2020/01/10背景変更 裕次郎灯台

(新年特別寄稿) “逗葉の寅さん”こと渥美 清さん              - - - 豊田茂紀- - -

 昨年 足立支部長から、以前,逗子に明大OBでラグビー部員だった“逗葉の寅さん”こと渥美 清さんがおられた話を聞き10数年前の小文を見せてもらいました。小文は次のような内容でした。 

- - - 逗葉地区の明大卒業の最高齢者は逗子四丁目の渥美 清(S9年商専卆)さん、堀内の神谷美喜子(S9年女子商卒)さん、小坪七丁目の柴田四郎(S9年政経専卆)さんの三人の方かなと思われる。

 渥美 清さんは逗葉支部の活動には一度も参加されなかったがご自宅に伺い上がりこんで閑談したことがある。最初から逗葉支部への参加を希望されなかったので行事案内は届けられていないが、それでも幾度かマンドリンコンサート等案内が行ったはずだが当時郵送だったため返信がないままだった。その後郵送を手配りにしてから逗子市逗子の四丁目は私の受け持ち範囲となり渥美さん宅に届けることになった。

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 逗子小学校の裏門側にある木造の山小屋風の建物に奥様と二人で住んでおられ家の修理も自分でしておられるほど元気な方だった。ともかく中へ入れというので遠慮なく板の間の部屋に入ると直ぐ酒の一升瓶を持ってきてコップに注いでくれた。酒が健康の元のような方で脇で掘りコタツのような所に奥様がおられたが足が不自由らしく耳も遠いようで、渥美さんが奥様の世話をされているようだった。大学時代はラグビーをしていたとのことで昼間から酒を飲んでラグビーの話をして、また逗葉支部の活動等話した記憶がある。S9年卆なので入学したS5年(1929年)は北島忠治氏が監督なった年で以後4年間薫陶を受けたことになる。逗子開成延命寺の神田宜圓住職と一緒だったのでよく寺に行って話しをしているとのこと。また息子さんがテレビ局にいて新人女優の売り出しに今一生懸命になっているという話になりその女優の卵の写真を見せてくれた。帰りに黄色のTシャツを土産にもらっている。これは一度着たがサイズが合わなかったのでしまっておいたもので合えばやると言うので着ると丁度良く貰ってそのまま着て帰った。長い間の痕跡か一部よごれがありで妻が洗ったが取れなかったようだ。このため処分してしまったのを後で聞いたが後の祭で思い出の品も無くなってしまった。

 その後会報を届にいったがドアが板で斜めに打ち付けられていた。近所の人の話では奥様が亡くなられた後、鎌倉の息子さんの家に移られたとのことで逗葉地区の最高齢者は一人減ってしまった。- - -

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第30作“花も嵐も寅次郎”のマドンナ役は田中裕子さん (明大卒)でした。

f:id:meijizuyou:20200102204515j:plain 渥美 清 演じる“寅さん”

    ( 渥美 清さんは風天の俳号を持ち、『ただひとり 風の音聞く 大晦日

  の句を残しています。- - - 風天 渥美清の歌- - - より)*西山さん情報

 

 私は高等学校のラグビー部監督をしていたこともあり、この話を右から左に聞き流してしまうわけにはいかないので、手元にある「ラグビー早明戦80年」(ベースボール・マガジン社)で調べてみた。 

 第10回、通算早稲田6勝 明治4勝の個所に渥美さんが出場した記録がありました。東京帝大と東京商科大の2試合に14番右のウイングとしてです。 

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 試合経過はありませんがスコアでは渥美さんが東京帝大戦で1トライを上げています。当時のトライ点数は今とは異なります。6人が14トライ(1人がNO8,それ以外の5人はすべてバックス)で上げています。64vs5で明治が東京帝大を、同じく89vs0で東京商科大を破っていますが、この試合のトライが記録されていません。

  当時の明治の部員は約80人で現在のように負傷交代とか戦術交代はありませんでした。負傷退場すればその分、少ないメンバーで戦う時代でした。リザーブの選手を置くようになったのは明早戦で言えば1976年の第52回からです。通算10回目の明早戦が戦われた1932年(S7)年、公式戦13試合に出場した部員は19名だけですから渥美清氏が早稲田戦や慶応戦に出場されていなくとも素晴しいと思います。

 公式戦13試合とは五大学リーグ戦(慶応・早稲田・東京帝大・明治・立教)4試合とそのほかに明治が戦ったのは東北帝大・法政・日本・文理大(東京文理科大=現・筑波大)・東京商科大(現・一橋大)でした。さらに関西の京都帝大・同志社立命館と東西大学対抗戦を戦い、もう一つ学士クラブ(どういう組織か不明)とその前年を含めて同クラブと二戦していますが、その前後をみてもこれだけ。なお同クラブと早稲田は一戦もしていない)。2年後、五大学リーグは、力を付けてきた法政大・東京商科大を含めて7大リーグとなりました。渥美 清さんはこの年3年生とありますが1年、2年・4年次に、出場試合はありませんでした。出身中学も対早稲田戦のメンバーについては1名を除いて記録がありますが他の試合についてはありませんでした。「ラグビー早明戦80年」(臙脂と紫紺の記録)だからでしょう。渥美 清さんは明早戦が大変な人気を呼び始めた頃の部員だったのです。

