の同級生のNAOYUKIとMASAの2人は綾部宅でのバーベキューの集いスタートを祝福するかのように5年前に地元逗子で活動を始め現在「逗子市観光協会・逗子観光PR隊」に任命されています。
沖縄の飲物や食物の出店場所で長寿に効ありというシークワーサー飲料を入手しバス停にいた川﨑さんと合流してバスの乗車人となりました。綾部宅に着くと 笑顔の綾部夫妻と杉山夫妻に加え小坪組はじめ多くの参加者が今年は早めに来て既にテント内でバーベキューの焼きあがる料理を待っているところでした。(テント設営等は綾部、杉山、中山、小川の4人で行ったとのことで来年は早めに行って手伝います)、なお当日に先駆け斎藤さんから屋久島の焼酎「三岳」一升瓶の寄贈があり、また総会で手付かずで残っていた明大からの寄贈焼酎「権利自由」と「独立自治」を綾部さんに渡していました。さらに船津さんから清田肉店のバーベキュー用肉1キロの差入や小坪地区居住の4名(柳生、仲内、林、山村さん達)から日本酒、ワインの差入、根岸さんから畑で採れた野菜の差入もありました。差入の常連だった細野さんが体調上姿をみせなかったのは寂しい感がしました。
食べ物が出始める頃合いを見計らって山村支部長から開会の挨拶があり、次いで一番高齢の柳生さんの乾杯で飲食歓談に入っていきました。船津さんと三武さんは遅れて来られその都度乾杯をし直ししていますが、予定した白石さんは勘違いもあり不参加となりました。皆年を取りつつも声は元気で話題はつきませんでしたが、綾部夫人と杉山夫人に担当幹事の中山さん達が焼いた食べ物(焼き肉、鮭の蒸し焼き、フランクフルト、ナス焼き、ジャガイモ、かぼちゃ、焼きそば)を順次出していただき、根岸さんが自宅で採れて持参したオクラ、ゴーヤ、茗荷も出されました。
洋上のアルプスと云われる屋久島の焼酎「三岳」を飲みながらバーベキュー肉を鹿児島黒肉と思って味わっていた参加者もいたようでした。太巻き,いなりも口にし、終り頃にはあんみつを食べ、17時に閉会となりました。
なお話題のなかで小川幹事長から9月28日(金)開催の逗葉稲門会主催「薩摩琵琶の弾き語り・櫻の森の満開の下」の参加者が18名確定した話があり、このブログ記載時には20名確定となりました。坂口安吾作のこの作品は昭和50年に早大卒の篠田正浩監督が若山富三郎、岩下志麻の出演で映画化していますが、斎藤さんが差入れしてくれた薩摩焼酎「三岳」はこの早稲田の「薩摩琵琶」イベントを暗示するようにも感じられました。
参加者全員の記念写真を撮り、皆でテント・テーブル・椅子を撤収し、後片付けは綾部・杉山両夫妻にかなりの分をおまかせしてお礼もそこそこに来年の開催をお願いして綾部宅を後にしました。
(昨年の写真です。今年不参加者・斎藤、細野、牛久、日向)
写真係を自称している西山さんのカメラ電池切れでスナップ写真が撮れず林さんに集合写真をスマホで取ってもらいましたので後日入替したいと思います。
( 今年の写真です。写真が少ないので上の昨年の写真も残しました)
帰り際、綾部宅の庭には桜ならぬ猛暑の中で咲き誇る百日香(さるすべり)の花が我々を見送っていました。