2020/01/10背景変更 裕次郎灯台

故船津孝二郎名誉支部長と地域貢献奉仕活動

 当校友会支部の2代目支部長で名誉支部長だった船津孝二郎先輩が昨年1月24日に亡くなって1年を迎えようとしている。この1年新型コロナウイルスの感染拡大の影響で支部行事が出来なかったこともあり、時の経つのがあっという間の気がする。

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 船津さんは1昨年7月27日に亡くなった森 英二先輩と当支部を創立した立役者だったので、このブログに何か投稿しなくてはと思っていたが、思い出が多すぎて投稿しないまま今日を迎えてしまった。17日に阪神大震災27年のニュースを聞き、今年支部創立30周年を迎えるのでそういえば支部が出来て3年目の1月に大震災が起こったことが思い出された。平成7年2月4日(土)支部の初めての新年会を東逗子にある「風来まつなが」で行ったが、この時に災害があった明大校友会兵庫県支部義援金を贈る話が出て、当時兵庫県支部が機能出来なくなっていたので大阪府支部に5万円を贈り、以後大阪府支部から会報が送られてきたりして暫く当支部と交流があった。

 

 船津さんは支部創立当時、既に長く逗子ロータリークラブの会員でボランティア精神旺盛なロータリアンだったし、一方葉山町会議員だった森 英二さんも奥様と共に長年葉山の子供たちを引き連れて草津へスキーに行くなどボランティア精神を強く持った方だった。森夫妻はロータリークラブの依頼を受けて自宅にアメリカやオーストラリアの留学生を受け入れホスト役をされていた。従って当支部設立の目的には、①明治大学行事への参加支援 ②地元明大卒業生の懇親 ③地域社会貢献という3つの目的があるが、地域社会貢献を重視して発足したと思う。 

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 船津さんは終戦を12歳で迎えたので、戦前生まれでも10歳離れた私と違って、学童疎開等戦争体験の記憶がはっきり有り、大学まで行かせてもらい今日有るのは社会のおかげで、恩返しのため地元に奉仕したいとの思いが強かったように思う。この30年の当支部の活動を振り返るとその思いを強くする。昭和42年卒の私にとっても戦争の記憶は無いが経済成長の製造業激動期のなか休日もなくひたすら社会貢献の名のもとに企業戦士として働かされたので校友会は息抜きの場でも、地域貢献は当り前だった。 

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    (明大校友会逗葉支部ができ逗葉稲門会新年会に大勢招かれ参加)

 

 数多く開催した明治大学マンドリン倶楽部コンサートの目的は、高齢者や若者にも地元にいて学生の真摯な演奏を聞いてもらい元気づけと、チャリティーで集めたお金を地元福祉団体に寄付することで当然準備を通じて会員の増強結束を図ることだった。準備は大変だったが喜んで頂いた反応に仕事上とは違う達成感を感じて続けてきた。

 最初の頃は事務局だった後輩の大川謙一さんが頑張ってくれましたが、逗子葉山の演奏会場は500人ほどしか観客が入れないため学生に昼夜2度公演をお願いした。それでも赤字か又はならない程度だったが船津さんの縁でチャリティーへの協賛をお願いして寄付金を増やすことができるようになった。葉山での協賛は宮澤恒夫先輩、同期の広瀬敏夫さんの尽力があった。飲食店等は役員他が自腹で利用,また病院は役員や明大関係者が利用しているので少しは還元できているかなと思うが、利用していない企業からの協賛については本当に有難いと感謝している。

 地元以外で阪神大震災東日本大震災西日本豪雨災害等が発生し、チャリティー先がこれらの対象地域になったが被害の甚大さから地元企業のご理解を得られたと思う。

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 〈第1回明大マンドリン倶楽部チャリティーコンサート・逗子開成学園記念講堂)

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(明大マンドリン倶楽部チャリティーコンサート・ゲストにペギー葉山さんを迎えて) 

 

 支部草創期から大貫宏初代支部長と杉山建雄先輩他の方たちが全国大会に参加し、逗子葉山をPRをして支部創立10周年の際は各地の支部から祝電をいただいたこともあったが、やはり会話で終わっているので逗子葉山PRには一考が必要だった。

 支部創立10年目に船津さんの掛け声で会報「駿台逗子・葉山」を発行した。逗子市は古都鎌倉市御用邸のある葉山町に挟まれ全国的に知名度は低い。当支部は以前逗葉支部と称していたが逗子市が判りにくいのに逗葉ではなおさら判らないということで逗子葉山支部に変更した経緯もある。船津さんはともかく逗子市を全国区にしたいとの思いで会報を全国支部に送ろうと発案、役員も同意で宛名書きは墨書でということで書道クラブの故黒澤渓、牛久順之、日向 強の先輩たちと私が担当した。

