故 浅田毅衛 特別顧問の想い出
昨年(令和元年)12月25日浅田毅衛当支部特別顧問の篤子奥様から電話を頂き、先生が12月14日死去されたことを知らされました。享年89歳でした。
ー浅田毅衛先生は1954年(S29)博商卒で元明大商学部長、名誉教授。そして
逗子市久木に住まわれ平成7年10月より当支部顧問のち特別顧問をされていましたー
昨年は3月6日(水)に逗子文化プラザで逗子葉山日本中国友好協会創立20周年記念の「春節の祝い」があり、私が実行委員長だった関係から提案して浅田先生に創立20周年記念式典で記念講演をいただきました。これは10年前に先生にもご協力いただき、明治時代に日中友好のために尽力された葉山に住み葉山で亡くなった岡田朝太郎氏のお孫さん高木さと子さんの依頼を受けて記念碑を建立した縁があったからです。岡田朝太郎氏は清国政府の要請を受けて東京帝国大学教授の身で北京大学創立前夜から中国に赴き中国の法典近代化に努めた方で広田弘毅、吉田茂両総理の恩師でもありました。東京帝国大学退官後は明治大学で教壇に立ち、若い頃明治政府が招いたボアソナードの通訳をしていた縁でボアソナードが帰国の際に使用していた机を譲り受け、後に明治大学に寄贈したことでも明治大学とは縁の深い方でした。
浅田先生を伴って小坪の渡邊貞雄逗葉日中友好協会会長の自宅を訪問して打合せした際には渡邊会長より1歳下という事で話がはずんでいました。
渡邊貞雄会長
先生は元気そのものだったので訃報には驚きましたが、奥様の話では「春節の祝い」のあとに旅行に行ったり元気にしていたとのことですが、5月頃に肺がんが見つかり、その後、頭の血管に転移し血瘤が出来て専門の病院に入院されていたそうですが脳梗塞で急逝されたそうです。葬儀は家族葬で22日(日)済ませましたとのことでした。明大商学部教授・名誉教授でもあったので、教え子の先生方が弔問に訪れて忙しいと思い暫く弔問は控えていましたが、1月31日(金)午後訪問し奥様と先生との想い出を語っています。
先生には当支部創立時からご協力いただいていましたが支部の総会、新年会にも以前出席されていました。また私にとっても、ゼミの先生であった石井常雄教授の大学での教授室の向い側が浅田毅衛先生の部屋であったこと、また石井先生が古希を迎えて大学を去るに際して浅田先生が「献呈の辞」を石井先生に贈っていただいたことも後で判りより親しみを感じていました。
石井ゼミ(前列左から3番目が石井先生。4番目は藤沢地域支部中澤幸雄氏
(石井ゼミ同期の仲間)
献呈の辞
石井常雄教授には,心身ともにご壮健で古稀を迎えられ,誠にめでたく思います。これを祝って商学研究所では古稀記念論文集を献呈し,教職員一同お喜び申し上げます。石井先生は,1927年(昭和2)年5月27日東京都池袋に生れ,生家は都内を流れる「神田川」発着の貨物を取扱う運送業者であったという。子供の頃から乗物に関心をもたれた先生は,その生い立ちから現在の先生の研究を宿命づけるものがあったといえるだろう。交通とくに小運送に関心を持ち続けてこられた先生は,1946(昭和21)年明治大学商学部に進学し,麻生平八郎博士に師事して「交通論」を専攻しながら交通分野で当時陽の当ることが少なかったトラック輸送産業の研究に励まれ,大学院を経て,1963(昭和38年)年教授となり,現在学生に敬愛されながら「交通論」「倉庫論」の講義と「演習」を担当されている。先生の研究姿勢は,鉄道,トラック輸送の基本的性格を「歴史的=論理的」立場から日本的特質を明らかにし,鉄道史・トラック史などの研究を散逸しつつある文献・原史料の蒐集を進めながら展開し,中小運送業の近代化も交通に働く人たちの地位向上を提言しておられる。門外漢である私には研究業績の意義を推し量ることはできないが,本巻の巻末に掲げられている業績目録にそれが示されていると思う。また,先生の功績は,その研究を通じて,通商産業省・建設省・運輸省などの専門委員として活躍された巻末の略年譜にみられるように,日本交通政策に深く貢献されていることを忘れることはできません。