●●● S7年主将は逗子と同じ呼称の都志(づし)悌二氏でした。都志主将は岡山県倉敷市出身で昨年暮れ明大マンドリンコンサートの義援金を伊東香織倉敷市長にお渡ししたことが頭をよぎります。インターネットに偶然にも都志悌二「敵陣深く紫紺の軌跡」と題しS7年の試合が残されていて豊田さんの指摘の試合の出場メンバーも載っていました。渥美 清さんの名もあります。●●●- 

 また「ラグビー早明戦全記録 日本ラグビーの華 早明戦60年の熱闘譜」(ベースボール・マガジン社)に次の記載があるので紹介しておきます。

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            ( 渥美 清さんが出場した65,000人収容の神宮外苑競技場 )

(昭和7年)12月4日- - - 早稲田は同じく全勝の明治と天下分け目の対決を迎えた。神宮競技場は満員札止め。新聞は史上最高の4万人と報じた。- - -(ここから試合経過が詳しく述べられている)- - -この日、神宮球場は11時開門会前から延々長蛇の列。秩父、高松両宮、同妃、竹田、北白川両宮がご観戦になり、リンドレー英国大使なども列席。「メイジ」「ワセダ」の叫びがわきおこり「拍手以外の声援お断り」というラグビーの不文律も破られるほどの熱狂振りであった- - - 。 

 当日のキックオフは翌日の東京朝日新聞(「朝日新聞で見る ラグビー早明戦の歴史」2002年11月発行)によれば「四日午後二時三十五分」であり、3時間以上も前から4万人の観衆が押し掛けたとなっています。当時の両校の学生総数を大きく超え、またスポーツへの関心度、メディアの発達度、競技場へのアクセスを考慮すれば社会全体の注目度は現在の比ではないと言ってよいでしょう。ラグビー発祥の地、英国駐日大使が観戦したなどは他にあったのでしょうか。

 *逗葉の寅さんが観た明早戦

 1年生時 (昭和5年)ミスもあり得点なく後半29分を迎えた。ここで⑨松原の左にパント、⑪鳥羽が球を捕らえ、相手FBのディフェンスは手先が触れただけでライン際を走り抜け中央にトライ。⑦知葉のコンバージョン決まり5-0と早大を無得点に抑えて対早大連勝を飾る。

 2年生時(昭和6年)明大は東大戦を残すものの史上初の全勝対決となった。明大は前半10-0とリード。後半早大は英国の国際試合のような深いTBラインで臨んだが、「ゆさぶり戦法」は未完成で、BK長尾、知葉がトライを上げたものの強力な明大FWの前に33-8と圧倒された。特に笠原のキックは威力を発揮。明大は、東大、京大も破り初の全国一。

 3年生時(昭和7年)2年連続の全勝対決、第一次明早時代の到来。新聞の展望記事では、明大について「超人的馬力を発揮して東西の大学を押しまくり、名FB笠原がヴェルダン要塞の如く不落の堅陣を張っている」と評した。試合は明大が後半10分、岡のトライで12-13と1点差に迫ったところで最高潮を迎えた。10分後早大林が右中間に独走トライ、以後1トライ1PGを加えられ12-24で5年振りに早大に敗れた。早大は関東初制覇。

 4年生時(昭和8年)関東五大学は、昨年の東京商大、法大の躍進で、二大学を加え七大学リーグとして覇権を争うことになった。明慶戦が予定されていた1112日に皇室の葬儀が行われるため延期され、早大の最終戦が明大のシーズン3試合目という変則日程となった。6-8で早大に連敗した。

    明治は早稲田と正式な定期船を組むようになった大正12年(1923年)から5年間は全敗。昭和3年から4戦4勝。そして迎えたのが人気を呼んだ第10回目の明早戦だった訳です。 

 明大ラグビー部は昨年大学選手権で日本一になり、その後も好調を続けシーズン終盤の慶大、帝京大早大の3試合で計3トライしか許さずに秩父宮での最後と思われる明早戦を締めくくっています。

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 新たな年を迎え大学日本一連覇を願うと共に、昨年暮れ映画「男はつらいよ お帰り 寅さん」が上映となり、また新年早々、NHKのBSプレミアム「贋作(がんさく)男はつらいよ」が1月5日〈日)20時から始まることもあって“逗葉の寅さん”ことラグビー部OBの渥美清さんにつきブログ掲載しました。 

 昭和7年明大ラグビー部員として神宮外苑競技場に出場していた渥美 清さんは、新国立競技場や今の明早戦を観たらどう思うのでしょうか。 

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                    (2019年12月21日開場式前の新国立競技場を背に)

      - - -  寅さんのタ行で始まるのは田澤さん(前列右端)のみ  - - -

 大学日本一を決める 第56回大会決勝は2020年1月11日(土)に新国立競技場で行われると発表されています。明治・早稲田が 勝ち上がり決勝対決が実現しました。明治は3季連続で決勝進出し2連覇に王手をかけ、また23年振りの明早戦決着となっています。伝統ある明早戦の楽しみがまた増えました。 

 記事の一部分(●●●部分)は足立支部長に追記していただきました。 (豊田)