 全国には今も都道府県支部に韓国支部、台湾支部を入れ35支部がありその管下に地域支部が223支部あるので当時大学関係にも送ったので全部で270通ほどの封筒に宛名書きをしたことになる。既に会報を全国に送るのを止めているが毎年どこかの都市で開催される明治大学全国校友大会の際は会報を持参して配ることもあった。当支部の役員が高齢化しているのと同様他支部も同じで、以前逗子葉山地域支部から会報が送られていたことを覚えている人もまだ僅か残っていると思う。一時期遠方の支部から会報が送られてきたこともあり、当支部の会報が参考になったとの添書きもあった。

 会報には石渡璋典先輩が地元名所紹介や郷土の文豪徳富蘆花の記事、又私が郷土の文豪泉鏡花の記事を掲載したりしたが愛媛県今治地域支部の方から徳富蘆花今治市の郷土の文豪ですとの連絡が入ったこともあった。韓国や台湾の方からは丁寧な会報送付のお礼状をもらい全国大会で会って挨拶したこともあった。全国にいる明大OBに逗子市からの会報各2通送付で認知されたとは思わないが船津さんの意を受けて幾分かは逗子市PR に貢献できたかなとは思いたい。一定期間送ったことと会報代と郵送代の件もあり中止となった。 

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     (全国校友栃木大会で村山富市校友会名誉会長・元総理と)

 

 高齢者のボケ防止に麻雀が良いということで、当支部の麻雀クラブが中心となって、日本麻雀連盟逗子葉山支部を作ったこともある。連盟の総裁は経団連会長だったりして国内唯一段位を発行している組織で石川六郎総裁が死去して後、代表の石本洋一理事長を迎え逗子魚勝で発足式を行い、その後逗子市商工会館で4回健康麻雀大会を実施した。第1回目は逗子葉山及び一部近隣から25卓の100名参加となった。麻雀に参加せず集計役手伝いの方もいたので良く集まったと石本理事長が感心して言われた。

 健康麻雀なので賭けない、吸わない、飲まないは当然だったがアルシーアールルールだったことから2回目から4回目まで参加者が減り続け、5回目も計画したが大会成立の人数が集まらず結果として日本麻雀連盟逗子葉山支部は解散した。コロナ禍で休んでいるが参加された女性の方が逗子小裏の自宅で当時の麻雀台を使い仲間と健康麻巣をされている。ハイランドでも女性の方が仲間と自宅でされているとのことで麻雀をボケ防止として良い遊びに高めたかなとの思いもある。 

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  (逗子魚勝での日本麻雀連盟逗子葉山支部発足式・中央石本洋一理事長)

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     (手前右の赤い服の女性は今も自宅で健康麻雀をされている)

 

 当支部の会報創刊号に故吉田功先輩の「逗葉支部基金創設」の記事がある。これは船津さんの考えにあった地元青少年育英のための基金作りで、地域奉仕活動の一環として有志会員からの寄付や行事等の剰余金の一部を積立て地域に還元しようとの意図でした。基金作りはできませんでしたが有志団体として「逗子葉山地域青少年育英会」は発足させ、明大校友会は私的団体とみなされるため公的場所の見学会(陸上自衛隊ヘリコプター搭乗会等)に使用したり、また青少年育成に将棋が良いとの思いと逗子開成の生徒さんが将棋が強いとの情報を得て日本将棋連盟逗子葉山支部を作ったこともありました。これは会員の河原 久先輩が大内延介九段に習われていた縁もありましたが、将棋大会の企画が地元将棋グループとの合意が得られず形だけの3年の継続で終わりました。 

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   (搭乗したジャンボヘリは東日本大震災の際に活躍されたとのこと)

 

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   また逗子ロータリークラブ主催で次世代育成チャリティー寄席として大学落語研究会を呼んだときは趣旨から全面的に支部も協力した。明大、中大、青山大、慶大4校が逗子文化プラザで落語を披露してくれましたが4校のまとめ役は明大落研でした。

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 (緑の着物姿は大学落語選手権で2位となった明大の駿河炎誌こと小田中裕士君・

                     現在 立川流二つ目の立川がじら) 

 

 船津さんは一方仕事の一線を離れた70歳以上の方を対象とする「燦燦会」という会をつくり、この方たちに楽しみを与えることもされていました。ロータリークラブの元会員やこれと思った方に声掛けしてしていたようですが、何時からか70歳以上の制約はなくなり若手のロータリークラブ会員も参加するようになりました。この会の会員には一時当支部会員が6名程参加し、燦燦会会員ではない仲内俊之、山村博輝の両先輩が手伝いで参加し、私も2度程手伝ったことがありました。地元で名のある方が多く、自分より若いOBにこういう方との面識の機会を作り今後の校友会に+になればと思われてのことだったと思います。当支部総会の記念講演に講師としてお呼びした方もおられました。

 

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             (総会講師の石井照周氏)

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                (総会講師の山科 誠氏)

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              (総会講演の渡邊貞雄氏)

 

 船津さんの縁で特に逗子市内のイベントについては、 逗子海岸花火大会寄付、太陽の塔建設時寄付、逗子スプラッシュウオーターパーク2015寄付、逗子海岸へレスコボール体験会2019寄付などを一部船津先輩個人支払いもありましたが明治大学校友会逗子葉山地域支部名で行っています。また泉鏡花の養女で山の根に住む泉名月さんが明大卒だったので船津さん提案で泉鏡花写真展に協力したりもしました。