石井先生は昨年5月に古稀を迎えられ,本学の規定にしたがって3月をもって定年退職される事になった。本当に寂しい気持ちがします。同世代に育った私には,先輩である先生から文献,原史料の蒐集・研究方法などいろいろなことを教わった。先生には将来車両・その他の運搬具や諸史料を展示,公開できる「資料館」の創設という大志をえがかれているとのこと,その実現にむけて益々ご健康に留意さ'れて全国をかけ巡って下さい。そして,新しい21世紀に向かって前進していく明治大学・商学部の姿を末永く見守って下さるよう心よりお願いします。最後に,今一度先生の古稀へのお祝いと,長年にわたり大学・本学部への教育・研究に尽くされた先生の功績に感謝の意を表してこの古稀記念論文集を献呈し,お別れしたいと思います。1998年2月吉日 商学部長 浅田毅衛
(印象深い浅田毅衛先生との想い出)
1.支部創立記念時計と創立記念旗に署名をもらう
明治大学校友会逗子葉山地域支部(設立時は逗葉支部)は平成4年11月21日に創立総会を開催していますが、これに先立つ発起人会や幹事会で翌年5月23日に明大マンドリン倶楽部演奏会開催と支部創立記念時計を作成することを決定していました。記念旗も急きょ作成しています。
記念時計と記念旗に署名のお願いで浅田先生を訪問したのは平成5年3月のことだったと思います。家に上がり先生と奥様にお会いしたのはこれが最初でした。
右斜め上に署名↑
右斜め上に署名
第1回演奏会プログラムには葉山在住の斎藤正直元学長の紹介記事を掲載し、平成6年の第2回演奏会プログラムには逗葉地区在住明大教授として白石四郎、由井武夫、鈴木享子、浅田毅衛の4氏の記事が掲載されていますが浅田先生の記事は下記となっていました。
「私が逗子に居を構えるようになったのは、昭和45年12月でした。その頃の大学は紛争の余韻が残っており、静かで空気が良い逗子の町への帰宅が私には心の安らぎでした。今では違った意味でこの町の生活がその気持ち強くしてくれています。遊びに来てくれる学生諸君から通学への遠さを同情されますが他の地に住む気にはなれません。この地に校友会支部が出来たことは、すばらしいことだと思います。
(昭和29年商卒)
3.平成19年6月16日総会で喜寿を祝い「喜寿讃賞」の賞状をお渡ししました。
当支部では慶節を迎えた会員を総会で紹介して賞状と記念品を渡して共に祝うことにしていました(現在は廃止)が浅田先生が77歳の喜寿を迎えた平成19年総会の際に下記賞状をお渡ししました。
喜寿讃賞 浅田毅衛 殿
あなたは昭和五年城崎温泉を北に望む城下町兵庫県豊岡に生まれて以来今日まで、紺碧の日本海と白砂青松の景観を脳裡に刻んで今年七十七歳の喜寿を迎えられました。
明治大学教授として百年史の編纂に尽力され、今本学創立時最初の教師であった西園寺陶庵公が住んだ披露山と山続きの地に住んでいることに奇縁を感じておられるのではと思います。ここに満々と水を湛える郷里円山川の悠々たる流れに綾かって喜寿讃賞を贈り記念品を添えて表彰し共に長寿を祝うものです。
平成十九年六月十六日 明治大学校友会逗葉地域支部 支部長 船津孝二郎
(慶事表彰者を代表して挨拶する浅田先生)
(喜寿の美食を堪能する浅田先生)
4.平成20年11月13日付の岡田朝太郎顕彰碑建立にご協力いただきました。
この碑は岡田朝太郎の孫の高木さと子さんから当明大校友会に協力要請があったもので、船津支部長の後押しで作成まではほぼ順調に進んだのですが設置場所の問題から暫く建立出来ませんでした。岡田朝太郎の功績調査や明治大学関係場所への設置等に浅田先生にお願いしたこともありましたが、高木さんが高齢でもあり池子の海の見える高台に現在仮設置したままになっています。
浅田先生と
裏面記載
この碑は日中平和友好条約締結30周年を記念した岡田朝太郎の顕彰碑と共に川柳界の功績を謳った川柳碑にもなっていて多くの人に見て欲しいと思っていましたが、10年ほど経って平成31年3月の逗葉日中友好協会創立20周年記念「春節の祝い」の記念講演で浅田先生に紹介していただき資料配布もしましたのでより多くの方々に知られることになりました。(碑を見に行かれた方も多かったと聞いています)
5.平成24年6月16日(土)当支部創立20周年記念総会で記念講演
浅田先生は明治大学百年史の編集委員をされていたので、支部創立20周年記念に際し、「明治大学130年のあゆみ」と題して記念講演をお願いしました。逗子文化プラザさざなみホールでの講演はプロジェクターで明治大学関連の多くの写真を写し説明をいただいたのもついこの間のような気がしています。なおギャラリーで写真クラブと書道クラブの展示もあり多くのご来賓に見ていただきましたが、浅田先生にも見ていただいています。
(ギャラリーで開催した書道クラブの楽書展を見る)
(白石四郎特別顧問の幸子夫人と)
(創立20周年記念総会は平井逗子市長、山梨葉山町長にも浅田先生の講演を聞いてい
ただき向井眞一東部支部長ほか他地域支部、地元他大学校友会の方に加え明治大学応
援団を迎えてのイベントとなり浅田先生にも想い出に残る1日になったと思います)
6.平成31年3月6日(水)逗葉日中友好協会創立20周年記念「春節の集い」で
記念講演
この年3月迄は逗葉日中友好協会創立20周年と日中平和友好条約締結40周年を祝う年度ということで10年前に明大校友会が協力して建立した岡田朝太郎顕彰碑の周知の意味合いから浅田先生に記念講演をしていただきました。なお式典では碑に名前のある森英二葉山町長の勝美奥様、平井竜一逗子市長(共に当時)と横浜弁護士会元会長の横溝正子さん(当支部会員)にも演壇に上がってご挨拶いただいています。
高木さと子さんと森英二・勝美夫妻
森勝美さん
横溝正子さん
7.浅田先生は森英二前葉山町長の師でもあり、岡野加穂留学長と共に森英二氏の
良き支援者でした。
’ (前列中央で花を持っているのが岡野学長、右隣は由井武夫特別顧問)’
(2008年~2012年 葉山町長をつとめた森英二氏・S37商卒)
8.浅田先生からは自ら編集委員であったので明治大学に関する多くの本を寄贈して
いただきました。
1)「明治大学100年史」
2)「大学史紀要」第11号(特集 創立期の明治大学)
3)「紫紺の歴程 大学史紀要」第2号~第4号
(総会で講演いただいた圭室文雄先生は明治大学商学部100年史の編集委員でした)
( 浅田先生喜寿の年、箱根駅伝のため練習する体育会競争部を応援に行きましたが
松本穣部長・S42商卒は明治大学商学部100年史の編集委員でもありました)
(葉山に出来た明治大学体育会ヨット部合宿所にも足を運ばれ喜んでおられました)
訪問した時まだ遺骨はご自宅で仏前にお線香を上げてから応接間でお茶と菓子を
頂いて30分程篤子奥様と想い出話をしました。先生の叙勲(平成22年4月瑞宝
中綬章)表彰額が飾られている応接間にはやはり教え子の方が多く見えられたとの
ことで、私のゼミの先生だった石井常雄教授のことも良くご存知でした。浅田先生
はものに拘らない一見おっとりした性格の方に見受けられましたが、100年史の
編纂に関与されていただけあって史実に忠実な面が感じられ講演内容についても良
く確認されていました。浅田先生が先輩である石井先生から文献,原史料の蒐集・研
究方法などいろいろなことを教わったと述べておられたのでその証かなと思います。
米寿の祝いは1年前に済まされたとのことでしたが、今年の東京オリンピックを見
る前に旅立たれたのは残念でしたが新型コロナウイルスを知らずに逝かれたのは幸い
だったかなとも思います。弔文に替えて想い出としてブログ掲載としましたので浅田
ゼミ及び石井ゼミ関係者の方の目にも留まれば幸いです。
追記:当支部ホームページ左の索引末尾をクリックすれば浅田先生講演内容が見られ
ます。また当支部ブログ2019年3月28日付「春節の祝い」も参照下さい。
支部長 足立泰秀 記