 この写真展は逗子文化プラザが出来る際にイベントの受け皿として船津さん達が立ち上げた「NPO法人パートナーズ逗子(事務局長 砂山 昇先輩)」の主催でしたが泉名月さんの縁で当支部も全面的に支援しています。写真展終了後に記録を作り、同志社大学の先生方や昭和女子大学の先生、逗子市図書館、金沢の泉鏡花記念館、横浜の神奈川県立近代博物館等にも寄贈しました。

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      太陽の塔建設時寄付銘板。左は燦燦会会員の石井照周さん。建設時に

   船津さんの推薦で川﨑仁久先輩が逗子市観光協会事務局長でいて尽力された)

 

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   (逗子文化プラザギャラリーでの 泉鏡花“逗子ロマン時代”写真展の初日)

 

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     泉鏡花記念館と神奈川県立文学館から届いたお礼状・

    共に「大切に保管し末長く活用させて頂きたく存じます」と記されていた)

 

 

 また明治大学の教壇にも立ち葉山の自宅で亡くなった岡田朝太郎(東京帝国大学法科教授で草創期の日中友好の功労者であると共に三面子として川柳界の功労者でもあった)の孫の方から依頼されて船津さんの後押しもあり顕彰碑建立に尽力したこともありました。これらも明治大学と逗子市のPRに幾分なったのかなと思っています。 

  なお建立にあたって日本中国友好協会名誉会長の平山郁夫さんからも名前記載でご了解をいただいています。細野朝洋先輩の実家が平山さんと同じ瀬戸内海生口島瀬戸田である縁でお兄さん経由で文化財保護芸術研究助成財団事務局次長の村木茂様を紹介いただき、村木様より平山様の了解をいただいた返事がありました。

 なお平山郁夫さんの恩師は岐阜県中津川出身の前田青邨氏ですが、バスで行った全国校友石川大会の帰りに長野善光寺に寄り船津さんの父親が寄進した前田青邨他2名の恊作である大きな青銅の灯籠を見たことも思い出します。船津さんとは全国校友広島大会でも一緒で瀬戸田も訪問しました。ちなみにこの顕彰碑は岐阜県中津川にある㈱岩本で作られています。

        

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                       (岡田朝太郎 顕彰碑・裏面)

 

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     瀬戸田の細野先輩の実家訪問・船津さんの右が細野さんの実兄松本 彪さんで

     平山郁夫美術館の平山助成館長<郁夫さん実弟>と昵懇の中でした。)

 

 当校友会の発信で地元のブランドの焼酎「蘆花」を作ろうとして熊本の蔵元を訪問したり、明大グッズの浴衣を作り全国の明大関係者に販売出来たらとの思いでデザインまで作ったこともありました。これらも考えてみれば実現していれば逗子市を全国区にする一つの手段だったのかなと思いますが、校友会活動とかなり掛け離れていた感があり、ダメモトの船津さんの考えでした。マンドリンコンサートにペギー葉山さんを2度出演いただきましたが、それ以外にも大物歌手をゲストに招こうと船津さんに言われ砂山 昇先輩が尽力されたことも思い出します。

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             (熊本の蔵元瑞鷹を訪問)

 

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 なお瑞鷹に行く前に、熊本県支部の野上禮之助支部長他の方と懇親会を持ち、その際

熊本は徳富蘆花の出身地でもあり、逗子の郷土史である「随筆 藻塩草( 逗子の今昔) 」明大Ⅿ34年法学部卒 藤原楚水著)を贈呈した。

 

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  (浴衣のデザインは竹の葉っぱがトンボと明大のシンボルマークになっていた)

 

 20年程前に白石幸子先輩の要請を船津さんが受けて私に保護司への依頼があり理解もないまま了解して昨年3月定年で退任しましたが、これも当地区の対象者の更生、社会復帰に少しは貢献できたのかなと思いたい。逗葉地区保護司会としても「社会を明るくする運動」を通じて、逗子葉山の各種団体役員の方々と面識を得ることになり、これが船津先輩に大いに感謝すべきことかなと思っています。

 

 船津さんが企画したバス旅行や一緒に行った全国校友大会他、会員の親睦を目的とした各種行事については今回記事を省いています。機会があればまた別に投稿したいと思っていますが、家族や子供参加の地引網の集い・餅つき大会、また大勢参加のお花見会・納涼バーベキュー大会、全国校友大会・バス旅行の写真を付記しておきます。世代も変わりまたウイズコロナを念頭に暫く親睦最優先で活動を工夫し休んだり再開したりする時かなと思います。f:id:meijizuyou:20220118205026j:plain

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亡くなった後、船津孝二郎さんを知る明大関係者以外の燦燦会会員で当支部の忘年麻雀大会参加常連のⅯ氏から「心優しい、大きな方でした」との言葉をいただいています。                         

                          ( 支部長 足立泰秀記 )